20 雨水龍の通り道
レガードが目を覚ませば、ざぁざぁと激しい音が世界を支配していた。
朝食を取ってからわずかに開けたテントの入り口から空を見上げたレガードの言葉に、フィーが困った顔をして答える。
「雨が強いな」
「気づけばいきなりこんなに強く降り出していました。この感じはもしかしたら雨水龍の通り道かもしれません、主様」
「あー、あれか。前日から急に天気がかわるから旅人には嫌なやつだな」
“雨水龍の通り道”この大陸において一年の間において起こる気象現象の一つだ。
東の地域から始まり、一部の地域で激しい雨がほぼ丸一日続く。それが毎日移動するように隣接する地域で繰り返されて大陸をぐるりと一周していくのだ。東の果てに住むと言われる雨水龍が通ると雨が降ると言われており、そこから雨水龍の通り道と呼ばれる気象現象だ。
だが、その雨水龍も実際に見たことがある人物は現在にはおらず、大昔の書物や口伝で伝わるのみだ。そして、今の世の中では草原の最果てにある東の果ての湖に向かうものも居ない。四秘境は伝説となり世の中に存在が伝わるのみで、生きたものによって観測されたものではなくなっていた。
王国にある草原の東の最果て、エルフ最大の里が広がる世界樹の大森林の先にある南の最果て、教国にある西の最果て。そして中央にあり大陸をほぼ半分に分断する形となっている秘境の山。その四秘境の先に向かった冒険者が戻ってきたという記録はどこにも無い。
「ウォータードラゴンは水気を持つ魔獣です。雨の日ほど活発に動くかもしれません。森の中だと私は困りませんが、主様は大丈夫ですか」
「フィーはいざとなったら木々の枝を飛び越えていくんだっけ? エルフは森となると身軽だね。僕は地面を走るからぬかるみが増えるとつらいかもしれないな。丸一日採取と素材集めに走ったから森の外まで出て休息にしようと思ってたのに」
「雨水龍の通り道の真っ只中にさすがに移動は厳しいです。今日はこちらで動かない方が良いと思います。休めるかどうかはわかりませんけれど」
彼女が不安げにそうつぶやく。テントの中だけでこもっていれば通常は魔獣に狙われて危険になる。しかし、レガードは笑って首を横に振って彼女の不安を否定した。外にいて雨の中、悠然と歩くメドリアを知っているからだ。
夜に月さえ見えぬ深い森の中で休む時も、ソロで潜ったダンジョンでの休憩の時でも、長期間に渡ろうがメドリアは苦もなく彼を助けた。その分、メドリアを呼び出すための魔力はかかるが、差し引きを考えれば冒険において圧倒的なアドバンテージがそれだけある。
人間としての活動に限界がある中、グリフォンのメドリアはレガードを支え続けた存在だった。
「魔獣はメドリアに任せよう。よほどの魔獣が来ない限りは大丈夫だよ」
「精霊?といえども疲れるのでは」
「僕がスピアーノに来るまでの旅で夜に警戒してくれたのはメドリアだ。あの頃からペースはわきまえているし、いざとなったら氷でこっちを閉じ込めてくるから」
「風の精霊みたいな結界でもあるのですか? 主様の契約されている精霊は多彩ですね。」
「あはは、そんな良いものじゃないよ」
不思議そうに首をかしげるフィーに、それ以上の説明をすることなく、彼は本を取り出してそれを読みだした。フィーも魔法袋にしまっていた数少ない本を取り出しそれを開く。雨音が流れ落ちていく音楽がテントの中を埋め尽くしていく。
しばらく本を読んでいたフィーが、口を開いてぽつりと小さな声をこぼす。忙しさとレガードが押していた事で逃避していた事柄に目を向ける時間ができたからだった。
「クレマリーさんは私を許してくれるでしょうか」
「……クレマリーさんとはどれぐらいの付き合いだった?」
