10 ヴァルカンの孫
朝起きると、なぜかイリスフィーネが彼のベッドの中にいた。整った顔は安らかな眠りをしており、聖なる力さえ感じさせる。甘い花のような香りがベッドの布団の中に充満しており、彼をドギマギさせる。
彼は気持ちを誤魔化すように長く息をはいてから、彼女の肩に手を置いて揺らす。華奢な女性の肩は柔らかく彼の指を向かいれた
慌てて起きた彼女が顔を赤らめながら口を開く。
「間違って入ってしまったようです」
「そっか。なら仕方ないね。今日はヴァルカンさんの店に行く予定だ。でも、これからの動きなんだけどゴブコボダンジョンの最奥調査が必要かもしれない」
「あのダンジョンの最奥の、調査でございますか? それは冒険者ギルドからの依頼でしょうか?」
「いや、違う。これは個人的なものかな」
「主様、……いえ、何でもございません」
フィーが尋ねようとしてレガードを見つめて逃げるように撤回した。そんな彼女に背を向けて扉近くに向かい、彼は声をかけた。
「食堂へ朝食を食べに行こう。ダンジョンにしばらく居たから良いものを食べたいからね。だから早く着替えて行こうか」
「はい、主様。すぐに準備いたします」
二人とも着替えて食堂に足を運べば、以前フィーへ声をかけてきた冒険者の男が一人テーブル席に座っていた。レガードとイリスフィーネはそれを気づかなかったという態度で従業員の後に続いていつもの席へ向かう。
「ダンジョンに行ってたんだって?」
声をかけられても完全に無視して、席について注文を終えた瞬間、彼らのテーブルが軽く拳で叩かれた。影がかぶさるように男がレガードに目を向けた。チラチラとイリスフィーネを見ることもしていたが。
「おい、無視すんなよ」
「すいません。聞こえませんでしたので」
「チッ。お前さん、前はどっかのパーティーに居たんだろ。そこ戻ればいいじゃねーか」
「なぜですか? 僕は今彼女とパーティーを組んでいるので解消するつもりは無いです」
「今更ゴブコボダンジョン潜るなんてお前の実力が足りないから、彼女があわせてやってんだろ? そんないびつなパーティーは続かねぇ。さっさと自分に合ったパーティーに参加しな」
「そうですね」
「主様っ!」
彼女が声を上げたことにレガードは眉を潜めて彼女を見て、手のひらで黙るように示す。しかし、男の方は嬉しそうに彼女へ顔を向けた。
「あんたなんで冒険者なんてやってんだよ。いや、すまねぇ。冒険者だもんな。でもな、冒険者稼業なんて危険ばっかりだ。それを雑魚のお守りなんてものもしてたらあんたが死んじまう。自分のレベルに合ったパーティーに参加したほうが良い」
「そのレベルに合ったパーティーがあなたたちのパーティーですか」
笑わぬように気をつけながら、彼は努めて無表情でそう尋ねれば、男はようやく理解できたかと彼に言わんばかりに頷いた。そして、ガンを飛ばしながら口を開く。
「いい加減理解できたか?」
「いいえ、おっと。朝食が来たので会話はこれで終わりでお願いします」
「てめぇ、本当に俺がこんだけ優しく諭してやってのにわかんねぇのか」
「給仕さん、あらら」
今回は従業員が男を止めることがなかった。さも何も目の前では何も起こっていないと言わんばかりに朝食を置いて立ち去ってしまう。
彼が間抜けに見える体勢で従業員を呼び止められなかったことに対して、男が勝ち誇ったようにニヤニヤ笑った。
そういえばと思い、レガードは食堂を見回せば目の前の男以外の人間は従業員しかおらず、しかも従業員自体も明らかに入り口の廊下側の扉にいるか、厨房に続く通路側にいてこちらをけなげにも見ないような態度をしていた。
「俺はかなり稼いでるんでね。今回ばかり見逃すように掛け合うことさえ余裕なんだよ」
「はぁぁ」
長い溜息をはいてから、彼は朝食を口に運んでいく。いきなりのレガードの態度に二人が困惑するが、レガードがフィーに朝食を進めた。
そんなレガードの動きを邪魔するように男がレガードの胸ぐらをつかもうとして。
ドンッと重い殴打音が鳴る。
「ぶぇ?」
綺麗に男の顎に衝撃を入れてレガードはまた席に戻って食事を続けた。男が床に背中から倒れ込んで昏倒する。最低な彩りだ。レガードはみっともない飾りをつけた床に不快な目を向けてから朝食へ視線を戻す。
その光景にフィーが固まっている姿に気づき、レガードは不思議そうな顔をして尋ねた。
「食べなくて良いのかい、フィー。僕はもう食べ終わるし、そろそろ行くよ」
「あ、あ……主様、わた、私は今日はもう十分でございます。ついていきます」
「そうか、じゃあ行こう」
「あの、あの主様、お泊りになる宿を変えましょうか」
「不要だよ。前のパーティーに居た頃はもっと邪魔をされたからね。殴って止められる分構わないよ」
「あの……申しわ、もうしわけ」
「今日は待つ気はないから。ヴァルカンさんの店に武器を取りに行こう。ダンジョンに長くなるから雑貨も揃えないとね」
「あ、主様、置いて、置いていかないでっ」
「置いていかないよ、フィー。君が僕を優先する限り」
出入り口にいる従業員に魔法袋から取り出した金貨を投げるように渡して、さっさと部屋へと向かい整えてからレガードたちはヴァルカンの店へと向かった。
