第一章 再びこの世界で生きるという事 一章7 俺の我が儘
何度目かの覚悟を胸に、朝食ができる間にやらなくてはならないことを整理する。
まず少年の体調を確認する。状態次第では臨機応変に行動しよう。
それから食事を取りに行って、自分の分を半分ほど少年に分け与える。
自分も腹は減っているが、いくつか考えがある。その為にマナを使うが、魔術の訓練になるだろうから両得だ。
後は採掘作業が始まったら少年の負担を軽減するよう、サポートする。
仕事が終わったら夕食の時間だ。朝と同じく食事を分けよう。
ちなみに夕食は日没よりずっと前で、日没後は朝まで休息時間だ。
そう聞くとそれなりに休み時間が多いように聞こえるが、昼食無し休憩無しで強制労働だし、環境も劣悪で道具も原始的とくれば、作業効率も非常に悪いので結局何の利点にもなっていない。
薪をケチっているせいで篝火が無く、夜間は真っ暗で光源は月や星だけ。警邏は油灯を持って周囲を巡回していて、不審な動きをしている奴隷を警戒している。
油灯は主に室内で使われるものだが、どうやら魔術で改造されているのか豆電球の懐中電灯程度の光度だ。サーチライトとしては些か心許ないが、そんなものである。
それはそれとして、よくもまあこんなヘロヘロな奴隷たちにそんな警戒を敷いているものだ。
逃げたところで食料も金も無い。
行く当ても身分も無い人間たちだ。近隣の村や町に入ればすぐにここへ連れ戻されるか商品として収穫されるだけだろう。
実際に、脱走した人間が二日も経たずにここへ連れ戻されたことがあった。
何人かは生き延びたかもしれないが、人里から離れると魔獣がいるし、かといって食料が無いので人里に行かなくてはならず、人里に入るには関所を通らなくてはならない。
この炭鉱には柵がないように見えて、実はちゃんと囲われているのだ。
ここの警邏は奴隷が働いているか見張ったり、自分たちのライフライン《食料庫や水道》を守っているのだろう。
そんなことをポツポツ考えながら、少年の近くに戻ってくる。
この少年はここの最年少だと思われる。自分の年齢も下から数えた方が早いのだが。
まだ少年はボロ布に包まって寝ている。
その顔は汚れて、唇もかさかさだ。頬もこけている。
呼吸をしているのかどうか心配になるぐらい、身体に動きが無かった。
それでもまだ生きていると判断できるのは、瞼が時折薄っすらと開いて、長い睫毛が小刻みに揺れる様子が窺えるからだ。
極限状態なのだ。夜気は冷たく、碌な衣服もない奴隷たちは毎晩この冷気に体力を奪われ続けている。
既に目を覚ましているようなので気兼ねなく声をかけられるが、まともに会話できる体力もないのではなかろうか。
しかしそう尻込みしているわけにもいかない。
会話の機会を多く作り、自分を早く知ってもらわなければならない。
「起きられたか、少年。水、飲むか?」
ゆっくりと、相手が怖がらないよう優しく声をかける。
目線を合わせたいが、相手は寝そべっているため、自分が今から寝転ぶわけにもいかない。
いやいいか、とりあえず寝転んでみた。
ボーっとこちらを生気の無い目で見ている少年。明るい茶色の虹彩が、作り物のガラス玉のように輝いて見える。
呆れられたわけではないが、ボケに対して反応できないほど憔悴しきっている。
もしかして、すでに限界が来てしまったのだろうかと内心で焦る。
何事もなかったかのように胡坐をかき直し、少年に温めた水の入った器を差し出す。
だが少年は寝そべったまま、半眼だけ開けてじっとしている。
栄養が足りていないのだから、寝起きは貧血で辛いのかと思った。
だが腕に力を籠めて上半身を起こそうとしている様子を見ると、起き上がるつもりらしい。
「辛いなら無理をしなくていいぞ。起きるならゆっくりでいい、待ってるから。水が飲みたいなら手を貸す。言ってくれ」
腕がへたりと干し草の上に倒れた。
「水……ください」
か細く、小さな唇から言葉が紡がれた。
「わかった。支えるからゆっくり飲みな、少年」
背中を抱えるように支えて、ゆっくり上半身を起こさせる。
馴れ馴れしいかもしれないが、介助しなければならないほど弱った相手に遠慮をして手遅れになったのでは話にならない。
器を唇に当ててやり、わずかに開いた口へ少しだけ水を流す。
温度は人肌までぬるめてある。
表情が変わらないところを見ると、問題はなかったようだ。
噎せることなく、時間をかけて水を飲む様子を見て少しほっとした。
「少年、この後は炊き出しだが、歩けそうか?」
少しずつ減っていく水を見ながら、一度小休止を挟み、その間に聞いてみる。
一心地着いたのか、こくりと首肯した。
「なら一緒に取りに行こう」
こちらに茶色の眼が問うように向けられた。
それもそうだ、これまで接点のなかった年上から、いきなり親切にされたら疑問に思うだろう。
手間賃代わりに飯を奪われると思う人間もいるだろう。
ここはそんな擦れた人間たち。今も奪われ続ける人間たちが墜ちてくる場所だ。
だから言訳じみたこととか、理屈っぽいことは言わず、自分の真意を伝えることにした。
「少年、俺は少年を助けたい。だから、俺の我が儘に付き合ってもらえないだろうか?」
透き通るような茶色い眼が、真っ直ぐ自分に向けられた。
少年は何も言わず、しばらく瞬きをしながらこちらを見続ける。長い睫毛がふわふわ動くのをじっとみてしまう。
いかんな、真面目な場面で集中力が散逸してしまっている。腹が減っているのだから仕方がないという事にしておく。
反応が無いまましばし。とりあえずこちらの要求を聞いてもらうことにした。
「理由は、俺より幼い少年が苦しんでいるのをただ見ているのが辛くなったんだ。年長者なのに何やってんだろって」
かつての自分よりも口調がかなりぶっきらぼうというかなんというか、言葉遣いが荒いのは、剣奴として生きてきた証左だ。
こっちの世界の丁寧な言葉遣いができない以上、どこかで学ぶまでこれでどうにか繋ぐしかなかった。
「メシ、足りないよな? だから俺のメシを半分食ってくれよ」
少年の表情が少しだけ変わった気がした。
「力仕事辛いだろ? 俺が手伝えることはやるから、辛くなったらすぐに声かけてくれよ」
この表情は期待だろうか。期待してくれたのなら応えたいな。
少年は何も言わない。
しかし綺麗な瞳が揺れたり、カサカサな唇が震えたり、頬がひくついたりと表情は変わっていく。
この表情は安堵だろうか。今まで寂しかっただろうし心細かったはずだ。その辛さが少しでも薄れるのなら行動してよかった。
この表情は戸惑いかもしれない。なんでだろうって思うのは当然だ。そこそこ社交的な自分だって戸惑う。誰だって戸惑う。
驚愕だと少し照れる。特別なことをしているわけじゃないんだ。
今の自分にできる、ちょっとしたことをやろうとしているだけなんだ。
「水はもういいか?」
沈黙が続き、ちょっと気まずくて声をかける。
この後食器を取りに行って、少年の名前とか、故郷の話しとかを朝食ができる前に列に並んでいろいろ訊きたい。
冷えた空気が昇った陽光に温められた頃、少年と自分は朝食を取りに炊き出しの列に加わった。




