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24 死にゆくあなたに

 迷宮都市スピアーノの領主館は緊張の糸がそこら中に張り巡らされたのか静まり返っていた。特に領主ゴースポーがいる執務室は無音と言えるほどにしずかで、身じろぎしようものなら領主の手で首がはねられるのではないかと思えるほどの緊張感があった。

 そして、鍵のかかる狭い部屋に押し込められるように入れられたイリスフィーネは祈るようにただレガードが戻ってくるのを待っていた。



 領主館の窓から覗く外の空は暗く、一部に雲が浮かび隙間のように星空が広がっていた。部屋の中はしっとりとした光で魔灯が照らしている。ベッドに幽鬼のように体だけ起こした領主の三女に向かってレガードは道化のように答えた。


「この街であなたを治せる唯一の人間です」


 レガードのそんな言葉に信じられないと行った具合で彼女は首を横に振った。ぎゅっと右手がベッドのシーツを握ったのが目に取れた。


「そんなみすぼらしい格好をしているあなたが?」

「最低限汚れや匂いは落とされましたよ。服は予備の物を急遽出したので仕方がなかったのです」

「著名な錬金術師や医者、あまつさえサウレゼリカ教の司祭の奇跡さえ治らなかったこの病を、あなたが治せると?」

「サウレゼリカ教の奇跡? はは、笑える冗談ですね」

「なぜです。呪いを解くたぐいはサウレゼリカ教の敬遠なる神官たちの御業です」

「まずは騎士と執事を部屋の外へ。治療のお話はそれからします」

「……信じられません」

「私があなたに害を為すと?」

「こんな私に誰が手を出しましょう」


 彼女は布で隠された顔を横にそむけ、裾を掴んで肌が出ないように伸ばした。左手は完全に隠れており、右手は必死に左手の服を掴んでいる。


「そうであれば、背後の方たちを下がらせていただけますか」

「シャウラお嬢様、いけません」

「いえ、良いのです。大丈夫です。お前たちは下がりなさい」


 同じような問答を二度繰り返され、執事と騎士たちは諦めるように扉の向こうへ消えた。扉が閉められ、レガードは内鍵を静かに下ろす。これですぐに人が入ることはない。内鍵が降ろされる瞬間、シャウラがわずかに怯えるように体を震わせたが、それをごまかすようにベッドの上に座り直した。

 布袋に入っていた瓶を取り出し、彼女へ見せる。彼女は困ったように首を傾げた。


「さてクレマリーについてお聞きしたい」

「治療の話ではないのですか」

「治療の話になる前の一環です」

「……黒い痣の病が治ったというあの錬金術師の女性のことなら、私の服の下の症状を見て自分は治してもらったと」

「ええ、それを彼女が言わなければ領主は僕を呼ぶことなんてしなかったでしょう」

「彼女は今も良くしてくれています。自分が使っていた痛み止めをわけてくれました。私が父様に彼女が治ったと言ったのが原因なのです。私がそれは誰かと聞いても名前を教えられないと言っていたのに……」

「クレマリーは今どちらに?」

「朝に薬を持ってきたので、屋敷の中に居ると思います。鎮痛作用のみという薬は珍しいらしく、今は私のためだけですが」


 どんな扱いを受けているか気になっていたクレマリーの件が穏やかに終了しそうでレガードはホッとした。


「想い人ですか」

「そんな者ではありませんよ」

「ならば、」

「治療は簡単です。あなたは私を信用して眠っていればいい」

「クレマリーのことは」

「もうその話は関係がない」


 バッサリと冷たく切り捨てた彼にビクリと彼女は怯えるように震えた。レガードはそれを見て取って、彼女のベッドの近くへ寄る。手を伸ばせばすぐに彼女の体に触れられそうな位置まで来たレガードへ、シャウラが困ったような反応でわずかだけ彼から距離を取ろうとする。

 冷たい瞳に射抜かれて彼女は動きを止めた。


「だが、契りは結んでもらう」

「ち……ちぎり!? いきなり何を!? 貴族相手に!? みすぼらしい平民がそのような不遜な願いなどと」

「貴族相手だからだ。治療に成功しても僕たちに関与しないと、ゴースポーを必ず説得しろ」

「き、貴族に召し抱えられれば名誉なことと」

「約定を守りもしない貴族を信用などしない。シャウラ・スピアーノ、お前は聞かされていないのか。エヴラールとの約定を」

「白偽剣エヴラールと当家に関係など……」


 その名称を口にしたシャウラは目つきが鋭くなったレガードに気づいて、失言だったと理解した。唯一治療できるとまで言った人間への心象が下がったことにどのように取り繕うか考えたところで、レガードが遮るようにしゃべる。

