3話
夕方頃になると、院の子達は慌てて中へ入ってきた。
「あ!やば!院長先生が帰ってきたぞ!!」
院の子達は慌てて持ち場の方へ戻り、私はバケツから溢れた水を拭き取る。だけど、院長先生の様子がなんだかおかしかった。
バタバタと院長先生は慌てた様子で、入ってきた。
「‥‥わわ私は知らないんだから!早くにげなきゃ‥!!」
院長室の扉がギシギシと音を立て、院長がひとりでブツブツと独り言を言いながら中から出てきた。
その表情は、何かに追われるように焦っていて、手には何十個もの宝石がぎっしり詰まった袋を抱え込んでいた。そして、何かを決意したように顔を上げ、隠しきれない焦りの色を帯びたまま、院長先生は急いでその場を離れようとした。
周りにいた子供たちは、そんな院長の様子をただ見守っていた。だが、誰もがその行動の意味を理解できなかった。院長の普段の冷静さと威厳がまるで嘘のように、今はただの焦った老人に見えた。
その時、突然、外から荒々しい足音が響き渡り、見知らぬ男たちが大勢、院長室へと駆け込んできた。男たちの姿は、まるで獲物を追い詰めるような殺気を放っていた。
「おい!ババアはどこだ!金を返せ!ちくしょうが!」
その男たちの怒鳴り声が、院長室の中にこだまする。男たちは周囲を見回しながら、焦点を合わせる相手を探しているようだった。子供たちはその声に驚き、目を大きく見開いて固まった。
しかし、誰一人として口を開こうとしなかった。彼らが何者なのか、何が起きているのかを理解できる者はひとりもいなかった。
院長はすでにその場を離れた後で、男たちの叫び声が響く中、何もかもを捨て去ったように、ただ静かにその場を後にした。
「なあなあ、子供が数人いるぞ。闇市場に売るのありじゃないか?」
「いや、面倒だろ。もういい、殺せ」
一瞬で血の海となった。
「キャアアア!!!助けて!だれか‥‥っは!」
「嫌だ!死にたくないよぉ!」
「うぇえん!!」
さっきまで、私をいじめていた子達が‥‥沢山殺されていく‥‥。
「‥‥あっ‥‥」
どうしよう、逃げたくても逃げられない。私、死んじゃうんだ。恐怖が私を押し潰し、息が詰まるようだった。心臓の鼓動が耳の中で響き、手足が震えて止まらない。
私は必死に、その暗くて冷たい部屋へと足を運んだ。ドアを閉め、鍵をかけた後、震える手で鏡を手に取った。
鏡の中に映るのは、いつもの顔──いや、いつもの顔じゃない、すぐに目をこらした。
そこに映ったのは、友達のシオン君だった。
『あれ?どうしたの?ルナからこの時間から連絡くれるなんて、嬉しいな』
その声に、ほんの少しだけ安堵が広がる。しかしその瞬間、私の喉から絞り出すように叫びが漏れた。
「シオン君!たすけて!」
その叫びが鏡に反響し、シオン君の顔が驚きと心配で歪むのが見えた。私の焦りが、伝わったのだろう。シオン君はすぐに反応してくれた。
『ルナッ!何があったの!?僕、君の孤児院の居場所がようやくわかって――君を助けようと――』
その言葉が私をさらに安心させようとした瞬間、突然、部屋の中に大きな音が響いた。「バタン!」という音が耳をつんざき、私は驚いて手を震わせながら鏡を落としてしまった。
「シオン‥く‥‥ひっく」
鏡は床に落ち、ガラスの破片があたりに散らばった。私の手のひらにガラスの欠片が刺さり、痛みが走る。
その痛みを感じる暇もなく、微かにシオンの声が遠くから聞こえた。しかし、それはすぐに静寂に飲み込まれ、再び何も聞こえなくなった。
「あれ?シオンく‥‥?」
鏡の破片が散乱する中、私は呆然と立ち尽くしていた。シオン君の声がもう聞こえないことに、恐怖と絶望が込み上げてきた。何が起こったのか、何が終わったのか、私にはわからなかった。ただ、静寂の中で、途切れた声だけが胸に残っていた。
わたし、死ぬの?
私がそう思った瞬間、周りの空気が一変し、ひんやりとした冷気が漂い始めた。昔から、感情が乱れると氷が少しずつ現れる。激しい怒りや恐怖、興奮を感じるたびに、私は自分でも驚くほど冷たくなってしまうのだ。動物たちが私に触れられなかった理由も、これが原因だったのだろう。
「おい、ここにも子供がいたぞ!ん?この汚い子供、魔力持ちみたいだぞ?貴重じゃねえか、どっかの貴族の愛人の子かよ」
「だな。魔力持ちは基本貴族様が多いからなあ。よし、こいつだけ奴隷市場に売り飛ばすか?」
その言葉を耳にした瞬間、私は体が震え、心が恐怖でいっぱいになった。どこか痛い場所に連れて行かれるの?またあの暗い、冷たい場所に閉じ込められるの?
「もう…いきたくない」
涙が止まらなかった。心の奥底から湧き上がる涙は、もはや自分の意思ではどうにもできなかった。そんな時、突然、強烈な音が響き渡った。そして次の瞬間、ドン!とものすごい勢いの炎が、空から雨のように降り注いできた。しかし、なぜかその炎は私を包み込み、まるで守ってくれているかのようだった。
「あ、あたたかい…」
その暖かさ、どこかで感じたことがあるような気がした。炎の中で、私にだけは触れず、悪いおじさんたちには一瞬で降りかかり、彼らを消し去った。まるで、私を守るかのように。目を凝らすと、ドアの向こうに銀髪で青い瞳の男の子が立っていた。その少年の姿に、私は思わず目を見開いた。
銀髪に青い瞳…、その顔は、私に似ている。
「いた、やっと、やっと見つけた!」
その少年は嬉しそうに叫び、私に駆け寄ってきた。突然、私を抱きしめてきて、私は思わず固まってしまった。
「どこか痛いところは?怪我はしてないか?はっ!可愛い顔に返り血がついてるよ」
「…あ、あの…」
その少年は心配そうに顔を覗き込みながら、タオルを取り出して、私の顔を拭いてくれた。彼の優しさと温かさに、私は少し驚きながらも、心がふわりと軽くなった。
「あ、可愛い顔って、僕と同じ顔だけどね!あはは!」
「…えっと…」
彼はニコニコしながら、手際よく私の顔を拭き続けていた。彼のその優しい仕草と笑顔に、私は不思議な気持ちを抱えながらも、少し恐怖を感じていた。だって、知らない人なのだ。見たこともない男の子。
「怖い」
私は思わずつぶやいた。その夜、外は静かで、まるで街の人々が何も気づいていないかのようだった。あんなに火事が起きたのに、何も聞こえてこない。何も感じない。
周りがあまりにも静かすぎて、私はますます不安になった。