3 少女の契約
「主様、申し訳ございません!!」
未だ吹雪がやまない朝、ゆっくりと起きだしたレガードの目の前で深く深く頭を下げるフィーがいた。起きてすぐの光景に少々彼は面食らって、数分ほど思考が覚醒するまでどうして彼女がそんな行動するのかわかっていなかった。
その間もフィーはずっと頭を上げずに黙りつづけている。
「あー、何も迷惑なんてかかってないから気にしないでいいよ。ずっと通信の魔道具で業務連絡程度のことしかしてこなかったんだ。僕はフィーが怒らなくてほっとしてたよ」
「主様に怒るなどと、ありえません! あれほど泣いてしまうなど、恥ずかしく……。しかもベッドにまで運んでいただいたと」
「本当に気にしないで良いんだよ。それに今日もまだ吹雪で休みだしね。ゆっくりしよう。朝食はどこで取るのかな」
「ありがとうございます、主様。朝食は1階にある食堂で取る形式です」
「そこは安いところも高いところもあんまり変わらないね。いや、パーティー拠点済みは僕が用意してけどさ」
「主様の手料理など。金貨では払いきれません」
「馬鹿言っちゃいけないよ。それじゃ早く朝食に行って、これからの話しもしようか」
彼は笑って服を着替える。同じように彼女も手早く着替えてフード付きのマントを着込み、フードを目深にかぶる。
「この宿屋の中でもずっとその格好?」
「見られると不快ですので」
「そうか。じゃあ、僕も同じようにしておこうか。二人もいると不審者だね、これは」
彼女と同じようにフード付きのマントを羽織って目深にフードをかぶれば、なんでこんなやつを宿屋に入れているのかという批難されそうな二人組が完成した。
思ったよりも起きたのが早かったのか、廊下や階段でも人をすれ違うこと無く食堂へたどり着く。
しかし、食堂前で客を誘導していた従業員が待ったをかけた。
「お客様、お連れ様は問題なければマント無しでご利用いただけませんでしょうか」
「フィーの方は問題ないらしいよ」
「なぜでしょう?」
「お客様はその格好でもう知られていますので、不安を覚えるものはおりません。しかし、お連れ様は違います。昨日はフードをかぶっておられませんでした。問題なければ、マント無しでご利用いただきたいのです」
「なるほど。フィー仕方ないよ。だから何も言わないでね。では、マント預かってもらえますか?」
手早くマントを脱いで手渡せば、従業員は笑顔で深々とお辞儀をしてお礼とともにマントを預かり、彼らを席へ案内する。
吹雪を防ぐためだろう。通常であれば光が入ってきそうな窓は木の板で出来た雨戸により塞がれて外をうかがい知ることは出来なかった。
通された食堂の隅にあるテーブル席で彼女と向かい合って座り、それぞれ離れた席にいる客を失礼にならない程度に見回した。
「いつもこの席かい?」
「そうです、主様。やはりこの格好ですと中心や目立つ場所に居ると不要なトラブルが来ましたので、いつしか従業員がこちらに」
「ああ、フィーは気にしてなかったんだね」
「このような宿屋を利用しているのであれば、節度を越えて暴れたり踏み込んだりするものはおりませんので」
彼女の物言いに納得し、寄ってきた従業員に軽めのメニューで注文をする。もちろん何があるのかわからないので、フィーがすぐに選んで答えた。
しばらく待てば、パンと炒めた卵に野菜が多めのスープが並ぶ。
パンは彼が拠点で食べることが出来たものと比べると遥かに柔らかく、パンとして美味しいと思えるものだった。そんな悲しい感動を努めて表に出さないようにしながら彼は口を開く。
「明日から色々したいと思ってる。まずは武器かな」
「主様はほとんど休み無くダンジョンや冒険者ギルドの依頼をこなしておられましたのに、今日はお休みで良いのでしょうか」
「ああ、今日もまだ吹雪がひどいから良いんじゃないかな。外に出ても店が開いてるかも、まして冒険者ギルドが受付してるかもわからないからね。今日は二人でゆっくりしよう」
「主様……」
目深なフードがあるせいで表情はわからないが、ぷるぷると彼女は手にパンを持ったまま肩を震わせる。そのまま何も言わないしパンも口をつけない彼女に手で食べるように促し、入り口にぞろぞろ冒険者と思われる厳つい男たちが連れ立って入ってくるのを横目に見ながら彼は口を開く。
「武器の作成と。フィーとパーティーを組むから動きの練習のために、しばらくこの都市のダンジョンの浅い層で簡単な仕事をこなして行こうと思う」
「しばらくということは、どこか別の場所へ移動するのでしょうか。主様はこちらに住んで長いと記憶しておりますが」
「長かったのは、そうだな。……そう。楽しかったと、そう思ってたんだ」
