第一章 再びこの世界で生きるという事 一章29 隠者
8日目朝。西へ向かう街道上にて。
昨晩は結局いい案が思いつかなかったので、木生植物たちをそれぞれ1m50cm間隔で方形に並べ、葉っぱを組み熊棚のようなハンモックを作ってそこで寝た。
高さ3.5m、地上を徘徊する魔獣たちに気づかれることも無く、また虫型の魔獣はキャテナが迎撃してくれたようで安心して眠れた。
「木の上で寝るのって初めて!」
無邪気な少年は楽しそうにしていた。
ところで、旅人や隊商はどうやって魔獣を追い払っているのだろうか。
固定型の迎撃魔術式や魔獣除けの呪い《ゥタビジアス》は村や街にあるが、平屋の土壁並に大きくなるので、個人で持ち運ぶには無理がある。
まさか毎夜見張りを立てて狩りをしているわけでもあるまい。
ふと昨日の村を思い出した。隊商は馬車や荷車を持っている。
馬車や荷車に魔獣除けを施しているのだろう。
あれなら呪いを施すのも可能だ。人の領域にいるような弱い魔獣なら近寄らない。
輓獣や駄載獣を馬車や荷車で囲えば簡易的な結界にもなるか。
そもそもあれら使役獣も魔獣の仲間だし、集団で居れば弱い魔獣は襲ってこない。
なるほど、隊商を組む理由は二重の防衛機構を築くためなのかもしれない。
さて、今朝も日の出とともに起床した。キャテナをカードに戻し、交代でクラヴスを召喚する。
地上に降りて朝食や雑事を終えて、いざ出発する。
しばらく行くと少年が気が付く。
「おにいさん、雨が降りそうだよ」
街道を行く自分たちの正面方向に鈍色の雲が空一杯に広がっている。
ただ単純に曇っているわけではなさそうだ。
運悪く向かい風で、このまま行くと雨雲の下を歩くことになる。
「どこかで雨宿りしよう。荒れ地の方は木立が疎らだし、行くとすれば丘陵地の森林だな」
丘陵地は草原だけではなく、森林もところどころに見られる。
半球状の丘の外周を囲うように森林が形成され、いくつかは社叢林のようにかたまって生えている。
その社叢林状になっている一番近い場所を目指して街道を外れた。
特殊な地形には、それが形成される特別なプロセスというものが存在する。
カルスト地形だとか、溶岩台地だとか、クレーターだとか。
この丘陵地帯も初めはフィリピンのボホール島にあるチョコレートヒルズのようなものかと思っていたが、どうやらそういったものではなかったらしい。
落雷を警戒して林の中に分け入り、適度に茂った灌木の藪に身を潜めようと彷徨っていたところ、洞窟を発見した。
その洞窟に魔獣がいるかもしれないので、キャテナとクラヴスを先行させたところ、開口部から入って浅い場所は、特に問題も無かった。
安全が確認されたので、洞窟に入り雨雲が過ぎ去るのを待つ。
空が暗くなるが風はそれほど強くない。これは3日前と同じで一晩中降るかもしれない。
そうなると暇なので、洞窟の中が気になり探検したわけだ。
洞窟は大人が5人並んでも余裕があるぐらい広く、天井も3mほどと高い。そして薄ら明るい。
淡い光を発する苔のようなものが洞窟のいたる所に生えている。観察してみると、ヒカリゴケのように光を反射しているわけではなく、コケ自体が発光している。異世界の苔植物だろうか。
地面は岩場もあるが大体が固まった土のようで歩きやすく、壁も表面に土が塗り固められていた。
どうも自然に出来た物ではないようで、なんとなく生臭さい。固めた土の上には苔がなく、苔は露出した岩肌に生えていた。
少し嫌な予感はするが、あまりにも静かだ。家主は不在か、それとも……。
警戒しながら進むと細い横道がいくつも見つかる。
召喚獣に警戒を促し、少年をいつでも抱え上げて逃げられるよう、自分の傍を歩いてもらう。
さらにその奥へ進むと、複雑に入り組んでいて、いくつもの小室がある。なにか音がする。
何ものかが這いずり回っているような、硬質な何かを引きずるような音がする。
その小室の先を見る。視界は薄ぼんやりとしているが見えなくはない。
魔獣たちがいた。
小型犬、丁度ダックスフンドほどの魔獣が何頭も、何十頭も徘徊していた。
その魔獣の姿は、シロアリに似ていた。頭が濃い赤橙色で、体は色白の寸胴、6本の脚は赤黒く、具足や甲冑みたいに節に分かれている。
巨大な節足動物――巨大なロブスターを想起させる――を思わずまじまじと観察してしまったが、向こうは特に襲ってくることはなかった。
少年に引っ張られ我に返り、いったん離れる。
「敵、ではなさそうだな」
「えっと、えっと、なんでしょうか?」
「シロアリだと思うんだが、あんなデケェのは見たことねえや。うん、喋ってても襲ってこないな。囮でもなさそうだし」
クラヴスとキャテナが背後を警戒するも、特に抜け穴も無く、強襲する魔獣もいない。
ここが彼らの巣であることは確かだろうが、異物が侵入してもここまで無警戒だと色々勘ぐってしまう。
とりあえず広い道の方にはシロアリ型の魔獣はいない。
広い道から分岐した小道の先が非常に気になる。少年を下がらせて一人で踏み入ってみると――シャララ。シャララ。シャララ。ジャラジャラジャラジャラ!!
