29 毒竜ヒュドラ②
轟く咆哮にビリビリと壁や窓が揺さぶられる。多くの人間が根源的に襲ってきた恐怖で動くこともしゃべることも出来ずに居た。曇天から刺す様な雨が降り注いで、紫色の鱗を伝って地面へと落ちていく。
驚愕からすぐに立ち戻りレガードが窓から見上げた外には雨粒を切り裂いて4つの蛇のような頭がうごめいていた。その姿を伝承だけで知っていたレガードが口にする前に、隣に並んでいたフィーが怯えるようにその名を呼んだ。
「毒竜ヒュドラ」
(姿と名もしっかりと知っている。彼女はやっぱり)
レガードがそんな考えは、ヒュドラが一つの首を振り回した衝撃で霧散した。屋敷の一角が、ただ動かしたというようなヒュドラの動きで崩壊する。崩れ落ちる石造りの壁が破砕音を立てながら地面へと積み上がっていった。広間もその衝撃で激しく震え、多くの者達が地面にへたり込む。
「なぜ、なぜこんなことに」
へたり込んだゴースポーがもはや今起きている自体が信じられぬというように首を振った。隣には運悪くコケた拍子に頭を打ったのかゴーダンが倒れて気絶していた。どうすればよいかわからず立ったまま固まっていたデュドールの肩をレガードは掴んだ。仕立ての良い服に悲鳴を上げるようにぐしゃりとシワが出来る。
「デュドール殿! 僕とフィーの装備一式を回収したい!」
「いや、しかし、一体何を」
「どこですか!」
「や、屋敷内の保管室に」
「案内してください! フィー、シャウラ一緒に行くぞ!」
「「え! あ、は、はい!」」
「ま、待てシャウラ。貴様、シャウラをどこへ」
「ゴースポー・スピアーノ、悪いが僕は師エヴラールと同じ悪事をさせてもらう」
「なんだとっ」
「領主ゴースポーよ、誓え。僕があの紫水晶に封じられし毒竜を討伐しよう。その手段と報酬として家宝と謳った魔石と、お前の三女シャウラ・スピアーノを旅の共として連れて行く。さあ、奇しくもあなたが語った過去と同じだな、領主殿」
腕を広げて目の前にへたり込んでいるゴースポー語りかける。その姿はゴースポーから見れば悪魔そのものに見えた。そして、それはスタンピード時、領主が逃げ出した後兵士たちの壊滅を聞いたときに現れたエヴラールと思い込んでしまいそうだった。
「き、貴様、お、脅すつもりかぁ! まさしくあのときのエヴラールとお、同じ、悪事ではないか。目の前に迫った、き、危機を秤に乗せるなど! し、しかも、シャウラをだと!? わかっているのか、シャウラは」
「王国第三王子と婚約済みと言うのだろう。だが、そんなものは関係ない。後生大事に死ぬその時まで抱え込んで滅びるか、差し出して助かるか、選ぶが良いゴースポー!」
彼の言葉に豪雨の音を聞きながら頭を抱えたゴースポーへ、レガードは逃げるなと言うように彼の真正面に立って見下ろした。その服のズボンの袖をゴースポーの手が弱々しく掴んで声を震わせる。
「あああ、どうして。どうしてだ。お前はまた私から奪うのかエヴラール!」
「いいや違う、ゴースポー・スピアーノ。我が師に代わり今度こそこの街を救おう。世界を救う始まりにしよう。そのためにあなたの協力が必要なのだ、ゴースポー」
「私は、私は決められない。そのような。あの時もただ恐怖で頷いただけだったのに、エヴラールどうしてだ!
父を連れ戻してくれええええ! 街に、街にさえいれば自死など命じずることなどにならなかったのに!!
