21 雨水龍は西方へ去りて
◇ヤック視点
夕暮れに森の手前までたどり着いたヤックたちは森に入るのを次の日に回した結果、雨水龍の通り道に巻き込まれ立ち往生することとなった。
「ちっ」
イライラを露骨に表すヤックの舌打ちがテントの中に響いた。
身動きしやすいように荷物を少なめにした結果、テントは手狭なものしか用意できなかった。
木々を使った布天井を張ってはいるが、それもテントの入り口を近づけた密集した部分にしか張れていない状態だ。テントの入口を開ければ、不機嫌そうな顔のパーティーメンバーを見ることになって鬱陶しい雨と合わさり嫌になってテントの中で横になっていた。
「ヤックよぉ、そんなにイライラするなら雨の中ヤックだけで先に行くか?」
「ちっ。うるせぇな。わかってんだよ。だけどよぉ」
「ヤック静かに、して。私夜番だから眠い」
「あ、エルミ、悪い」
「ふん、尻にしかれてるな。ヤックよー、楽しいこと考えときゃ良いのさ。あいつからまた金を巻き上げて、貴族の領主からもらえる報酬で何に使ってやろうかってな。しばらくめんどくさいダンジョンでの金稼ぎもしなくて良いんだぜ?」
「ああ、そうだな」
「ヤック、眠い……」
エルミの言葉にすぐに口を閉ざしたヤックに、やれやれとルドッカは首を振って暇つぶしのために目をつむった。
エルミに気を使って黙ったヤックも退屈を紛らわせるものがないため寝転がる。1年近くだらだら遊んで暮らせる金に、レガードからさらにいくら巻き上げられるか。それを考えて自然とニヤニヤ笑いがヤックの口元に浮かぶ。
しばらくダンジョンに行かなくてもいいなら、エルミといい加減に距離をつめたほうが良いんじゃないか。そんな未来を夢想しながら、テントを打つ雨音に耳を傾けた。
結局雨水龍の通り道が終わった翌日、ヤックたちは森の中へ足を進めた。森の中は鬱蒼としており、獣道よりはマシな小道が一本ある程度だ。
それは迷宮都市スピアーノとは一直線になっておらず迂回する形になっている。
「この道を進んでいけば向こうが帰りでもぶつかって大丈夫だろ?」
「たしかにな。まさか森の中をまっすぐ進むわけもないしな!」
「さーて、暴れられないように縛るための縄はちゃんと確認しとけよ~!」
意気揚々と雨でぬかるんだ道を歩き出した。
◇
雨水龍の通り道が終わった翌日、レガードはテントの外に出て空を見上げた。昨日の激しい雨と暗い雲はすっかり姿を消して、晴れ渡る空が広がっている。
しっとりと羽毛に昨夜までの雨を含ませたメドリアが優美に空を飛び、朝を告げるように明るい声で鳴いてレガードたちを出迎えた。
「おはようメドリア、いつもありがとう」
バサバサと羽ばたき音をおこして降りてきたグリフォンのメドリアへ妹のように慈しみをもって、その体を優しく撫でた。
遅れて慌てたように起き出したフィーが姿を見せて、フィーがペコリと頭を下げた。彼女は最近起きるのが遅い。彼が眠る直前、いつも彼女の小声のつぶやきが聞こえているからだ。知りたいことがあるけれど、やはり聞くのが怖いのか彼女は小声に出しては我慢して、そしてもやもやとした思考を解消できないために眠りが浅くなってしまっている。
しかし、彼自身説明する勇気がまだ持てていなかった。エルフと相反する存在について説明した場合、幼い頃よりおそらく教わり学んできた彼女がそのことを受け入れるかずっとわからないからだ。
愛情面においては嫌われていないとかそういう判断が簡単についたのに、実際に人生や教えとかそういう曖昧なものにおいて彼女へどこまで踏み込めるのか彼にもわからなかった。きっとその時が来るまで分からないのだろうと、彼自身どこかでそう思っていた。
レガードはフィーと簡素な挨拶をかわして今回は魔法袋に保存していた軽食を朝食にして胃に入れる。
「雨水龍の通り道で予定がずれ込んだ。仕方ないから急いで街に戻ろうか。急ぐとしたら通り道は使わずに森を直進かな」
「私がいれば大丈夫です! 主様!」
森はエルフにとっては高難易度のダンジョン化さえしていなければ、どこであろうと庭みたいなものだ。この森は奥にさえ行かなければ問題のない場所のため、レガードとしてはフィーに先導を任せるつもりだった。
