9 ヤックたちの優雅な一日
そこは馬車で1日そこから河を船で2日ほど南へ進んだ先にある湖の淵に作られた町だ。整備された湖では遊泳可能エリアが設置されており、主に貴族の旅行先として人気があった。
湖畔近くにある、主に値段のせいで貴族向けの宿泊と食事処を兼ねた旅亭があった。4階建てで横に長い形をしており、湖畔向きにテラスが用意されている建物だ。
そこに品の無い笑い声が響いて、テラスで茶会をしていた貴族の娘たちが眉をひそめていた。
そんな品の無い笑い声をあげたヤックは昼間から仲間と酒を飲んでいた。旅亭側が本来のティータイムなどに使われる場所よりも遠くに用意されたテーブル席であっても貴族の娘たちに眉をひそめられるほどの大声をあげられるのは丈夫な喉だろう。
客が目の前に見えるまで面倒くさそうに歩いていた従業員は、傍によって無表情でヤックたちに声を欠けた。
「何かご入用でしょうか」
「おう、エールと鶏の串焼き追加で!」
通常、貴族はワインを好むためこの旅亭に併設された料理店にエールの在庫は多くはない。従業員はつとめて申し訳無さそうに応える。
「申し訳ございません。エールの在庫は先程のもので最後と説明させていただきましたとおり、なくなっております。こちらのワイン類であればいささか余裕がございます」
「はぁ~~~ん!? 安い宿の飯屋は在庫もすくねーのかよ!」
「エールがなけりゃ酒じゃねぇ! だがなぁ、無いならしかたねー! このワインの瓶を3本もってこい!」
「……かしこまりました。少々お待ち下さい」
彼らがメニューから選んだのは一番安いワインだった。エールよりも当然高いが。そのため頬をひきつらせて従業員は急ぎ足でワインを取りにいく。
「しかし、レガードの奴は思ったよりもためてなぁ!? もっと安い宿にするつもりだったのによぉ! あぶく銭でこんな宿で飯も食えるんだぜ」
「ん。貴族が使うと評判の宿。部屋も豪華だった」
「へへへ、女の給仕も美人どころばかりだしよ」
「神はれいしぇいであればいくらでも飲めといっちぇおられしゅ」
「おいおい、酔過ぎだぞ」
「よってにゃどおりゃん」
「ケッ。日頃から飲まないからベロンベロンになるんだよ。お、いい女が歩いてやがる。ちょっくら混ぜてやるか」
「良いじゃねーか! 呼べ呼べ! 身なりもマシな女だ!」
一人の貴族の女性がメイドをつけて湖畔の傍を物憂げに歩く。設置されている柵は低く、ちょうど彼女の腰辺り程度の高さしかなかった。
ふっとため息をついて、柵に手をおき湖の水面を見つめる。キラキラと太陽の光を反射している美しい景色を見ても彼女の気持ちは晴れなかった。金髪の美しい髪が風に揺れる。
彼女がまた歩き出そうとして、
「おう、嬢ちゃん! 一緒に飲まねーか」
「おやめください」
酒焼けしただみ声を発する男に彼女は不快感とともに振り返れば、そこには酒で顔を真赤にしたヤックが今にも襲いかからんと言わんばかりに迫り、彼を止めようとしたメイドを突き飛ばした。
「あう」
「マリー! あなた、何をされるのですか!?」
「嬢ちゃんにお酌してもらいたくってな! 俺たちゃ金級も期待される冒険者パーティーだぜ!」
「そのようなこと関係ありません。」
先程までの物憂げな表情は消え、強気な顔をのぞかせた彼女は右手を振るう。パンッと乾いた音が響く。頬を平手で叩かれ、酒に酔ったルドッカはたたらを踏んでよろめく。
それを続いて近づいていたヤックがゲラゲラと笑う。ヤックに笑われたことに酔だけでなく顔を真赤にさせたルドッカがにらみつけて彼女へ近寄った。
「恥を知りなさい! 女性を突き飛ばすなど」
「こっちがよぉ、優しく誘ってんのに手を出すたぁ。覚悟は出来てんだろうな!?」
