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「東京 ほたる」

作者: 夢@フクロウ

暑い夏の夜。オートバイに乗る友人が見せたいものがあると言って電話をかけてきた。彼のアパートに行く途中で女性ライダーに出会ったがそれは。。。

「今からこいよ」


スマートフォンの向こうの声は命令するように言った。


「なんで今からおまえのところまで行く必要があるんだよ」


航平はそう言って時計を見た。午後11時半前。今晩は正午の気温が32度まで上がり湿度も多く今シーズン何度目かの熱帯夜になっていた。着ているTシャツの背中がべったりとあせで背中にくっついてうざったい。


「いいからこいよ」


もう一度そう声が命令した。


「おまえに見せたいものがあるんだ」


スマートフォン画面の上で飛び回る丸いなんだかわからない物が笑っていた。


「見せたいものってなんだよ」


その言葉に興味を惹かれ少し大きな声で聞いた。そう言うと同時に


「いいからこいよ」


もう一度スマートフォンの向こうの声は同じ言葉を繰り返した。


「見せたいものがあるんだったら今説明だけしろよ。明日になったらそこに行くから」


すこしいらいらしながら相変わらず飛び回っている物体を見ながら声の相手に告げる。


「今じゃないとだめなんだよ。時間がないんだ。今そこからすぐこいよ」


声は半ば強制的に告げる口調に変わった。こうなるともう引かない相手だということを航平は知っている。


 「わかった」


と言ってスマートフォンの画面を動き回る物体を指で弾くと、そのままベッドの上にその機械を投げつけた。


どうせ順平のことだから、新しく買ったライディングジャケットの様子でもみせたいのだろう。いつも新調したものをおれに最初に自慢したがる。航平はそう思いながらそばにあったフルフェイスを左手に持つと同時に玄関に向かい、黒いハーフブーツを履きながらドアを開けた。


むおんとする空気の中から都会の深夜のさまざまな音が響いて来た。あそこまでならこの時間なら30分もあれば着く。スタンドを静かに起こしオートバイを道路に出してエンジンをかける。そして街頭のひかりに照らされる空間に走りだした。フルフェイスのバイザーを右手でパチンと閉め、夜の空気を鼻の先で遮断する。行き先を失った風は心地良い波となって首筋を伝って行く。環状8号線のこの辺りは日中であっても交通量は少ない。深夜の今はなおさらだ。


なにげに前方の赤いテールランプに視線を定め、体を右に倒しながらアクセルを開ける。ドライバーの顔は見えない。瞬く間にヘッドライトの光がバックミラーに映って消えて行く。排気音が立体交差にこだまし、2ストロークスクエア4のスズキは中原街道、246号線をクロスして行った。青色、黄色、そして赤。シフトダウンをして速度を落とし前輪のフロントフォークを沈ませ信号を待つ。その時、低い排気音をさせながら隣にフルカウルのオートバイが止まった。直線が鋭く前方に沈み込むシャープな影。デュアルヘッドライト。そしてガソリンタンクにはウイングのマーク。赤と青のカラーリングが白いベース色に鮮やかに伸びている。トリコロール。ホンダの新しい4ストロークオートバイ。30年前のレーシングスタイルを持つ航平のオートバイとは対照的なシルエットだ。


航平はそのオートバイに乗っているライダーを爪先から上に向かって見上げっていった。青いジーンズに黒いレザージャケット。白いフルフェイスの後ろからポニーテールに縛った髪が首の付け根よりちょっと下までたれていた。女だ。夜の街頭の灯りでは胸元の起伏は影になっていて見えない。しかし、肩から腰、そしてつま先にかけての曲線の穏やかさがオートバイの少しだけある丸みと一体になっている。カタン。彼女の左足がギヤを一速に入れる音がした。そしてすぐその後、低音の唸り声が高くなったとたん、彼女は航の視線をひきつけたまま前方に走りだした。


プッっと後ろの青と白の回転マークのエンブレムをつけた4ドアセダンの外車がクラクションを鳴らすのを聞いて、信号が青に変わっていたのに気がついた。前方にまだうっすらとホンダのテールランプが赤く見えている。このとき航平は頭の中で一瞬の選択をしていた。こんな時間におれを呼び出した人間の所にこのまま真っ直ぐ行くか、それともホンダのトリコロールを追って行くか。心の中では彼女がどこに行くのか知りたくなっていた。そして、ヘルメットの奥に隠れる彼女の顔を見てみたかった。もう一回クラクションの音を聞いたときには、前方の赤い一灯の光に向かって走り出していた。


ギヤを二、三、四と上げて六速に入れるとそのまま彼女の後を追う。スピードは決して遅くはない。バックミラーを見れば後ろからついてくる一台のオートバイ がいることを彼女は分かっているはずだ。航平は追う者としての感覚を楽しんでいた。この次の交差点で右に曲がれば順平のアパートへ行く道だ。驚いたことに、彼女の乗るホンダは右に曲がった。綺麗にバンクし少しもぶれるところがない。街乗りがかたちになっている。航平はちょっと感心しながらこのまま行けば今度は順平が待っているアパートの横を通り過ぎると思った。


信号を3つやり過ごしたところに順平のアパートはある。彼は航平の乗るオートバイのくせのある音を聞いて窓から顔をいつも出してくる。しかし今はホンダのトリコロールカラーが最後のそのため息をついたときに覗き込んだ。さっきまで追いかけていたオートバイがスピードを緩めながらその方向をアパートに向けた時、航平も不思議とあたりまえのように後ろをついて行き、彼女の横に止まりサイドスタンドを出した。


