9話
あれから一か月が過ぎ、静かで平和な日常が続いていた。ルカは何か思い立ったように、突然話し出した。
「クラナス公爵家に行こうと思って向かっていたけれど、よく考えたらソル。君が鴉になって、クラナス公爵を呼んできてよ」
その言葉に、ソルは少しだけ驚いたように目を細めてから、淡々と返す。
「それ、最初に私が提案をしたのにルカ様がルナ様とずーっと遊び回っていましたよね?」
ソルの指摘に、ルカは少し照れくさそうに笑った。
「ごめん、ごめん。でも、ルナと遊ぶのが楽しくてつい‥‥」
「ソル君、あの‥ごめんなさい」
ルカが少し困ったように謝ると、ソルは一瞬黙ってから、軽く肩をすくめる。
「いえ、ルナ様のせいじゃありません。あの馬鹿に言っているのです」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。二人のやり取りは、どこか温かく、もうすっかり日常の一部になっていた。
クラナス公爵家――その名前はルカが教えてくれたもので、三大公爵家の一つであり、貴族の中でも最も権力を持つ家だという。現在の王宮に唯一対抗し得る家で、叔母たちもその勢力には手を出せないらしい。
父親が亡くなった後、彼を支えてきた人物でもあり、父親の友人であった。
「クラナス公爵は、王座を目指す俺の後ろ盾になってくれているんだ。お父さんとも親しい関係だったし、君と会わせたら、驚くだろうね!むしろ驚かせたい!」
私は静かにうなずきながら、その言葉を心に刻んだ。
クラナス公爵――それがどれほど大きな意味を持つ名前であるか、私にはまだ完全に理解できないけれど、ルカにとって重要な存在であることはわかる。
父親の友人、そしてルカの未来を支えるための大きな力だもの。
「わ、私、少し魔力の練習した方がよいかな。いつも感情が高ぶると制御できなくて‥」
私は少し不安そうに言った。感情の波に飲み込まれ、魔力が暴走してしまうことがある。それがとても怖くて、日々、どうにかして制御したいと願っている。
「なら、町から離れて少し森の先で練習をしつつ、迎えをまとうか」
ルカは優しく微笑みながら提案してくれた。その提案に、私はうれしさと安心を感じ頷いた。
「うんっ‥」
こうして私たちは、街を少し離れた森の中へと足を運んだ。静かな森の中、木々が風に揺れる音が心地よく響いている。
ルカは、手に持った一通の手紙を、鴉の姿となったソル君の足にしっかりと巻きつけた。
「念の為、公爵邸に着くまでお前を見えないようにするよ。叔母上は蛇のように執念深いからね……」
ルカはソル君に厳しく指示を出した。
「カァ‥」
ソル君は軽く鳴き、飛び立つ準備を整える。
「ソル君‥あの、気をつけてね。あと、これお腹が空いたら‥食べてね」
私はそっとクッキーを手渡しながら、ソル君の頭を優しく撫でた。小さな優しさを、少しでも彼に伝えたくて…怪我をしませんように!!
「はい、もう終わり!撫で撫ではダメだよ」
ルカがそう言い、私の手を引き離す。
「あ、ルナ、そこの荷物も取ってきてもらえるかな?」
「え?あ、うん」
私はルカに言われた通り、荷物を取りに向かう。
「ソル、1番重要な任務がある」
ルカは真剣な眼差しでソルを見つめた。その瞳には、ただの冗談ではない何かが込められている。
ソルはその言葉にすぐ反応し、目を見開いた。
「どうやら、ルナに男友達がいるらしい、男だぞ?男。クラナス公爵邸に着いたら、まずは、そいつを探そう。そして二度とルナに近づけないとーー
あ!こら!まて!話を最後まで聞いてよ!?」
ルカの言葉が続かないうちに、ソルは無視して、さっと空に飛び立ってしまった。ルカが慌てて追おうとしたが、すでにソルは森の中へと姿を消していた。
「ほんと、ソルは‥‥」
ルカは、ソルの背中を見送りながら、苦笑いを浮かべる。
その後も私たちは森の中で過ごし、ソルが目的地に到達するまで、ここでしばらく待機することになった。
空を見上げると、どこか遠くの方に飛んでいったソルの姿がわずかに見えた。




