第14話 過ちと償い
ルミナスの話では、魔物たちは南門から侵入して、南の地区に死傷者を出したという。
現在地の宿は町の東寄りにある。アルファたちは外に出ると、まずは東西の大通りを西側に向かって走った。
月は完全に雲に覆われてしまっているが、ガフトンの夜道は明るい。
街路樹に光玉が取り付けられているためだ。木一本につき、小さな光玉一つ。おかげで、日没前くらいの視界は保たれている。
黒味がかって本来の色彩はわからないが、自分の足元も人の表情もよく見えるし、また町の様子も見渡せる。
三人は、東西と南北の大通りの交差点手前に、子供から年寄りまでたくさんの人々が集まっているのを見た。
『ガフトン自警団』と書かれた看板の掲げられた、大きな建物の前だった。自警団の制服を着た男たちに誘導され、人々は中に入っていく。大部分が不安そうな表情をして。
アルファたちは足を止めた。どういうことかと父が自警団員に尋ねると、万一魔物が再び襲ってくる事態に備えて、町の人々を自警団の館に避難させておくということだった。
また、怪我人たちのことを訊くと、南の地区で自警団員たちと有志が救援に当たっているとのことだった。
アルファはエクルに、町の人々と一緒に自警団の館にいたらどうかと薦めたが、エクルが聞き入れるはずもなかった。
自警団の建物の上部は、ソーラの村の教会のように鐘楼となっており、大時計も見える。現在、短い針が七の位置を指し、長い針が十二の位置を少し過ぎたところだ。
市場にも響いてきた時報の鐘の音は、ここが音源だったと思われる。通常、一時間ごとに鳴らされていたが、この数時間、鐘の音は途絶えている。おそらく、この異常事態で鳴らすのを控えているのだろう。
三人は再び走り出した。交差点を右に曲がり、今度は南北の大通りを南下していく。
町の中心部には、一際立派な構えの建物が並んでいたが、ゆっくり見ている場合ではなく、さっさと通り過ぎた。
ガフトンは小さな町だと言われるが、実際、町の中心から端まで移動するにも、そうは時間が掛からなかった。
アルファたちはついに、南門の近くに着いた。
南門に続く石畳には、いたる所に大小の黒っぽい染みがあり、無数の靴跡や獣の足跡らしきものも着いている。
光玉の仄かな明かりの下ではなく太陽の下でならば、本来の色が、つまり赤が見えるだろう。その黒いものが血であることは明らかだった。
風がなく、周囲には異臭が立ち込めている。アルファは軽い吐き気を覚えた。
昼、魔物たちが襲ってきた時、市場の食べ物の匂いに混じっていた悪臭は、獣の匂いと、それだけではなく、血の匂いだったのだと今になって思い当たる。
そして、狼もどきたちに付着していた血液は、父のものではなく、ここで襲われた人々のものだったのだ。
少し考えれば、魔物たちがアルファたちの所に現れる前に人を襲っていたのだと想像できそうなものだったが、父の負傷に動転していて頭が回らなかった。
それにしても、この場には、大量の血痕はあっても、死者も負傷者も誰一人見当たらない。ここに来る前自警団員にも確認したのに、一体どういうことだろう。
「おーい! あんたたち!」
「そんなとこで何してるんだ……!?」
不意に、離れた所から声が掛かった。
目の前の血に注意を奪われて気づかなかったが、見れば道の先、南門の前に自警団の制服を来た男たちが五、六人ほど立っていた。やぐらの上にも一人いる。
どうやら、これも魔物の再来に備えているようだ。
声を掛けてくれたのは、昼、市場にいた二人組だった。
父が、怪我人たちはどうなったのかと彼らに聴こえるように大きな声で質問すると、ここは危険だから、全員施療院に運んだと答えが返ってきた。また、犠牲者たちの遺体も別の場所に移したのだと言う。
施療院の場所を聞いて、アルファたちはそちらに向かうことにした。
走り出す時、エクルは少しふらついた。大丈夫かと尋ねるアルーラに、エクルは平気だと答えた。平静を装っているが、その瞳が揺れているのをアルファは見た。それは一瞬で、すぐに前髪に隠されたけれども。
怪我人を助けに行くと決めた時点で、死体さえ見ることになるだろうと覚悟はしていたはずだ。アルファもそうだった。
けれど、この血の痕を見ただけでも、やはりつらいのだ。エクルが平気なはずがない。
それでもエクルは、走るアルーラとアルファの後を懸命に追いかけてくる。
アルファは半年前にゴウズの町で見た光景を、再び思い出した。魔物の群れに襲われ、命を奪われた人々の無残な姿。
それと同じかそれ以上の惨状が、さっきまで、すぐそこにあったのだ。あの血の量を見れば、容易に想像がつく。