あの馬車を、あの馬車を止めてくれエヴラール! 父が乗っているのだ! 街を出てはいけない。
私に、私に頭を下げ続けるあのような父を。毒を渡した時のあのような父の顔を見たくなど無いのだ。
エヴラール! エヴラール!!!」
「父様っ」
狂乱とさえ言えそうなほど取り乱したゴースポーにシャウラがすっと近づく。シャウラが優しくゴースポーのシワの刻まれた手を取り、優しく声をかけた。その手と彼女の姿を見た瞬間、彼はハッと目を見開いてきょろきょろとあたりを見回した。
「しゃ、シャウラ。なんだ、今何が私は。エヴラールが。いや、その弟子が」
「父様、私の言葉に、はいと答えてくださいませ」
「なんだ、シャウラ、私は」
「家宝の魔石を私に任せてくださいませ。私の行く末を私の自由にさせてください、それをご了承ください、領主として」
「シャウラ、王国の王子に嫁いで我が家の繁栄と王国の発展に」
「ええ、そのために私は学んで来るのです。了承くださいませ。魔石を私に預けと私自身の自由を、領主として。そうすれば、エヴラールの弟子のレガード様がお助けくださいます。私を、父様を」
「シャウラ、お前を? わ、わかった、領主として認める、だから、助けてくれ、助けてくれ。エヴラール」
「ああ、安心するといい、領主殿。我が師エヴラールの悲願を必ず僕が叶えてみせる」
老いたシワをさらに深くさせてデュドールは複雑そうな顔で彼らを見つめていた。そんなデュドールの肩を促すように叩くと、もうデュドールは何も言わずに先導するように走り出す。
その後を追いかけるフィー。そして、少しばかり遅れてついてくるシャウラにわずかにレガードは驚きの表情を作った。その表情を見て、シャウラがニコリと笑う。
「なれていますので」
「ここがそうじゃ」
デュドールが扉を壊す勢いで開ける。また轟音が街に響いた。どこか大きな家が崩れた音だ。
古臭い棚が並び、一部が朽ちた木箱が適当に積み上がって整理整頓という文字が存在しない空間が広がっていた。
雑多な空間の中すぐ目の前に置かれぽっかりと蓋が開いた木箱中に、たしかにレガードたちの装備が並んでいる。
箱の中身からすべて取り出し確認すれば、装備は欠けもなく揃っていた。手早く身につけて、レガードはシャウラに声をかける。魔法袋の中、紙束の中から2枚取り出し彼女に押し付けるように手渡した。古ぼけた紙には魔法陣と詠唱文が待ち望むように書かれている。
レガードは強くシャウラに向けて声をかけた。
「急ぎフェンリルの魔石を用意して、魔法陣の上へ乗せて魔力を込めて読み上げてほしい」
「これは」
「大口を叩いたけど、君が鍵だ。頼んだよ、シャウラ」
「私が。はい、マスター」
「マスター!? 主様、何なのですか! シャウラシャウラと! この女をどうされるおつもりですか!」
首元のチョーカーを慈しむように撫でてから優雅にカーテシーをしたシャウラの姿を見て、ずっと不機嫌そうだったフィーがとうとうぷんすかと言わんばかりに口を開いた。そんな彼女をなだめるようにぎゅっと抱きしめる。華奢な体だ。しかし、冒険者として生きてきた強さが、芯が、確かに存在していた。
白銀の髪を撫で翠色の瞳を覗き込む。不安と不満が揺れる瞳は、けれどこんな時逃げずに彼を見つめ続けている。
もう逃げ場はない。いや、そんなものはあの雪降る日に彼女が迎えに来たことでなくなったのだ。
「フィー、たくさん話そう。僕が君に真っ先に話したことを、もっと話そう。だから、今はヒュドラを倒す。一緒に戦ってほしい」
「……主様はやはりずるいです。主様、私はお役に立てますか。エルフなのに弓も風魔法も使うことを許されぬ私は」
「ああ、大丈夫。僕に君が必要だよ、フィー」
「マスター、いちゃつくのは目の前の危機を解決してからにしてくださいませんこと?」
「嫌味な女ですね」
「揉めるのはやめてほしい……。行くよ、フィー! シャウラ、魔石を頼んだよ。デュドール殿、シャウラの護衛を頼みます」
「はぁ。もう何がなんだか分からんぞ。おまえさんは本当にエヴラールにそっくりじゃな。秘密主義はやめんか」
「すみません」
フィーから体を離し、見据えたデュドールへ謝罪以外口に出来ずごまかすような笑みを浮かべるしかなかったレガードの頭へ老将の手がポンと軽く叱るように置かれた。目の前の老将はレガードをまっすぐ見据える。
「エヴラールの弟子よ、信じておるぞ。街を守れるというのならば、守ってくれ」
「……はい。街を守りますよ」
ヒュドラを倒すまでにどれほど犠牲が出るだろう。レガードが胸中に浮かび上がったその言葉をぐっとこらえた。名残惜しそうに体を離しても手を握っていたフィーは彼の手の震えに気づいたのか、ギュッとレガードの手を握った。
その華奢な手は確かに彼が選んだモノだ。選択したモノだ。
「マスター、私もすぐ参ります」
「シャウラが本当に鍵だ、頼むよ」
「はい!」
デュドールとシャウラと別れて、レガードはフィーとともに暴雨と毒竜が待つ街へ飛び出していく。顔に襲いかかる不快な雨を振り払うように、身体強化の魔術を行った彼らは飛ぶように走った。
魔力はどんどんと高まり、同時にブレスレットと魔力紋に流れ込んでいく。青白い輝きが冷気とともにレガードの走った後をついてくる。
ぐんぐんと近づく巨大な毒竜がピタリと動きを止めて、4つの首すべてがキョロキョロとあたりを見渡し、何かを探すような動きをした。
「行くぞ、フィー。毒竜を倒す」
「はい、主様!」
黄色の蛇眼の動きが止まる。すべての首が1つの頭が見つけた存在へ首を向けた。そして、走ってくる存在を知覚し、毒竜ヒュドラはその瞬間恐慌にさえ聞こえかねない咆哮をあげた。
「「「「GYRUGYRUGYRUGYRU」」」」
◇
毒竜は振るえばあっさりと壊れる建物を弄ぶように壊し、動き回る人間を懐かしさで潰した。
鮮烈に吹き抜けていく香りがあった。白き気配を感じた。首の動きがギクリと怯えで止まる。
それは忌々しい白狼とも違う。まさしく白き巨鳥の匂いだ。だから、毒竜は探した。
そしてその気配がちっぽけな人間から発せられることに気づいて、さらにその気配が勘違いでないことも理解できた。
だから、そんな意味不明な状況に毒竜は声を上げたのだ。
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