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33 毒竜ヒュドラ⑥

 首を落とされたヒュドラが悲鳴をあげて暴れまわったあと激怒を瞳に宿しながらも冷静に首を動かし、1本を守るように動いた。その口にまたもや魔力が高まるのがレガードも理解できた。しかし、今回は熱ではない。

 鱗にふさわしい薄暗い紫色へと魔力が変換されて蓄積されていく。

 フィーが動かぬヒュドラをみやって、跳ねるようにレガードの傍へと馳せた。フィーの知識の中でヒュドラの行動にピンとくるものがあった。ヒュドラの固有ブレスの予兆だ。


「主様、ご無事ですか!? あれはもしかして」

「フィーも無事で良かった。ああ、フィーの予想通りだよ。ヒュドラ本命の猛毒霧のブレスだ」

「ヒュドラの魔力毒に侵されては治療など間に合いません! 距離を取らなければ」


 フィーが腕を引っ張ってもレガードが笑って首を横に振った。フィーがその態度にどうしてと口を開けば、レガードが自信満々に答える。


「こちらの本命も来たからさ」


 彼の背後から獣の走る音が聞こえ、それはレガードの隣へ並び立つように戦場へ参加する。

 青い毛が体を覆った馬ほどの体長をした狼が鋭い目つきをして毒竜ヒュドラを睨みつけた。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」

「青い、魔獣?」

「ああ、シャウラが魔石を通じて召喚した魔狼フェンリルだよ」

「主様、それは?」


 魔狼フェンリルが鳴いて、その体がゆっくりと粒子となって舞っていく。レガードが魔法袋から白く輝く喚鐘(かんしょう)(かんしょう)を取り出し、胸の前で掲げるように持った。長方形の形をした木枠の底をしっかりとレガードの手が支える。

 レガードが胸元付近で抱えて持てばちょうど鼻先が隠れるほどの高さをしていた。魔狼から生まれた粒子が喚鐘(かんしょう)へ近づき渦巻いていた。姿をけしても魔狼の遠吠えは聞こえ続けている。

 魔狼や彼が目の前に取り出した喚鐘(かんしょう)など、その全てについてレガードが何を思っているのか何を知っているのかを尋ねたくて口を開いた言葉だったが、レガードは後で話すと応じるだけで彼女の疑問も何も冷気の風にさらわれて消えてしまう。

 何もかも自分を置き去りにして進行していく光景に、彼女は冬の枯木ばかりの森で歩くような寂しさに襲われた。

 そんなフィーの体へまとわりつくように肌を冷気が撫でていく。この感覚を彼女は覚えていた。クレマリーを治療した時、ゴブコボダンジョンで黒い痣が拾った腕を持ったゴブリンをレガードが切り裂いた時だ。


極白天(きょくはくてん)ウルル=ポラリスより世の晩鐘(ばんしょう)を告げる」


 喚鐘(かんしょう)はすべて白で完成していた。鐘も、鐘を吊す枠も、白く金属の鮮やかな光沢があった。

 魔力の粒子となって姿がかき消えようとも魔狼の遠吠えは繰り返され、そこにふわりと鐘が揺れた。

 そして、鐘声(しょうせい)が響く。

 鐘の中には音を鳴らす内部に(ぜつ)を持っていなかった。外部から釣鐘を鳴らすために使われる撞木がなかった。

 しかし、白き鐘は確かに揺れて高音の澄んだ鐘の音を響かせる。

 暴雨が鐘声(しょうせい)から逃げるように止んでいた。


「数多並びし黒讐(こくしゅう)の声 黒天に沈む暁の瞳 汝、大地を穢すモノなれば」


 レガードの腕と背中に背負った箱に刻まれた魔術紋がレガードの魔力による輝きを通常の青から白へと変えていく。

 ブレスレットの青い宝石から糸が洪水のように溢れ出し、地面這って魔法陣を形成し鐘の音が魔法陣の完成するごとに拡大していく。そして、フィーの指輪から青い糸がレガードの声に震えるように応えて彼女の魔力を変換して溢れ出す。

 フィーの驚いた声とともに吐き出した息が真っ白になって宙へ浮かんだ。


挿絵(By みてみん)


