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店を出ると護衛で付いてきていたリリとランが、ちょうど建物の陰から顔を出しているのが見えた。

勿論、護衛は最小限にはしていたが、この二人だけではない。ただ近い所での護衛を彼女等が担当していたのだ。

「どうした?」

彼女等の後ろにはいつもの騎士装束ではない、シェスが立っていた。

「お休みの所を申し訳ありません。フォランド様よりこちらを預かって参りました」

「ご苦労」

そう言って渡された封書の中身を確認すれば、次第にアルフォンスの眉間に皺が寄っていくのがわかった。

「フォランドは何と?」

「はい、その・・・手に負えないので、早めに戻ってほしいと・・・」

申し訳なさそうに頭を下げるシェス。

しばらく沈黙し眉間に皺を寄せるアルフォンス。不機嫌そうな顔はそのままに、いきなり有里の腰を抱き寄せた。

「我等も戻る事にする。それまではフォランドに任せると伝えよ」

「はっ!では、失礼します」

そう言って頭を下げ立ち去ろうとするシェスに、有里は小さく手を振れば、何時もの笑顔で小さく頷きその場を後にした。

「ねぇ、アル。何があったの?」

そばに控えるリリとランも周囲に気を配りながら、どこか心配げにアルフォンスを見上げていた。

「・・・・・あぁ・・・面倒な事が・・・起きた」

「面倒?」

「叔父上の娘・・・ヴェールジュ国王の娘、カミル嬢が来ている・・・・」

「レオンハルト様の娘さん?」

国王の顔を思い出し、あの王様の子供ならばきっと綺麗な人なのだろうな・・・と、考えていると、リリとランが「げっ!」と、言葉にはしないが代わりに刻まれる苦々しい顔。

目の前の三人の態度を見れば、彼女の事を歓迎していないという事が見て取れた。

「なにか・・・問題でもある人なの?」

アルフォンスを慰める様に頬に手を伸ばせば、その手に己の手を重ね「実は・・・」と、それはそれは海よりも深い溜息を吐いたのだった。



ヴェールジュ国の王であるレオンハルト・ヴェールジュには二人の子供がいる。

長男のベルハルト王子二十歳とカミル姫十八歳。

レオンハルトは前帝の弟でもあり、容姿は前帝にあまり似る事は無かった。ただ、端正な顔立ちはどちらかと言えば兄よりもアルフォンスと似ているところがある。

髪の色や瞳の色もアルフォンスと似ており、アルフォンスから見れば祖母方の血を濃く受け継いだようだった。

そんなレオンハルトの子供なのだから、二人とも美しいと評判の子供達。王子は母親に似て金髪碧眼の、物腰は柔らかいものの、次期国王としての才能をいかんなく発揮し父王を支えていると、もっぱらの評判。

姫に関しても、父に似て美しい銀色の髪に森の様な深い緑色の瞳、白磁の様な滑らかな肌、熟れた赤い果実の様な唇。黙っていれば完璧な『月の女神の化身』と呼ばれるほどの美貌の持ち主だ。

―――そう、黙っていれば、だ。

王子様は評判通りの人物だが、姫君に関して言うならば・・・その実態は、ただ一人に執着するストーカー姫君だった。

その事実は国王夫妻の頭痛の種でもあり、困ったことにその執着の対象がこの大陸の皇帝陛下だから笑えない。

切っ掛けと言うのがアルフォンスが皇帝になる前、病に伏していた前皇帝の名代でヴェールジュ国を訪れた時の事だった。

幼い頃・・・・カミルがまだ物心つく前には何度か会っていたが、ある程度成長してから会うのは初めてで、ほぼ初対面に等しかった。

心の奥底で自分よりも美しい人間はいないだろう・・・と、周りからの賛辞を真に受けて育った彼女は、外見の美しさで人を判断するようになり、次期皇帝と謳われていたアルフォンスでさえ下に見ている所があった。

カミルといい、フィンレイといい、根が素直な分、悪を悪と思わず自分の都合の良い事だけを吸収してしまうようだ。

だが、実際に彼に会って一瞬で心を奪われたのはカミルの方。彼を見た瞬間、速攻で求婚したくらいに。

それに面喰ったのは、アルフォンスはもとい国王夫妻だった。

恐縮する国王に対し、アルフォンスは「気にしなくてもいい」と言いながらも、求婚に関してはきっぱりと断ったことは言うまでもない。

普通の女性であれば断られたことに対し少なからずショックを受けるのであろうが、彼女は違った。

「あぁ、きっと私から求婚してしまったから男の面子が潰されて、お受けできなかったのよ。私から言いださなければきっとアルフォンス様から求婚されたはず!私ったらがっついちゃって、はしたないわ」

