2 吹雪と少女
レガードを主様と呼んだその少女は強風に揺らぐこと無くまっすぐと立っていた。フードを目深に被りその奥にある顔は太陽の光を分厚い雲に隠された状態では見通すことができなかった。なぜここにいるのか、謎だった。追放されたのは全くの偶然だ。
風にマントがバタバタと音をたてる。彼女は小走りでレガードの傍へ寄った。
「主様、この吹雪の中どちらへ?」
「安い宿に行こうかなって考えてるよ」
「それでしたら、私の宿に来てください。部屋は余裕があります」
「それはちょっと。だってフィーの使ってる宿って高くて目立つじゃないか。こんな吹雪の中急に行ったら目立つでしょ?」
「この吹雪であれば外は気にする者などおりません。高級と言われる宿なのでもちろん宿屋の働き人は比較的客の情報を喋りませんし」
レガードの服の袖をギュッと掴む細い少女の手が強く乞い願う姿に根負けした。わかったわかったと彼は諦めて彼女の誘導に任せて歩き出す。吹雪は休まること無く彼らの体に容赦なく雪と風をぶつけていた。身体強化していなければ、こんな吹雪の中あるき回ることもままならないだろう。
「それにしても、こんな時期にこのような吹雪などと。こちらに住んで三年になりますが、この時期はいつも温暖な秋でございましょう」
「誰かが、そうさ誰かが頑張ったのさ」
「そうでございますか」
「ああ」
彼は深く答えず、曖昧に流す。彼女もそんな彼の態度を感じ取ったのか、頷いて追求はなかった。多くを語っても彼女にまだ届く内容ではないからと、彼は言い訳するように口の中で言葉を濁した。
レガードの茶髪に雪がかかる。フードもかぶらずに強く頬に当たる雪の感触を確かめながら感傷に浸るようなレガードの声は吹雪によってかき消される。しかし、傍にいた少女の耳には小さくとも届いた。フード付きのマントを纏う少女は、少しだけさらに彼の近くに寄って歩いた。
宿はこの迷宮都市においても高級と呼ばれる宿だ。派手さは無いが質実剛健といった具合で落ち着きを重視している色合いをしていた。6階建てのそんな宿もすっかり雪の白さで外観は斑の白を抱えている。
正面玄関からロビーへ入っても彼女はフードを取らずに、人が来るとは思っておらず慌てて寄ってきた従業員に客の証明である鍵と割符を見せた。
「そちらの方は」
「連れです」
「……承知いたしました。お客様いらっしゃいませ。お部屋はいかがいたしますでしょうか」
「ベッドも空いているので、一人追加するだけです。部屋代金は変わりますか?」
「いえいえ、お使いいただいているお部屋について代金は人数ではございませんので問題ございません」
「ありがとうございます。部屋にワイン1本とグラス、あとおつまみをもらえますか」
「承知いたしました。お持ちいたします」
長年この宿を使用しているにも関わらず、今まで誰一人として人を連れてこなかった少女が告げた言葉に対して、さすがというべきか質問も詮索も言わずに必要なことだけやり取りする。
従業員のやり取りを終え、迷いなく先導する少女の後をついて階段を上がっていき4階の角部屋にたどり着く。
扉を開ければ2人であれば十分広いと感じる部屋に、ベッドが2つ並んでいた。
「ずっとここを借りてたのか?」
「比較的余裕が出てからはずっとこちらを使っておりました。いつでも主様をお迎えできるようにと」
「お疲れ様。助かるよ、今回それが僕にも役立った」
「主様のお役に立ててよかったです」
ワインとともにつまみが届けられ、彼女がせかせかと部屋の中においてあるテーブルに置く。向かい合うように座って、彼女がグラスに注いだワインを眺めた。
椅子に座る前にようやく彼女はフード付きマントを取って椅子にかける。
収めていた髪が露わになり揺れた。
