25 青い糸で結ばれて
首に青い糸で紡がれたチョーカーが彼女を絡め取るように身につけられていた。それは肌にぴったりと吸い付いて、誤ればその首を体と頭に分けてしまう恐ろしさがあった。
けれど、彼女はまだ救われていない。なぜなら、彼女の顔と体にある痣は消えていないからだ。彼女は治ると信じて受け入れて、未だ解消されぬ体の痣を見てすがるように彼を見た。
「私はあなたに従う。だから、私を助けて」
「もちろん助けるよ、シャウラ。だからもう泣かなくていい。ほらこぼさないようにこれを持って」
努めて優しい声音で彼は彼女の右手を取る。通常の回復ポーションの赤や濃い青、紫とはことなるスカイブルーの液体が入った瓶の蓋を開け、魔灯によって液体が照らされた薬を彼女の手に握らせる。
自身を治療してくれると思う薬を誤ってこぼさぬようにと怯えた彼女が右手を震わせた。
先ほどとは異なり魔術紋が彼の練られた魔力に反応して輝いた。本がないため、今回は前回のクレマリーの時よりもはるかに多く魔力をこめていく。
「その文様は? 魔力に反応するものなんて」
「適正の無い人間のために作られた魔術紋だ。僕は本来はこんな魔術なんて使えない身だから描くしか無いんだ」
転換する魔力が光から、冷気と風へと溢れていく。
冷気は周辺の水気を白の結晶へと変えていき、それが風に巻かれて踊り、形を変えていく。
先程は糸でできた魔法陣だった。今度は白い結晶と風でできた魔法陣が広がっていく。
徐々に強くなりだす風音にようやく異変が起きたのだと思ったのか、廊下に続く扉が慌ただしく叩かれた。だが、彼女を助けるにはもう遅い。
クレマリーの時と同じように暴風が上げる絶叫が部屋の中を走りまわる。その叫びをこえて響く、あたかも鐘の音が鳴り続け無秩序ではないことを表していた。
『凍れ凍れ
流れ落ちる滴は枯れた土へと消えた
こぼれ落ちる滴は風へと消えた
風雲は旅人をさらいて称う。汝、眠りの山から吹き下ろす風
星霜は旅人をさらいて称う。汝、眠りの山から飛び立つ凍り
翼閉じた神は鐘声称う。落ちた羽を言祝ぐままに
さあ、ねむれ
此処が最果ての銀世界』
くるくると彼女の手にあったスカイブルーの液体が瓶から飛び出し、弾けるように広がって獲物を捉えるように彼女の体に絡みついていく。逃げるように暴れても彼女はそれから逃げることは出来ず、そのスカイブルーの液体が彼女の痣を覆っていった。
服の隙間から入り込んだ液体が肌の上を痣の広がりを確かめるように流れなぞっていく。
「眠れ、シャウラ。目がさめた時に約定を履行してもらう」
冷たい液体が動き回る感覚よりも強烈な眠気が彼女を襲い、彼女が気を失うのとほぼ同時にスカイブルーだった液体が白く染まった。そして、あたかも雪解けのように消えていく。
瓶は空っぽとなり、あれほど絶叫していた暴風も鐘の音も幻のように部屋から消えていた。
レガードは目を細める。
「薬液が少なすぎたか。完全には消えないな」
彼女の顔にうっすら残った痕をレガードの指がなぞる。クレマリーの時は純度の低い小さな宝石だった。しかし、シャウラが手にして身につけていたのは純度も濃いものだったのだろう。扉が叩き壊され、ようやく騎士たちが部屋になだれ込んできた。
レガードを警戒するように剣を抜いた騎士たちが彼を囲む。デュドールは囲いの外からレガードへ声をかけた。
「なぜこのようなことをした。お嬢様を危険に晒したのじゃぞ!」
「スピアーノ家からの願いを僕は果たしました。彼女はこれで死にはしない。完全に消えなかったのは申し訳ないけれど」
「そうではない! どのように結果を残そうとも今ここで起こったことを説明しろと言っておる! 先程までの騒音と鐘の音はなんじゃ。扉の外、廊下にまで響いておったぞ」
「それが治療なので。さあ、僕らを解放してください」
「エヴラールの弟子はやはり説明せぬのか。……まずは当主様へ報告してもらおう」
「治療しろと言われた。僕は治療した。その過程を話す必要は無いと思っています。でも、領主の元へは素直についていきますよ。拘束されて首をはねられたくないですからね」
レガードを囲むための騎士たちによって邪魔されていたため、遅れてシャウラ を介抱するための執事やメイドが騎士たちを避けて慌ててベッドへ寄っていく。そして、彼女の顔と服の袖をめくった肌の状態を見て驚愕の声を上げた。
「あれほど濃かった痣がほぼ見えなくなっています!」
「おお、お嬢様の肌が見違えるように」
「馬鹿な、こんな」
「お早く、お嬢様をもっと良い部屋へ」
「お顔にはまだ傷のようにうっすら残ってしまわれたのが……」
「だが、化粧をすれば隠せるほどに」
「どのような手法で。私は確かに」
「あら、この首のチョーカーは一体?」
騎士たちに連れられてシャウラの目覚めまで待つことなく、廊下に出され領主の執務室へ向かう。デュドールは草原で出くわした時とも違う鋭い目でレガードを観察していた。そのピリピリした視線に気づかないふりをして彼は淡々と騎士たちの歩むペースに合わせて進む。
厳かな雰囲気がある木製の扉を開けた先、そこに重苦しい空気を隠すことなく椅子に座った迷宮都市領主のゴースポーがいた。
ドンっと執務机が叩かれる。
「どうであった! 報告せよ!!!」
