九尾の狐に喧嘩を売る
「慈悲深いワラワが、お前たちの心の中の疑問に答えてやろう。
冥土の土産にするがよい。
清廉 珠美の母親の名前は、久美帆。
そう、そこの中国娘が思っているようにあの九尾狐、
昔、朝鮮で少々遊んだ頃のワラワの名前じゃ。
ワラワは日本において、玉藻の名前でちょっとばかし、
鳥羽法皇を誑かして宮廷で遊んでいた時に、あの憎っくき
陰陽師の安倍清明の末裔に正体を見破られ、散々酷い目に
あわされて逃げたが、しつこいあ奴らに討たれてしもうた。
その時、ワラワの肉体は朽ちたが、ワラワの魂、意志は
大きく二つに分かれて、石と化した。
その一つが、お前たちの眼の前にある殺生石じゃ。
もう一つは、下野の国、那須野にあったが、玄翁とかいう
生意気なクソ坊主に毒気は浄化されてしもうた。
ある時、その殺生石に封印されていたワラワの魂が、妊娠中の
久美帆の母親に憑依し、久美帆が生まれたわけじゃ。
久美帆の母親はまったくの善人でのう、酒浸りでまったく
働こうとしない夫と幼い久美帆のために、朝から晩まで寝る間も
惜しんで働いておった。
そんな母親が働きすぎてポックリとあの世に旅立った時に、
久美帆はダメ親父と故郷を捨てて、東の都へ出たのじゃ。
それだけではないぞよ、清廉という名字は、そう、セイレン。
ギリシヤ神話に登場する海の精霊、悪魔の歌声の持ち主じゃ。
ダメ親父は、そのセイレンが人間と交わってできた子の
末裔じゃ。ダメ親父も、一つだけ良いことをしたものじゃ。
セイレンの遺伝子、今の世ではDNAと言うのかな、久美帆に
伝えた。その能力を、ワラワが覚醒してやったのじゃ。
久美帆の東の都での生活は、話せば長くなるので省くが、
一言で言えば可哀そうな幸薄いものじゃった。
久美帆に憑依しているワラワは、もう一つのワラワの魂が
封印されている殺生石の存在を知り、娘をこの高校へ通わせた。
いずれ、もう一つのワラワが憑依することを企んでのう。
そして、思惑通り、娘にもう一つのワラワが憑依し、陰から
操っておったが、お前たちの御蔭で、こうやって元の魂一つに
戻ることができた。クククッツ、お前たちに礼を言うぞよ。
礼に、苦しまずに、あの世に送ってやろう。」
九尾の狐が話し終えた時、呟く者がいた。
「ふざけんなよ・・・・・。」
誰もが、耳を疑う。この圧倒的に絶望的な状態で、九尾の狐に
喧嘩を売るなんて。
「何様のつもりだ。お前は、神にでもなったつもりか。
人の心を弄び、人生を狂わせやがって。天が許しても、
この僕が絶対に許さない。」
僕は退魔師じゃないないけど、この高慢ちきな妖怪を
滅殺したかった。心の底から腹ワタが煮えくり返ったのだ。
髪の毛が逆立ち、僕は再び大魔神と化した。
「御祖父さん、もうボケたの。それでも武神。介護しようか。
奏絵さん、このクソジジイ、何とかしてやって。お願い。
武、君の居合術は何のためにあるの。単なる見世物か。
龍美、何がデビルドラゴンだ、笑わせるな、チキンのミミズ野郎。
三四郎君、君の柔道にかける想いはこんなもの、オリンピック
金メダルを取らないまま、終わっていいの。
陳 桃陽、香港一の退魔師って嘘だろう。師匠の顔が見てみたいよ。
キラちゃん、頑張ろう。僕たちの明るい未来のためにも。
あのクリスマスの夜に誓ったよね。」
みんなの瞳に光が灯る。心のエンジンが点火し、バリバリと激しく
音を立てる。全身から、青白い闘気が夜空に高く燃え上がる。
自分たちを鼓舞するために、普段大人しい僕がわざと心を鬼にして
言っているのが十分すぎるほどわかるからだ。
「五月蠅いわい。」「仕方ありませんね。」「始祖の名に懸けて。」
「後で、ぶん殴ってやるからな。」「金メダルは、真っ先に君に
見せるよ。」「おまえ、鬼か。」「うん、頑張る。」
僕たちは、微笑みながら力強く頷きあった。
「みんな、僕に力を貸してくれ。こんな高慢ちきの大馬鹿野郎を
野放しにしておくと、もっと不幸な人が増える。この僕たちが
愛する日本に残るのは、深い絶望と悲しみだけだ。そんなの、
絶対に許せない。やるぞ。」
「オウ。」
みんなの声が見事に一つにハモッタ瞬間、僕たちの怒りの闘気が、
愛と正義と平和を愛する心が一つに合わさり、ある形を作りつつあった。
誰に教えられたわけでもないのに、両手で法界定印を結び、
「のうまく さまんだ ぼだなん あびら うんけん」と真言を
繰り返し唱えていた。
あくびをしながら、イヤリングをいじりながら、爪を磨きながら、
退屈そうに、僕たちの話を聞いていた九尾の狐が突然発せられた
眩しい光を両手で遮り、驚いた。
「これは、何と。退蔵大日如来か。」
僕たちは、いつの間にか、九尾の狐を中心に円を描いていた。
男女交互に八芒星とでも言おうか。いや、八弁の蓮華、八葉蓮華だ。
胎蔵界曼荼羅の中央は、中台八葉院と名づけ、八弁の蓮華にかたどり、
大日如来を中心に、八葉の各弁に、宝生・普賢・開敷華王・文殊・無量寿
・観音・天鼓雷音・彌勒をおき、これを胎蔵の九尊という。
僕たちの中心、九尾の狐の上に、退蔵大日如来様が光臨されたのだ。
「九尾の狐よ。そなたも生まれついての妖怪ではなかったはず。
どこでどう生きる道を間違えたのか、妖怪と化し、世を恨み、
人を憎み、悲しいかな、愛を見失ってしまった。生きながらの
無間地獄、何と可哀想に・・・。さぞや、辛かったであろう。
今度、生まれ変わるなら、人として平凡でも幸せな人生を歩むが良い。
私も力を貸すことを約束しよう。」
九尾の狐にも、僕たちにも大日如来様の声がはっきり聞こえたのだ。
不思議なことに、九尾の狐は反論するわけでもなく、瞳から大粒の涙を
流して泣いていた。肩が震えている。
「大日如来様は、わかって下さっていたのですね。ありがとうございます。」
大日如来が優しく微笑み、両手を差し出すと、九尾の狐をフワリと
飛び乗った。そして、優しく眩しい光に包まれて、天へと昇って行った。
それを見送った瞬間、みんなから弾けるような歓声が上がった。
みんな、酷いんだよ。僕を、もみくちゃにする。龍美なんか、本気で
僕の右肩を殴るんだから。
こうして、僕たちの妖怪退治が無事終わった。