8 黒い腕
吹雪から1週間ほどたった秋3月の中旬。話題も落ち着いてきたその日も彼らはゴブコボダンジョンに通い続け順調に階層を進めていく。
いくら初級レベルのダンジョンとは言え、やはりダンジョンの深層扱いとなる10階層ともなればゴブリンやコボルトの種類が増え数も少々多い。比率的にはゴブリンの方がよく出現するという形だ。
レガードとフィーという2人のパーティーでは敵を片付けるのに時間がかかるようになっていた。
「フィー! アーチャーゴブリンに牽制。弓で狙わせるなっ」
「はい! ウォーターショット! 7時方向ソードゴブリン接近!」
レガードの目の前にもサビた剣を持ったゴブリンが2体並んで、レガードへ攻撃をかけようと剣を振るう。それを長槍でタイミングあわせて振り上げる形で弾き飛ばしゴブリンをノックバックさせる。
そのままフィーが声を出した自分から見て7時方向へ大きく槍を振って、ゴブリンの体を殴り飛ばした。
「くそっ。穂先じゃなかった。フィー、ボール!」
ウォーターボールが狭い間隔で2発レガードの目の前にいるゴブリンにぶつかる。アーチャーゴブリンに一気に突貫して槍をぶつけるように突き入れた。
グギャ、という声とともにアーチャーゴブリンが消え、同じように背後でフィーの短剣で地面に倒れ込んで殴られた衝撃で目を回していたソードゴブリンも魔石に変わる。
「お疲れ様。やっぱり数が増えてくるとひやひやするね」
「はい、もっと注意するか何かしら広域の攻撃で数を減らしたいです」
「それはヴァルカンさんの作る武器待ちだね」
「これより先に進みますでしょうか?」
「そうだな。もう少し練習がてら狩ってから戻ろう。帰りは帰還の転移石が使えるからね。4日は潜っていたから、かなり長くなってしまった」
「そうでございますね。ダンジョンは帰りが一番危険と聞きます。一方通行とは言え、時間も危険もなく戻れるのは便利です」
「ああ、設置してくれた人たちに感謝だね」
帰還の転移石はダンジョン最奥、深層入り口階、中層入り口階にそれぞれ設置されている。
ゴブコボダンジョンであれば、深層1層、全体で言えば10層部分だ。今彼らがいるのが12層なので、それでも2層ほど上へ向かわなければならない。
これがもっと階層の多いダンジョンであれば、中層への出入りが可能な転移石が存在する。紫水晶ダンジョンも両方向が可能な転移石が存在するダンジョンの一つだ。
ダンジョンから生まれる転移石はそのダンジョンでしか設置が出来ず、仮に動かしても地上間で効果がなくなってしまう。ダンジョン内ではぼんやりと幾何学模様を走らせながら輝いていた転移石も、まるでそんな石は存在しなかったかのようにただの石となってしまう。
長年の研究でもいまだ人類は転移を実現することは叶っていない。
「……?」
フィーが怪訝な表情で首をかしげた。彼女がじっと向ける視線の先を見るが、まだ木々と石の壁に阻まれて見通すことが出来ない。
「どうかした?」
「ゴブリン、コボルトとも違います。それが一体だけ、ちょうど上層へ向かうための階段近くです。この曲がった道の奥の先です」
「危険かな?」
「不可解、です。ゴブリンコボルトは1層であっても1体だけでは動きません。でも、人、ではないです」
「武器、用意して。道がひらけた瞬間に牽制する必要があれば槍とフィーの水魔法で」
「了解しました。主様、お気をつけて」
フィーの心配するような表情に大丈夫と言葉を返す。槍を確かめるように二度振って、静かに足を進めた。
階段前の背の極端に低い雑草が生えて密集した木々に円状に囲まれた広場にいたのは、隆々とした筋肉を持ったゴブリンとは思えないほどの背丈がある、しかし見た目は確かにゴブリンだった。
「グ、グギャギャギャ」
そいつは4本の内の1本でレガードを指差し、笑う。通常は緑色の肌をしているゴブリンだが、そいつのサビたナタを持った左腕は黒く醜く濁っていた。
その色を見てレガードは目を細めて、金属の小気味よい音を立ててから、しっかりと槍を両手で構えた。通常は身体強化だけに使う魔力を、腹の中でねるように高めていく。
