36 旅の始まり
広々とした応接室にゴースポー、ゴーダン、デュドール、シャウラ、レガード、フィーが顔を合わせた。シャウラは意図的なのか、あえてレガード側のソファに腰をおろし、父親と向き合っていた。
ゴーダンはにらみつけるようにレガードを見つめ、ゴースポーはただうなだれていた。
「ヒュドラの危機は去りました」
「もう十分わかっておる」
「ならば、約定を守っていただきたい」
「貴様我が家がどれほどの被害をっ!」
血気盛んにゴーダンが膝を叩いて声を荒げた。当然の態度だ。レガードは理解できたが、譲るわけには行かなかった。
「被害は最小限にとどめました。本当であればこのスピアーノ領全域があの魔竜に蹂躙されていたはずだ。僕はなすべきことをなしました。ならば、僕は望みのものをもらいます。領主ゴースポー殿、僕との話を覚えていますね」
「お父様」
シャウラがゴースポーに一言とかければ、その時のことを思い出すようにゴースポーが何度も頷いた
「ああ、覚えているとも。ヒュドラを退治すれば、魔石とシャウラを連れて行くと」
「魔石はシャウラが持っている。そして、シャウラはもう覚悟を決めているようです。僕は彼女を連れて、王都へ行きます」
「なぜあえて王都へ!?」
ゴーダンが立ち上がるが、彼の行動は顔を上げたゴースポーが抑えた。頭痛がすると言わんばかりに額に手を置いたゴースポーがレガードへ目を向けた。レガードはしっかりと頷いて口を開く。
「我が師の足跡をたどるためです。水晶ダンジョンのある街を師エヴラールは巡っておりました」
「……そうか、エヴラールが。……わかっておる。私は約束を守ろう。なあ、エヴラールは、私についてなんと言っていた」
「スピアーノには良い思い出と、後悔があるといつもいっていました。良い街だったと。師は後悔はあってもあなたについて悪いことなど言っていませんでした」
「そうか……。そうか、すまなかった」
その謝罪はエヴラールへ向けたものだとわかっていた。だから、レガードは応答することはない。その言葉を受け取る人物はこの部屋にも大陸のどこにもいないのだ。またうなだれて深く座り込んだゴースポーにシャウラが声をかける。
「ありがとうございます、お父様。1人のシャウラとしてスピアーノを救ってくださったレガード様に助力いたします」
「ああ、それが私のエヴラールへの贖罪となるならば、シャウラ頼んだぞ」
シャウラは強く頷いて誰よりも早く立ち上がり、レガードへ手を差し出した。赤い髪が翻る。
「へ?」
「マスター、さあ、行きましょう。王都へ」
「ほえ!? あ、主様っ!! わ、私が一番では!? お、置いていかないでください!」
座っていたレガードの腕をシャウラが掴んで勢いよく立ち上がらせる。レガードも周りの全員も思考が現実に追いついていない中、彼女は何もかもを置き去りにして彼をひっぱるように走り出した。扉が蹴り飛ばされるような勢いで開け放たれる。
貴族のお嬢様とは思えぬおしとやかさの無さで屋敷の廊下を駆け抜けていった。執事やメイドたちが驚き、あわてて廊下の端へ避けていく。よく見れば彼女の姿は布の質はさておき、まるで冒険者のような旅装をしており、貴族のお嬢様と知っていなければ気づけなかっただろう。
玄関の扉を越えた先、空は晴れ渡っており、晩秋の風が冬の訪れを歌っていた。
長い赤い髪が風に踊る。日差しを受けた彼女が花のように笑った。けれど、それはどこか無理をしてぎこちなさがあった。まるで、自分がどんな風に素直に笑っていたか、上手く表現できないみたいな状態だ。彼はその状態に至った理由が理解できて、そして後悔があった。
しかし、吹き飛ばすように彼女がはつらつと声を発する。
「私は家のため家族のため過ごしてた。マスター、私は自分本位の結果で、私は私を作った多くのモノを失ったけれど、今の私は後悔していないわ。きっとあなたが、あなたとの旅が新しく私を埋め尽くしてくれるから。私をさらったこと後悔しないでくださいね、マスター」