許してくれるとも許さないとも言えなかったレガードは逃げるようにそう尋ねれば、フィーはそんなレガードに謝るように笑ってから、口を開いた。
「あれは今日みたいな雨水龍の通り道でした」
◇
「雨ですか」
冒険者ギルドに向かうために起き出した私は、宿屋の窓から見える外の激しい雨模様に自然と眉間にシワができた。手慣れた手順で旅装と防具を身につけ、すっぽりと体が隠れるフード付きの外套を身につける。
宿に併設された食堂で味気のない食事を流し込みつつ、周囲の会話を探れば今日は休みだなという会話が広がっていた。しかし、世の冒険者が休もうと、私はよほどのことが無い限り休むわけにいきません。主様から重要な使命を帯びているからです。
「いってきます」
「ああ、通り道の日にでかけるのかい? 宿に戻る時はなるべく床を濡らさないでくれよ」
「はい、わかりました」
宿屋の入り口付近いたこの宿屋の店主に声をかければそんな注意を受けた。確かに外に出てみれば、痛くなるほどの激しい雨が外套を叩いて踊る。
軒先や屋根下でのんびりと雨を見る人以外存在しない街中の道を駆け足で冒険者ギルドへ向かう。こじんまりとした中級向けの宿屋で生活しやすい場所だが、冒険者ギルドからはかなり遠すぎた。
冒険者ギルドの入り口にたどり着けば外套の中にも飛んだ水でしっとりと濡れて不快さがあった。
「ギルドに入る前にしっかり水滴などを払ってくださいね」
「はい」
宿屋と似たような指摘を受けてしまいました。私がしっかりと手で水滴を払えば扉前の石畳にたくさんの水滴が落ちていき、その石畳の色を変えた仲間の雨水たちに合流していく。
ギルドの中を覗き込めば、職員以外誰も居ないため外套を脱いで絞ってから入る。私へ注意をかけた女性職員が私の姿を見て驚いた顔をした。顔なじみに職員だったのでほっと安堵の息が出た。
「フィーさんでしたか! フードとっても良いんですか?」
「誰もいなさそうなので」
「そうですか! 今日はどうされたんですか。雨水龍の通り道みたいなので、冒険者の方はすでに外に出た人やダンジョンから戻ってきた人ぐらいしか普通来ませんよ」
「それでも何か動きたくて。何かクエストがありますか?」
「雨ですもんねー。やはりダンジョン内へ行くのが良いでしょうけれど」
そのままパラパラと探す彼女に、ふと掲示板に貼ってあった依頼票が気になって手にとって彼女へ見せる。その依頼票には至急というスタンプが押されているが、締切自体は今日までだ。
ダンジョンがある迷宮都市住みの冒険者が厭う街の外の森にある薬草集めの依頼だった。
「これ行きます」
「あまり割の良い仕事ではありませんが良いのですか? フィーさんの実力はわかりますが、こんな日だと」
「いえ、大丈夫です」
依頼を受けて足早に外に出る。冒険者ギルドの扉を越えたそこで、ポンとフード越しに頭を優しく撫でられた。その人は雨音をぎりぎり越すぐらいの声量で私の鼓膜を震わせる。
「おはようフィー」
「おはようございますっ、主様」
それだけだ。何もなかったように彼は私を置いて扉をくぐって中に入ってしまう。もっと声をかけたい、話したい。そう思って話せるのは、彼から手紙が来て指定された食事店で顔を合わせる時と、ダンジョンに潜るスケジュールが噛み合った時ぐらいだ。頻度は多くはない。
ソロの間は彼の願い通りに依頼をこなし冒険者の級を上げてお金を稼いでいた。お金に困ってるのだと思ってお金を渡そうとしても逆に私自身の装備や生活の質の向上を命じられてお金を渡される始末だ。最初に冒険者として登録するためのお金や装備だって全て彼に用立ててもらった。
「主様は私に何を求めているのでしょう」