だが、わからない。
惨状を目の当たりにしたはずのルミナスが、どうしてあんなに冷静でいられたのかと。
本当は、エクルのように無理をして、気丈に振舞っていたのだろうか。
それとも。
騎士団の隊長ともなれば、人の死に直面するのは日常茶飯事なのかもしれない。そうなれば、いちいち動じてはいられないのかもしれない。
走りながらアルファは思った。
もしこの先の人生で、凄惨な場面を何度も目にしたら、自分も冷静を保っていられるようになるのだろうか。
決して慣れることはできないだろうと思う。
その前に。できればもう二度と、そんな光景には遭いたくないものだ。
アルファたち三人は、悲劇の現場から大通りをしばらく北上し、右の路地へ曲がって東進した。
大通りと違い、こちらは街路樹も照明もまばらにしかない。何とか走って移動できる程度の視界はあるが、通りの家々に明かりが灯っていないのは少し不気味だ。皆、自警団の館に避難しているからだろうか。
と思ったら、向かって左斜め前方、手前の家の屋根の向こうに、光が見えた。
高木に複数の光玉が取り付けてあるらしく、かなり明るい。何やら、喧騒も聴こえてくる。
たぶんそこが、施療院なのだろう。
アルファたちはその光を目指して走りながら、少し幅広の道と交わった所で左に曲がった。
すると、道の先、光玉の照明の下に、たくさんの人々が見えた。
傷を負った人々が、座り込んだり寝そべったりしていて、道を埋め尽くしていた。その合間に、彼らに包帯を巻いてやったりして、手当てしている人たちが何人かいる。
彼らのすぐ横に、明かりの点いている建物があり、どうやらそれが施療院らしいのだが、そこらの民家と同じような造りで、しかもより小さく見える。
怪我人を中に収容しきれずに、こんな状況になっているらしい。
日が沈んでからだいぶ気温が下がっている。風がないのがまだ救いだが、昼と同じ服装でじっとしていれば寒いくらいだというのに、気の毒だ。
ソーラの村では、怪我人が出れば神官のグレースが治癒の術で治してくれるから、施療院という言葉を聞いて、アルファは勝手に教会のようなものを連想していたのだが、実物はだいぶ隔たりがあった。
アルファたちは人々のほうへ近づいていった。
怪我人たちの傷の程度は様々だ。
手首にかすり傷を負っただけらしい者もいれば、頭に巻いた包帯から血が滲んでいる者、骨折したのか足をぐるぐる巻きにされている者もいる。
体のあちこちに包帯を巻かれ、道に敷かれた毛布の上に横たわって、小さくも悲痛な呻き声を上げている人たちもいる。かなりひどい怪我らしい。
見ると、傷を手当てしてやっている者たちは、ほとんどが鼠色の制服を着た自警団員だが、その中に、法術士の老婆ハンナと、鳥の巣頭の花売りサムの姿も見えた。
老婆がアルファたちに気づいて声を掛けてきた。
「おぬしらどうしてここに? 体の具合はもういいのか?」
「おかげ様で。ありがとうございました」
父は改めてハンナに礼を言い、それから用件を伝える。
「我々も何かお手伝いできればと思いまして」
「そりゃありがたい。もうちょい人手が欲しかったところなんだ」
と喜ぶサム。怪我人たちが三十人を越えるほどいるのに対し、自警団員は四人しかいない。
「あれ?」
ハンナが怪我人の傷に薬を塗ってやっているのを見て、アルファはあまり考えずに訊いた。
「法術は使わないんですか?」
父の傷を容易く治療できたのに。
「そうしたいのは山々じゃがな。いかんせん負傷者が多い。命に関わりそうな傷だけは、何とか治したんじゃが……霊力を使いすぎた。もう法術を使う力はほとんど残っとらんのじゃ」
ハンナは何とも残念そうな、苦々しい表情で答えた。
「――他に、治癒の術を使える人もいないんですね?」
「施療院の院長は使えるけど、やっぱり霊力切れなんだ。今は中で特に重傷の患者を看てる」
施療院の建物を指差しながらサムが答えた。
アルファたちは道具を分けてもらい、まだ治療を受けられないでいる怪我人たちの手当てを始めた。重傷者から先に処置されていたので、今残っているのは比較的軽傷の者たちだ。
傷口の汚れを落とし、傷の程度に応じて薬を塗り、包帯を巻いてやる。
何年も前に、父から習った応急処置。
普段は、怪我をしてもすぐグレースの聖術で治してもらえるので、あまり生かす機会などなかったが、まさかこんな所で役に立つとは。
けれど、人々の傷を、血を見るのは胸が痛む。
あまりにも痛そうで、苦しそうで、自分にも癒しの魔法が使えたら良かったのにと、そう思わずにはいられない。