「覚悟をお決めになるのはあなた達です」
「あ!?」
ルドッカがすごんだその時、猛スピードでやってきた護衛の女騎士が貴族を守るようにルドッカとヤックの目の前に立ちはだかる。騎士と行っても軽装をしており、スタイルの良さが服の上からわかる。見目も良いため、女騎士の登場にさらにルドッカとヤックは良い女が来たと思って笑った。
女騎士の肩甲骨まで伸びた髪が風になびく。
「お嬢様、申し訳ございません」
「追い出しなさい」
「斬ります」
「この宿にいるのです。どのような縁戚を持つかわかりません。追い出すだけにしておきなさい」
「はっ! お前ら、お嬢様の慈悲に感謝するんだな!」
「あぁぁ!? なめてんじゃねぇ」
「ヤックこんな舐められてんじゃ俺たちの面目も守れねぇよなぁ!?」
「おう、反省してもらわねーと、ぶべっ」
千鳥足でヤックが殴りかかるのを、女騎士が冷静に顎を撃ち抜く。続いたルドッカもヤックと変わりなく地面に倒れ伏す。そこに旅亭の従業員が慌てた様子で駆けつける。遅いと抗議をあげてから、その従業員とさらに遅れて現れた責任者に倒れたルドッカとヤックを追い出せと命じる。
そして、貴族の女性と付き人はそのまま旅亭の部屋へと足早に戻っていった。
従業員は2人とともに宿泊していた残りの2名も追い出そうと席へ向かえば、そこには酒にへろへろで寝ているヴィルヘしかおらず、女冒険者の姿は見えなくなっていた。
旅亭から離れた路地に放り出された彼らが、逃げ出して様子を伺っていたエルミに起こされたのは翌日の朝になってからだった。
「ヤック、ルドッカ、ヴィルヘ、三人とも起きる」
「ん。んが? 頭も体もいてぇ。俺はなんでこんなところに」
「宿で酒に酔ってたらみんな追い出された」
「んな!? なんだそりゃ。俺たちは客だぞ」
「とりあえず適当な安宿に行く。明日にはスピアーノに帰る。ちょっと心配事がある」
ヤックはさらに詳細な説明をエルミに求めようとしたが二日酔いの頭痛のせいでまともな思考が働かず、遅れて目覚めたルドッカとヴィルヘもまともに働かない頭でエルミの指示に従い安宿でベッドの上でうなり続けた。
結局彼らは翌日になって、適当な説明をしたエルミの言われるまま隠れて逃げるようにスピアーノへと帰る馬車に飛び乗って、迷宮都市へ帰還することになった。
「エルミ、そんな荷物多かったか?」
「ん、はじめからこれぐらい持ってた。女の荷物を漁るなんてヤックはさいてー」
「そ、そうじゃねーけどよー」
「旅亭にお金かなり取られた。返してもらえなかったの残念だけど、旅亭に顔を出すと危ないかもしれなかった。まだ余裕はあるけど思ったより早くダンジョン稼ぎ、かも。ヤックも頑張って?」
「お、おう。頑張るぜ!」
エルミがわざとらしく可愛らしい行動で乞い願えば、ヤックが顔を真赤にして頷く。ヤックにとって村からの付き合いの幼馴染との距離は、とても中途半端で結局うまく進展出来ずにいた関係だ。
ルドッカはそんな彼らの関係を初期から見ており、エルミに気を向けたことがあった。だが、エルミは冷たくもなくしかして優しさも特になく、一定の距離を冷静に保ち続けられたことで飽きてしまい、金を出せば楽に手を出せる女を知ってエルミに手をのばす気をなくした。
ヴィルヘはそもそも好みの範疇ではないのでエルミに対して何も無い。
湖畔の街で目一杯買い物をして自身の荷物をいっぱいにしたエルミは、ヤックから目を離して退屈そうな顔で外を見上げた。
そんなパーティーの迷宮都市へ向かう道は曇天で一雨きそうな空が広がっている。
毎日更新していきます。
次話は明日18時更新予定です。
お読みいただきありがとうございます。