「唯一飾りし白恩(はくおん)の鐘 北天に輝き宵待(よいまち)の瞳 我、天より祓うモノなれば」


 最初はレガードの傍にいなければ聞くことが出来なかった。次第に行政区すべてに鐘の音が広がり、続いて街の外縁の壁を越え、迷宮都市スピアーノ全域に鐘の音が響き渡る。

 暴雨を生んでいた黒雲が北の空より真っ二つに切り裂かれて、昼だと言うのにあたかも夜のような黒い空が広がり星が輝いていた。

 ヒュドラが焦ったように魔力を込める力を上げる。魔力の変換が揺れて、漏れ出した毒霧がレガードを中心に広がる冷気に触れて混ざり合い時間が止まるように進めず滞留していく。


「真理を(たた)えし悲願を捧ぐ 虚構を(たた)えし悲嘆を祓う」


 ヒュドラが勝利を笑うようにブレスのために魔力をチャージしていた首をレガードへ向けた。フィーが視線の先にある毒竜ヒュドラのブレスの恐怖に彼の腕を掴んだ。

 相手を滅ぼせると勝利を確信したヒュドラにレガードが睨むように笑い返し、歌い上げるように声を張り上げた。


鐘声(しょうせい)極白天(きょくはくてん)よりあまねく響く

黒讐(こくしゅう)より悲鳴を慈しむモノよ 還れ白銀(はくぎん)たる墓標の下へ

大いなる冬は此処に来たれり」


 魔力が猛毒へと変換されたヒュドラのブレスが吹き出すように周囲へ撒き散らされる。レガードの周辺で渦巻いていた魔力が鐘の音と共に変換されて、雪へと変わった。

 吹雪がレガードを中心に吹き荒れ、紫色をした猛毒のブレスを覆い尽くしてかき消していく。目の前のありえない光景とありえない魔力に恐怖を表したヒュドラが叫び声を上げる。

 それはヒュドラが2000年以上昔に見たものだ。


(逃げなければ。深き深き穴底へ。あの時ははるか北より聞こえた声に慌てて逃げれば間に合ったのだ)


 しかし、目の前に広がった世界からヒュドラが逃げる時間など存在していなかった。

 自由に黒い大地を闊歩していた時代が、空から降り注ぐ凍る白き花によって消し飛ばされていく。自慢のブレスも、硬質な鎧である鱗も、全ては雪が触れることで魔力が洗い流されていく。溜め込まれた魔力が、腐食する毒が。

 何もかもを埋め尽くすような吹雪が領主館を、大通りを、行政区の家々を、商業区を、ダンジョン内を、迷宮都市スピアーノを周辺の草木を埋め尽くしていく。


 どれほどの時間が経過したか。

 人の声も魔竜の叫びも消え去った静寂に満ちた銀世界が広がった。

白く輝く魔力紋が刻まれた槍を持った彼だけが、まっさらに積もった雪の上にサクサクと足跡を残してヒュドラへ近づいていく。

 吹雪は消え去った。けれど、空からふわふわと風に踊るように雪が振り続けている。

 雪がすべての音を吸収する中で、彼の足音だけが静寂を破って音を立てた。


「gaaaa」


 弱々しい声がゆっくりと近づくヒュドラから放たれた。それは抵抗を現すものだったのか、レガードには判別がつかなかった。2つの目が彼を見据える。分解した槍を背の鞘へと収める。


「展開、白雪の刃」


 彼は背の鞘を兼ねた箱に入れた槍をゆっくりと抜き放つ。ゴブリンを退治した時と同じように、その刃は元のミスリルの刃を覆い尽くし白く輝いていた。

 柄部分を連結し真っ白な槍を構える。


「ga……ga……」

「哀れな魔竜よ、雪に眠れ」


 槍が迷いのない動きで振るわれた。舞うように、ヒュドラの首から胴体にレガードの槍が淀みも抵抗もなく深々と刃が食い込んだ。

 魔竜と恐れられる魔力がかき消えた鱗は、白き刃によってあっさりと深く切り裂かれ命を刈り取られていった。あれほど威容を誇っていたヒュドラの巨体がダンジョンの他の魔物たちと同じように霧散していく。