アルファはちらりとエクルのほうを見た。
怪我人の腕に包帯を巻いている。日頃から慣れているかのように、てきぱきと。どんくさいくせに、意外と器用な奴なのだ。
黙々と、手元だけを見つめながら手当てを続けるエクル。時折、相手が痛がれば気遣ってやり、礼を言われれば微笑みを返す。
今、どんな思いなのだろう。
治癒の術が使えたら。エクルはなおさら、そう思っているだろう。
聖術に長けた両親を持ちながらそれを使えぬ自分を、責めているかもしれない。
けれど、それは表に出さずに、自分にできることをしようとしている。
アルファは自分の手は休めずに、次に父を見た。
父もまた黙々と、手際良く負傷者の手当てをしている。だが、やはり顔色が良くないように見える。
傷こそ治してもらったものの、あれだけ失血して、父も本当は休んでいなければならない体のはずなのに。ここに来るまで走ってきたし、無理しすぎだと思う。
でも、父に休むよう説得するよりは、全員の治療を終わらせるほうが早そうだ。
と。
「あんたがた、俺たちより手つきがいいな」
手当てに従事している自警団員の一人が、アルファたちに声を掛けてきた。
「施療院で働いてたことでも――いや、それにしては見たことないか」
「ああ。施療院どころか、この町の人間でもない。ソーラの村から来たそうじゃ」
アルファたちの代わりに、ハンナが答えた。
「ソーラ?」
「ソーラって、ここからだいぶ北のほうにある……」
「どうもすみません。この町のことなのに」
「手伝っていただいて助かります」
自警団員や怪我人が口々に言葉を発する。
「そんな、我々は当然のことを――」
「さっさと村に帰れ……!!」
アルーラの声を遮って、突然、怒声が飛んできた。
アルファが驚いて声の主を見ると、自警団の中の一人、四十代半ばと思われる丸坊主で大柄の男だった。立ち上がり、こちらに向かいさらにもの凄い剣幕で怒鳴った。
「ソーラレア族なんぞに用はない……!!」
……え?
アルファは一瞬、意味が飲み込めなかった。しかし、場の空気は、確かに凍りついた。
「何を言うんですか、ロバートさん! 魔物が襲ってきた時、倒してくれたのはこの人たちなのに……!」
「そうじゃぞ、彼らがいなければ町の被害はもっと大きくなって――」
サムとハンナが慌てて庇ってくれたが、ロバートと呼ばれた男は止まらない。憎しみに満ちた表情で喚く。
「この世に魔族を召還したのはソーラレア族だろうが! お前たちソーラレア族のせいで、この町もこの世界もこんな目に遭っているんだ……!!」
想像だにしなかった、糾弾の言葉。
瞬間的に、アルファの頭に血が上った。
「ふざけるな……!!」
気がついたら、自分も立ち上がって怒鳴り返していた。
市を襲った魔物たちを倒したのも、怪我人の手当てをしているのも、できるからしただけのこと。父が言おうとしたように、当然のことで、助けてやってるとか感謝してほしいとか、そんな気持ちは全くない。
でも、その言葉はあんまりだ。
確かに、この世に魔物をもたらしたのは、ソーラレアの王カストルだった。それは、例えどんな理由があろうとも、決して成してはならなかった大罪には違いない。
ソーラの村でも、同じ民族としてカストルを恥じている。
だけど――
アルファは自分より背の高い男を睨みつけながら、激昂して叫んだ。
「なんでルナリルの人間にそんなこと言われなきゃならねぇんだ……! カストルが魔族を召還したのはなんでだ!? それはルナリルがソーラレアを侵略したから――」
「アルファ! やめろ!!」
父アルーラの声が、ロバートに掴みかからんばかりだったアルファを制止した。
「父さん!? 何で――」
「やめろ」
父は、今度は静かな声で言った。じっとアルファの目を見ながら、諭すように。父の瞳は、自分と同じ黒色の瞳は、威圧的で、厳しくて、けれどどこか悲しげだった。
アルファは目を逸らし、ロバートへも背を向けた。代わりに、泣きそうな顔でアルファを見ている幼馴染が目に入る。怒りはまだ収まらないが、これ以上、何も言えない。
自分のカッとなりやすい性格は、八割方、父に似たのだとアルファは思っている。父も本来は、こんな理不尽なことを言われて黙っていられるほど、温厚ではない。でも、何の故にか耐えているのだ。
アルーラが、ロバートに向かって言った。
「我々ソーラレア族は皆、ソーラレア王の過ちを恥じています。その過ちを、償えるものなら償いたいとも思っています」
そんな百年以上昔の、愚かな国王がしたことを、なぜ父が償うというのか。アルファは悔しかった。