 レガードは三女の評判ぐらいは聞いている。貴族らしくなく活発な人間だったと言われているが、そこに決してみっともない等の貴族として評判の下がる内容は無かった。おしとやかなご令嬢ではないだけで、目の前の少女は確かに貴族令嬢なのだ。


「そうそのエヴラールにこの家は今回も合わせて二度、借りが出来るわけだ。だが、当主は守らなかった。いや、約定さえ共有していないようだ。だから、僕は今あなたに契約してもらう。約定を履行してもらうために」

「あなたは一体、何を。私とどのような契約を交わそうとも私には権力なんて」

「父親を説得は出来るだろう? 僕の治療を受けるお前は拒むすべがない。死にたいのなら痣の治療を止めさせればよかった。街の商店を閉鎖させ、多くの錬金術師、薬師を強制的に連行する。冒険者はダンジョンにこもるのを躊躇し、街中の魔石取り扱いは減少して高騰していく。そんな行いを自分が死にたくないと認めたんだろう」

「そうではありません。そうでは、無いのです。私は周り者が私を見て悲しむのをやめて」

「ああ、嘘を言うな。黒の絹を身にまとっているんだ。なら、サウレゼリカ教の教えの黒真を守るべきだろう、シャウラ」


 彼女が怯えて体がすくんだ瞬間、レガードは彼女の顔を隠していた布を取り払い、その口を手で塞ぐ。驚愕に固まる彼女が細腕で懸命にレガードの腕を剥がそうともがいても、所詮少女では力も体躯も違い過ぎた。彼女はダンジョンにお遊びでしか潜っていないだろう。そんな人間がレベルの高いレガードの身体強化で掴んだ手を振り払えるはずもない。

 黒の痣が広がった首を左手が握り込むように添えられる。鮮烈な赤い髪にきめ細かな肌はきっと平時であればとてつもなく異性の気を引いただろう。しかし、その彼女の肌は黒い汚泥の痣によって見る人へ不快を与えてくる。赤い髪にも本来皮膚の病に関わる痣であれば広がらぬであろう、黒色が点々と広がっていた。

 彼女の顔の半分をすでに汚泥のような黒の痣が侵食していた。レガードが想像していたよりも早い侵食度合いだ。

 そして、彼は彼女がどれほど痛みに苦しんだのか想像がついた。だから、使えると思った。


「逃げるな、シャウラ・スピアーノ。黒い布の奥に見られたくないと逃げ屋敷から動かず、ただそうして誰かに助けてとすがった結果だ。本来は死ぬ運命だった。だが、お前は偶然生き伸びる術ができた。本当はお前以外も同じように死んでいく人間がいたかもしれない。けれど、お前は死なない。今ここにあるたった一つの薬がお前に使われて、それでお前は何が出来る? また貴族のお嬢様として生活しますとでも僕に言うのか? だったら僕は今すぐお前の首を絞めてこの屋敷から逃げ出そう」

「う、ううううぅぅぅ」


 空いた手で彼女の首に添える。塞がれた口の奥からわずかに漏れる泣き声に、ポロポロと涙を溢れてさせて流す彼女は目の前の人間が自分を治療する善意の人間ではないと理解できた。

 わずかに力をこめたレガードの手が彼女のほっそりとした首に脅すようにすこしだけ指が食い込む。口を塞いでいた手が離され両手が彼女の首にかかる。


「もう一度言う。逃げるな、シャウラ・スピアーノ。誰かに助けられるというなら、その救いの分、お前には働いてもらう」

「私に! 私なんかに! 私なんかに何をしろと」

「紫水晶ダジョンの最奥の秘宝、それを差し出せ。師エヴラールよりスピアーノ家へ預けられたそれを」

「なぜそのようなもの」

「なぜか? なぜか」


 レガードは笑った。自身でぺらぺらと喋り、けれどレガードは自分が追い詰められている気持ちになっていた。だから、その笑顔はとてつもなく諦観を含んでいた。


「シャウラ、君はどれほどこの世界を知っている。貴族ならさぞ高名な教師に習っただろう。歴史を学ぶ間にダンジョンが自然の産物と語られて信じたか? 自身の生活を豊かにしてくれるものと信じたか?」

