エージェント・シイラ その5
格子を掴み、ちょっと引っ張ってから横の方向に力を入れる。動かない。
もう一度試すが動かない。
腕の力だけではだめなようだ。足で踏ん張って力を入れて引っ張る。
開いた。よかった。ここで開けられなかったもう一つの格子を試すことになるが、そっちも開かなかったら途方に暮れるところだ。
部屋の中に飛び降りる。このくらいの高さなら問題ない。
書類棚は机の上にあるので、床から机の上に飛び上がる。未処理と処理済みに入っている書類を手に取り鞄に入れる。処理済みは5枚だけか。未処理の方は何10枚もありそうだ。
書類は折り目を付けないように軽く曲げて鞄に入れる。どっちが未処理のものか区別がつくよう、鞄への入れ方は事前に打ち合わせてある。曲げたところを下にするか上にするかで区別するのだ。曲げた方を鞄の下にする方が書類棚の下、処理済みに入っていた書類だ。
鞄に書類を入れ、導管に向けて跳び上がろうとする前にふと足元を見ると、机の上に足跡が付いている。
導管には埃が多かったからだろう。机の上はとてもきれいなこともあり、足跡がくっきりと残っている。靴は持ってきていないので、足のかたちがそのままついている。これはまずいな。手でこすると足の形は消せるがこすった跡が残ってしまう。着ている服で拭くしかないか。汚れるが洗濯すればいいだろう。
膝をついて、服の腕のところ汚れをふき取る。何とかなりそうだ。
また戻ってくるので拭くのは戻った時でよいと思うが、足跡がくっきりと残ったまま部屋を後にするのもまずそうなので、目立つものを消してから床に降りる。
鞄を肩にかけ、膝を曲げて跳び上がる。両手で導管の入口を掴み体を引き上げる。鞄が引っかからないように気を付けながら体を導管に引き入れる。
導管は猫には十分な高さだが人間の姿では低いのでここで猫に戻る。
狭いところで服を脱ぐのはちょっと窮屈だ。部屋で服を脱いでから戻ればよかったかもしれない。服は口にくわえれば両手は空く。戻ってきたときはそうするか。
鞄の紐に頭を通す。体を動かして鞄を背中に乗せるとレブランらが待っているところに戻る。
入ってきたところは格子を外したままだ。見下ろすとレブランがいる。こっちは見ていない。左右を見て誰もいないことを確認し、鞄を下に落とす。
レブランが鞄を拾ったことを確認し、セドネスが待っているところに向かう。レブランに鞄を渡したらセドネスがいるところまで行って合図することになっているのだ。格子からセドネスを見ると手帳に何かを書いているところだったがすぐ私に気づいたようだ。私が鞄を持っていないことを示すと、彼はレブランのいる方に向かい始める。先にレブランのところに戻ったが、セドネスもすぐにやってきた。
レブランが小声で人や会社、店のような名前と金額をしゃべり、セドネスが手帳に書いているのが見える。数が多いからか、すべてを念入りに読んでいるわけでもなさそうだ。時々しばらく眺めているものもあるが、たいていの書類はちょっと見るだけだ。
レブランが書類を一通り確認し終わったところでセドネスが書類の束を手に取る。あらためて一通り確認するのかと思って見ていると、何枚かの書類を束から取り出し眺めている。
どうもセドネスは何枚かの書類を戻さずにそのまま持っておこうとしており、レブランがそれに反対しているようだ。彼女はその書類のことを知っているはずだからすぐにばれるとか、ばれても構わないので証拠を押さえたいとかいっている。
私にとってはどっちでもいいことだ。昼休みになってからまだあまり時間を経っていないが、ここであまり時間をかけない方がよいと思う。もちろん見つかっても捕まらない自信があることはいうまでもない。
結局、セドネスが手に取った3枚の書類はそのまま彼が持っておくことになったようだ。
レブランが残りの書類を鞄に入れ、私の方に放り投げてくる。格子をずらしてできた穴にちょうど飛び込んできたので、さっきと同様に鞄の紐に首を遠し体を動かして鞄を背中に乗せる。
部屋に到着。念のためのぞき込むが誰もいない。
人間に変身するが、面倒なので服は着ずに鞄と一緒に手にもって部屋に降りることにする。服を持っていくのは、足跡を拭くためだ。
まず床に飛び降り、それから机の上に跳び上がる。鞄から書類をだし、曲げていた紙を反対方向に軽く折り曲げる。曲がったところは完全には平らにはならないが少しはましになる。まずは多い方の書類の束を未処理に戻し、5枚の書類を処理済みに戻す。紙の向きはさっきと同じだが、曲げていたところが目立つような気がするので、もう一度手に取って反対方向に曲げてみる。さっきよりはましになったような気がする。これでいいだろう。
上半身用の服を机の上に置いてその上に膝をつく。足の指も服の上にのせ机に付かないようにする。
下半身用の服で机についた足跡をぬぐう。足や手が机に触れないよう気を付けつつ床に降りる。鞄に服を入れ、鞄の紐を肩にかけて飛び上がる。導管に戻ると格子を元の位置に移動し猫の姿に戻る。
出納室長が戻ってくるまでここで待機していることも検討したが、様子を見ていたところで何もできないだろうということですぐに戻ることになっている。確かに、この部屋には一人しかないから話を聞くこともできないし、書類をさわったことがばれたとしても何もできない。
ということで、入ってきたところに戻ると、レブランが一人で待っている。セドネスは書類を持ってどこかに行ったようだ。
