第10話 ガフトン市
ガフトンに向かうアルファたちは、その後二、三匹の魔物を倒しながら順調に進んだ。山を越えて、低い木々がまばらに生えた緩やかな丘を三つほど通り過ぎると、やっとガフトンの町の前までやってきた。
朝は肌寒かったが、日も徐々に高くなっていき、すっかり暖かくなっていた。荷を背負って歩き通した今は、むしろ暑いくらいだ。町の入り口に向かいながら、アルファは額に浮かんだ汗を腕で拭った。
ガフトンの町は灰色の市壁で囲まれている。厚く高い石造りのその壁は、ソーラの村を囲む丸太の防護柵よりもずっと頑強に見える。もちろん、これも魔物の侵入を防ぐためのものだ。ソーラでもこれくらいのものが造れたらいいのに、とアルファは常々思っているが、小さな村ゆえ、そこまでの財力がないこともまたわかっている。
ガフトンの町を囲む石壁には、東西南北に一箇所ずつ門が設けられており、その門は厚い木戸で閉ざされている。ソーラから来るアルファたちはいつも、北門からガフトンの町に入っている。
門の前には、鼠色の制服を着、槍を手にした門番が一人立っている。アルファたちが近づくと、扉を開いて通してくれた。よほどの不審者か魔物かでない限り、すぐに入れてもらえるらしい。
扉をくぐってすぐ左側には、木を組んで、市壁よりもやや高く造られたやぐらがある。その上にも、鼠色の制服を着た番人が常時いる。他の方位にもそれぞれ、やはり門の近くにやぐらが建てられ、同じように見張りがいる。
見張り番は、魔物が町に近づいた時に、やぐらの鐘を鳴らし、町の人々に警戒を促すのだそうだ。少なくとも、アルファたちが来訪している時にその鐘が鳴らされたことはないが。
ちなみに、鼠色の制服は『ガフトン自警団』の団員であることを示している。自警団は町の男たちで構成されており、有事の時、魔物と戦えるよう訓練されているという。
ソーラの村は人口も少ないし、そういう防備専門の人材もない。みんなで修練に取り組もうと努力はしているが、それぞれ自分の生活があるため、あまり訓練に時間を割くこともできないし、なかなか本格的なところまでいかない。だから、ガフトンの町が羨ましい限りだ。
北門から町に入ると、石畳の道が、ほぼ一直線に伸びている。南門へと続く大通りだ。道沿いには、所々木が植えられている。街路樹と言うらしい。馬車はあまり見かけないが、二台がすれ違うのに問題ないだろう道幅がある。
ソーラの村ではあり得ないほど立派なその道を、相変わらず、アルファとアルーラが前、エクルとルミナスが後ろに並んで進んだ。
通り沿いには、裕福そうな大きな家や商店が建ち並んでいる。町の人々が店を覗いては、パンを注文したり、靴の仕立てを頼んだりして、そこそこ賑わっていた。大通りの左右には、細い路地が何本も繋がっていて、その路地沿いにも家々が連なっている。
ガフトンはあまり大きな町ではないというが、それでもソーラの村に比べたら家も人も多い。家の造りにしても、人々の身なりにしても、故郷の村より洒落て見える。
ガフトンがなかなか裕福なのは、交易の盛んなスプライガの町が近くにあるために、その恩恵を受けているからだろう。
アルファたち一行は大通りをしばらく進み、道幅が半分くらいの左の路地へと入っていった。また少し行くと、目指していた場所についた。
膝丈の植え込みに囲まれた、町の広場だ。町の中心部から近く、普段は子供たちが駆け回り、年寄りたちが隅に置かれた長椅子に根を下ろし、四方山話を繰り広げている憩いの場らしいが、今はそこに、所狭しと露店が並び、人々がごった返していた。
月に一度、休日に開かれる市場だ。
「らっしゃい、らっしゃい。採れたての魚だよー!」
「こちらの高級毛織物、今日ならなんと三割引! こいつは買いだよー」
「おいしいおいしい焼きたてパン! 一個十リル、三個買ったら二十リル!」
威勢のいい売り文句が響いている。
「なるほど、ここで商売するんですね」
「そうですよ」
ルミナスに訊かれ、エクルが答えた。アルファたちは混雑した市場の中に入っていく。人とぶつからないように、よく注意しながら。だが、背中の荷物が大きいせいで、ことさら歩きにくい。
小さな市ではあるが、通りの商店の品より安いものが多く、なかなか盛況している。
ずらりと並んだ露店では、食べ物を初め、装飾品やら雑貨やら、多種多様なものが売られている。
売り手もいろいろだ。赤ん坊を背負ったまま店番をする逞しい母親や、客寄せに道化師のような格好で芸を披露する男や、かしましく客と喋り続ける商売そっちのけのおばさんなど。きれいな花を売っているのが、鳥の巣みたいなぼさぼさ頭の男だったりもする。
