31 毒竜ヒュドラ④
どれほどの暴雨が顔に雨を打とうとも、決して馬脚を緩めることなく怯えず声を上げて馬を加速させていく。騎士団長はさらに声を張り上げて叫んだ。声で目の前のヒュドラを切り裂かんとせんばかりに声を腹から空へと吐き出した。
「全隊、突撃いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
レガードが大通りの東側を中心に動いており、それを避けるように大通りの西側に寄って騎馬隊はヒュドラへ突撃を掛けた。レガードへ向けられていた3本の首のうち、2つが人間の数の多さを見て獲物を狙うように一斉に動いて騎馬隊たちを狙う。
1本は目の前から愚直に突っ込んでくる騎馬兵達に向かって空から押しつぶすように首を振り下ろし、もう1匹は噛み付くように騎馬隊を横合いから喰い割かんと首を伸ばしていく。
「ピィィィィィ」
メドリアが自身を狙わなくなった首へ不快そうに鷹を思わせる声で高く鳴いた。
押し潰そうと動いたヒュドラの首に向けて、突き上げるように巨大な氷柱を突撃させる。1本に集中された氷柱は大きく、勢いがあった。
ガリガリと氷柱がヒュドラの鱗にぶつかりながら削られていく音が鳴った。その衝撃にヒュドラの振り下ろしはピタリと止まる。その首の下、雨を避ける屋根となった首の影を騎馬が駆け抜け、横合いから伸びてきた噛みつきに対しては後方から加速した4人からなる騎馬兵が馬ごとぶつかる勢いで長槍を突きこんだ。
「邪魔をする、なあああああああああ!」
しかし、馬の勢いとともに突いた槍の刃は鱗を貫通できずに弾かれる。代わりに馬と人間がともども潰れそうなほどの加速で4人がぶつかったことで、噛みつこうとした首が衝撃で軌道がそらされた。
突撃の真ん中から騎馬隊を真っ二つに裂こうとした口は掬い上げるように列の手前の人間たちの首をえぐる動きとなって、数人の人間が口の中に吸い込まれて消えた。
そんな酷い姿をみても後方から続いた騎馬兵たちは揺らぐこと無く、犠牲を捧げた結果生まれた隙間に対して体を限界まで馬の背へ沈めることでヒュドラの首をくぐり抜けて避ける。
騎士団長の黒刃が振るわれる。胴体に沿って右側に馬が動いていけば、ヒュドラの胴体と大通り端の家屋との間にできたぽっかりと空いた隙間へ馬の体を向けることでヒュドラの横を剣で切りつけながらすり抜けていく。
「くそ、くそ! なんだこの鱗は! 黒鋼でさえまともな傷がつかぬなど!」
騎士団長の手に握られた黒刃の剣は抵抗を受けながらも鱗に少々まともな傷を刻み込んでいた。だが、ヒュドラは鱗を撫でた程度の剣に興味もなく、すり抜けていった騎馬隊へ首を回すのも億劫なのかまたもや2本の首はグリフォンとレガードへ向かってしまう。
騎士団長以外の武器についてはさらに散々であった。ミスリルといえども多くの槍があえなく刃こぼれしているのが見て取れた。だが、一部、騎兵隊の中でも腕が良いと言われている者たちのミスリル槍は削られながらもその刃を保っていた。
すぐに騎士団長は自身と他武器が破損しなかった者たちを集め直す。
先程一番に先駆けた騎士団長の代わりに、武器が刃こぼれして鱗に攻撃も通らなかった者たちが前衛に轡を並べた
「首が邪魔をした場合は、背後の邪魔にならぬようにその身使ってでも排除せよ。我らはそれに続き魔物の鱗を攻撃する」
「は!!!」
先陣に並べられた人間たちは自身の使命を理解して、もう一度鬨を上げて突撃をかける。ヒュドラの尾がハエを払うように先陣の馬たちを転ばせようと動くが、それに合わせて人が勢いを殺すために隊から別れてその身ごとぶつかっていく。
再度、彼らが領主屋敷側へと抜けてヒュドラの目前へと隊を並べ直した時には、出陣した時の5分の4となっていた。また先陣への人の補充が行われ隊列が整理される。そんな命令でも全員がガタガタと手を震わせながらも暴雨の下、粛々と命令は遂行された。
「……突撃」
騎士団長の冷え切った声が、けれど止まることを許さず隊へ突撃を指示する。雨の中に沈み込もうとも男の声は消えることなく、騎兵達の体を動かした。
◇
大通りの東側、レガードはメドリアと連携して飛び回り2本のヒュドラの首と対峙していた。横合いから噛みつこうとするヒュドラにジャンプしてかわすのを見せれば、また同じように首を振るうヒュドラの首をメドリアの脚を掴んで振り回されることで回避する。