白い肌と銀髪、それらとは異なる温かみのある翡翠色の瞳が彼をまっすぐ見つめていた。鋭さを兼ね備えた美貌が彼の視線を自然と引き寄せる。通常であれば人族とは異なりエルフの特徴である長く伸びた耳があったであろう耳は、痛々しく耳殻を短く切られていた。人の耳と同じ程度の長さしか無い状態だ。
耳殻の切り落としはエルフの里からの追放を表している。
彼女とレガードが初めて出会ったときから、彼女の耳はすでに短かった。
「主様、みすぼらしくてすみません」
「いつもフィーは謝るね。癖かな? フードを付けてないフィーとは久々だから見ていただけだよ。フィーは綺麗だから悪い虫が寄ってくるし外でフードは取りにくいからね」
「あの、その、そうですか? ありがとうございます。しかし、主様の所属していたパーティーの仲間は何なのでしょう。情もなくこのような吹雪の中追い出すなど」
「自分のために仕事を押し付けられた分の手間賃としてちょろまかしていたのは事実だからね。仕方ないよ。バレるのは思ったよりも遅かったけど」
彼は苦笑いを浮かべて、茶化すように言った。しかし、真面目な顔をした彼女は何度も頷く。
「主様はやはりしっかりされていますね、最初に主様がお金を融通してくださらなければ私は体が無事でもお金を稼ぐ方法さえありませんでした」
「ははは、そこはちゃっかりだろう。久々にいいワインを呑んだな。向こうのパーティーだと僕が飲めたのは水みたいな薄めたワインだった」
「私はどれほどでしょう。何かの付き合いで仕方無しに口にしたことがある程度です。でも、今日の主様と取れる食事は美味しいです。主様とダンジョンにたまに潜ることはありましたが、それも人に見つからないようでした。食事を共になどと滅多にできませんでしたから」
レガードにあわせてワインとつまみを口にした彼女がほころぶように笑みを浮かべてそう話す。
「冒険者ギルドでフィーの話はよく聞いてたよ。もうすぐ銀級になる間際だって噂になっていたよ。ソロなのに驚異的だって話題になっていたからね」
「ありがとうございます。主様の役に立つために日々努めておりました。いくらか私の都合で装備の買い替えなどを行い、蓄えへ回せるお金が減ってしまいましたが、主様よりお借りしている魔法袋の中に今は金貨200枚程度ございます。当然ですが、今使っている武器や防具類を売却すればもっと現金を用意できます」
「売らなくていいよ。ソロで一番下の石級からだったのに、それでもよくそこまで頑張ってくれたね。ありがとう」
「……っ」
彼の言葉を聞いた瞬間、彼女は体を震わせてボロボロと大粒の涙をこぼして彼を見た。
「私は。私は主様のお役に立てましたでしょうか」
「ああ、当然だよ。ありがとう、フィー。そして、これからもよろしく」
「はい、はい。もちろんです。主様」
結局、そこからまともに話にならずにフィーが泣き続けるのを彼女が疲れて眠るまで見続けることになった。彼は疲れて眠ってしまった彼女をベッドに移して、一人ワインを飲む。規則正しいフィーの静かな寝息と外の吹雪の音だけが部屋の中を満たしていた。
「バレるのは遅かった、か」
彼自身の発した内容に対して嘲笑してしまう。確かにそのとおりではあった。バレるのに4年だ。先延ばしになり続けたのは、結局自分から辞める決意もなく理由が欲しかったからだ。
部屋全体の明かりを消されておりテーブルに置かれた魔石を使ったランプの灯りだけがテーブルの上だけ薄っすらと照らしている。
彼は魔法袋から一冊の本を取り出して開く。そして、文字を読むように指でなぞった。
『こうして大陸を雪で埋め尽くし、生きとし生けるものを滅ぼし大地を雪で閉じ込めようとした北の山脈に住みし邪神は封印された』
次話は明日18時更新予定です。
お読みいただきありがとうございます。