廊下に飛び降りるとレブランが格子を元に戻す。レブランの身長でかろうじて手が届く。開ける時は押して横にずらすだったので、体を持ち上げてもらって私が開けてそのまま中に入ったのだ。
「では、行きましょうか」
レブランがそういうと歩き出すのでついていく。
「会議室に向かいます」
銀行を出て広場を横切りギルド本部に入る。
会議室に入るとセドネスとリスティナが待っている。セドネスはいうまでもないが不機嫌だ。
会議室ではいつものようにレブランに布をかけてもらい人間に変身する。
「よくやってくれた」
セドネスが私の方をみながらいう。
めずらしい、というか初めてじゃないか、私に向かって話しかけるのは。いつも私のことはレブランの方を見ながらいうのに。まあ、不機嫌な表情のままなのは許してやろう。
「書類を運んだだけだが」
と返答する。実際、魔物と戦ったわけでもなく、大したことはなかった。
「大活躍ですよ。こんなことができるなんてこれまで考えたこともありませんでした」
リスティナも嬉しそうだ。
「そうです。今回の収穫は大きかったです」
これはレブラン。あのセドネスが持って帰った書類は重要なものだったのだろう。
「あの書類は何だったのだ?」
と聞いてみる。
「あれはガリッツァー商会の関係者からの送金依頼だ」
セドネスが返事する。今度も私の方を見ている。
「この書類を元に捜査を進めることになるが、これは大いに役に立つ」
なるほど。つまり有用な書類を私が手に入れたということで、私への評価が上がったということなのかもな。
「それはそうと、ガレスウェルに住んでいるそうだが、そこで生まれたのか?」
セドネスが私の方をみる。
「ガレスウェルで生まれたわけではない」
これは確かだが、どこで生まれたのかを知っているわけではない。実際どこなのだろうな。覚えている一番最初の記憶は以前の同居人の家だから、あの家で生まれたのかもしれない。
「もしかして北部から来たのか?」
興味深そうに私を見るセドネス。何だろう。ほほ笑んでいるような感じだが、ちょっと違う。不機嫌とも違うようだが。人間の表情は完全にわかるわけではないが、レブランやリスティナのような笑顔ではないことは確かだ。
急に私に興味がわいたようだが、この質問にはどう答えたものか。
「以前いたところは遠いところであることは確かだが、北部かどうかはわからない」
北部とやらはもしかしたら以前いたようなところなのだろうか。いや、北部というのは聞いたことがあるな。何だったか。
「そういえばセドネスさんは北部のご出身ですよね?」
レブランがセドネスの方を見る。
「まあ、そうだが」
ちょっと困ったような、戸惑ったような感じの表情のセドネス。
「もしかして、北部にもシイラさんのような人というか猫がいるんですか?」
リスティナが反応する。
そうなのか?
「いや、そういうわけではないが...」
困ったような表情のセドネス。今度は間違いなく困っている表情だ。
「北部で思い出しましたけど、北部の一部の地域には人間に変身する魔物がいると信じている地域があるって聞いたことがあります」
レブランがいう。
そうだ、思い出した。人間に変身できるようになった頃にコルレアがいっていたのを聞いた。人間に変身するのは魔物なので、恐れる人間がいるということだった。なるほど、セドネスのあの表情は私を恐れていたのか。
「シイラさんは魔物には見えないですね」
リスティナが私の方を見る。
「もしかして、セドネスさん...」
「まあ、そんなことはいい。ちょっと前から考えていたのだが、ガレスウェルには帰らずにここで我々と働く気はないか?」
レブランが話そうとするのを遮り、私に向かってセドネスがいう。
「え?」
驚くレブラン。私も驚いた。
「なるほど、シイラさんがいればいろんな捜査で活躍できそうです」
リスティナは興味を持ったようだ。
「確かに。ここでは猫から人間に変身できるというのを知る人はいませんし」
3人がそろって私の方を見る。なんか期待されているような感じだな。
その時、ドアをたたく音が聞こえる。誰かがやってきたようだ。
「はい、どうぞ」
レブランが返事する。
ドアが開き若い男が入ってくる。
「お邪魔してすみません。レブランさん宛てにお客様が来られています」
「客?」
「はい、何でも人間に変身する猫が来ていると聞いたのでぜひ会いたいと申されてまして、お引き取り願ったのですが騒がれまして...」
と話したところで私に気づいたようだ。驚いた顔をしている。
「あの、その人はもしかして...」
「それはたぶん、リスタの妹だ。手紙を出すといっていたから」
ずいぶん前のような気がするが、持っていく服の相談をした時にそんなことをいっていた。
「知られてしまいましたね」
これはレブラン。
「さっきの話だが、白兎亭は気に入っているから離れたくはない。たまに手伝うくらいなら構わないが」
なんといってもあそこは私の縄張りだ。
「なるほど。それは残念だ」
とセドネス。
「あ、あの...」
さっきの男が困っているようだ。
「この後、すぐに向かいますと伝えてください」
「はい」
若い男が部屋を出ていく。
「この会議も終了だ。もう行っていいぞ」
これはセドネス。
「はい」
「では私も一緒に行こう」
猫に変身し、レブランと一緒にリスタの妹のいるところに向かう。
手紙のことはすっかり忘れていた。リスタの妹というのはどんな人間なのだろう。