「償うというには、我々の力はあまりにも小さい。しかしせめて、この町のためにできることがあるならば、したいと思うのです」
父さん、どうして――
この町を助けたい気持ちはアルファも同じだ。だが、あそこまで言われて、どうして父がこんな風に下手に出なければならないのか。心の中が苛立った。
沈黙が流れた。
誰かが何か言い出しそうで、でも誰も何も言わない。息苦しいような、動揺するような空気。
けれど、それはたぶん、そんなに長い時間ではなかった。
「おい……! 手当ては終わったか……!?」
沈黙は突然降ってきた声によって破られた。
見ると、道の北側から、五十歳くらいの男が走ってきた。自警団の制服を着ている。
「団長!」
自警団の男たちが一斉に声を上げた。どこか、呪縛から解き放たれたかのように。
団長。自警団の団長のようだが、取り立てて特徴のない男だ。
強いて言えば、人が良さそうな顔をしている。少なくとも、強そうとか威厳があるとか、団長という単語から連想するような雰囲気は――それもアルファの勝手な連想かもしれないが――ない。
「手当てはおおよそ終わりました。残り少しです」
「そうか。じゃあ、手当ての済んだ人から宿のほうに運んでくれ」
「宿屋に?」
「ああ。施療院は満床で入りきれないし、このまま外にいさせるわけにもいかないだろう。部屋を借りられるよう宿の主人には話をつけてある」
「わかりました。じゃ、こちらにいる患者さんたちから――」
団長と団員たちはそんなやり取りの後、手当てが終わった重傷者から担架に乗せ、運び始めた。道の北側に向かって、慎重にゆっくりと。
団員たちは皆、運搬作業に移った。あのロバートという男もだ。
「ロバート、子供についててやってもいいんだぞ」
「いえ。妻がついていますから」
隊長とロバートがそんな会話をしていたように聴こえたが、よくわからない。
サムとハンナ、アルファたちが、残りの負傷者の手当てを続ける。
怒りの対象は去ったが、アルファの心の中は、まだ釈然としなかった。
ソーラレア族は、戦争中にルナリルの地へと連れてこられ、ルナリルから奴隷として扱われた。戦争が終わって解放されても、迫害は続いたという。
だからこそ、それから逃れるためにソーラの村を造ったのだ。ルナリルの人々が見向きもしない、あんな山間の森を開拓して……。
時代は流れ、かつてのような迫害は、次第になくなったという。だから、近隣の町に行き来できるようになったのだ。
ルナリルからの差別と偏見に、ソーラレアの先祖たちはどれほど苦しめられたことかと、アルファも思い量ってみることはあったが、何となくでしか、わからなかった。それくらい、昔のものになってしまっていたのだ。
アルファたちが行商に来ても、周りの人々は皆、普通に接してくれていた。暖かかった。ソーラの村、と言えば、ソーラレア族の村であることは、考える余地もなくわかることなのに。本当に、ソーラレアとルナリルの反目など、遠い過去のことだと思っていた。
だから、ロバートから言われた言葉が信じられなかった。
この地に魔物が存在する以上、そういう風に言われてしまうのも仕方ないかもしれない。
だが、それはたまらなく苦しかった。そして、口に出さないまでも彼のように思っている人間が、他にもいるのだろうと思うと、淋しくもあった。
「すまんのう。せめてワシから謝らせてもらおう」
ハンナがアルファとアルーラ、そしてエクルに向かって言った。
「あんまりじゃと思うが、どうかあやつを悪く思わんでくれ」
「あのおっさんには、七つになる一人息子がいるんだけどよ」
と、今度はサム。
「その息子が、昼の魔物の襲撃で重傷を負っちまってな。幸い、命に別状はなかったが、まだ意識が戻らないんだ」
アルファの中に燻っていたものが、急速に小さくなる。水を掛けられたように、熱を失い、冷たさが残る。
悪かった、ごめんなさい、感謝してます……怪我人たちからも声が上がった。
逆に、自分のほうが悪かったような気がしてくる。
――ロバートの言葉自体は赦せない。
だが、もし子供のことがなければ、あそこまでは言わなかっただろうと思う。
そして、彼と団長の交わした会話の意味は。
たぶん本当は、意識の戻らない息子のそばにいてやりたいけれど、町の危機に、自警団の団員としてすべきことをしようとしているのだ。
「大丈夫です。彼の気持ちは、よくわかりますから」
ガフトンの人々に父が答えた。
『よくわかる』。その言葉が、彼らにどう聞こえたかはわからないが、アルファには重かった。
魔物によって子供を亡くした親の、本心だったから。