なんて事を、ピンクのハートが飛び交う様な勢いで侍女に話せば、事の重大さに青ざめた侍女が国王に報告。

多少、自分の美貌を鼻にかけるような娘に育ってしまった事は気にしていたが、まさか、自己中な前向きさまで備わっていた事に愕然としたことは言うまでもない。

五日間の滞在中のアルフォンスに空気を読むことなく言い寄る我が娘に、レオンハルトは真剣に婚約者をあてがう事を考え始めていた。

暁の帝王の世より、貴族であっても恋愛結婚する事が比較的自由になり、身分の壁もかなり低くなっていた。

レオンハルトも子供達には出来るだけ好きな人と添い遂げられる様、無理な婚姻は薦めてはいなかったのだが・・・・


「娘がこうも言葉が通じないとは・・・・」


アルフォンスはカミルとの結婚は望んでいない事。これ以上彼に言い寄るのは止めるようにどんなに言葉を尽くしても・・・・通じないのだ。言葉が。思いが。

全てを自分の良いように理解し、人を巻き込む前向きさに頭を抱えるしかない。

そしてアルフォンスが皇帝の座に就くのとほぼ同時に、カミルの婚約も発表されたのだった。



「彼女は叔父上の目を盗んで三年ほど前にこの国にやってきて、その時にリリとランに護衛を頼んだのだが・・・」

アルフォンスはその時の事を思い出しているのか、心底嫌そうな顔を作った。

リリとランにしても「あんな女、二度とごめんだわ!」と、言葉には出さずとも顔にありありと書いていた。

その時も、アルフォンスに何かと纏わりつき、まるで恋人にでもなったかのような振る舞いで、周りを困らせていたのだという。

当然、この国の城内では彼女の評判はかなり悪い。だが、当の本人は何もわかってはいない。

「三年前はまさか一人できたわけじゃないよね?」

自動車や電車など存在しないこの世。レオンハルトの国からは当然、結構な距離があり一人では正に危険な旅になる。ましてや超がつくほどの美人であれば。

「カミル様は『月の女神の化身』と謳われるほどの美貌の持ち主です。猫を被っておねだりすれば男も女も大概の人間は落ちます。ですから、結構な人数を引き連れてやってきておりました」

「恐らく今回もそうでしょう」

幼い頃から仕えている侍女二人と護衛二人は定番で、途中通過する町で人をたらしこみ最終的には大人数になるらしい。

「侍女や護衛の方達は止めないの?今回もレオンハルト様の目を盗んで?」

「止めても止まらないからついていく選択をするんだよ。彼女がこの国に来るのは全て叔父上の目を盗んでさ」

「・・・・凄い行動力ね・・・・」

感心する有里にリリとランは「ユーリ様、呑気な事は言っていられませんよ」と心配そうに眼を細めた。

「カミル様は陛下に盲目的に想いを向けております」

「正にご自分しか見えておらず、周りの忠告は全てご自分に都合良いように変換されてしまいます」

「それは、怖いわね・・・・」

「そうですわ。陛下とユーリ様の仲睦まじい様を見せつけられて、逆上する可能性もあるのです」

「どのように言い寄られても、カミル様には決して心を許してはなりません」

「え?うん・・・・わかった」

正直な所、ストーカー云々はTV画面の向こう側のニュースでしか知らなかった。自分の身に起きたことが無かったし周りにも無かった。

今一つピンとこなかったが、あちらの世界で働いていた時に職場の同僚で言葉の通じない人間がいた事を思い出す。

ストーカーではなかったが、自分第一主義者でありちょっとした嫌味も苦言も苦情も、全て自分にいいように変換されその人には何一つ真意は伝わらなかった。

その結果、無駄に前向きに解釈し周りに被害が及ぶことも(しば)し。最終的に解雇となったのだが・・・

それを恋愛感情に置き換えて考えてみれば・・・・ゾクリと背中に冷たいものが走る。

思わず自分の腕を擦る様にすれば、アルフォンスが心配そうに肩を引き寄せた。

「ユウリ、彼女が滞在中は俺からなるべく離れないように」

「え?でも、執務で忙しいのでは?」

「前にも手伝ってもらった事のある書類の整理をお願いしたい。俺の執務室でユウリの仕事をすればいい。妃教育はその間、休みだ」

「・・お手伝いはさせてもらうけれど・・・」

そこまでする必要があるのか・・?と、有里は困惑する。

皇帝の妃としてお客をもてなすのであればわかるが、その客から遠ざけようとする。

ストーカーは確かに怖い。でも、有里は基本一人にはならない。護衛兼侍女の双子はいるし、専属の騎士もいる。

それでもここまでしなくてはならないほど、彼女はヤバイのだろうか?