「ダンジョンは魔石を生み出し、私達の生活を豊かに……」

「ははは! そうだ生活が豊かになる都合のいい存在だね」


 部屋の明かりも、小麦の製粉作業も製鉄のために生み出す熱さえも気づけば魔石による動力で動かす魔道具に依存している。そしてその魔石はこの大陸にあるダンジョンの特に水晶と名のついたダンジョンに依存している。この王国で最も発展した街はどこかと問われれば、最大のダンジョンを擁する王国首都だろう。

 あそこには雨水龍(うすいりゅう)が抱いた青水晶ダンジョンが存在している。スピアーノなぞ東の秘境に近い北東寄りの領だ。貿易をするには不便なせいでダンジョンの規模と冒険者の質量は釣り合っていないと言えた。だから、師匠はここに居を構えてだらだら過ごし続けた。もしもの時があれば崩壊する可能性が一番高いのがこの街にあるダンジョンであり、同時に人手が足りないゆえに組織の手がわかりやすいはずの場所だからだ。


「けれど、恩恵だけでなく大暴走で街の危機も。大陸南西の教国領にあった街もかつて藤黄水晶ダンジョンのスタンピードによって滅びて」

「そうとも滅んで、街には大蛇の魔獣が住み周囲一体を穢土(けがれつち)で覆い、よほど高位の魔力持ちでなければ近づくのも不可能になった滅びの地だ。かつての領主が我が師エヴラールが連なる一族との約定を破った結果作られた愚かな産物だ」

「あなたは、本当に何を知って」

「約束した。約束したんだ! だから、僕は世界を救ってみせる。

 その始まりに紫水晶ダンジョンに眠るモノを開放する。そのためにスピアーノ家に渡った魔石が必要だ。だから、君にそれを手に入れてもらおう」

「あなたはっ」

「さあ、逃げることは許さなくなったシャウラ。僕は君を救おう。君が僕に従うならば、だ。救われたくないと言うのであれば、僕はまずクレマリーの薬をお前から取り上げよう。穢土(けがれつち)による苦しみで痛む君が死にゆくその時まで恨むと良い。薬の効きが悪いと、治療をしていると誤魔化す僕を憎しみの目で見つめて弱い君は呪うだろう。だが、それだけだ。今の君が治ろうとも治らなくとも君に出来るのは結局それだけだ」

「私は、私はっ! 私はそんな!」

「だから、僕が世界を救うその時までシャウラ、僕と共に行こう」


 彼の腕にある青い宝玉がついた白い金属できたバングルに魔力が寄り集まり宝玉から糸が作られて広がっていく。

 あたかも意思を持つように動くそれは、彼らを囲むように円を作り魔法陣を描いていく。

 逃げて、逃げて、逃げて、逃げた彼女に何を選べるだろう。レガードは生まれ故郷でそんな人の存在を教えられた。血の使命と語らえたそれを拒否して冒険者となるために教国へ向かい、そして、彼の家族は子供を追って子供とともに死んだ。

 血の使命を全うせずに一族は死んだ。

 傍系のただ一人の酒好きだけを残して。


「私は死にたくない」

「……ああ、シャウラ・スピアーノ。本当に、君は本当に自分本位で救いようがないね」


 共に行くということがどんなことか想像もつかず、覚悟もなく、けれど死にたくないとすがるだけ。

 家への恩のためにと健気に努力してきた少女は痛みの中に壊れて死んでいた。街を馬で巡って気まぐれに平民に笑顔を振りまいていた少女は、自分が助かりたくて人の営みを壊し自分のために動かすのを止められなかった。

 レガードは練る魔力を増大させる。紡がれる糸が加速し、二人を囲む魔法陣を作り込み、彼の指から彼女の首を覆っていく。涙をこぼしながらただ彼に従う彼女は青白い魔力光に美しく照らされていた。


『北天の空より鐘の音が鳴り給う。紡がれし糸は解けず汝を(しば)る。

汝シャウラ・スピアーノよ、我レガード・フィルグレイシアと契れ。

白銀(はくぎん)の眠りが二人を別つまで』



 その魔術の詠唱を行うのは3年ぶりだった。

 前に使ったのはイリスフィーネとの出会いの時。そのことが彼の頭の中で光景がフラッシュバックする。


 スピアーノへ向かう街道に放置された荷馬車。街道から外れた森の中。

 粗末な服を着せられた多くの死体。

 穢れが脚に見て取れた、他とは異なり念入りに矢が刺さり頭まで燃やされた死体。

 顔を見知った奴隷商人の死体。

 そして、黒い痣が広がりもはや死体と誤認するに成り果てた、

 唯一生き残ったエルフの少女。

毎日更新していきます。

次話は明日18時更新予定です。お読みいただきありがとうございます。

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