35 お前は誰だ?
ヒュドラが倒されてから2日間、レガードは眠り続け夢を見ていた。白い鳥が雪の中を飛び回っていた。
そして、鐘の音が止んだ。そんな夢から目が覚めたレガートが勢いよくベッドで体を起こせば、きゃうっとえらく可愛らしい声で白銀の髪の少女がのけぞってベッド傍の椅子にへたりこむように座り込んだ。フィーがおでこに手を当てる。
驚いて大きな声を出そうとする彼女の口をレガードの手が抑えた。彼が静かにするようにと言った内容を身振りで示すと彼女は頭をコクコクと頷かせる。落ち着いてから、小さな声でフィーから現在までの状況を聞き出した。
倒れたレガードの体を懸命に担いでなんとか商業区の宿屋に滑り込んだという。しかしながら、街は上層区を守る壁門が崩壊するなど大混乱をしており、彼女自身もあまり街へ出歩けていない状況だった。
「私としては主様はヒュドラを倒すという偉業をなされました。しかし、それに伴う多大な犠牲を考えると領主家に向かうのは、私は良くないと思います。被害をかぶせる存在になりかねません。所詮私達は冒険者、です。貴族からの圧力に勝てる要素がなければ」
「ああ、そうだね。領主のゴースポーだけならきっとまともに話にもなるかどうか。でも、僕としては回収すべき者があるから行かないとダメなんだ」
「……魔石と、あの領主家のシャウラという人でしょうか? 主様はどうして」
「フィー、僕は世界を救いたい。そのためにフェンリルを抱え込んだ彼女が必要だ」
「主様は! 世界を救うとおっしゃられますが、主様が口にされた極白天は」
「世界を滅ぼす悪神だって?」
「そうです。主様がどうしてそのような」
フィーがぎゅっと彼の服の布を握る。不安そうに見上げる目を見返しながら、彼女の頭に手を置きレガードの指が優しく彼女の髪の毛を梳いた。
「フィー、僕は魔竜を倒すためなら邪神の力だって頼るよ。世界を救うためだからね」
「世界を救うなんて、主様は何を目指しているのですか。この世界を滅ぼす魔王なんて幼子の絵本のような存在はどこにもおりません」
「確かにこの世界に魔王なんていないね。子供向けのおとぎ話みたいな安直なストーリーにはならないかもしれない。……魔竜と秘境の解消がしたい、それだけなんだ。僕の考えている世界を救うなんてたったそれだけの単純なことなんだよ」
「魔竜と秘境、など! ヒュドラでさえ、あのような損害を生むような存在にも関わらず! 確かに言葉にすればたったそれだけかであたかも簡単のようになるかもしれませんが、そのような夢物語をっ」
「スピアーノへ来て、パーティーを組んで少し虐げられながらもダンジョンに協力して潜って進んでいく。上手く行けば喜んで、失敗したら立ち止まって話す、そんな当たり前のことが楽しかったんだ。
フィーにソロで冒険者を続けさせながら目的も告げず資金を集めさせた。レベル上げに努めさせた。僕は師匠との誓いから逃げていた」
「逃げなんてそんな。主様、構わないではないですか。もう一度私とダンジョンに潜りながら、一進一退を喜びましょう。そんな日々で構わないではないですか。私は不安でしたが、たまに主様とダンジョンにもぐれるのが楽しかったです。これから一緒に過ごせるのならば、私はこれ以上の幸福はありません!」
彼女の手を取って、彼は笑った。逆にフィーはレガードが笑った理由がわからなくて戸惑って困り顔をする。レガードは彼女の左手にある指輪をなで、さらにその下の肌に描かれた魔術紋を指でなぞる。きめ細かなエルフの肌の上に走る青いインクで描かれたそれは魔力が伝わっていなければただの絵だ。
刻んだのは彼自身だ。しかし、出会ってから3年も経ちいまさら彼女へ描いた。
「パーティーから追放された雪の日、僕は運命と出会った」
「運命?」
「イリスフィーネ、君が僕を迎えに来た。君は確かに僕を運命に引き戻した。誰でもなく君が。だから、たとえどんな結果になろうと僕を助けてほしい」
「私は偶然主様と出会っただけです。偶然ですよ」
「偶然かもしれないけど、きっとそれが僕のやらなければいけないことだ。だから、最期の時まで僕を助けてほしい、イリスフィーネ」
黙りこくってしまった華奢な彼女の体をレガードが抱きしめる。彼女はやっぱり答えを出せずに迷っているのが感じ取れた。まだ答えは出ないかもしれない。けれど、彼女はきっと迷いながらも旅についてきてくれるだろう。レガードはそう信じてもう一度強く彼女を抱きしめた。
◇
ヒュドラが討滅されて3日後、赤い髪をまとめたシャウラは足早に廊下を進んでいく。