それを感じ取っているのか、フィーは自身が役に立てるということに対してとてつもなくやる気を見せている。
手早くテントを片付け、フィーの先導に従いつつ足早に森を進んでいく。
当初森に入ってきた時とは違う、大きな唸り声と小さな木々なら吹き飛ばしそうな咆哮を上げるウォータードラゴンの群れが彼らの行く手を阻むまでは、たしかにフィーの先導による森踏破は順調だった。
フィーの自信満々の顔はウォータードラゴンの群れと出くわした瞬間、ひどく申し訳無さそうなものに変わってしまう。
「雨水龍の通り道の後は魔獣が活発になりますが、これほど森の中で停滞するのは一体どうしてでしょう?」
槍を構えるレガードの横でそんなフィーの悩むようなつぶやきが聞こえた。ウォータードラゴンと呼ばれる小型の首長のドラゴンモドキのトカゲは別に森だけを住処にしているわけではない。
ただ草原よりも湿気が留まりやすいため森の中を中心に活動しているのだ。雨の日やその翌日などは、広々とした森の外で動き回っている姿を見ることも出来る。
だからこそ常ならばこのように密集したりしないのだが、目の前に広がる群れにフィーはひときわ困惑した表情をしていた。
レガードが背中を叩くように声を上げる。
「行くぞ、フィー。メドリア、牽制、氷柱!」
「きゅる!」
応じるように鳴いたメドリアの周囲に冷たい氷柱が展開される。水気が強いとメドリアの氷系統の魔法は精製が早くなるため、展開された氷柱の数は最初に森に入った頃から比べれば倍以上に増えていた。
レガードも魔力を練って身体強化を強くしていく。余剰魔力が自然と彼の体に刻まれた魔力紋を伝っていき、青白い光を灯して袖の下から溢れていた。
魔獣の量が多い。
だが、レガードにとってソロでダンジョンの不人気階にこもれば常の光景だった。空気が魔力紋からあふれる冷気でわずかに冷やされ、氷柱が飛ぶのと同時にレガードは踏み込んで飛び込んでいく。
「はっ!」
槍を左から右へ大きく薙ぎ払い、力強く踏み込んで連続して袈裟斬りに振り下ろす。身体強化へ回された魔力量は先日の時と異なり、その2度の動きだけで数匹のウォータードラゴンが鱗に阻まれること無く首を切り落とされる。
「GYAAAAAAA」
目障りな声を上げたウォータードラゴンが、左右からレガードを囲もうと動くのを、背後を取らせまいとフィーがダガーで切りつけ、メドリアの氷柱が突き刺さって息絶えた。その光景を見たウォータードラゴンたちが唸り声を大きくして、彼らを威嚇する。
魔獣が足を止めても、彼らは動きを止めなかった。
ぬめりをもった青緑色の鱗をにらみつけるレガードの顔が写り込んで、そしてその鱗は真っ二つになり支えを失って血溜まりの地面へと落ちていく。
あれほど生き生きとしていた群れはあっけなく殲滅されて、無残に地面に打ち捨てられていく。騒がしかった森は遠くの鳥の鳴き声が聞こえるほど静かになって、代わりに鉄の匂いに誤認する香りが充満していた。
ミスリルについたぬめりと血を拭って、手早く鞘へ収納したレガードへフィーが声をかけた。
「主様、素材はとっていきますか。これほどの量だと時間もかかりますし、選別することになるとは思いますが」
「ミスリルで主要装備は固めているんだ。クエスト分以上は要らないよ。急ぐから申し訳ないけどそのままにしよう。クエスト自体は失敗判定受けたくないんだ」
「そんなに不安ですか? 今回のクエストも雨水龍の通り道がありましたのでギルドも気にしないとは思います。私も過去雨水龍の通り道があった時には期限が一日伸びておりました」
「ああ、フィーはきちんと恵まれてたんだね。良かった。色々あるんだよ、色々と」
苦笑いを浮かべたレガードへフィーは不思議そうな顔で首をかしげたが、結局レガードは口にすることはなかった。わざと自身の評価を上げない報告書を出し続けていた経験として理解している。冒険者ギルドは結果を残せない人間の些細なミスに対して善意を振りまくことは無いからだ。