……ガフトンに来るようになって以来、アルファは毎回その鳥の巣男を見かけている。歳は三十前頃、中肉中背、着ているのは古びた野良着で、無精髭まで生やしている。何とも花とは不釣合いで、目についてしまうのだ。どこか愛嬌のある顔だが、むっつりした表情で座っているだけで、あまり花が売れているようには見えなかった。
ともあれ、売り物も売り手も様々で、なかなか楽しい。出店者はほとんどがガフトンの住人だが、アルファたちのように外から行商に来る者たちもあり、時には珍しい品物が陳列されることもある。
「でも、これだけ店があると、もう場所がないような……」
売り手たちと客たちとのやり取りがやかましい中、ルミナスが呟いた。広場はほとんど店と人で埋まっている。
市は早朝から開かれているのだが、ソーラから来るのではとてもその時間には間に合わない。店を出すなら、普通は前日から町に泊り込むのだろう。でも、自分たちはその必要はない。
「場所をとっておいてくれる人がいるんだ」
アルファがルミナスに言うとすぐ、
「あ、アルーラさん! こっちですよ」
と、父を呼ぶ声が掛かった。
見ると、数歩先の陳列台の後ろで、初老の男が手を振っている。
恰幅が良く、いかにも金回りの良さそうなその男は、ガフトンの商店街を取り仕切っているセーブズだ。セーブズの前の台には、数十本の剣が並んでいる。長いのも短いのも、様々な型が揃っていた。
父を先頭に、アルファたちはセーブズの所へ近づいた。
「セーブズさん、おはようございます」
「待ってましたよ。今日はどうです?」
「ええ、持ってきました」
父は背中の大きな籠を下ろした。中身は玉葱だが、籠の隅に、布にくるまれた長いものが入っている。父はそれを取り出し、包みを開いてセーブズに見せた。
布に包まれていたのは、四本の剣。ソーラの村の鍛冶職人、ジャックが造ったものだ。
「ああ、ありがたい。ソーラの剣は切れ味が違うって評判が良くって。うちの町にも武器職人は何人かいるが、ジャックさんには敵いませんで」
にこやかに言いながら、セーブズは父に剣の代金を渡した。そうして、自分の前の陳列台から、売り物の剣を片付け始めた。台をアルファたちに譲るためだ。
彼はこちらが安く剣を提供する代わりに、市での場所取りをしてくれる。実は、彼は大通り沿いに、なかなか立派な武器屋を構えており、こんな所に出店する必要などないのだ。
以前は、ゴウズの町の武器商人にジャックの剣を売っていたが、セーブズはそれを買い取っていたそうだ。ゴウズの町がなくなってしまった今、セーブズと直接取引をするようになったのである。
「しかし欲を言えば、もう少し欲しかったが……」
ぽつりとセーブズが呟いたので、アルーラは少し困ったように笑った。
「すみませんね。彼はちょっと前に腕を痛めてしまって。今はもう、すっかり良くなっているんですけど」
「あ、いえ、不満じゃあないんですよ。ただね。このところ物騒なもんで武器がよく売れまして」
セーブズは慌てたように、顔の前で片手を振りながら言い訳する。
「この町の近くにフロムの森ってのがあるんですがね、どうもそこに魔物の群れが棲みついてしまったらしいんですよ。五日前なんか、森の付近を通った行商人たちが襲われて……気の毒に、荷物も命も奪われましてね。それで、この町の人間もみんな、不安を抱えているんです」
周囲の活気に満ちた空気の中で語られた、嘘のような話だった。
かつてアルファたちが通っていたゴウズの町も魔物に襲われたが、ガフトンの近くでもそんな被害が出ていたとは。本当に物騒な世の中になってしまった。
先ほどルミナスの話を聞いた時のように、アルファは再び胸が痛んだ。見れば、父もエクルもやはり沈鬱な表情になっていた。
「そのうちスプライガ騎士団が、森の魔物らを退治してくれるって話は出てますが……騎士団はスプライガ近くの山に巣食った魔物の群れと交戦中らしくて。こっちにはなかなか手が回らないんだそうです」
と、セーブズは溜息をつきながら言った。
フロムの森を、アルファは地図上で見たことがあるだけだが、ガフトンの南東方向に広がる大きな森だ。
ガフトンからほぼ真南にスプライガの町があり、二つの町を結ぶ道は、フロムの森のすぐ西側を通っている。万一、森の魔物によってスプライガとの交流が絶たれたら、ガフトンにとっては死活問題だ。
それは無論、スプライガにとっても痛手なわけで、騎士団としては、可能ならフロムの森のほうもすぐにでも解決したいだろう。
