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第一章 再びこの世界で生きるという事 一章18 やってやろうじゃねえか

 一瞬のノイズ。転じて薄暗い水中に揺蕩たゆたう自分を幻視した。


 銀色に輝く魚の群れが一斉に散っていく姿を見送った後、真っ黒な泥に飲み込まれ、強烈な圧力を受けながら水底に沈む。

 何もできない無力感と、生きながらに潰れていく感触を知覚した後、景色は戻った。


 今回の追体験も前回同様だったので、動悸が速くなった以外は特に異常はなかった。


 カードのイラストに後光が六つ浮かび上がり、目前の地面に巻貝の殻がどこからともなくころりと出現した。


 大きさは自分の握り拳ほど。殻の色はヒオウギガイを想起するような赤紫のグラデーション。ごつごつとした溝が放射状に刻まれている。


 少年が物問いたげにこちらを見る。


「目を逸らさない方がいい」


 言われて、少年はついと視線を前に向ける。そして横にいる自分の腕をひしと掴んできた。


 少年が目を離している間に、殻を包みこむように周囲から水の珠が次々と集まり、目線の高さまで無重力空間であるかのような水の塊が浮かび上がった。

 その殻の出口から薄ら白い、十本もの軟体の腕脚わんきゃくがにゅるりと出され、頭足綱らしいその姿に一対のイカに似た眼球がきらりと光を反射した。


 触腕しょくわんと呼ばれる一対は、先端に密集した吸盤と一本の鉤爪があり、眼球の周りには漏斗もついている。腕脚には傘のような外套膜がいとうまくも見られる。


 カードには、釣り針のような爪を持つ巻角貝アンモナイト ハモピスクラヴスと銘打たれていた。


「ま、まじゅ――ッッ!」

 大声をあげそうになった少年の口を寸前に手で押さえる。

 同時に水の珠からにゅっと黒紫色になった触腕が伸ばされ、自分の手と同じように少年の口を押さえようとした。


 召喚直後から召喚獣は状況を把握しているようだ。それから表皮には色素細胞があるようで、最初の頃の青白さとは違い、今は夕闇に紛れるような色合いをしている。


「少年、安心しろ。俺の召喚獣だ」

 苦しそうだったので手を放してやると、少年は一度すぅはぁと一呼吸ついた。


「で、でも、召喚魔術は使えないって……」


 こちらを見る目が不安気に揺れる。


「そうだ。俺は普通の魔獣を召喚出来ない。コイツはな、絶滅した太古の魔獣だ」


「ぜつめつ? たいこのまじゅう?」

「もうこの世界に存在しない、ずっと昔の生き物たちの事だ」


 少年はクリッとした目をさらに大きく見開いて、ふよふよと浮かぶアンモナイトとこちらを交互に見た。


「名前をつけとかねぇとな。そうだな、クラヴスでいいか?」


 表情が全く変わらないので、肯定か否定か分からない。

 カードのスキル欄を確認すると、精神感応がある。伝わっているのに向こうから特にリアクションは無い。


 無口……貝だけに口を閉ざしているのだろうか?


「そもそもアンモナイトは貝じゃなかったな」


 漏斗がペコペコしていることの他は全く変化が無い。

 お喋り植物の次は完全寡黙海棲動物とは、なかなかに個性豊かではないだろうか。


「つーわけでこれが俺の秘密だ。使役できる召喚獣はクラヴス一頭と植物が十種だけだ。ああ、この生えてるシダは俺がさっき呼んだ」


 一旦言葉を止める。少年は安全とわかるとクラヴスの周りに浮かぶ水の珠をつついて感触を確かめている。


「見ての通り、俺は中途半端な駆け出し召喚師だ。剣を振っても本職には及ばん。魔術を操れても天才には勝てん。そんで虎の子の召喚獣は圧倒的に少ないときた」


 おまけに装備もお金も無いのである。


「そんな奴が手を組もうと言っているが、少年はどうする。どうしたい?」

「わからない……」


 少年はこちらの目をじっと見ている。探るように、心の奥に秘された真意を見極めんと、ただ一点を注視している。

 瞳と瞳が見えない線で繋がれたかのようだ。


「どうして、なんで……名前も知らないのに、名前もついてないボクに、なにもできなかったボクに、アナタはどうして手を組もうと言うの?」


「前にも言ったが、俺は少年を助けたいと思った。そのな、同情や憐れみで少年の心を傷付けちまったかもしれねぇが、これが本心だ。いや、もうひとつある」


 かぶりを振って、それだけじゃねえと言葉を続ける。


「死んでほしくねえって、死なせたくねえって思ったんだ」

 少年は何も言わない。ただ苦しみに耐えるかのように唇を噛んでいた。


「なぁ、少年。俺の我が儘に付き合っちゃくれねえか? こんな所でくたばるくらいならさ、俺を道連れに選んでくれよ」


 このまま留まっていても先が見えないことぐらい、誰だってわかっている。

 でも、進む先に希望が見えないから、死を待つしかなかったんだ。

 それでも、ギリギリの命を掴んで離さなかったのが少年だ。


「おねえさんを助けたい……おかあさんとおとうさんに会いたい。お家に、帰りたいっ……」


 生きる理由があるのなら、死ぬわけにはいかないんだ。


「おう、やってやろうじゃねえか」


 その願いはとても尊いものだ。自分の命を懸けてでも守るに値するものだ。


「道案内は任せたぞ。あとは俺に任せろ」


 こんな枯れ木の様な自分だって、夜道を照らす灯ぐらいにはなる。


 手を差し出すと、少年は決意を籠めた顔で視線を合わせ、力強く手を握ってくれた。

 握手と共に、ここに約束が交わされた。

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