「は! 完全に痣は消えなかったもののほとんどの痣が消え、レガードの手によって治療されたようです。それで正しいのだな、レガード」
「はい、僕は約定を守りました。僕に出来る限りの治療をしたつもりです」
「シャウラは!?」
「主治医から今は眠っているだけのようだと部屋から出る前に報告がありました」
「そうか、そうか。良かった」
ホッとしたような顔で疲れたように椅子へ当主のゴースポーは崩れ落ちた。椅子がギシギシと音を立てる。そんな姿にレガードは目を細めた。大切な何かが無事だったときのエヴラールと似た動きだったからだ。
「スピアーノ家当主も人の親ですか」
「貴様!」
「っっ!!!」
ゴースポーが反応するよりも早くデュドールの拳がレガードの頬へ振るわれて、彼は床に倒れ伏した。逆にゴースポーは怒りを発する前にデュドールが拳をふるい、暴言を吐いた者が地面にみっともなく這いつくばったことでいくらか溜飲が下がったようだ。
彼はみっともなく地面に倒れ伏したまま痛む頬を我慢して口を開いた。
「フィーと一緒に解放していただきたい」
「まだだ。シャウラが目を覚まして話を聞いてから判断する。それまで逃げられぬようにあの部屋へフィーとかいう女冒険者と一緒に閉じ込めておけ!」
「は! 了解しました」
ゴースポーの命令に騎士がそう答えて、地面にいた彼を掴み無理やり立ち上がらせる。腕は後ろに回されて追加の弁明に報酬の話もなく執務室を追い出されるように連行された。
執務室を去り際にレガードは叫ぶように言葉を投げる。
「我が師エヴラールとの約定を忘れずにいただきたい!」
虚しく部屋に響いた声にゴースポーは答えること無く、彼の問は虚空へと消えていった。
レガードとフィーが通された部屋は人が二人過ごすには少々手狭で、安い宿と変わらぬ広さだった。中から扉を開けるノブも内鍵もなく、しかし外から鍵を締める音とさらに閂まで動かされた音がする。
彼はため息をついてから、胸に飛び込んできた人物を扉に寄り掛かる形で受け止めた。白銀のさらさらとした髪が彼の胸に押し付けられる。
「主様! ご無事で、本当にご無事で何よりです」
「大丈夫。フィーこそ無事だったかい?」
「私は最初からこの部屋にずっとおりました。ただ主様がどうなるか。治療はうまくいったのですか」
「広がってる部分が予想以上だった。薬液の量が少なかったから完璧とは言えないけど痕が残っただけでもう大丈夫だよ」
「このような無礼なことを行った相手の娘のことなど!! そうではなく主様がこれ以上何かされるということはないのですね」
「ああ、クレマリーも屋敷内に滞在させられているだけで、どうにも鎮痛剤を作らされていたみたいだ。治療相手の三女が顔を合わせて無事だったと言っていたよ。良かったね、フィー」
「そうではありません。そうではないのに、主様、クレマリーさん良かった」
ボロボロと泣き出してしまったフィーをぎゅっと抱きしめてから、彼はつい疲れからくるため息を吐き出す。座りたくなって狭い部屋に置かれた粗末なベッドにレガードは座り込んだ。しかし、座るとすぐにうとうとしてきてしいまい、自身が想像以上に疲れているのだと自覚した。
「あ! あの、ご迷惑おかけしすみません、主様。私がわがままで」
「ああ、違うんだ。ちょっと魔力を使いすぎて疲れてて。何か軽く飲んですぐ眠りたいんだ」
「そ、そうであれば、かばんの中に隠していた魔法袋が一つだけ今も手元にございます。こちらで事足りますか?」
3年も冒険者を、しかもほぼソロで多くの依頼をこなしていた彼女だ。レガードは彼女がなんだかんだ器用に立ち回れることに軽く笑った。
見た目のギャップに驚く冒険者ギルドの受付担当者も多いと彼はフィーから良く聞かされていた。
「な、なんでしょう、主様。私、変なことを?」
「いや、本当にフィーは頼りになるよ。ありがとう」
彼女が出してくれた水で喉を潤せば、魔力の使いすぎによる眠気がどんどんと彼を襲う。
ぎゅっとフィーを抱きしめて、彼女の額にキスをする。そして、ベッドに横になった。それ以上何かを行う気力がわかなかった。
「主様、他の女の匂いがします」
「いや、薬液の匂いの方が強いと思うん、だけど……」
そのままレガードはまぶたが落ちて眠ってしまう。フィーは不満げな表情をしてから、座った状態から横になってしまったレガードの体をちゃんとベッドに横になるようにして、自分も隣に並ぶように横になった。
レガードの頬にそのほっそりとした手を置く。その手は寂しさで震えていたが、彼の頬のぬくもりを感じると自然と震えは止まっていった。
「お役に、お役に立てず申し訳有りません、主様。ありがとうございます」
この作品の書き出すイメージで一番にあった吹雪の出会い、吹雪に関わるシーンについて他サイトにて音楽のリクエストをしてみました。
直接飛べずお手間おかけし申し訳ありませんが、よろしければお聞きいただいて楽しんでいただけますと嬉しく幸いです。
https://twitter.com/akasimasuzu/status/1411688123176669189
毎日更新していきます。
次話は明日18時更新予定です。お読みいただきありがとうございます。




