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雨のプロポーズ

作者: 村瀬ひさり

 雨の降る中を歩くのは、あまり好きじゃないな、と言った。

「どうして」

 隣でこんな雨の中だというのにさっきから鼻歌交じりで機嫌よく歩いている園子が不思議そうな顔をして聞く。

 まるで、有名パティシエの作ったシュークリームを食べてたいしたことないなと言ったときのように、あなたは何でもたいしたことないで済ませる気なのね、とふてくされるような声で、なのに足取りはびっしりと花が咲き乱れている草原を軽やかに誇らしげに一歩一歩爪先立って歩く。

 あなたって信じられない、と言われるのか、面白くない、と詰られるのか、どちらかだろうと思ったけれど。

 かわいらしいピンクの傘をくるんとまわして振り返ってくるのを見ていると、どちらも違っているのかもしれない。

「ねぇ、どうして」

「どうしてって」

 でも、理由を聞かれるとは思わなかった。

 どうしてなんだろう。


 聞かれると、それをこれこれしかじかですから、と答えることが出来ない。好きじゃないから、では答えにならないらしく、こういった問答は今までに何度も繰り返してきた。

 たとえば海はあまり好きじゃないとか、たとえば電車はあまり好きじゃないとか、たとえば小説はあまり好きじゃないとか。

 海は好きじゃない、と言ったのは真夏の海水浴に誘われたときだった。じりじりと日差しが照りつける中、水着を着た園子が目の前を嬉しそうにはしゃぐ姿を想像するのはなんとも魅力的は光景だったが、そこに自分がいるというのはどうにも馴染めなかった。

 自分も海水パンツを穿いて、ビーチパラソルの下で水飛沫を上げて走る園子に手を振るのか。

 それとも一緒になって膝まで水に浸かって遊ぶのか、引いて行く波に足を掬われそうになってよろけたり、ふざけて倒れこんできた園子を抱えて水の中にダイブするのか、塩辛いとわかっている海の水の中に。

 それはどうかな、と言うと園子は「どうして」と聞いてきた。園子にとって夏は海でしょう、と直結しているものらしかった。暑い砂浜で二人で足の裏を真っ赤にして走り回ったり、白い波を追いかけて水の掛け合いっこをするのが夢なんだと言う。「彼氏ができたらそれをするのが夢だったの」と愛らしく口を尖らせて言うのに、どうにも逆らえなくてじゃあと思い切って車を出して向かった先の海は、しかしあいにくの雨で水着になるのはもちろん、車から出ることすら叶わなかった。

 残念だったね、とがっかりした顔の園子を慰めて、少し走ったところにあったレストランで雨宿りをしようかと言ってみたところ、それは園子にとってとてつもなく素晴らしい提案だったようで「こんな風に誘ってもらうのが夢だったの」と目をきらきらさせながら微笑んだ。

 そこで食べた細身のパスタの味は、今でも忘れられないな。

 静岡産の桜海老と水菜をざっくりと和えた、見た目はごくシンプルなパスタは程よい塩加減と野菜の新鮮さでそれまでに食べた味とは全く異なっていた。使っているのは普通のオリーブオイルなのかそこがちょっとわからなかったけれど、焦がした風味が嫌味じゃなくてなんだかいくらでも食べられそうな味だった。昼時のレストランは晴れていたのなら客も多かったのだろうけれど埋まっているテーブルは一瞬で数えることが出来るくらいまばらで、、一日中降り続いているようなどんよりとした天気ではそれを楽しむ客を見込めないとでも思ったんだろうか、テラスやらエントランスやらに出すはずだったんだろう色とりどりの花が植えられているプランターが窓の外のデッキに一塊になって置かれていた。雨粒がそのプランターに容赦なく降り注がれるのをフォークで器用に巻き取ったパスタを口に運びながら見ていたところに、「ねぇ」と話しかけられた。

「雨の音ってステキね」

 ばしゃばしゃばしゃ、と窓を不規則に叩きつける雨の音は、園子が言うほど素敵とは思えない。

「そうか」

「そうよ」

 うっとり、と言っていい表情でフォークにからんだパスタを口に入れた園子は、しばらく口を動かしたあとにもう一度「そうよ」と言った。


 雨の中をくるくると踊るように歩いている園子はあの時と同じ、自分とは正反対で楽しげで柔らかで、今にもこの手の中から飛び出しそうで。

 思わず、声に出た。

「園子、結婚しよう」

 ぴょん、と飛び上がった背中にこちらから追いつく。見上げてくる顔がどんな表情なのかは、わからなかったけれど、笑っていてくれたらいいなと思う。

「それが理由?」

 微笑んだ顔の真ん中で、小さな唇がチュッと窄まる。「ああ」と答えて、すかさずその唇にキスをした。


 たぶん一生、雨は嫌いになれないだろうなと思いながら。


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