 ヒュドラの残した暗紫色で水晶のような大きな魔石が一つ地面に転がっていた。


 ◇


 北の大地に広がる雪原の空は晴れ渡り、しかし、なごり雪をちらつかせていた。

 老人の傍には冷たい眼差しをした女性が1人静かに寄り添っていた。

 レガードは大きな荷物を持って師匠と対峙する。お互いこれから王国と教国側それぞれの山越えをするために道を分かつのだ。

 静かに老人が口を開く。


「レガードよ、わしはな、世界を救いたい」

「……またそれですか、師匠。それが師匠の望んだことですか。別れの時なのでもっとおかしなことを言うと思っていました」

「手厳しいのう。フィルグレイシアの一族は滅んだ。祭事を司るものはもうおらん」

「師匠がいるでは無いですか」

「はっはっは、わしは藤黄水晶へ向かう」

「正気ですか、師匠。あそこはスタンピードの末に滅んだと。魔竜がいると師匠自身が言ったではないですか」

「……白水晶ダンジョンは崩れた。鐘を止めるものはこの地にはもうおらん。もはや墓しか残っておらぬ」

「僕は! こんなことになるなんて」

「わしが望んで、わしがお前にさせた。だからな、約束してくれ。世界を巡れレガード・フィルグレイシア。大陸に訪れる吹雪の時がお前が世界を旅する日だ。足りぬものは各地で生きる兄弟弟子たちを頼れ。そのための予備だ」


 もはや師匠に大陸中を覆うような魔法を行使するような余力はないはずだ。

 そこで彼は理解した。師匠ともにあったパーティーが壊滅しても彼女だけが穢土の影響を受けず残っていた理由を。

 力が足りないのであれば、貯蔵代わりの魔力を連れて行くのだ。


「本気ですか師匠」

「ああ、わしでは全てが。全ては遅すぎたのだレガード。だから、お前に託そう」

「それがメドリアを、そしてあなたの仲間を手に掛けた人間の成すべきことということですか、僕の」


 彼は自身の手のひらを見つめた。そこはまだ少年の真っ白な手が広がっていた。血はない。しかし、感触は覚えていた。

 仕方がない。薬の量には限りがあった。だから、


「そうだレガード。吹雪の日を待て、その日がお前の旅の始まり、そしてわしの。いや、わしらの旅の終わりだ」

「師匠は! ……師匠達は早抜けするということですね、この旅から」

「レガード!」


 女性が彼の名を呼んだ。しかし、それを師匠が何も言わなくていいと止める。

 師匠が彼の頭を優しく撫でる。


「すまんが、先に往く。許してくれとは烏滸がましいが。

 レガード・フィルグレイシア、後を頼んだぞ。必ず世界を救ってくれ」


 師匠が準備してきたことを知っていた。だから、彼は先に背を向けて歩き出した師匠を止めなかった。

 成すべきことに必要なことは記されているからだ。教わっているからだ。

 その背の隣を支えるように歩き出した女性にも声をかけなかった。


 しばらく彼らの背を見つめて、レガードも王国側へと背を向けて、ゆっくりと歩き出す。


 なごり雪はもう止んでいた。


 ◇


 大陸を覆う吹雪は確かに訪れた。

 それは奇しくも、レガードが赤に鳴く鳥を追放された日。

 そして、


 その少女は強風に揺らぐこと無くまっすぐと立っていた。


「レガード様」


 ゴウゴウと風音が唸る吹雪の中、揺らぐこと無く立ちフードを深々とかぶった少女の透き通る声が風に消えること無くレガードを呼んだ。

 雪雲のせいで薄暗い世界を、道に立てられた魔灯の光が明るく満たし、2人を照らす。


 大陸ノルトペルデレ全土を覆う吹雪の中で、エルフの少女が彼と邂逅し、運命の歯車が回り出した日だ。

イリスフィーネの挿絵を入れております。つなかわ様(@tsunakawa_0429)にお描きいただいたものです。

次話は本日21時更新予定です。お読みいただきありがとうございます。ブックマークいただけると嬉しいです。

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