小道に入った途端、シロアリたちが一斉に音を発した。洞窟に反響する大音量に身を竦めていると、近くにいた3頭が一斉に向かってくる。音は警報だ。群れをつくる魔獣に見られる一斉攻撃の合図であり身体強化魔術の一種だ。
慌ててその場を離脱し、キャテナとクラヴスが間に割って入ろうとする、のだが。
シロアリが広い道に出てくることはなかった。
何度か試してみても同じだった。
どうやらこの広い道はシロアリたちの居住空間ではないらしい。
そして小道の方は彼らの住処であり、侵入者を珍妙な警戒音で威嚇したのち、一斉に襲い掛かってくるようだ。
「あっちから先はシロアリのお家だから入っちゃダメなんだとさ」
「と、とてもこわかった、です」
少年にがっちり組み付かれ――見ようによっては猿の親子みたいだなと思いつつ――少し反省する。
召喚獣がいて、水域操作で押し流せるだろうと高を括っていたが、確かに不用心だった。
しかし背中を見せたら襲われていた可能性も無きにしも非ず。
こうして検証したため、囲まれることは無いと判断できた。
これで悠々と広い道から探索することができる、と思う。
しばらく歩くと、やや広い半球状の空間に出る。そこには1人の男性が岩に腰かけていた。
ポンチョの様な貫頭衣を着て、頭に布を巻いている。それ以外に目立ったものはない。
こちらを一瞥した男の顔は皺が深く、眉毛は白い。どうも老人らしい。
「旅人かね」
嗄れ声がぼそりと聞こえた。帝国の言葉だ。こんな魔獣の住処に言葉を喋る人間(一部の獣人や半妖は見た目は人のようだが言語を持たない)が自分たち以外にも居ることに驚くと同時に、老人が幻や屍人ではないとわかりホッとする。
すると少年が唐突に前に出る。
「少し待て、少年」
制止すると、少年はだいじょうぶと言って老人に近づいた。
お互いの顔が見える距離で、しばらく二人は黙して視線を交わす。
程なくして少年が振り向いて。
「おにいさん、この人は村長さんだよ。ボクの村の村長さん」
「元村長だがね、アダニアとペディオの末子よ。久しいな」
鷹揚に肯くこの老人は、どうやら少年の故郷の元村長らしかった。
ボンノと名乗られたので、自分も名乗ろうとしたが、名前を持っていないことに今更気が付く。
「元剣闘士、ここからずっと北東の山岳地帯の民だ。幼い時分に拉致されたせいで、名は授からなかった。剣奴たちからはタッド《のろま》と呼ばれていた」
好きに呼んでくれと言うと、老人は首を振る。
「異国の民の子よ……強いマナを感じるぞ。そのような蔑称は其方には合わんよ」
よろしく、と握手を求められる。骨張って皺だらけの手は、老人の人生が決して楽ではなかったことを物語っている。
「儂はここで隠者となって日々を過ごしているが、其方の連れる魔獣は寡聞にして知らぬ。教えてくれぬか」
よく見えている。クラヴスとキャテナは魔獣を警戒して、天井や岩陰を走査していたのだが。
なるほど、この世界の村長は権力だけではなく実力も伴っている。魔獣の領域を切り取り、新たな故郷を手に入れるためには必須なのだろう。
「いいぜ、ボンノ爺さん。俺も聞きたいことがある。少年の村はここから歩いて大人の足でも10日はかかるはずだ。爺さん、どこから来た?」
相も変わらずぶっきらぼうな語彙しかないのに自分事ながら嫌になる。
そんな内心を気にする間もなく少年が横から自分の服をちょいちょいと引っ張った。
「おにいさん、おにいさん、奥の道からボクの村の匂いがするよ」
少年の言葉にはっとする。老人を見ると少年の頬を撫でながら、またしても鷹揚に頷く。
「アダニアとペディオの末子よ。遠い地へ攫われた数奇の子よ。よくぞ戻った。この先は其方の両親が暮らす故郷に通じておる」
老人の指し示すその先を見ると、暖かな日光が見える。ありえない。匂いが届く程の、――光が差しているにもかかわらず――距離を自分たちは歩いていない。
そもそも方向が違う。少年の村は西に行って、その後南へ下る。今自分たちがいる洞窟は、西の方に進んだが北側の丘陵地帯にあったはずだ。
「隠者となって知り得た儂の知識を其方らに授けよう。ここは迷宮白蟻の巣。この広い坑道はシロアリの新女王と新王が旅立つ際に進む、王道である」
この洞窟は、ただの魔獣の巣ではなかったのだと、隠者ボンノはそう告げた。




