第一章 再びこの世界で生きるという事 一章27 価値
深夜、小望月に見守られながら、肌寒い荒野をひたすら歩む。
背中に負ぶった少年の熱を感じながら、赤外線視で障害物を見つけては避けて歩く。
村に近づけば魔獣も出てこない。背後は頼れる仲間がしっかりと見張ってくれているので安心だ。
道中特に問題も無く、夜明け前にはキャラバンが滞在している村に到着した。
夜警が土塁の外を歩いている。手にはあのランプだ。
土塁の高さは2mほど。斜度は急だが登れないこともない。
夜警が通り過ぎたので、さっさと土塁の側に近づく。遠目に見たら低く見えたが、やはり近くだとそこそこの高さだ。
少年を背負っているので足元にイチョウ《ギンゴイディウム》を召喚する。螺旋階段状に枝を伸ばしてくれたのでそれを昇る。召喚時に形をイメージしておくと、ある程度反映してくれるので植物型は大変重宝している。少し目立つが。
土塁の上から村を見渡す。幻惑で月の光を屈曲させ自分の影を曖昧にぼかす。
野犬の類もいない。家畜もいるが静かなものだ。
複数のキャラバンが空き地に小屋ぐらいの大きさのテントを張り、馬や荷車が側に停まっている。
木造家屋が数軒。後は日干しレンガの家だ。
炭鉱よりも広い村だった。家屋は100軒を数えたあたりで辞めた。区画はバラバラだが、共同の水場で凡そ区切られている。水道も東から伸びて村の中心に向かっている。
緑は多い。日差しが強い地方ゆえ、軒先には必ず大木が枝を広げていた。裏手にはイチジクの樹が多いか。
ついと視線を北に転じれば、何段も波のように丘陵地帯が広がっている。
乾燥して荒れた平地と丘陵草原地帯だろうか。
とりあえず見える範囲の情報収集を終えたので、イチョウを再度召喚し、土塁から降りる。
難なく村に侵入した。何食わぬ顔で中心部を目指す。人を隠すなら人混みの中へ。日の出前の誰もいない村の道を観光気分で楽しむように歩いた。
人の声が騒がしいと思ったのはどれくらいぶりだろうか。炭鉱では兵士の雑談と叱責の声しか聴かなかったから尚更だ。労働奴隷の皆は口数も減っていたので、発声を忘れかけている人もいたくらいだ。まあ、今はそのことを頭の片隅に追いやっておく。
村の中央広場周辺は、外からやってきた商人や周辺の村人が、おのおの筵や絨毯を敷いて雑魚寝したり青空市を勝手気ままに開いていた。
そんな人々の側、空き地と住居の一角で、しばし仮眠をしていた自分は朝の喧騒で目を覚ましたわけだ。
少年も同じタイミングで起きたようで、跳ね起きて周りをきょろきょろ見回している。
「早朝に着いたんだ。白湯でも飲んで一旦落ち着こうか」
挙動不審なほど顔を行ったり来たりさせていた少年を宥める。少し顔色が悪いのは緊張のためか。
深皿を渡せばいつもの落ち着きように戻った。随分訓練されたものだ。
「ほら、朝飯の落雁だ。今日はここで菓子とトカゲの爪を売って路銀を稼ぐぞ。道具も買えたらいいんだが、どうだろうな」
筵や絨毯などがないので、仮眠前にニセソを召喚し、いつもの幹を小さくし、葉っぱを大きくしてその上で眠っていた。
その葉っぱの上に商品の落雁と道中に狩った魔獣の爪や棘を置く。ヤシの葉を敷いて商品を乗せている人もいるのだから、絶滅植物の葉っぱでも問題ないだろう。
クラヴスとキャテナは村に入った後、久しぶりにカードに戻している。どちらも残り四画《丸2日》となった。魔獣を食べさせたことで一画分節約できたのは大きい。
「結局少年は風呂に入れなかったな。ほら、また髪がへにょってなってるぞ」
「頭ぐしぐししないで~」
きゃっきゃとはしゃぐ少年。頭を撫でるのを止めると、今度は向こうから頭を擦り付けてきた。
『人の上でいちゃいちゃしないでくれる? 苛立つんだけど』
『兄弟っぽさの演出だ……』
ニセソから抗議が飛んできたので言い訳をしておく。うん、これで物売りを大人に任された村人の兄弟に周りから見られるはずだ。おい、その不機嫌なオーラをしまえ。
