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ただの自己満足。

 拾った鍵のキーホルダーが壊れていた。駐車場に落としたんだ。車に潰されたのだろう。

 どこかボーっとしていて、その視線の先に何があるのか気になってしまう。バイト先兼、学科は違うけど、大学の後輩の女の子は、コーヒーカップを二つ持って現れた。

 戻って来た鍵をしっかりと鞄の小さなポケットに入れた。


「ありがとうございます。コーヒー飲みますか?」

「いただくよ」


 百円玉を親指で弾くと、彼女は小さな両手で受け止めて、二つ置いてあったカップの片方を差し出した。


「そういえばさ、二月でバイトを辞める予定なんだけど、三月、一緒に出掛けたいなーって。あー、成人祝い、させて欲しいなと」


 一月四日。彼女の誕生日。勿論プレゼントは送った。でも、成人の日というものが暦上に存在する以上、分けて祝うのは間違っていない筈だ。


「い、いえ、大丈夫ですよ。その、お世話になり過ぎて、申し訳ないです」

「僕が祝いたいんだ。付き合って欲しいなー。祝う相手がいないのに祝うのも、変な話だろ?」

「それは、そうですけど」

「じゃあ、決定だ。空いてる日程、はっきりしたら送るから」

「……はい。あっ、すいません。次のミーティングがあるので失礼します」

 そう言って立ち上がると同時に、机の上に置かれていた彼女のスマホは、画面にミーティング2と表示して、ブルブルと震えた。忙しい後輩だ。


 人間関係は苦手だ。どうにも、相手の気持ちをマイナス方向で想像してしまう癖があるから。その想像が本当だった時が、怖いから。目、視線の方向、呼吸、表情筋の動き。声色。それら全てに何か悪感情が込められいないか、神経を張り詰めてしまい、疲れる。一人の方が楽だ。

 でも、彼女は。感情の色が薄くて、楽だ。力を抜いていられる。

 でも今は、それに少しだけ悩む。僕のことを好ましいと思っているのか、鬱陶しいと思っているのか、判断がつかなくて悩む。最近見せてくれるようになった穏やかな笑みに、安心する日々だ。

 恐る恐る。それでも、本気で行こうと決めたから。僕は多少強引にでも、彼女との時間を作り、そして、僕と同じ時間を過ごしたことを損と思わせないようにしたい。見返りは、彼女と同じ時間を過ごせたという事実と思い出だけで十分だ。

 社会人になってしまう前に、僕は、学生時代に残した最後の後悔の芽を、摘み取りに行く。

 スクールバスを降りて駅前。足は真っ直ぐにアクセサリーショップに向いた。


 今日、彼女は夜からバイト。僕は休み。だけど僕はバイト先にいた。スマホの画面でシフトを確認。今は休憩か。裏から入って休憩室へ。遅番の人に会釈して、歩く。バイトリーダーという立場は良い。全て何かしらの用事があると思ってくれる。


「やぁ」

「あれ、今日、休み。ですよね」

「うん。これ、渡しにきた。それだけ」

「なんですか? これ」


 小さな袋。中身は、キーホルダー。納得がいくものを探していたら、少し遅くなってしまった。


「取材のためにアクセサリーショップに行ってたら偶々見つけたんだ。あげる」

「いや、良いですよ。そんな。申し訳ないです。貰ってばかりで」


 手の上に乗るキーホルダーを眺めながら、困ったように笑う。


「僕が持っててもしょうがないし。君に合いそうだから買ったんだ」


 これくらい言えば、彼女は、受け取ってくれる。雪の結晶と三日月のメタルキーホルダー。


「ただの自己満足だよ。それじゃ」


 そう。ただの、自己満足だ。

 時計をちらりと見る、彼女の休憩時間はそろそろ終わる。シフトに無い人がいても、邪魔なだけだ。退散しよう。


「ありがとう、ございます」


 柔らかい声色、ちらりと振り返ると、微かな笑みが向けられていた。

 こんなささやかな時間が欲しくて、僕は一日中歩いたんだ。

 僕の夢を、初めて肯定してくれた彼女に。


「小説家になりたくてさ。笑っちまうだろ。こんな歳にもなって、二十歳も越えて、夢見がちなこと言っている」

「良いんじゃないですか? やりたいことがあるだけ、立派ですよ」

「えっ?」

「私、やりたいことがなくて、困っているんですよね。羨ましいです」


 笑わないでくれた。夢の難易を語るわけでも、できるできないを評価するわけでも無く、ただ、肯定してくれた。

 初めてだった。僕はそれから、自分の夢を、少しだけ胸を張って言えるようになった。

 休憩室の扉を開ける。最後にちらりと、彼女の姿を視界に収める。


「あっ、私、二十日以降、色々落ち着くんで、出かけるなら、それからで」

「えっ、あっ。わかった。じゃあ、二十日以降、連絡するから」

「はい」


 今日は十日。

 まずこれから十日間は、真面目に、少し頑張って生きよう、なんて思った。外に出てちらりと空を見る。月明かりに、雪が舞っていた。あの子のことを、心の中に浮かべられる光景だ。

 



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