第一章 再びこの世界で生きるという事 一章23 逃避行
日の出が間近に迫っていた。ニセソたちの声はまだ届く。そんなに遠くまで来ていないのか、それとも交信範囲が伸びているのか。
「少年起きてくれ、そろそろ東へ向かう。指示をくれ」
ここからは道案内の本領だ。遠くから発見されないよう、物陰や地形の形、日光に紛れて進む。確かまだ望遠鏡は発明されていなかったと思うが、鷹の目といったメジャーな能力は存在するため油断はできない。
とんとんと腰に回った細い脚、その膝をノックすると、ビクリと少年の脚と体がはねた。膝蓋腱反射を確認。脚気ではなさそうだなと、ちょっと安心する。
「あぅうー……」
小さな欠伸が聞こえる。ぐしぐしとうなじの辺りを少年の顔が擦りつけられ、くすぐったさに頭の天辺がゾワリとした。
「眠いだろうが起きてくれ。朝食が終われば兵士たちが動き出すぞ。追跡が始まる前に藪や灌木林に隠れたい」
背中で少年の上体が持ち上がるのを感じた。周りの様子を見ているのだろう。前々から思っていたが、少年はなかなかの切れ者だ。偶に冷静さを失う事はあるが、年齢に比べて落ち着いている。人生経験が濃密だったとも言えるが、冷静沈着なのは良いことだ。
程なくして、顔の横に少年の細く荒れた左手がにゅっと突き出された。
「おにいさん、少しだけこっち」
少年の指示に従って進行方向を微修正する。
「ちゃんと南に向かって歩けてたようだな」
やや東寄りに歩いていたようだが、概ね真南を直進していた。
「朝食と白湯は茂みに入ってからだ。我慢してくれ」
「あい、おにいさん。下りたほうがいい?」
「いや、休憩できる所まで乗っててくれ。距離を稼ごう」
テレパシーでクラヴスに周辺の警戒を指示しながら、遠くに見える灌木林と草藪に向かって歩を進めた。
しばらく行くとニセソ達から連絡が来た。
警邏が動いた。短い一言が自分の脚に拍車をかけた。
「少年、走るぞ。しっかり掴まれ」
太陽の位置はまだ低いが、遠く、炭鉱の方角には炊煙が立ち昇っている。朝食の時間が始まったようで、おそらく自分たちがいないことに気が付いた兵士たちが動いたようだ。
――アイツが櫓に登った。アイツ……お人好しの兵士のことだろうか? その続報に焦る。
直ぐ近くの茂みにしゃがみ込む。櫓から見えない位置だと思うが、もし姿を見られたならば直行してくるかもしれない。あのお人好しの兵士は自分よりはるかに実戦経験豊富で強いと思われ、状況判断も的確なはず。
そもそも足跡はくっきり残っているはずなので、自分たちが歩いている方向を知られるのは時間の問題なのだが。
とりあえず、ひと時の休息にほっと息をつく。軽いとは言えここまで少年を担いで歩き通しだったので、疲労感がある。
「想定より向こうの出方が早かったな。灌木林まで到達できなかったが、こんな時は焦っても仕方がない。いったん休憩だ。白湯でも飲むか、少年」
ニセソの実況を聞きながら、水筒用のヒョウタンから深皿に水を注ぎ、瞬間湯沸かし器よろしく、沸騰させた後38℃前後まで冷ます。この工程も慣れたものだ。
少年が飲んでいる間にクラヴスからタピオカ粉の入ったヒョウタンを受け取る。蓋に薄茶色のタピオカ粉を擦切り一杯にならないぐらい取り出す。
植物に含まれているミネラル分やアミノ酸を少量混ぜたので、粉の色が黒糖を混ぜたかの様になっている。
少量の水と混ぜ、熱と圧力をかけて固める。乾燥させたら即席の落雁の完成だ。
魔術で一分和菓子クッキングである。本来ならもっと手間と時間がかかるが、工程と必要な道具、そして技術を魔術で強引に押し通した。
