32 毒竜ヒュドラ⑤
空に光がきらめいた。それは太陽でも星や月の光でもない。どこかの崩壊した屋敷から溢れた魔灯の光を浴びた大きく曲射されたウォーターボールたちが大通り東側の家屋屋上から放たれ、ヒュドラへ一斉に降り注ぐ。
スピアーノ家の騎士団に所属している魔術を主体に活動している一団だ。しかし、その集団はたった10人しかいない。
その10人は目の前の起こった現実に足を震わせながら、ただ命令された通りの内容を繰り返していた。
騎士団長の男から命令された内容は単純だった。
「一定間隔をあけながら、相手への痛撃を与える魔法を撃て。無理であれば、可能な限り足止め、動きを阻害する魔法を撃ち続けろ」
逃げる想定の指示は無い。目の前に広がるヒュドラの威容に震える手をごまかすようにただただ命令通りの攻撃を続けるだけだ。
1本の首がちらりと魔術軍を見た。しかし、降り注ぐ雨の質量さえ吸ったように巨大なウォーターボールが複数連続で当たることでその首は動きを阻害される。行動阻害は見て取れたが、ダメージは全く見受けられなかった。
絶望的な光景に一人の魔術師が詠唱以外の言葉を口にする。別段彼は敬遠な信徒でもなんでも無かった。
「黒天よ、スピアーノを救いたまえ」
黒天とははるか昔、人を救った黒い古龍のことであった。しかし、どれほど懸命に祈ろうとも彼らの願いは聞き届けられず。だが、行政区と上層区を塞ぐ防壁と壁門の上から、魔術軍と同様のウォーターボールと設置された大砲から砲弾が曲射された。冒険者と商業区以降の外縁区に所在していた兵たちだ。
「俺たちも加勢する!! いっけえええええええ!」
砲声が空気を切り裂き、飛来する砲弾が魔術とほぼ遜色ないタイミングでヒュドラへ直撃した。
魔術を含まぬ質量の弾が着弾することで、始めてヒュドラの体衝撃に揺れた。
通常であれば魔術の補助にしかならぬ砲弾が、効果を見せた。もう一度その効果を確かめるように砲弾だけがヒュドラへ飛来する。
ドォンと大きな着弾音が重く地を震わせ、ヒュドラの体の鱗が音を立てて一部剥がれていく。
それを観測した人間の歓喜の声があがった。
「手を休めるなぁ!」
そこへレガードの声が斬り裂くように響き渡る。大砲の効力を確かめるために、一斉にウォーターボールの攻撃が緩んだのだ。しかし、すでに遅かった。先程までたた攻撃を邪魔されたヒュドラの首は2本を残して、全てを大きく水平方向に振り払った。
ガガガガッ。あちこちの家屋の壁が破砕されて、跳ね飛ばされた巨大な破片が魔術軍が屋上を足場としていた家屋の柱ごと建物を崩壊させていく。
魔術師たちの悲鳴が崩落していく家屋へ埋もれていく。
「助けてくれええええええ!」
「死にたくない」
「申し訳ありません、団長おお!」
フィーは崩落する足場を早々に捨てて大きく西側へ距離を取る形になった。ヒュドラから距離があるため、一度に多くの魔力量が必要になり、さらにウォーターボールが飛んでいくには即応性がなくなってしまう。近づこうにもそれまでフィーの邪魔を不愉快思っていた首がフィーの移動した先へまた新たな家屋の破片を飛ばすことで逃げざるをえなかった。
大きく距離を取って壁門側に寄っていた騎兵隊は家屋の崩壊の影響を受けずに済んだ。しかし、結果として広がった自身の仲間の崩落を目の当たりにして、とっさに突撃を命じることが出来ずにいた。
壁門上の冒険者たちによるウォーターボールや大砲の攻撃も凄惨な光景を見たため止んでしまう。
その隙を理解したヒュドラは1本の首を壁門へ向けた。魔力の高まりが熱へと変わる。あたかも天秤の秤上で呼応するかのように暴雨が弱まった。レガードの声がまたもや戦場に響く。
「熱、火炎か!? 壁の上! 竜のブレスが来る。口の先が射線だ、逃げろ!」
学習してきた2本の首に邪魔されるせいで首がじっくりと魔力をチャージするのを邪魔することも出来ずにいた。メドリアの背中を蹴る形で跳躍して首を飛び越えようとしても、傷がある首が自身を犠牲に壁を作るように立ちふさがる。槍で切りつけても動かず、ヒュドラの瞳は目の前のレガードの非力さを嘲笑っていた。