魔獣たちの死骸を放置して森を進み、木々の邪魔がない平原へとたどり着いて、目の前に広がる人の集団を目にした。瞬間、レガードはメドリアの召喚を止めて彼女を還す。森に出てくる寸前で、青い羽毛を持ったグリフォンはそこから姿を消した。青白い燐光がさらさらと空気へ溶けて消えていく。
銀色の胸当てなど一部金属の鎧に身を包み、そこらの冒険者では借りられぬような体躯の立派な馬に乗った人間たちが彼らを出迎えるように馬の足を止めた。
深いしわが刻まれた顔が破顔する。街で出会ったときは好々爺と思えるような雰囲気をしていた。しかし、馬に乗り鎧や剣を携えたその姿は老いても消えぬすごみがそこにはあった。
レガードは槍に手をかけようとして、その動きでデュドールとその周囲の鍛えられた騎士たちが素早く剣の柄に手を伸ばしたことで動きを止めた。代わりに諦めたように両手を肩まで上げる。その動きで幾ばくか、レガードに向けられる騎士たちからの警戒感が緩和された。
「なんという僥倖じゃ。これから森へはいるための道へ向かおうとした頃に、相手から来てくれるとはな。先んじて向かわせた冒険者は、おらんのか?」
「デュドール殿。……冒険者? 僕らは誰にも出会っていませんよ」
「なるほど、役に立たぬのぅ。冒険者レガード、フィー、両名はいますぐ領主館へ出頭せよ。拒否抵抗する場合は命しか保証できぬ」
「主様!」
「何も悪いことなどしていませんが。強いて言うならデュドール殿との約束を失念したぐらいでしょうか。出頭理由をお聞きしても」
「貴様、べらべら口を動かす前に」
老将デュドールの傍で同じく馬に乗っている身なりの良い騎士が険しい顔でそう口にしたのを、老将の手が止めた。その姿は様になっており、発せられる威圧感にそれまで苛烈な気迫を見せていた騎士は動きを止め、あたかも人畜無害な一般人のような雰囲気になってしまう。
「お前は黙っておれ。ふむ、お主がわしに顔を出しておればこんなことにはならなんだな。出頭理由は、領主三女の病を治療の術があるならば治療せよ」
「……クレマリーですか。口が軽いですね」
「主様、クレマリーさんはそんな」
「あの錬金術師はそんな口の軽い人間ではなかったゆえ、それだけは信用してやるがいい」
「なるほど。抵抗して痛い思いもしたくないので、僕らは出頭に応じます」
救うべきではなかったか。そんな言葉がレガードの頭の中を巡って、そんな自分の考えに虚しくなった。救わなかった場合、隣に立つ小柄なエルフはここには居なかったと想像できたからだ。
どれほど主様主様と彼女が言おうとも、縛りのない彼女は愛想を尽かせば彼から離れることなどいつでも可能だった。金もある。生きるすべもわかる。もう里から放逐されてさまよっていた力も金も知識も持たぬ幼子では無い。契約は未だ不完全なままでしか維持できていない。
イリスフィーネがレガードと一緒にいるのは、彼に愛想をつかしていないだけだからだ。だから、クレマリーを救わない選択肢はなかった。
雨水龍の通り道によって連れ立って消えたはずの灰色の雲が一部空に残り、ゆっくりと沈んでいく夕日を徐々に覆い隠していく。
雲のせいで通常より早く暗くなりだした草原は、晩秋の冷たい風が吹いていた。
◇
『汝、あまねく雨を見やることなし。雨はついには枯れ果て大地を去る。
しかして人は黒天へ祈る。この大地に恵みあれ。
東の果てに佇む藍錆色たる龍は蛇とも思わす長き巨体をくねらせその身を起こす。「黒天より請われ我は人の望みを叶えし、我が雨水龍なれば」
さすれば、大陸は雨を恵まれし。されど大陸を雨が押し流し、人の村を破滅へ導く。
黒天は声を上げ、西の果てに咲きし赤錆色の龍と人を引き連れ曰く
「汝、人の世を守らぬならば。我は人の世を守るモノ。汝の暴雨を許容せず」
雨水龍は静かに東の果ての湖で佇み曰く「我が雨水龍なれば」
人の前に立ちし黒天は曰く「なれば汝を討滅す」
藍錆色の龍はその目を閉じて曰く「なればそれが運命ならば」』
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次話は明日18時更新予定です。お読みいただきありがとうございます。