服装は完全に浮浪者染みているが、まあ、子どもは成長が早いのでお古を着ていることも多い。自分は魔獣の革を纏っているので狩人のような見た目だが、村ならば特に怪しく映らないだろう。
「適度に緊張しておけ、少年。物盗り、人攫い、スリに強盗、人が集まれば盗賊も集まるもんだ」
とたんに表情が情けないものになる。うーん、気概は足りないが11才ぐらいならこんなものか。
きゅっとこちらの服の裾を掴んでくる少年に、護衛の俺に任せとけと気休めの声をかけておいた。
さて商売の時間だ。
看板代わりと思い、灌木林で拾って今まで持ち歩いていた流木に、マナで形作った砂の花を咲かせたところ、物珍しかったのか人が足を止めてくれるようになった。
砂漠のバラ《セレナイト》という、重なり合う花弁のように結晶化した石膏や重晶石の天然結晶は、南方の民に馴染みのある石だ。
それとは異なるが、異国の地で郷愁に浸れるそれは、何人かの興味を引いたのかもしれない。
しかしそれを掲げる自分に異国の言葉で話しかけるも、帰ってくる言葉が帝国訛りのやや乱暴なものに、見るからに残念がるのも、まあわからんでもない。
そういう時は落雁の欠片を渡し、菓子だと言って食べてみせると、同じように口に入れた後の表情はにこやかなものに変わる。
「サトウヤシの赤糖より薄味だが、食感がいいな。遠い故郷を思い出すよ」
「ヤムを摩り下ろして乾燥させた保存食に似てるな。一つ幾らだ? 買おうじゃないか」
そんな感じで立ち代わり入れ替わり、落雁はあっという間に売れていった。
どうも、キャラバンからは離れ、定住した商人の二世とでも思われたのか、親の故郷を訪ねる商人が多かった。
とりあえず自分の故郷を伝え、父親は死んでしまったがこれらは母親から教わったとでっちあげる。堂々とした態度ならば後は向こうが話しを補完してくれる。
それが合っていようが間違っていようが、それで納得するのだから人とは不思議なものだ。
40枚の赤銅硬貨と、後は物々交換で頭布が2枚。トカゲの爪は暫く買い手が居なかったが、後から慌ててやってきた魔術師と防具職人が買い占めていった。
革でできたベルトと小道具入れが二人分手に入った。
さらに少年が集めていた虫の翅が、装身具職人に買い占められた。全部で布製の丈夫な背負い袋1枚に変わった。一応魔獣素材は需要があるようだ。うーん、価値がわからんがまあいいか。金儲けではなく旅装さえ整えばいいのである。
そんな訳で太陽が中天を過ぎたころ、売るものが無くなった自分たちは、あちこちで売られる食材を見に村の市場を見回っていた。
「なに……青銅貨3枚で深皿1杯の麦粥が食えるのか?」
「おにいさん、デーツ買おう?」
「なにぃッ……デーツ1皿山盛りで青銅貨3枚? 価値観バグってんのかァ?」
「おにいさん? バグってなあに? 価値観ってなぁに?」
俺たちの価値がゴミだったってことらしいぞ、とは口が裂けても言えない。
人が集まるから物が動く、物が動くから金が動くとはよく言ったものだ。
自分たちの1日分の食費、燃料代がおおよそ青銅貨4枚以下だったことがわかり、かなりショックだった。麦粥の原料など1袋青銅貨1枚だ。1袋におおよそ3人前の大麦の玄麦が入っている。
ちなみにここでは赤銅貨は青銅貨5枚分から7枚分の価値がある。落雁1枚が赤銅貨1枚に変わったと言う真実に愕然とした。まあ、糖の精製には燃料や手間がかかるので、さらに落雁に加工するとなるとその価値は頷けるのだが。
「すまんな……皆すまん」
今すぐこの金で荷車を借りて、買えるだけの麦とデーツを持って炭鉱まで走ってやろうかと良心が訴える。
「すまぬ」
「すまぬ?」
少年はまだ数字も価値観も知らないので、近いうちに教えようと決心した。ようこそ人の業の世界へ。歓迎しよう盛大にな。