「おう、来たな二人とも」


順平が二人を交互に見た。


「はやく入れよ。やっぱり一緒に着くと思った」


二人とも、わかっていないのは当然だというような顔をしている。


「こんばんは」


航平が順平の頭の後ろから視線を右にずらすと、さっきまで赤いテールしか見せてくれなかった彼女がそこにいた。ヘルメットをかぶっていたせいで少し乱れた長い髪を右手でたくし上げながら挨拶した。鼻筋が通った端正な顔立ちをしている。歳は自分と同じぐらいだろうか。順平よりは少し年下のような感じを航平は持った。


「あ、こ、こんばんは。おはようかな」


左手にはめた安物のムーンフェイスがついた腕時計に目をやると零時を少し回っていた。


「なんで、ここに」


初対面の場合、当然だれかを尋ねるのが先なのに、航平はさっき彼女が信号で横に並んだのが最初と思いこみそう訊ねた。


「あなたは、彼の友達?あなたも、彼から呼ばれたの?見せたいものがあるって?」


矢継ぎ早の質問は、彼女が先だった。


「そう。ぼくはあいつの知り合い程度かな」


実際、航平と順平とはそんなに長い付き合いではなく、ほとんどがオートバイでのツーリングでの付き合いだった。出会ったのは旅先でのユースの食堂だった。


「そう、とにかく中に入って、彼になんで呼んだのか聞いてみましょう」


彼女はそう言って、二階に上がる階段を上って行った。


「まあ、そこに座って。今、なんか飲み物とってくる。暑いな今日は」


「ああ、暑い」


航平はそう言ってあたりを見回したが、特に前に来た時と変わっている様子はなく、いつもどおりの彼の部屋の中だと思った。航平が彼女を見るとやはり同じ様子でその不思議な魅力を感じさせる目は何かを捜しているようだが何も見つからなく、当惑した表情を作っていつように思えた。


「お待たせ。これでいいか」


よく冷えたコーラをビンで3本持ってきて順平は2本を航平と彼女の前に置いた。そして残った1本をぐいっと一息入れて飲むと、そのまま喋りだした。


「おれの彼女だ。名前は美津子」


えっ?と向き直った航平のほうを見ながら順平はにやけている。


「おれの一番の親友だ。名前は航平」


と今度は彼女に向かって言った。


「もしかして、見せたいものってこのことかしら」


彼女は少しだけ微笑みながら聞いた。


「そういうこと。どうしても一緒に今、紹介しといたほうがいいと思った」


彼は、コーラのびんを口元に持っていく前に言った。


「なんだ、そういうことか。見せたいものって言うからてっきり何か物だと思った」


航平はおのろけなら他でやってくれよといわんばかりに少し低い声で言った。でも順平らしいのは確かだと思った。いつも自分の気分の都合がいいときしか自分のことを語ろうとしないのだから。今がそのいいときなんだろう。そう心の中でつぶやいてから航平はこう言った。


「ごきげんだな」


「そう、今はごきげんだ」


順平は答える。


「私はすこし眠いわ。ちょうどベットに入ろうとしていたところに鳴ったの。でもあなたのお友達に会えたのだから嬉しいわ」 


そう言って彼女は手を僕の方へ差し出した。


「あらためまして、彼の親友さん」


「こちらこそよろしく。トリコロールの彼女さん」


手はすべすべで暖かだった。そして長い指。航平は思った。こんな手をした彼女ができるだろうか。


「よう、美津子も航平ももう知り合いだな。よし、これから走るぞ」


そう言いながら彼の手はオートバイのキーを取り上げていた。


それから三人は、順平、彼女そして航平の順で夜の道を走り出した。二つの赤いテールランプがきれいに航平の前を進んでゆく。それは外灯、道路標識、工事中の案内、レストランの灯り、信号機、そしてマンションの防犯灯やらいろいろな都会の証とでもいうよな輝きの森の間をただよう蛍のような感覚だと航平は思った。二匹の蛍が仲良く逃げていく。交互に絡み合い、まわりそして離れる。ダンスをする蛍。あいつのカワサキはまだ彼からみると十分に飛ぶことができないトリコロールをやさしく導く。それを追いかけるもう一灯の自分。順平が見せたかったもの、ほんとうはこのことではなかったのだろうか。航平の頭の中で随分前に見た月灯りが草木や川の水に反射する中で飛ぶホタルの様子が思い出されていた。


こんなとき走るルートは決まっていた。湾岸まで降りて山手通りから甲州街道に戻る。でもそれは順平の場合だ。航平は手前で中原街道に入る。パッシングと左手を上げながら航平は左にターンシグナルを出しながら体重をぐっと左に移しそのまま交差点を曲がった。順平と彼女と一緒にまっすぐ十字路を進んで行く。航平は曲がりながら思った。順平はいつも航平がここで曲がるのを知っているのだから後で彼女にこう言うのに決まっている。


「あいつは、あそこでいつも消えるんだよ」


そして彼女はきっとこう答えるだろう。


「まあ、信号の色が青でさよならの意味なのね」


くすっと笑いながら。


航平はそう考えるとまだ一速残っていたギヤを入れると、前にも後ろにも他に動くものがない暑い日の夜の中を駆け抜けて行った。


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