19 北東の森②
秋の朝霧が満ちた森の中で、グリフォンの鳴き声が響く。その声で起こされたレガードがテントの外にでれば、少し離れたところに夜中に姿を見せたのだろうフォレストウルフが数頭氷漬けから粉々にされた姿が見て取れた。
メドリアが満足そうにそれを見せる姿にレガードは頭をなでる。心地よさそうにメドリアが鳴いた。そんな小さなグリフォンの頭を撫でる感触は、妹を撫でた頃を思い出されて彼の手が震えた。
「動き出したんだ、だから頑張らないといけない」
「きゅ」
「わかってるよ、忘れてない。5年も経ってからごめん。まだ、覚悟が不足していて」
「きゅ」
戦闘中に出すような鷹を思わせる声ではなく、可愛らしい声をあげたメドリアがテントを見つめてから木の枝に飛びのった。グリフォンの青い瞳がレガードを見下ろし、小さくその喉を鳴らした。
その瞳は先程までの無邪気な様子は無い。グリフォンとしばらく見つめ合ってから逃げるように目をそむけた。メドリアと契約する形になったのも自身の覚悟の表れではなかった。
自分の覚悟の足り無さに苦笑いが出てしまう。レガードが焚き火の準備を始めればメドリアは器用に氷の精製を使って地面の中へウルフたちの死骸を埋めて片付けた。
焚き火をつけてしばらくするとテントの扉が華奢な手によって開かれた。透き通る声がそろりそろりと伺うようにレガードの鼓膜を震わせた。
「主様、その、おはようございます」
「おはようフィー、紅茶を入れるから魔法袋からパンをよろしく」
「あの、えーっと、その、はい」
恥ずかしげに顔をそらしつつ言葉少なに答えるフィーに少しだけ笑えば、フィーが顔をさらに真赤にさせた。額へのキスだけだが異様にギクシャクとした空気がレガードとフィーの間に流れていた。フィーはどうしようとおろおろと顔を真赤にしたままあっちへふらふらこっちへふらふらとさまよっていた。
それを見守って笑ってから、レガードは黙って手を動かして魔法袋に溜め込んでいる水を取り出して焚き火で沸かし、紅茶を3つ用意する。
器用にメドリアは氷を入れて温度を調整してから飲み始めた。しかし、濃く作った紅茶が気に入らなかったのかメドリアが抗議の鳴き声をあげる。
結局フィーがパンを取り出すことを忘れていたので、レガードがへたり込むように倒木へ座り込んだフィーにパンを手渡す。レガードとフィーもパンを食べながら、コップから濃い目にいれた紅茶を流し込んだ。チラチラと何度も目がレガードを見てはごまかすフィーへ声をかける。
「フィー、僕の顔になにかついてる?」
「いえ、主様、そういうわけでは」
「……昨日はいきなりごめん。不安だったんだ。フィーが嫌だったら本当にごめん」
「いえ、その、嫌では無いのですが、本当にいきなりだったので覚悟というか、そういう関係になったのか、そういう、あわわわ」
「一緒にいてほしいのはこれからも言うよ」
彼女の手を取って近づけば、目をあちこちに逃げるように泳がせていた。さらさらとした髪の感触が指を伝わり、恥ずかしげにしながらもくすぐったそうな表情をしたフィーがうつむいてしまう。彼女の首についたチョーカーがうなじからのぞいた。
レガードは手を握り、彼女の指にはめた指輪が彼の指先に触れた。この大陸において左手の中指にはめる指輪の意味は彼女も理解しているはずだ。相手から贈られた指輪を中指にはめるのは人生をともにする覚悟の発露だ。
(でも、本当に僕はそんなお願いをこめて彼女にこの指輪を贈ったと言えるのだろうか)
そんな思考が浮かび上がって消える。指輪をねだった妹弟子の姿が思い出された。その時は妹弟子が屈託な笑顔で中指に指輪をはめた意味を理解できなかった。妹弟子は教国首都で活動しているはずだ。彼女は今もあの指輪をつけているだろうか。
現実逃避気味な思い出にひたるのをやめて、うつむいたままのフィーに声をかける。
「準備をして薬草を集めよう。ほらほら急いで。ウォータードラゴンも何体か狩れば依頼分は終わるし。1日は森の外でゆっくり休もうか」
「はい、主様!」
恥ずかしさをごまかすようにフィーは慌ただしく動き出し、レガードもそれに続いた。二人の準備が終わるまでにメドリアが新たにウォータードラゴンを1体仕留めて自慢気に佇んでいた。その姿にレガードは笑って、礼を告げてウォータードラゴンを回収する。