「ああ、これから――」
「だから、私を置き去りにして話をするのはやめてください!! 私が一番です!」
一歩遅れて屋敷から飛び出してきたフィーがレガードとシャウラを引き剥がす。不満そうに睨むフィーへシャウラがケラケラと笑って見せてから、馬に飛び乗った。
「人の縁の深さは付き合う期間の長短で決まりませんよ? それでは参りましょう、王都へ!」
「パーティーのリーダーは主様です! 主様の意見を聞きなさい!」
「あらあら、悠長なことを。まもなく冬が来るのですよ。寒い中野宿など繰り返せるものでもありませんもの、少しでも移動するのが当然ではないですか?」
「ですから、それを決めるのは主様です!」
こちらの意見も聞かずにあたかも楽しそうな笑い声を上げながらシャウラが乗った馬が走り出し、その背に捕まるように飛び乗ったフィーが言い争いを続け、1頭の馬とレガードを置き去りにしていく。
仲間が走り出したことにうずうずとした馬がじーっとレガードを見つめており、レガードは馬と目を合わせた。
はいはいと、諦めたように馬の背に乗る。ゆるゆると馬を歩かせて、すぐにこちらの制御などほどほどに馬が仲間を追いかけて走り出していく。
涼やかな空気が肌を撫でた。
上層区を過ぎ、商業区、下層区、迷宮区など、街路を駆け抜けていく。早馬のように駆け抜けていく彼らを迷惑そうに待ち人が見送っていた。
過ぎ去る街の風景に思い出が蘇り寂寥が彼の心を襲う。
「5年か」
長い時をこの街で過ごした。ダンジョンに挑戦して失敗してを繰り返して停滞しつづける安寧の時間は、少しの師匠への後ろめたさと何をすればいいかわかりやすい日々があった。
でも、彼は停滞と安寧をすでに手放したのだ。
食べ慣れた食堂。よく利用した小回りをきかせてくれた武器屋。こじんまりとした雑貨屋。ほぼ休まずに訪れた冒険者ギルド。
……4年間、この大陸のこと商売のこと生活のこと師とはまた別に全てを教わった商会の商人。
『また断られたのですか? ははは、本当にあなたは言葉を選ぶのが下手ですね』
『雨水龍の通り道が来てもあの店は開いていることが多い。おすすめですよ』
『3年も生き残っている。銅級とはいえあなたはもう立派な冒険者だ。おっと、これからもご贔屓に』
あの声も姿も、もう街にも大陸にも存在しない。
零れそうな涙を彼は袖で拭って前を向いた。手綱を変な動かし方をしたせいで馬が危ないと言わんげに鳴いて、それに謝罪を述べて笑う。
外門を越えた先、スピアーノ領の街道と城壁傍から遠くまで田畑が広がっていた。冬も間近のため田畑は空っぽのまま風を浴びている。街中にあった人々が作る空気とは異なる、冬の香りを乗せた風が彼を出迎えた。
大陸ノルトペルデレに冬の気配が広がっていた。
先を走る赤と銀の髪が柔らかな日差しを受けて輝いている。
まずは彼女たちに追いつこうと、レガードは馬の手綱を動かす。
馬がいななきを上げれば、冬の青空にどこまでも響いて走り続けた。
第一章 雪化粧した都市に鐘声は鳴り響き 終わり
第一章完結いたしました。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
挿絵イラストが第33話本文途中にありますのでよろしければ御覧ください。
またお描きいただいた絵師さんがキャラデザラフも公開されているので、よろしければそちらも拝見ください。
https://twitter.com/tsunakawa_0429/status/1414415052203978752
「面白そう」と少しでも思っていただけましたら、ポイント評価をよろしくお願いします。
評価は画面下の「☆☆☆☆☆」をワンタップ(orクリック)するだけで可能です。
皆さんの応援が執筆の原動力となりますので、何卒よろしくお願いいたします。