「でも、この町には自警団があるじゃないですか」
アルーラが何とか励そうとするように言ったが、セーブズは首を横に振る。
「彼らがどこまで当てになるやら――」
言いかけて、急に言葉を切った。近くを、鼠色の制服を着た男二人が通りかかったのだ。市場では、稀に店と客のいざこざや盗難が発生することがあるため、自警団が見廻りに来るのである。
「じゃあ、また次もお願いしますね」
セーブズは会話を切り上げ、市場を去っていった。自分の武器店に戻るのである。
セーブズの話で気分が沈んでしまったが、アルファたちは譲ってもらった陳列台に村から運んできた品物を並べながら、努めて元気に近くの露店の主人たちに挨拶した。
「おはようございます!」
「おはよう! 今日もはるばるソーラの村からご苦労だね」
彼らも明るく返してくれる。アルファたちは何度か市に出ているから、他の何人かの出店者たちと顔なじみになっているのだ。だが、彼らはルミナスとは当然、初めて会う。彼らは次々に声を掛けてきた。
「おや、見ない顔だねぇ」
「ずいぶん男前じゃないの」
ルミナスは旅人だということを簡単に説明しながら、適当に愛想を振りまいた。
狭い台の上に商品をきれいに並べ、商売の準備ができると、アルファとエクルは人ごみの喧騒に負けぬよう声を出す。
「ソーラの村の新鮮野菜はいかがですかー」
「きれいな手織り布もありますよー」
早速何人かが立ち止まってくれた。
「その花の刺繍が入ったケープ、もらおうかしら」
「どうもありがとうございます」
とびきりの笑顔でエクルが答え、客に品物を渡してやる。代金のやり取りは父の役目だ。
「えーっと、レタス一玉」
「このチーズ、この前食べたらすごくうまかったよ。今日は三つほしいんだけど」
「ありがとうございます!」
ルミナスは最初様子を伺っていたが、勝手がわかると、客が次々に選んでいく品を取って、エクルに渡してくれた。客が多い時には人手があると助かる。
売れ行きはいつも通り順調だ。毎回足を運んでくれる人々もいる。ソーラの品物の質を気に入ってくれているのもあるが、エクルの笑顔が見たいという客も多い。でも中には……
アルファは台の上の商品が売れていくたびに、籠に入れたままだった分を補充して並べながら、周囲を見回した。
……また出た。
予期したものが、やはりいた。アルファはげんなりして溜息をついた。
通路を行き交う人々の向こう、アルファたちの台から少々距離を置いて、何人かの男たちがちらほらと立っており、こちら側を見ている。下は十四、五歳から、上は二十代半ばと思われる連中が、ぼーっとしたような表情で見つめる先には、エクルがいる。
あの連中は、毎月市が開かれるごとにエクルを眺めにやってくる、暇としか思えない馬鹿共だ。
こちらに近づこうとしないのは、以前、エクルに声を掛けようとしたところを、アルーラに「うちの娘に何か?」と怖すぎる顔で凄まれて、すっかり怯えているからである。
接客に忙しいエクル本人は、奴らの存在に気づいてさえいない。アルファも連中を無視することにしているが、やっぱり呆れてしまう。
確かに、エクルはかわいい。
毎日エクルと顔を合わせ、見慣れているはずのアルファでさえも、思わず目を奪われてしまうことがあるほど――そんなこと、エクル本人にはもちろん、誰にも絶対に気づかれたくないが。
エクルはその両親から、魔法の才能や、いかにも聖職者らしい、穏やかで慎ましい品性は受け継げなかったが、面立ちは父と母双方の良い要素をしっかりともらっている。アルファは心密かに、それを『不幸中の幸い』と呼んでいたりする。
……その容姿からは想像できないほど、エクルはどうにもドジで、意外に強情なところもあるのだが、そんなことは、ほんの短い時間接するだけのガフトンの人々が知る由もないだろう。
リィーン……リィーン……リィーン……
町の中心部から、鐘の音が響いてきた。一定の間隔で鳴ること十二回。正午を告げる鐘だ。
アルファたちは四人のうち、三人が店番をしている間、その後ろでもう一人がソーラから持ってきた弁当を食べ、交代していった。
隣の台で商売している夫婦、ペーターとジルが、売り物の腸詰をアルファたちに差し入れてくれた。他にも近くの店主たちが、手製のクッキーや、エクルにと髪を結うリボンなんかをくれた。
お互い、自分の客たちを相手に商売しているから、ゆっくり話をすることはできないのだが、そういった交流の中に、確かに人の温かさが感じられる。だからアルファはガフトンに来るのが好きだ。他にも、ここに来ればきつい修行も休みだし、気分転換にもなるし、とにかく市の日がありがたい。