彼女は夕方には目覚めたが、その頃にはすべてが終わっていた。あれほど錯乱さえみえていた父親のゴースポーも、ヒュドラ討伐を知ってからは早急に動き回っていたらしい。
「骨もないなど」「葬儀はどのように」
「せめて遺品は」「何があったのかさえさだかでは」
「復旧と維持、それぞれに回せる予算が」
「巡回を減らせば馬車の護衛などへの影響が」
「冒険者はきまぐれだから」
スピアーノ家は喧騒に包まれてた。執務室には生き残った騎士たちと行政を動かす文官たちが忙しく動き回っている。上層区所属の騎士および兵士が半数以上壊滅となれば当然のことであった。疲労で頭を抱えていたゴースポーはシャウラが執務室へ姿を表したことに驚き顔を上げた。その横に父親を補佐するようにゴーダンが書類を睨みつけている。
「おお、シャウラ。どうしたんだい急に」
「いえ、お父様がご無事で何よりです。顔をお伺いにあがっただけですので、お邪魔になりますからすぐに戻ります」
「そうか。……私も気づけば夢のようにすべてが消え去ってこの喧騒だ。お前も戸惑っているだろう。まだしばらくゆっくり休みなさい。私もゴーダンもまだまだ終わりそうにない」
「お父様、軍の多くの者が亡くなったと聞きました。これから領は大丈夫なのでしょうか」
「上層区の多くの者達がそうなってしまった。他は街道巡回に出ているものも多い。厳しいが、巡回を減らすことになるだろう。冒険者は金でしか動かぬ。そして、その冒険者も行政区に近かった腕のたつ者の多くが巻き込まれた」
「父上、それほどで。まだまだ終わりません」
「ああ、すまない。シャウラまだまだ終わりそうにない、それではな」
彼女が返答する前にゴースポーが文官達の待つ場所へと埋もれていった。喧々諤々と繰り返される話は、結局私財をどこまで放出するかと妥協点の話し合いだ。入れ替わるように姿を見せたゴーダンがシャウラへ目を向ける。彼はデュドールからヒュドラ討伐直前のシャウラとゴースポーのやり取りを聞いていた。苦虫を噛み殺したような顔をして口を開く。
「……お前がどうしようとお前の勝手だが、家を巻き込むな」
「家を巻き込むなとは、無理ではないでしょうか」
「簡単だ。お前が個人的に第三王子に嫌われれば良いだけだ」
「ああ、なるほど。婚約をスピアーノ家から破棄するのではなく、破棄されろと」
「そうだ……」
彼女は納得したように頷けば、ゴーダンはさらに忌々しそうに表情を歪めた。ぐしゃりと手に持った紙が握りしめられる。短く整えられた髪の毛は、連日の疲れか常日頃の貴族らしくとうたっているゴーダンにしては艶を失っており、目の下の隈と疲労とともにみすぼらしさを見ているものに与えた。
「……お前は妾の子だが、家のことにもっと気を使っていると思っていた。気づけば第三王子と仲睦まじくなっていたりと、だからわざわざ本妻の子扱いにされたというのに」
「おそらくそれらすべてのことに対して、私は感謝していたと思います。でも、ゴーダン様、私はあの竜討伐にスピアーノへのすべてを捧げました。今の私は、そうですね」
彼女は悩むように顎に指を当てて虚空をわずかに見上げる。そこへ執事の1人が飛び込むように姿を見せて声を張り上げた。
「行方がわからなかった冒険者のレガード様が今しがた屋敷に来られました!」
ぴたりと騒がしかった声が静まり返る。シャウラは跳ねるように踵を返し、走り出す前にちらりとゴーダンへと振り返った。作り笑顔のシャウラが去り際のように言葉を残す。それは努めて貴族らしさを維持しようとした喋りで、しかし奔放さを内包していた。
「私はもう私のものではないのです。だから、私は私の出来ることを、私を求めた方に捧げるだけ」
シャウラのそんな姿にゴーダンの顔は怯えるようにひきつった。妹はもっと思いやりがあった。家族によくしてもらったから、返そうという気持ちがあった。これほど壁を感じるような話し方をするものではなかった。
妹はもっと感謝があった。家に家族によくしてもらっているという意識があったから、それに応えようという気持ちがあった。
あたかもそんなすべての土台が崩れさった後のような空虚さがシャウラの声にはあった。
「お前は誰だ?」
つぶやいた言葉に腹違いで名義上は本妻の妹であったシャウラは振り返らなかった。目の前を足早に立ち去る彼女の姿は今まで見たどれとも違った。幼い頃はお兄様と話しかけてきた妹と同じとはゴーダンには思えなかった。
薄ら寒ささえ感じさせた彼女が見えなくなったゴードンは内心でほっとし、レガードたちへ話すために廊下へ出たゴースポーに呼ばれ慌ててその背を追った。
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