私の母親
「今、帰ったよ。」
夜中の2時過ぎに、母親が帰って来た。
今日は、まだ帰りが早い方だ。私のベッドに近づく。
私は、深夜の学校から戻り、全力で狸寝入りを決め込んでいる。
私の母親、久美帆は小さなスナックのママを一人で
やっている。お店の名前は、ハイドランジア。
紫陽花という意味。土の成分で、花の色が変わるあの花
なんだよね。花言葉も、色々ある。
さて、スナックは立地条件も良い中々の物件で、そこそこ流行っている。
お得意さんも、多い。死んだ旦那の遺産で建ててもらったと言っているが、
どうも嘘くさい。
それは、さておき、私の母親は20歳で私を産んだというから、
まだ30代なんだけど、スタイルも良くめっちゃ若く見える。
とても高校生の娘がいるようには見えない。
そんで、私は高校生になって、忙しい日は、スナックの
お手伝いをさせられるんだけど、お店ではママの歳の離れた20歳の妹に
なっている。昭和か。
お客さんに体を触られても、抱き着かれても、文句を言えないから、
本当はお手伝いなんかしたくないけど、食べさせてもらってるし、
高校にも行かしてもらってるから、嫌とは言えない。
でもね、そんな酷い母親でも、一つだけ、私が誇りに思えることが
あるんだ。それは、歌が超ヤバイくらい上手いんだ。
マイクを握ってステージに立つと、まずオーラが違う。
その歌声は、華があり、艶があり、迫力がある。
聞き手の心に響くほど、魂が込められているんだ。
お客さんに聞いた話、若い頃はプロの歌手だったというのも信じられるかも。
とにかく、お客さんは、私の母親の歌を聞くと虜になり、デュエットでも
した時には、メロメロになる。
それほど、歌が上手い母親は、歌番組が大好きなんだけど、何故か紅白だけは
見ないんだよね。不思議なんだよね~。
さて、私の祈りが通じたのかもしれない。
母親は何も言わず、私を叩き起こすこともなく、立ち去り、シャワーを
浴びている音が聞こえてきた。
「助かった。」
あのダメ男と、中年の獣男の話は、知らないようだし、帰った私にわめきたてる
二人を私がどうしたのか教える必要もない。
私は、そのまま、深い眠りについた。
私は、知らなかった。
シャワーを浴びながら母親が、笑っていたことを。
「やっと、この日が来たのか。」
そのつぶやきに、どんな恐ろしい意味が込められているかを・・・。