しばらくして、アルファたちがソーラから持ってきた品は完売した。
早朝から開かれるガフトン市は、昼時を過ぎてもまだ賑わっているが、売るものがなくなってしまえば仕方がない。遠くから来るので、自分たちが持てる量だけ持ってきて、売り切ったらさっさと帰り支度をするのが常だ。
今日の客たちは、いつもと比べて若い娘が多かった気がするが……たぶん、金髪碧眼の美青年がいたせいだろう。
アルファたちは空っぽになった荷袋や籠を背負い、近辺の店主たちに挨拶して、その場を去った。台は後でセーブズが片付けてくれることになっているので、そのまま置いていく。
今度は自分たちが市の客になる。今日の利益の中から、塩や茶などを購入した。これは出品者であるソーラの村人たちに頼まれたものだ。再び荷物が重くなるが、全然行きほどではない。
それと、ガフトンの帰りには、手伝いの褒美に何か一つ好きなものを買ってもいいことになっている。アルファは大好物の豚の骨付き炙り肉を買ってもらい、その場で熱々のうちに平らげた。これも、ガフトンに来る楽しみの一つである。
「う~ん、今日は何にしようかなー」
エクルは真剣に、かつ幸せそうに露店をきょろきょろ見回している。
「あのクリームパンっておいしそ~。アップルパイも捨てがたい……あ、こっちのお店のクッキーもおいしそう!」
エクルは甘いものに目がない。ご褒美にはいつも決まって菓子類を選ぶ。
「クッキーなら、さっきもらったろ」
アルファが言うと、
「さっきのは木の実入りの歯ごたえざっくりで、こっちはさっくり薄焼きなの! 別物なんだから!」
と妙に力を込めて言い返してくる。これは、からかわずにいられない。
「お前なぁ、聖職者の娘たる者、食い物に執着するのはどうかと思わねーか?」
「うっ……」
「そういや、『お詫びの印』におごってもらう約束だったよな。オレ、そのパンでいいぞ」
「約束してない同意してないっ! もうっ、アルファは意地悪なことばっか言って」
エクルは拗ねながら、また真剣に菓子を選び始めた。
父アルーラはアルファたちのくだらない会話は気にも留めず、ルミナスに言った。
「ルミナスさんも何か欲しいものはありませんか? 手伝っていただいてとても助かりましたからお礼を」
ルミナスはにこりと笑顔で答えた。
「いえ、とんでもない。僕のほうこそ泊めていただいて助かりましたし。それにすごく楽しかったので」
「そんな、遠慮せずに」
「――では、思い切り図々しいお願いですが」
ルミナスは前置きしてから、
「僕を、もう何日かお宅に泊めていただいてもいいですか?」
と尋ねた。
「おい、そりゃお前ほんとに図々し――」
「僕、すっかりソーラの村が気に入ってしまって。しばらく滞在したいなぁって」
アルファの抗議の声を掻き消すように、ルミナスはわざとらしい理由を語る。
本当の理由は、このガフトンの町までついて来たのと同じ。エクルのそばにいるために決まっている。
エクルを伝説の光継者と呼ぶルミナスは、たぶんそのことが証明できるまでソーラの村に居座るつもりだろう。
アルファは想像しただけで気が滅入りそうだったが、父はやはりそんな息子の胸中など知る由もなく、ルミナスの願いを快諾した。
「どうぞどうぞ、かまいませんよ。下の息子たちも、ルミナスさんの話をもっと聞きたがっていたし喜びますよ」
あぁ……
アルファは小さく息を吐き、エクルを見た。エクルはルミナスが自分に付いて回るのをどう思っているのか――
が、エクルはまだ露店の菓子を眺めて品定めしている。こちらの話など聴こえていなかったようだ。
「んなことやってる場合か!!」
「っわぁ!?」
アルファが耳元で怒鳴ると、エクルは驚いて声を上げた。
「びっくりしたー! ちょっと、人が真面目に悩んでるのに『んなこと』なんて――」
もっと他に悩むことはないのか。
アルファは苛立ち、強い口調で命じた。
「いいからさっさと決めろ!!」
露店の主や、周囲の客たちがこちらを見てくる。
「お前のせいで余計な注目浴びてるぞ」
「アルファの声が大きいからでしょ! ――っと、とにかく選ばなきゃ。う~ん……よし、決めた。今日は――」
この時、おそらくエクルは、選んだ菓子の名を言おうとしたのだろう。だが、それはアルファには聴こえなかった。
代わりに聴こえてきたのは。
遠くから響く、甲高い悲鳴。
そして、信じがたい言葉。
「魔物だーっ!! 魔物が出たぞ……!!」