会話を理解してくれるため、今回他の魔獣とは違い牙は無事だ。しかし、ウォータードラゴン特有のぬめりを持った鱗は氷でボロボロになっていた。牙に比べれば格が落ちる素材とはいえ少々もったいない状態になってしまった。
フィーが結局困ったように笑ったことにメドリアが不服そうな声をあげる。そんな光景が微笑ましいものに彼の目には映った。
森として人が入ることが出来る最奥に位置する泉へとレガードたちはたどり着いた。泉の周辺は秋というのに青々とした草が広がっているが、泉自体には枯れ葉が水面に大量浮かんで物寂しさがあった。
「きれいです、主様。ここまで奥には人があまり来ないからでしょうか」
「ああ、ここは全く汚染されてない。もっと先に行けば人が生きるには厳しい状態だろうね」
「エルフは南によっていてあまり北の森には住んでいないと聞いています。ここはこれほど綺麗なのにどうしてエルフはこの先に広がる森にいないのでしょうか」
「さあ、理由があるんじゃないかな? でも、エルフのことならフィーの方が詳しいでしょ?」
「そうなんですが、結局父様もどうしてか説明してくれたことはないので」
「そっか。なら、僕もわからないな」
彼女はスピアーノでこの地域について調べたことがあった。そして、彼女自身が学んだ知識でも北に寄った森には、どれほど広大な土地があってもエルフの里は存在しないと教わっていた。フィーはそれが不思議だった。
彼女の両親は、「エルフは人口が増えれば森が手狭になるのが問題になる」といつも言っていたからだ。そして、広大な森があれば里を作って行くのがエルフとも教えられてきた。
森は原理的な獣人族とエルフがこぞって土地を広げる場所なのだ。だからこそ南の秘境に近づくことになろうとも、エルフ最大の里と獣人族最大の里は最も森深き南の大森林上に広がっている。
レガード達が採取クエストとして受けていたルソラ草はすぐに見つけることができた。少々大きい泉の北側に群生していたためだ。フィーと手分けして薬草を集めれば昼過ぎには作業を終えてしまった。
午後はメドリアと合わせて周囲の魔獣を狩ることで低位の素材を集める。
順調に過ごし、夜には昨夜同様フィーと並んで夜空を見上げていた。泉の水面には2つの月が写り込んでいる。メドリアが監視を担う形だが、そのメドリアは器用に泉の一部を凍らせてその上で踊るように動き回っていた。
レガードとフィーは体温が感じられるほど近く密着して寄り添い、その光景をみていた。
「花天月地とはいかないな」
「かてんげっちですか?」
「……花が空を舞い月が水面に写ったときの景色のことだよ。僕の生まれた故郷では春は淡紅色の花が咲いて、月が大きな湖に映り込むんだ。その湖畔でよく兄弟子たちと遊び回ったんだよ」
「……主様は13歳の頃にあの迷宮都市スピアーノに来たのですよね」
「そうだよ。それで赤に鳴く鳥の前身パーティーと言えるかな、そこに始めから参加したんだ。最初はヤック、エルミと僕の3人だった。僕は盾役兼荷物持ちだったけどね。それまでは狭い社会の中でしか行きてなかったから、スピアーノみたいな大都市は楽しいことがいっぱいだったし。初めて地元以外の人間と挑戦するのは楽しかった。僕は甘えてたんだ」
「あ――」
何かを言おうとするフィーを拒否するように彼女を抱きしめ額にキスをする。華奢な腕がレガードをしっかりと抱き返した。端正な顔が真っ赤な顔で彼を見つめて唇を不満げに尖らせた。しかし、彼女の指は左手中指についた指輪から伸びる糸をなぞるように動き、愛おしげに指輪もなぞる。
「主様はズルいです」
「エルフとのキスは甘い花の味がするらしいよ」
「……本当ですか? どんな花でしょうか主様」
まだ知らないねと答えたレガードが額へまた優しくキス行った。青い糸は彼女がレガードを抱きしめる力が強くなる度に輝きを増していき絡み合う。静かな夜空の中に遠く馬のいななきが響いて、レガードたちに聞こえること無く消えていった。
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