そんな言葉をずっとぐるぐる回り続け考えながら、街の外、少し街道から外れた森に入り薬草を集める。雨水龍の通り道の雨を浴びた薬草はとてもつやつやとしており、いつもならば雨の少なさに不満を見せるようにしんなりとしている葉が青々と輝くようだった。
魔法袋に臨時用として一部の薬草を保存し、満足して依頼分の薬草を束ね提出用の袋に片付ける。この魔法袋も主様から融通されたものだ。魔法袋などよほどの地位の者か最上級の冒険者ぐらいしか手に入れられないだろう。それをあっさりしかも、容量が想像よりも大きいのを2つも渡された。このおかげで私の冒険者活動はかなり楽になっていた。
雨が騒がしい。天候不良を冒険者は嫌う。それは当然だ。けれど私は雨の中で、誰にも咎められることもなく活動できるのが好きだった。みっともなくハイエナのようにあさましくこちらを付け回して盗みを狙うような連中がおらず、自由に動き回れる雨の日は気が楽だ。
それは偶然、主様に会える確率がとてつもなく高いというのもあるかもしれない。
彼のパーティーはダンジョン攻略と魔石集めが中心にも関わらず、ダンジョンに入る前に雨だった場合は休みになるのだという。彼はそんな休みの日もクエストやダンジョンの魔石集めを行っているという。
「本当に、主様は何を求めて行動されているのでしょう」
私には答えがわからない。でも、彼が求めるなら頑張ろうと思う。そんなことを考えて昼をかなり過ぎて、もうまもなく夕方になろうとする時間に冒険者ギルドの扉をくぐった私に、私より2つ3つほど年上らしい女の子がすごい勢いで近づいてくる。
「あ、あなた、もしかして薬草を?」
「え? あ、はい。依頼があったので集めて来ましたが。もしかしてあなたが?」
「ありがとう。ありがとう。お母さんのために必要なの」
外套を脱いだ濡れた私の手を強く握りしめた彼女は、深々と頭を下げて深く沈み込む声でそう答えた。依頼票には依頼主の名前が載っていることがある。緊急性が高い場合に知り合いに目が止まりやすいための処置ということだ。
『治癒、麻痺各ポーション用の薬草を求む。クレマリー』
集めた薬草で作られた痛み止めを飲んで彼女の母親は落ち着いた。昔に冒険者をやっていた時にできた古傷が痛むということだったが、在庫が切れそうなのに中々素材が集まらなかったそうだ。流されるように彼女のお家にお邪魔すれば、クレマリーさんとその母親に私は大いに感謝された。
そしてクレマリーさんの母親はエルフの耳が短く切り落とされている意味を知っていた。いつもはフードを目深にかぶっているということまで口にしてしまえば、クレマリーさんは私の手を強く握って友達なんだからいつでも声をかけてねと、そう言ってくれた。
「ご迷惑をかけかねないので」
「もう私とあなたは友達よ。私もあなたに迷惑をかけるかもしれない。あなたが私に迷惑をかけるかもしれない。友達なら、当然あることよ」
朝日の方を向いて咲く大輪の花のように快活な笑顔を見せる彼女に押される形で、私は彼女とよく話すようになった。
◇
雨水龍の通り道の深い夜、ゆっくりと東から月が登ってくる姿を見られる。東から北を通り西から南、そして東へぐるりと回る関係上、夜の東を見れば人々は雨の向こう雲が消えた空に月を見ることが出来る。
まだ雨音がテントを楽器にする中で、レガードはゆっくりとフィーの頭を撫でた。クレマリーとの出会いから仲良くしていた頃の話までして、そうしてどうして自分は彼女の変化に気づけなかったのかと思い悩むまでを話し、泣きつかれたフィーは彼の隣で穏やかに眠っている。
レガードが途中で投げ出した本のページが虚しく文字を紙の上に広げていた。
次話は明日18時更新予定です。
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