ヴァルカンの店はあいも変わらず煤けた外観を保ったまま、表通りのにぎやかな大店とは違い鎚が愚直に鉄を叩く音を響かせていた。
「ヴァルカンさん、居ますかー」
「おう、朝早くから来やがったな。ちょっと時間がかかったが用意できたぞ」
朝から豪快な声を飛ばすヴァルカンが持ってきた武器と籠手を確認する。
柄が分割されたミスリル製の槍はグレイブ型の刀身をしており、色合いはミスリルのインゴットのときよりも青白くなっている。籠手は逆に青みがかっていたミスリルが変質して、うっすらと灰色をしていた。
槍に魔力を浸透させれば、先日使っていた武器よりも遥かに魔力への通りが良い。連結分解もスムーズに行うことが出来た。後に自身で魔力紋を描けば十分な性能になりそうなため、レガードは満足そうに頷く。
「しかし、連結式とは変な槍を使いたがるな。しかも、予備を使うと2箇所を連結か」
「師匠は大剣でしたからね。僕にとっては使い勝手良いですよ。狭いところは手槍と防御用の昆代わりに使います。あとは収納でこうしてるんです」
背にある鞘をかねた箱へ、手際よく分割した槍を片付けていく。石突がついた1本、両端が連結できる棒が一本、穂先がついた1本だ。3本が連結すれば、長槍と呼ぶに十分な長さとなる。しかし、レガードが見せた基本的な形は、石突がついた1本と穂先を連結する使い勝手を重視した長さの形態だった。
「それは、箱。いや鞘か。特に指定がなかったと思ったがぴったりだな」
「そういうモノなので。籠手、ぴったりです。邪魔にならない」
「おう、魚の鱗はびっくりしたがミスリルと反応しやすい良い素材だったぜ」
「師匠がくれたものなので結局どんな魔物かよく知らないんですよね」
「主様、どうですか」
「うん、フィーもぴったりだね。ヴァルカンさんありがとうございます。ダンジョンで動きとか試してきます」
「何かあったら相談しに来いよ! もちろんちゃんと金はもらうがな! ツケはさすがにもう許さんぞ」
「あははは、僕は師匠と違ってちゃんと払いますって」
青白い刀身のダガーを二刀構えて、フィーが感触を確かめるように軽く振る。彼女のダガーにも魔術紋が必要だなと考えながら、どうですか? と確かめるように寄ってきた彼女の細い手に触れて指を撫でる。指輪はわずかに魔力をまとわりつかせてぼんやりとした光をつけた。
「おいおい、いちゃつくんなら店から出っててくれよ」
「そんなんじゃないですよ」
「そんでレガードよ、お前さんミスリル使ってんどうすんだ。本来は白雪だろ、エヴラールの弟子ならよう。それはどうした?」
「まだあの鉱石は用意できてないんです。……ヴァルカンさんに在庫を残したと師から伺っていましたが」
「ああ、それを当てにしてたのか。ありゃな、孫が持っていっちまったよ。すまねぇな」
その発言は少々バツの悪そうな顔をヴァルカンにさせていた。しかし、もう26年も前の人間の持ち物だ。売却されて行方知れずよりましだろう。
「お孫さんはどちらに?」
「王都だ。王都に修行に行くって宣言して、ついでにあの金属についても調べてやるって言い放って止めるまもなく行っちまった。本当にすまねぇ」
「大丈夫です。師匠だってずっとあるとは思ってなかったので、本命は弟弟子が預かっているものを受け取りにいくつもりですよ」
「そうかぁ! 助かる。もしも王都に行くことがあったら孫にもよく言っといてくれ。俺からも一応手紙は出しておく。一応これはお前さんからも渡せるように、覚書みたいなもんだ」
「用意が良いですね、ってエヴラールさん名義じゃないですか」
「いや、まぁ、さすがに勝手に持っていかれたのは、な?」
「でも、助かります」
謝罪するように渡された紙は、本来エヴラールがやってきた時に孫が持っていたものを返すようにという願い事が書き留めてあった。感謝してそれを預かり、レガードはカバンの中へと片付ける。フィーがクイクイと時間が減っていくことを示唆したのか彼の袖を掴んで引っ張った。
そんな彼女の姿をヴァルカンに茶化されながら、レガードたちは店を後にする。防具店で二人分の調整をお願いしていた革鎧も購入し、次はダンジョンに長めに入る関係上、消耗品を買い込もうと雑貨店へ足を向けた。
しかし、そこにあったのは表通りにある最大規模の雑貨店が閉鎖されている光景だった。店の前で一部の冒険者達が顔を見合わせていた。
「領主の命令ですべてのポーション類の取り扱いしてる店が今日から閉鎖するのマジだったのかよ」
「ダンジョンどうすんだ!?」
「どうにも領主の三女関係らしい」
「病や呪いに詳しい人間を探し回ってるらしい」
「領主の騎士団が不審者を探しているとか」
彼らのうわさ話に聞き耳をたてながらフィーを見れば彼女は困ったようにおろおろしている。
「イレギュラーなことばかりだね」
「い、いかがいたしましょう。主様」
「ダンジョンは厳しいかもしれない」
そんな話をしながら雑貨店から離れようとしたところで、金属鎧を着て騒がしい足音をたてて小走りで近づいてきた2人の男が声をあげた。
「おい、そこのフードをかぶったガキ、顔を見せろ」
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