「それと、ユウリは人前で過剰に触れ合う事を恥ずかしがって嫌がるが、彼女が滞在中は俺の好きにさせてもらう」

「へ?」

何を言われているのか理解できず、思わず間抜けな返事を返してしまったが、アルフォンスが意味ありげに口の端を上げた瞬間その意味を理解し、茹蛸の様に一瞬で真っ赤になった。

「なに、長くても今日明日位だ」


なん、だって・・・?彼女が帰るまで、みんなの前でイチャイチャしろというのか!?

何の罰ゲーム!??


有里は心の中で悲鳴を上げた。

そんな彼女の心中などお構いなしに、リリとランまでノリノリで名案とばかりに皇帝陛下に尊敬の眼差しを向けた。

「素晴らしいですわ!陛下!」

「普段通りのお二方でも十分に周りの者達は当てられておりますが、カミル様には伝わらないかもしれませんものね」

「え!?普段も皆からそんな目で見られてたの?私達!!」

「気付いておられなかったのはユーリ様位なものですわ」

「ご結婚されてからと言うもの、皇帝ご夫妻の仲の良さに結婚願望者が急激に増えたそうですし」

「えぇっ!?でもさっき、彼女が逆上するかもって言ってたじゃない!だったら帰るまで大人しくしていた方が・・・」

「いいえ、それを逆手に取るのです」

「失意のうちに国に帰るならば良しとしますが、ユーリ様に直接間接関係なく危害を加えるのであれば、一国の姫であろうと陛下が何をおっしゃろうと、容赦は致しません」

「・・・・いや、それは駄目でしょ」

あまりに真顔で当然のように双子が怖い事を言うから、有里は困った様に却下すればアルフォンスが首を横に振った。

「いや、リリとランには普段よりユウリの護衛に関しては自己判断で動くよう指示している。相手が誰であろうと、ユウリの安全が最優先事項だ。それに、此度は叔父上からも許可が出ている」