彼は自分がそんな事を口にするつもりがなかったのに、自然と出てきた言葉で誤魔化すように薄く笑った。テーブルの上にあった朝食はお互いにすっかり片付き、レガードは水を口に含む。しばらく置いて、彼が軌道修正しようと口を開いたところで、
「あんた、何もんだ」
テーブルの横、彼を見下ろすように短髪の顔に傷のある男が立って声をかける。レガードは彼をちらりと見てから、フィーに視線を移せば彼女は首を横にふった。彼女に喋らなくて良いと示すように手を見せてから、レガードは男が何を話すかただ待った。
「こいつは冒険者だってことは知ってる。じゃあ、あんたは誰だ?」
「吹雪で露頭に迷ってるところを助けられたんですよ」
「は? それで親しげに話す間柄になるわけねーだろ」
「親しく話しているふうに見えましたか?」
「ああ、そいつと席を同じにしたやつなんて見たことなかったんでな。さらに楽しそうに話しもしてるじゃねーか」
男一緒に食堂へやってきた他の連中は困ったやつだといった具合で席から動かずそのままだ。
止めてほしいと思いながら、追放されたパーティーでもヤックを止めようとした人間は彼自身だけだったことを思い出せば、こんなものが普通かと思う。
だが、ヤックも結局は彼の静止などまともに聞いたことなど無かった。そんな彼自身の経験を考えれば、この手の輩に構うのは時間の無駄なのだ。あちらはこちらにケチをつけても良い、下の冒険者だと思っているのだからどれほど言葉を出そうとも妥協が出てくることはない。冒険者は名前が売れてなければとてつもなく上限関係で面倒事に絡まれやすい界隈だった。ため息をこぼしてレガードは席を立ち上がる。
ゆっくりと紅茶でも飲めるかと期待していた故に、がっかりが顔に出ていた。
「お邪魔だろうし、部屋へ戻ろうか」
「待てよ!」
「お客様」
男性が肩をつかもうとするが、その前に現れた従業員によって手が止まる。さすがに従業員がこれほど近くにいる状態では問題を起こしたくないのか、男の動きが止まった。そんな隙きに彼は彼女とともに食堂を後にする。
部屋に戻れば、朝からめんどくさい事柄に出くわしたせいで少々やる気が減退する。フードを外したフィーが深々とお辞儀をして謝罪した。
「今日を休みにしてよかったよ。ああいうのは絡まれると疲れるから」
「主様申し訳ありません」
「フィーが気にすることじゃないさ。それで、彼らとは関係が何かあったの?」
「そうですね、彼らはとある商会の輸送の際の護衛の仕事を主にやっています。初めて宿に移った時に見知らぬ風体の人間だということで怪しいと絡まれました」
「ふーん。でも話さなかったんでしょ? 顔を見られたりとかは?」
レガードの問に、悩むように顔をしかめた彼女は覚えがないと首をかしげた。この街ではエルフは珍しい。もしも顔を見られたならば、相手が変な懸想をしているのかもしれない。レガードは男の態度を思い出し、不快な気持ちになる。
「冒険者ギルドでも声を出したりすると絡まれることが多かったので、なるべく声を出さずにしておりました。顔は……、見られた覚えはありません。フードを掴まれそうなところをすぐに逃げましたので。冒険者ギルドで彼らとは何度かすれ違ったことがありますが、そのときも声をかけられる前に逃げておりました」
「宿屋内で絡んでこないのなら、もう放っておこう。どうせ仕事がかぶることなんてないんだから」
「そうでございますね。明日から主様と一緒に活動できるのが楽しみです」
本当に嬉しそうな顔をして発した彼女に、レガードは笑って、
「それじゃあ、服を脱いでベッドに横になって」
「ひぇ! あ、ああああ主様。まだ朝でございます」
「うん、互いに馴染ませないとね」
「な、なじませるなど、そ、な、何回ほど何時間」
レガードは魔法袋から道具を取り出して自身のベッドに放り投げる。
顔を真赤にして困り眉をした彼女がレガードを恥ずかしげに見つめる。おずおずと服に手をかけようとした彼女へ、彼は口を開いた。
彼の手の上には指輪があった。真っ白な雪を思わせる色をして、中心には青い宝石がはめ込まれている。これを渡すのは今更だ。もっと早く渡す機会がありながら渡さなかったのは、レガードが常に渡すことをためらい続けたからだった。だが、もう成すべきことを進める時が来たのだと、彼は悲しげに笑ってからフィーへ向き合う。
「イリスフィーネ、君を信頼しよう。だから、契約を結べ。僕のために生きてほしい」
「……主様。はい、主様。あの頃より私は主様のモノです」
指輪をつけた彼女はレガードの前でひざまずく。服が脱がされ、その真っ白な背に彼は手を乗せた。
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