31
有里は朝起きるのが、得意ではない。
それは、あちらの世界でもそうであって、目覚ましをかけても三十分は布団の中だ。
なので、目覚ましはいつも三十分早めにセットしていた。
だが、この世界には目覚ましはなく、自力で起きなくてはならない。
いつもはリリとランに起こしてもらうのだが・・・・
「目覚めてしまった・・・・」
珍しい事に、起こされる前に目が覚めた。
今日はアルフォンスが帰ってくる。
昨日から気持ちが高ぶり、誰かと一緒の時はそうでもないが、一人になると落ち着きが無くなりずっとそわそわしていた。
自分でも驚くほど、彼と会える事が嬉しいようなのだ。
その気持ちがなんとなく青臭くて、そしてくすぐったくて、身体だけではなく気持ちまでもが若返っているのかと少し戸惑ってしまう。
ベッドから降りて窓から外を眺めれば、思いのほか雲が厚く今にも泣き出しそうな天気だ。
もしかしたら今日は帰ってこないかもしれない・・・そう思うと、どこか安堵するような、そしてどこか残念な気持ちになる。
無理をして何かトラブルがあったら・・・という事を考えれば翌日になったとしても無事に安全に帰って来て欲しい。
有里は心配性な上に妄想族なので、余計なことばかり考えてしまう。
だが、そうなったらと考えると、どこかで落胆している自分がいる事も否めない。
思えばアルフォンスと離れている間、時間の流れがとても遅く感じた。
今となってはあっという間に過ぎた感はあるが、やはり待ち遠しさを感じれば感じるほど、長く感じていた。
この気持ちはなんなのだろう・・・と考え、アルフォンスの事が好きなのだろうか・・・と再度、自問自答してみる。
それに対しての答えはいつもと変わらず、恋しいとは思うが恋愛とはまた違う感情だ。
それにどう考えても、今現在の関係から踏み込んだその先が想像できない。
これが恋愛感情だったら、フォランド達は大喜びするのだろうが。
だけど・・・そうなるとまさに、お妃街道まっしぐら・・・になるんだろうなぁ・・・
絶対、私には無理!自信ないし・・・
王冠を戴いた彼の隣で、煌びやかな衣装で手を振る自分を想像してみて、ぶるり・・と震えた。
彼の事は好きだし、大事にしたいし、守ってあげたいなどと、烏滸がましい事すら思ってしまうほどに想っている事は確かだが、やはり恋愛感情とは少し違う気がする。
この気持ちは、自分でも今一つ名前を付ける事ができない感情だ。
だが、あまり深くは考えなくてもいいのでは・・・とも思っている。
今はただ、アルフォンスに会える事だけを純粋に喜びたいと素直に思うから。
一つ息を吐き、身体をほぐすように伸びをすれば、リリとランが有里を起こすために部屋に入ってきた。
珍しく早起きだったことを双子に揶揄われつつも「今日も一日頑張ろうっ!」と声を上げれば、双子達はちょと諦めたように笑い頷いてくれるのだった。
本日は大人しく部屋での待機を言い渡されたが、手持ち無沙汰な有里は取り敢えずアルフォンスの部屋を整える事にした。
彼等は予定通り夜明け前にセイルを出発したと、先ほど連絡があった。
もし途中で雨に降られたらなど色々な事を想定し、着替えやら身体を拭く布やらを準備。
暖炉にもすぐに火を点けることができるよう整え、お風呂に直ぐに入れるようお湯の手配など、一つ一つ確認しながら事細かに進めていると、時間はお昼近くになっていた。
そろそろ昼食の準備を、と思ったその時だった。
「陛下が襲撃され、怪我を負った模様です!!」と、早馬が駆け込んできたのは。
そしてそれを合図とするかのように、雨粒が空から落ちてきた。
執務室に集まり、今後の対策をフォランドが各処に指示を飛ばす。
新たに数十名の騎士をアルフォンスの元へと走らせ、安全の確保を急いだ。
一度、セイルへの引き返しも検討されたようだが、距離的に既に半分以上進んでいたためそのまま帰ってくることを選択したようだった。
アルフォンスの怪我も、初期段階の処置が良かった為、命に別状はないとの事だが、あまり良い状態でない事は確かだ。
執務室の端で、リリ、ランそしてエルネストに護られる様に有里はひっそりと立っていた。
アルフォンス襲撃の一報を聞いてから心と身体が別々になったような、足が地についていないような、そんな感覚が続いていた。
平和だった日本の生活の中でも突然の出来事が起こることは稀で、自分が事故にあった事くらいにしか命に関わる様な出来事がなかった。
つまり、有里は現実を受け止め切れずにいるのだ。
執務室から一斉に人が出て行き、残ったのはフォランドと有里達のみ。
一つ大きな深呼吸をする。
しっかりしろ!有里!