「少年、落雁という砂糖菓子だ。喉が渇くからちびちび食いな」
自分の分を作りながら少年に渡す。受け取った少年は早速丸く平べったい茶色の砂糖菓子に齧りつく。
ガチっと硬質な音がしたが、そのまましゃくしゃくと音をたてて咀嚼している。
「あまあまですー」
へにょっと笑う少年に、ゆっくり食べなと念を押しておく。
自分の分を欠片にして、口の中に放り込む。しばらくはこれで我慢だ。容器を再封してクラヴスに託す。
直後、ニセソから2人の兵士が足跡を見つけたと言ってすぐさま南に向かったという報告が舞い込む。もう少し猶予があると思ったが、まさか朝食を抜いて行動するとは思わなかった。
面倒ごとだしさっさと終わらせたいのか、それとも他の村や街に到達されると労働奴隷をみすみす逃がしたという職務怠慢で減俸されるのか。なんでもいい自分には関係のない話しだ。
休憩を切り上げ出立する。少年を背負い直し、駆け足でその場を離れる。
まあ、大方足跡の歩幅や状態から、自分たちがまだ然程遠くへは行っていないだろうと判断したのかもしれない。
さて、追いつかれる前に川までたどり着けるだろうか。
ニセソとの交信距離が限界に達した。しかしそれは丁度、灌木林が見えた頃だった。
最後の報告は、アイツが馬に乗って南に向かった、とのことだった。
ニセソたちの召喚が解除され、カードに戻ったのが確認できた。テレパシーの届く範囲までが現在の召喚限界距離のようだ。
これでもう炭鉱の情報は手に入らなくなった。追手の人数までは分からないが、兵舎で管理している馬は2頭だったはず。
人の良さそうな兵士が馬に乗ってこちらに向かっていることが分かっただけでも十分か。少なくとも向こうは、こちらの移動速度より3倍から5倍で駆けてくるだろう。なんせこの世界の馬もマナを持っているので何をしでかすか分かったものではない。
「少年、道案内を頼む。とりあえず川まで最短距離が望ましい」
「うん、真っ直ぐ行けるところまで進んで。川に近づけば臭いでわかるよ」
「臭いか。どんな臭いだ?」
「昨日雨が降ったから、泥の臭い」
なるほど、あの独特な臭いか。
「クラヴス、補給しなくて大丈夫か?」
召喚限界時間を示す後光が、残り一つとなってからそこそこの時間が経っている。
不測の事態に備えて、クラヴスは一旦カードに戻ることを了承した。食糧の入った容器を受け取り、カードに戻し再召喚する。
宝座から1等星が2個消えた。存在確度も200%を超えていたため、召喚コストが減ったのだろう。
代償のストックは1等星が残り8つ。今のところ代償の補給は、炭鉱でしかできなかった。どこかで石炭を調達するか、石油などを手に入れる方策を考えなくてはならない。
油田が湧いていれば……無いか。
「少年、先導を頼む。クラヴス、少年の護衛を頼む。ニセソ、ここで兵士が来るのを監視してくれ」
ニセソを再召喚し、茂みに紛れるように隠す。
「キャテナ、俺の護衛を頼むぞ」
今回が2度目となる召喚に応じ水の珠と共に、体長30cmほどの黒褐色と灰白色の斑模様が特徴的な硬鱗魚が側に浮かぶ。
鋭い胸鰭と背鰭を立てて、おまかせあれ、と硬い返事がくる。見た目通り硬派な魚のようだ。どこかの植物たちも見習ってもらいたい。
「魔獣に注意しろ。ここからは人の領域じゃねえからな」
ニセソから『野営の時は側にいさせろ。じゃないとアンタの体に根を生やしてでも着いて行く』とか猟奇的なテレパシーが飛んできたので、流石に震えた。やべぇよやべぇよ。