さらに振り回されて手を話して動いた先は最初にジャンプして避けた首が動いた先であり、レガードの槍は間抜けに間合いを図ろうとしていたヒュドラの鼻先を切り裂いた。
「GYRUUUU!」
「まだ終わりじゃないぞ! やってくれメドリア!」
氷柱がその鼻先に追撃をかければ、首が巨大な氷柱がぶつかる衝撃によって後方へと流される。差し出された頭の裏、首と頭の付け根部分を狙って、地面から大きく斜め上に跳躍し頭を越え槍の刃先へ落下の速度を乗せ、鮮やかに半月を描く。
パックリと鱗と皮が切り裂かれヒュドラの血がこぼれ落ちた。
「!? GAAAAAAAAAAA!」
傷を受けたこと理解し、ヒュドラが叫んだ。着地したレガードに向かって2本の内無事な首が鞭のように振るわれる。着地したばかりのレガードへの攻撃を邪魔する氷柱が首へぶち当たりあらぬ方向に首が叩きつけられた。大通りの地面へくっきりとヒュドラの首の跡が作られた。
そこへさらにレガードが飛び込みグレイブを2度横薙ぎに斬りかかる。目は硬質の瞬膜で守られたが、その目の上の鱗は横薙ぎの切り裂きが貫通し、血が舞ってヒュドラの目の上をダラダラと血が流れていった。
血化粧に飾られたヒュドラにレガードが笑う。
「さあ、毒竜ヒュドラ、まだまだ行くぞっ! 世界からお前が消えるまで!!」
「GAGAAAAAAAA!」
不安がなかった。レガードの胸中にあったのは晴れ晴れとした気持ちだった。
単純だったからだ。目の前に出現した魔竜を討つ。答えが明確だった。
世界を救う、そのための足がかりなんていうお題目のために何をすればよいのか、誰に手を伸ばすべきなのか。どのように相手を説得すればよいのか。そんな何もかも手探りであやふやだった物が今だけは単純明快だった。
自身の持ちうる力と、用意した他者の力を持って魔竜を討てば良い。
それが世界を救うためにきっと必要なことだから。
◇
「ドラゴンの戦い方はわかっておるか」
老い以上にシワが深く刻まれた師エヴラールが、ふとそんなことを告げた。槍を握って基本的な動きの型を練習するレガードはその手を止めて師へ振り返った。
「ドラゴンとは英雄が倒すものです。一般人風情ではどうにもなりません。ダンジョンに潜って位階<レベル>を上げた高レベルの人間が複数人集まって倒すのが一番です」
「ふん、英雄願望が透けて見えるぞ。一番は、高レベルの軍団で波状攻撃をして削るであろうな」
「師匠は夢物語が好きですね」
「……ああ、だがそれが一番なのだ」
ダンジョンに潜るのは冒険者が中心だ。ダンジョンに軍を派遣するのは厳しい。そして、軍に所属するような者たち全員を高レベルになるようなほどダンジョンに潜らせる余裕など、どこにも無いのが世の実情だ。
レベルを上げるためには格上への挑戦が必須となる。ダンジョンは大群を許さない。一塊でうごめく軍を、ダンジョンは如何な意思を持ってか大量の魔物により飲み込むのだ。そしてその結果で生じる大量死。『訓練で大量死という結末を生んでどうする』という訳だ。
街道の移動による経済を守るために、街の外を多くの軍が巡回する形で魔獣を減らす努力をしている。
レベルが上がるのはダンジョンに潜っていかに強力な魔物を討伐したかによって決まる。外界の魔獣相手ではどれほど凶悪な魔獣を倒そうともレベルが上がることはない。魔獣に魔石を作り出すほどの魔素が無いせいだと言われている。
そして、ドラゴンを倒せる人間など、水晶ダンジョンの最奥を覗いたものでなければなしえない。
「冒険者はあまり魔獣狩りをするが好きじゃないと師匠は言いました。破綻しないのが不思議です。強力な魔獣、魔竜、龍が出たらどうするのですか」
「国や領主が金を払えば、魔石以上に稼げるならば冒険者は依頼を受けて討伐するであろう」
「お金ですかー。では、もしも冒険者が倒せない伝説の魔竜が出現したらどうするのですか? レベルの足りない人間を集めてもどれほど良い装備を揃えても攻撃なんて通らないのではないですか」
「ふっ。ふはは、そうさな。そうなれば世界は滅ぶであろう。そう、それが運命と人は受け入れるとはるか神話の時代に決めたのだ。そうであろうが、わしは……」
師匠はその日はもう答えなかった。ただレガードの槍の振り方や魔力の鍛錬、白水晶ダンジョンの成果を確認するだけだった。結局、その時の師匠が続けた言葉の重みがわかったのは、彼らの旅立ちの別れの日だった。
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