パンッと両手で頬を叩き、自分を叱咤する。
そして、何が起きたのかを改めて聞いた。この地に足を着けるために。
それは、セイルとの県境を過ぎた森の中で起きたのだという。
昼頃、一旦休憩を取る為に立ち止まったその時に、弓で狙われたのだ。
計三本放たれたが、二本は外れ一本がアルフォンスの腕を掠めた。
アーロンはすぐさま犯人を追うよう指示を出し、医療班が治療をしたが、ご丁寧に矢じりには毒が塗られていたのだ。
幸いにも、持っていた解毒剤がその毒には有効だったため命に関わることはないが、一旦体内に入った毒は解毒剤を飲んだからと言ってすぐに消えるわけではない。
本来であれば完全に毒が消えるまで安静にしていなくてはならないのだが、ここは森の中。しかも雨まで降ってくる始末。
距離的にも先に進んだ方がいいと判断され、強行を余儀なくされたのだ。
犯人探索と、ほかにも潜んでいないかと周辺の捜索を含め、十数名ほどの騎士を残し、すぐに出発したのだと言う。
強張った表情で話を聞いていた有里は、ほっと息を吐くとフォランドを見上げた。
「フォランド、もう、自室謹慎なんて言わないわよね」
その目はいまだ不安げに揺れてはいるが、どこか強い意思をも湛えており、フォランドは暫しその目を見つめ返した。
「貴女に何ができますか?」
「私を利用すればいい」
「貴女を?」
「そう。正確にはこの『色』を」
私は女神の使徒と呼ばれている。実際、ユリアナに連れてこられたのは本当だけど。
「私は城内にいる使用人達よりも役に立たないかもしれない。それこそ下働き程度の仕事しか出来ないと思う。でも、この『色』は彼等に良い影響を与えると思うの」
キッと睨み返すようにフォランドの目を見つめ返す有里。
こんな時に、部屋でじっとなんてできない。
動いていなければ、心配のあまり気が狂ってしまいそうだ。
「私はこういう時に何が必要なのかはわからない。私のいた世界で、私の身近では命のやり取りに関する出来事が無かったから。でも、アルは私に約束してくれた。誰一人欠けることなく帰ってくるって。だから私はその人達の負担が少なくなるように、迎えてあげたい!その為に私は働きたい!」
言葉にしていくうちに、気持ちの整理がついてきたのか、震えは止まりその瞳にはもう揺らぎはなかった。
フォランドもまた、彼女の変化に目を細め、そして口の端を緩く上げた。
「わかりました。許可しましょう。但し、リリとランを必ず傍においてください」
「わかった」
そう言うと、有里は一旦着替えるために自室へ戻る事にした。
裾の長いドレスでは動きづらい。この世界に来るときにユリアナに用意してもらったあちらの世界の服装に身を包む。
ジーンズにロングシャツ。そしてスニーカー。
シャツは腕をまくり、ウエストはシャツがだぼつかないよう細身のベルトを締める。
リリとランも動きやす服装に着替え、三人はまず再度アルフォンスの部屋で彼が帰って来た時の為の準備をし直し始めた。
怪我をして帰ってくるのであれば状況が違ってくる。
清潔な布を多めに。着替えも何枚か準備。・・・とにかく治療に必要な物を整えていく。
それが終われば、部屋を飛び出し治療室となる予定の部屋へと向かう。
怪我人収容予定の一番広い部屋は慌ただしく室内を整え始めており、簡易ベッドや医療器具、薬などがどんどん運ばれてくる。
本日帰ってくる者の中には、少し怪我の重い者もいるのだという。昨日帰って来た隊は賊の護衛もしなくてはいけなかったため、怪我をしていても比較的軽い者ばかりだった。
この度の討伐では幸いな事に、命に関わるほどの重傷者はいない為、全員が帰還する事になっていた。
だが、この雨。症状が悪化するであろう事は容易に想像できる。
「キース!何か手伝う事はない?」」
有里が医務室を取り仕切る医療班責任者のキースを見つけ、直ぐに何か仕事はないか指示を仰ぐ。
「ユーリ様!こちらは今の所大丈夫ですが、怪我人が何人いるか定かではありませんから、後ほどお願いするかもしれません」
「わかった。また来るわ!」
彼がいればここは安心と感じた有里は彼にねぎらいの言葉をかけ、他の部屋を手伝うべく移動した。
城内の人達に交じり動き回る有里を、これといって特別扱いするわけでもなく何時も通りに接し声を掛けあう人達。
そんな中には、第三近衛師団分団長のエイド達も含まれていた。
と言うのも昨日、レスター達も帰還しており本日より有里の警護を再開したため、一旦、有里の警護を離れ城内の警護に集中しているのだ。
有里とレスター達は、彼等が帰って来てすぐに感動の再会を果たしその無事を喜び合ったばかりで、今も双子達と一緒に有里を護衛しながら走り回っていた。
各部屋の準備が終わり、厨房に顔を出し違和感なくて手伝い始める有里。
又、彼等も当然の様に受け入れ、あれこれと指示を出す。身分など関係ない。此処はまるで前に生きていた世なのではと錯覚してしまうほど、心地良い。
特に今日の様に無心で働きたい時は。
全ての料理を運び終え一息ついていると、ランが駆け込んできた。
「陛下達がもうじき到着すると、知らせがありました!!」
その言葉に有里の心臓が大きく跳ねた。
「さぁ!ユーリ様も行きましょう!」
リリが有里を急かすように手を取って、駆け出す。
「リリ!そんなに急がなくても・・・」
有里はもつれるように足を運ぶが、心中穏やかではない。
嬉しさを通り越し、怖くて仕方がない。
早く会いたいのに、会いたくない。
弱っているアルフォンスを見るのが、怖いのだ。
心臓がどくどくと、本人の意思に反し大きく脈打つ。
しっかりしろ!!此処で怖気づいてどうする!
本日何度目かの叱咤に、頭を大きく振った。
そして、引きずられるだけだったその足を己の意思で動かし、アルフォンスに会うために走るのだった。




