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【短編小説】もう夢を見ないで済むように

 腐るほどに熟して溶け落ちる柘榴の周囲を飛び回った蜜蜂の飛翔とその羽音によって産まれた悪夢から目覚める3秒前の隠れ秘密巨乳の女子高生と戯れる夢は、電車のドアが閉まる乾燥した摩擦音で遮られた。


 重たい瞼をこじ開けた目に飛び込んできたのは見知らぬ駅だった。

 しまった、寝過ごした。

 鈍い焦燥感と諦観が水蜜桃色をした夢の残り香を上書きしていく。

 電車の窓は暗い山間部の町を映している。

 どこまで来てしまったのだろうか?

 夢に見た女子高生の顔を思い出そうとしながら、次に到着した駅でシートから立ち上がり電車を降りた。


 女子高生。女子校生だったか?

 男子校育ちには夢にまで見る夢だ。

 ぴかぴかに光る茶色いローファーと、艶々の紺色ハイソックス。

 曼珠沙華みたいにスッと伸びた脚は白くて折り返したセーラー服のスカートは短い。

 薄いブラウス。

 あの下は何だったっけ?

 スクール水着?ボンテージ?


 知らない駅の向こうに広がっていたのは、やはり全く見覚えの無い景色だった。

 夢に見た女子高生は立ち所に消え去って、疲労と諦念が巨大な質量を伴って溜息として吐き出された。

 スマホを取り出して妻を呼び出した。

「もしもし」

「いまどこなの?」

 怒りや呆れ、または疑念と言うよりは純粋に不安と心配の声で妻は電話に出た。

 ひとまず喧嘩にはならなさそうだ。


 湿った草葉や土の匂いが胸を満たした。煙草を吸いたくなって、何日か前にやめたのを思い出した。

「やらかした、寝過ごした」

 謝ると面倒だなと言う打算が働く。

「迎えに行こうか?」

「旅行になっちまうから気持ちだけ」

 だいたい、まだどこかも調べてないんだと言うと妻は逡巡してから

「どうするの?」

 と言った。


 どうしよう、とその時になって初めて考えた。

「タクシーは勿体無いし、最寄りのネットカフェまでたどり着きたいな」

「希望的観測」

 それだけ言うと妻は無言になった。

 当たり前といえばそうだ。

 駅前の何も無さから察するに、ここから大きな国道か県道まで出て歩かないと何も無いだろう。

 そこにだって、朝まで時間を潰せるような店があるか怪しい。


「帰るのは明日の朝になる」

 分かりきった事を伝えると、妻はため息やら唸り声やら沈黙やらを繰り返した挙句に何か言いたそうなものをたっぷりと含ませて

「わかった」

 と答えると通話が切った。

 やれやれ、この週末のご機嫌伺いが大変そうだ。


 電話を切ってふと顔を上げると、改札窓口に立っていた駅員がおれを小馬鹿にするように見ていた。

 殺してやりたいが、まぁ間抜けはおれだ。

 寝汗と疲労でベタベタとする影を引きずって駅を出る時、後ろで夢に見た顔の曖昧な女子高生がおれを笑った気がした。


 県道沿いのファミレスで朝までウトウトしながら休んで、夜明けと同時に歩いて駅に戻った。

 知らない町の知らない朝だ。

 夜露の匂いが心地よい。歩道に生え散らかった雑草すら新鮮な気がする。


 知らない駅からよく知っている電車に乗るのも変な感覚だし、いつもは電車に乗るホームを降りる感覚と言うのは違和感がある。

 まるで会社をサボるようなくすぐったさを感じながら、帰宅する事を考えると少し気が重たくなった。

 さて週末はどうしようか。

 妻の機嫌を伺わねばならん。

 しかし幾ら考えた所で本人の意向と言うものがあるな、と思い至った時には玄関のドアノブに手がかけた。


「ただいま」

 当然寝ているだろう。それでも無言は気が咎めたので小声になった。

 返事はない。

 分かっていたが寂しかった。

 音を立てずに寝室のドアを開くと、ベッドの上には布でできた繭の様な球体が鎮座していた。

 寝室の少しくぐもった、湿った甘さのある匂いが鼻をくすぐる。

「ただいま」

 もう一度声をかけると、その繭状になった布の塊は小さく揺れた。


 返事なのだろうか。

 ベッドの上の繭はよく見ると、全て今週に着て洗う前の服だった。

 どう言う意図があるか分からないが、とにかく何か抗議しているようだ。

 怒ってはいないらしい。

「洗う前の服だぞ、臭いだろ」

 また繭が揺れたが、それは不満げな動きだった。

 確かに今週は忙しくまともに顔を合わせて話す時間も少なかったが、何もそんな真似をしないでもと思う。


 妻はあの中でどうなっているのだろうか。

「暑くない?」

 また布の繭が揺れた。

 寂しい思いから衣類にくるまって眠ると言う妻の、その可愛らしい抗議行動が嬉しくもあった。

「今週末はどこか、美味しいものでも食べに行こうか」

 繭が揺れる。


 おれはその繭に近づいて、ひとつずつ剥がしながら手に取って見た。

 繭の表面にあったのは日曜日に着たスウェット、その次は月曜日に着たワイシャツ……と言った具合に重なっている布の繭を、一枚ずつ剥がしていく。

 中に丸まっている妻はどんな姿勢で、どんな顔をしているのだろうか。

 うっすらと加虐的な気持ちになったところで、昨日着たシャツが手にかかった。


 これで最後だ。

 妻の身体にそって掛けられた布が、微かに上下している。

 この下に妻がいる。

 目を閉じているだろうか?

 それともおれの方を見ているだろうか?

 どんな姿勢で、どんな格好だろう?


 おれは最後のシャツを勢いよく引いた。

 だが何の抵抗も無く剥がれたシャツの下には、何も無かった。

 そこには誰の肉体も無く、また温度も残り香も無かった。


 妻はいなかった。

 そこには虚無があるだけだった。

 振り向くと、隠れ秘密巨乳の女子高生がおれを見て立っていた。

「これは、なんだ?」

 無駄な問いかけだ。

 それは夢で、存在しない。

 繭の中に妻はいなかった。果たして存在とは何なのか。

 繭の中身は自分ですら無く、分解した布の繭はもう動かない。

 何も、存在しない。


 突然、昨日の忘年会が楽しかったと言うことは中間管理職としては失敗だったなと思い、今日で辞めてしまおうと思った。

 何を?

 全部だ。

 それで終わるかどうかは知らないが、そうしようと思った。

 だがおれは、隠れ秘密巨乳の女子高生が、その陰茎でゆっくりと持ち上げるスカートを見て、やはり死ぬまで生きようと思った。

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