その言葉に、信じられないとばかりに有里は呆然とする。

そして自分の行動や身に起きる事で、誰かを傷つける事に繋がるのだと・・・・この身体は自分だけの物ではないのだと、改めて現実がのしかかってくる。


それでも・・・・・やっぱり・・・・

「何かあっても、出来るだけ穏便に済ませて欲しい・・・・」


祈る様に胸の前で手を握り、リリとランに訴えるように視線を投げかけ、そして懇願するようにアルフォンスを見上げた。

其々にその眼差しに射貫かれた三人は「うぐっ」といううめき声を上げながら頬を染め、アルフォンスに至っては壁に寄りかかり体内から何かを逃すように大きな溜息を吐いた。

「なるべく善処しよう・・・何も起きていないうちからあれこれ言っても始まらないからな」

「ありがとう・・・」

「礼には及ばない。折角の休暇を邪魔された事は腹立たしいが、公然とユウリに触れる事が出来る事を考えれば、まぁ、御破算というところか」

「・・・・・それに関しても、どうか穏便に・・・・」

「善処できるかは約束できないが、なるべく努力しよう」

何処か意地悪な笑顔を浮かべながら言い切ると、次の瞬間、皇帝の表情に戻し「城へ戻る」と告げた。







メアリーは自室に入ると、力なくベッドへと倒れ込んだ。

頭の中はいまだ真っ白で、胸にぽっかりと穴が開いた様な感覚。

脱力感、虚脱感、無気力感、喪失感・・・・全ては同じ意味なのかもしれないし違うかもしれない。だけれど、彼女にとっては全てが当てはまり身体に力が入らない。

身体を動かす為の何かが抜け落ちたかのような、抜け殻になった様な気がする。

なのに目を閉じれば瞼の裏に、アレクの幸せそうな、愛おしそうに彼女を見る姿が鮮明に焼き付いていた。

目からは涙がポロポロと止めどなく溢れてくるのに、声すら出てこない。

考える事すら放棄し、ただただ涙だけ流し続ける。


長いような短いような、時間の感覚すらわからず、まるで屍の様に横たわってどのくらい経ったのだろう。

何も考えられ無くても五感は無情にも機能していて、開け放たれていた窓の外からは色々な雑音が室内へと届けられる。

その音たちはただただ滑る様に、彼女の耳を通り抜けていくだけ。

窓を閉める事すら億劫で、些細な音ですらどこか煩わしく感じる。

だが、そんな雑音の中から聞き覚えのある声を無情にも拾い上げてしまう自分に、失望すら感じてしまう。

自分を動かすものは、やはり彼なのだと・・・・


メアリーの部屋は二階の角部屋で、大通りに面した方には大きな窓が、ベッドが置いてある方には比較的小さな窓があり声はベッドがある窓、隣家との間から聞こえてきた。

盗み聞きするつもりはなかった。だがこの気持ちを簡単には手放すこともできず、のそりと身体を起こし窓際まで移動し壁に寄りかかる様に座り聞き耳を立てた。

紛れもない愛しい人の声に、メアリーの瞳からは又も涙が溢れてくる。

何を話しているのか初めはわからなかった。所々の言葉は聞こえるも、会話そのものは聞き取れない。


『―――様は陛下に盲―――に想いを―――ます』

へいか?・・・・誰の事?


断片的にしか聞こえてこない会話だったが、ちょうど窓の下にまで移動してきたのか、先ほどよりも鮮明に聞き取れるようになり、その内容に一瞬にして涙が止まった。

その声に会話にドキドキと心臓の音が煩くて、早くて・・・呼吸が荒くなってくる。


『ユウリ、彼女が滞在中は俺からなるべく離れないように』

ユーリ?・・・あの女の名前?

『え?でも、執務で忙しいのでは?』

『前にも手伝ってもらった事のある書類の整理をお願いしたい。俺の執務室でユウリの仕事をすればいい。妃教育はその間、休みだ』

きさき、きょういく?・・・・何を言っているの?

ただの貴族じゃなかったの!?

これじゃあ、まるでアレクがこの国の・・・・・

『素晴らしいですわ!陛下!』

『普段通りのお二方でも十分に周りの者達は当てられておりますが、カミル様には伝わらないかもしれませんものね』

『え!?普段も皆からそんな目で見られてたの?私達!!』

『気付いておられなかったのはユーリ様位なものですわ』

『ご結婚されてからと言うもの、皇帝ご夫妻の仲の良さに結婚願望者が急激に増えたそうですし』

『えぇっ!?でもさっき、彼女が逆上するかもって言ってたじゃない!だったら帰るまで大人しくしていた方が・・・』

『いいえ、それを逆手に取るのです』

『失意のうちに国に帰るならば良しとしますが、ユーリ様に直接間接関係なく危害を加えるのであれば、一国の姫であろうと陛下が何をおっしゃろうと、容赦は致しません』


胸の中には滑稽な事に、未だ小さな希望の光が燈っていた。

その光を打ち砕く様に無情な現実がメアリーを打ちのめす。

先ほどとは違い、頭の中ではその現実を打ち消す何かを記憶の中から探り出そうとするけれど、今となれば肯定するような事ばかりが思い出され愕然とするしかない。

これまでの母親の言葉が、次々と鮮明に甦る。


無邪気に気を引きたくて、アレクにまとわりついていた時。

帰ろうとするアレクを、必死の我侭で引き留めにかかった時。

アレクが来ていたのに、会えなかった事に対して母へ八つ当たりした時。

母は何と言っていた?


母がアレクの正体を知っている事は、薄々感じていた。

『想いは叶わない』と言われた時、単なる身分違いの事を言われているのだと思っていた。

身分格差がかなり低くなったとはいえ、歴然とそれはまだ存在する。特に高位貴族は。

そんな簡単なものではないと、母は言いたかったのだとそう思っていた。

だから我侭を言えばいつも困った様に、すまなそうにアレクに謝っていた。

そして、彼が帰った後に必ず忠告してきた。時には厳しい言葉で。

彼の正体を知っていれば、確かにそう言わざるを得ない。


本当は心のどこかでわかっていたんだ。

彼に相手にされていない事。それが悔しくて、振り向かせたくて、意地になっていた事も。

彼が恐らく身分が高い人なのだという事も。

怖くて聞けなかったけれど、でも、自分の事を好きになってさえくれれば何を言われても一緒に居られるのだと、信じていた。いや、信じたかったんだ・・・

なんて、無様な・・・・なんて、無知な・・・・


メアリーは力なくベッドへと倒れ込んだ。

そんな彼女の耳に届いた声。



『城へ戻る』



それはメアリーが初めて聞く、威厳に満ちた本来あるべき姿の、初恋の人の声だった。






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