左腕に身につけていた腕輪の宝石が魔力を吸い上げて青白く光り出した。呼応するように背負っている鞘を兼ねた箱も魔術紋が光り出す。
長槍が分解されて短槍と棒に分解される。それを見て貧相な武器だと嘲るようにまたゴブリンが笑った。
短槍の穂先が背中の鞘へと収められる。
「まだちゃんとした武器は無いんだけど、その程度ならまだ対処可能か……」
「グギャ?」
ゴブリンは不思議そうに首をかしげた。それまで襲いくびり倒した冒険者達は、嘲りながら自分に突っ込んできてその腕にあっさりと粉砕されて地面に転がったというのに、目の前の人間がそれまでの動きと全く違っていたかだ。そして、ゴブリンは黒ずんだ腕に嫌がるように暴れるようなぞわぞわとした感覚が襲っていた。
「愚かな魔物よ。そこまでこのダンジョンが穢れていたとは」
「これは、冷気? 主様一体何を!?」
「展開――」
鋭く声を発すれば気持ちが思考が切り替わる。フィーの驚愕の声に答えるように緩やかに広がっていた青白い冷気が一気に魔術紋から放たれて周囲を凍らせるように冷やしていく。
周囲の草木には霜が降り、フィーの体があまりの寒さに生存のために熱を生み出そうと震えだした。
レガードが鞘から取り出された短槍を素早く分離していた柄と連結して長槍へと構築し直し、左足で力強く踏み込む。
穂先はそれまで使っていた鉄を思わせる鈍色ではなく、元の穂先よりも巨大化した真っ白な鋭い刃へと変わっていた。
一閃。
白い一筋の軌跡が真っ直ぐに駆け抜け。
遅れて、踏み込んだ衝撃に巻かれるように草木に付いていた細かな氷の粒子が吹き上がる。
油断、嘲りで力を入れていなかったゴブリンはその胸にまっすぐ突き刺さった槍を見て驚愕の表情を浮かべて、さらさらとあっけなく消えていく。
レガードは無感情に槍を引き抜いてゴブリンの黒い左腕に槍を突き刺して叩きつけるように斬り払った。
「主様、槍が」
「帰ろう。終わったからね」
「……はい」
手早く地面に落ちていた魔石をフィーが回収する。彼が先程まで持っていた槍は砕けるように穂先が崩れ、残ったのは柄部分だけとなっていた。
分解して手早く魔法袋に片付け、彼は予備の槍を取り出す。そちらは連結式ではなくただの長槍だ。
帰り道は問題なく転移石までたどり着き、冒険者ギルドで清算してから彼らは宿屋へと戻った。
夜も早い時間、さすがに数日間ダンジョンにいたため疲れて早寝することになり、宿屋の部屋の中は暗闇で満ちていた。
「主様……。あなたは誰ですか」
彼女の呼びかけにレガードは眠っているため答えること無く、夜も更けていき彼女も睡魔が来るのに任せて眠りへ落ちていく。
『邪神は人に魔法を授けた。しかし、今ではその魔法が語られることはない』
◇
「ふむ、ゴブリンが消えた? あのダンジョンの深層にわざわざ潜るような連中はいなかったはずだが。まあ良いか。所詮雑魚の実験だからな、だが、こう邪魔されるのは不快でもある」
「領主の娘に無事あれが渡されるのを成功しました」
「おお、良くやった。運に任せた内容だったが、これで領主関係者へ伝手が作れる。治療など出来ないのだから、なるべく停滞させねばいけないな」
「これも神の思し召しでしょう」
男がそう言ってひざまずいて敬遠な態度で信仰する神へ祈りを捧げる。それを一瞥して、次の一手をどう進めるか計画書と向き合った男はその部屋から足早に立ち去った。
これまで多くの計画が進行中にハプニングによって頓挫した。今回はそれらを反省し、いっきに本丸へ踏み込むために自身の立場へのリスクも抱え込みながら実行しているのだ。男は失敗させるわけには行かないと目に炎をつけて、計画書をじっくりと見据えた。
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次話は明日18時更新予定です。
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