瞬間、朱き炎が真っ直ぐに地面に宙に鮮烈な輝きを持つ軌道を描いた。
壁門が崩壊していく。
防壁の射線上から真っ先に逃げた人間たちは崩落と炎と熱に巻き込まれることなく壁の上に生き残れた。しかし、ぎりぎりまで大砲を撃とうと動いていた人間が熱を持った破砕の砂に燃やされていく。悲鳴はゴオゴオと猛る炎の中に消えていった。
騎兵達はさらに残っていた半分が消えた。ヒュドラのブレスに対して大通りは狭すぎた。通り抜けて壁門が崩壊する前に滞留した炎と熱で馬が、人が消えていく。
しかし、同時にドシンとひどく重い質量の何かが地面へと落ちる音がした。
レガードが冷たい目で眼前のヒュドラの首を睨みつけた。その首に頭は無い。ブレスのチャージを守るために壁となった首だ。
それまでに何度もレガードの槍の刃と氷柱による攻撃が通っていた部位だ。
ヒュドラの4つの頭は3つとなって、自然の摂理と言うように頭の取れた首がへたり込み、地面にミミズのように這いつくばった。熱を消し飛ばすようにレガードを中心として冷気が渦巻き広がっていく。
腕にある魔力紋だけでなく槍にも刻まれた魔力紋が輝き、ヒュドラの頭を射抜くように冷気をまとった穂先を突きつける。
消耗を減らすため抑えられていた魔力が増大していき、変換された冷気が空気中の水を凍らし白い靄を作り出し始めた。
「「「GYAGYAGYAGYAGYA!?!?」」」
飛び込んだレガードの槍の一振りが、鱗を剥ぎ取るように切り捨てる。その光景にヒュドラが驚愕の悲鳴を上げる。その悲鳴の中でレガードはヒュドラと異なる遠吠えを捉えていた。
「間に合った」
◇
まとめた赤い髪がほどけ、風を浴びたように浮かび上がっていた。魔石が厳重に保管されていた部屋ですぐにシャウラはレガードより与えられた紙を取り出して作業を行った。護衛として残ったデュドールはその結果目の前で起こっている出来事に対し、シャウラを止めようとするが叶わない。
魔石は通常、残った魔力を吸い出して魔道具などへ転換して使用するものだ。しかし、魔法陣に置かれた魔石からは魔力の放出が感じられず、シャウラの魔力が吸われている気がしていた。
魔法陣から溢れ出た魔力が糸のように形を変えて、彼女の両手をつかみ取り魔石を飾る魔法陣に手を付かせていた。絡め取るように手から肘、二の腕、そして肩へと拡大していく青い糸への恐怖をシャウラは必死に抑えて魔力を注ぎ続ける。
「シャウラ様! このような。……あたかもお嬢様が供物になるような状況、危険ですぞ!」
「だまりなさい! マスターからの使命なのです」
「なぜ、そこまで。危険だと思って恐怖で震えているではないですか」
「……私は自分本位で願いました。だから、治療された私はもう彼に従わなければならないのです。それが、私の出来る覚悟ですから。だから、私に救う力があるならばせめて最後にこの生まれの街を救いたいの」
彼女が覚悟を告げると、絡みつく魔力が褒めるように笑ったような気がした。存在しない光景が幻視されていく。
見上げるほど巨大な白い鳥が静かに佇んで、膝をついて宝玉を掲げる人が放つ言葉を待った。糸でがんじがらめにされた彼女の手が魔石を同じように掲げる。
シャウラの口がなぞるように動いた。
「我が魂に変えても悪しき魔竜を打倒させたまえ」
『それが汝の運命ならば』
巨鳥は淡々と、しかして寂しげにそう告げて、翼を広げた、。舞うように雪が空へと飛び上がり消えていく。
完全に青い糸にがんじがらめにされた彼女の中から魔力とともに抜けていくものがあった。
それは病に倒れる前に書いた手紙のこと。幼い頃より王都で屋敷から抜け出して共に遊んだこと。
それは病床で感染の可能性から周りから止められながらも顔を見せに来た母のこと。妾の子であってもスピアーノ家の役に立ちなさいと言いながら実の子と同等の教育受けさせた父親の第一夫人のこと。
「政略でしたが、思ったよりも嫌いではなかったようです」
笑って、狼の遠吠えが聞こえるのと同時に彼女の意識はそこで途絶えた。
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