第八十五話 筋肉との戦い
魔道祭の次の日、僕達はまだ学園都市ビブリオートニスを出ていなかった。鍛冶師のネシアとヴェルク達に別れを告げた手前、残るのは少し気まずかったが、流石に昨日の疲れが残っていたので出発を延期したのだ。
昼頃になると体力はすっかり回復していた僕は、ベッドに寝転びながら賞品のラスベガスのチケットを眺めていた。
「どうしようかな……」
僕の悩みはこのチケットが一人分しかない事だ。ラスベガスには行きたいけど、セリアを置いていくなんて論外だ。でも折角のチケットを使わないのももったいない。誰かにあげるというのも、あれだけ苦労したことを考えるとなしだろう。
『うじうじ考えてもどうにもなんねぇだろ』
「まぁ、それもそうなんだよね。よし、とりあえずお昼ご飯食べに行こうかな」
宿の裏手でひっそりと魔法の練習をしていたセリアに声をかけ、昼ご飯を食べるべく屋台を目指す。魔法祭が終わったことでかなり屋台の数は減ったが、それでも来た頃よりもずっと多い。
あれこれと目移りしながら屋台を巡っていると思いがけない人と出会った。
「む? おぉ、君は魔道対戦で優勝した少年ではないか。良い筋肉であったぞ」
相も変わらず半裸で肉体を輝かせているギルドマスターだ。ギルドマスターは大きな肉の塊にかぶりつきながら僕に声をかけてきた。
「そ、それはありがとうございます」
「あぁ、敬語は使わなくて構わんぞ。君は我輩が認める筋肉である。筋肉の前には堅苦しい礼儀など不要であるぞ」
組織の長なのに、新人の冒険者にタメ口を許すって大丈夫なのかな……。まぁ、ここは言う通りにしておこう。
「は、はぁ……。それで、ギルドマスターはどうしてここに?」
「うむ、よくぞ聞いてくれた。実は昨日の祭りでの熱が冷めやらないのである。よって、熱を冷ますために一勝負、筋肉を競い合おうと思って相手を探しているのである。丁度いい、少年よ、相手をしてもらえないであるか?」
「申し訳ないんだけど、明日にはここを出ようと思ってるからあまり体力を使うことはしたくないんだ。ただでさえ一日延期したところだからね」
「むぅ……それは残念である。なにか急ぎの用でもあるのであるか?」
「いや、特にはないけど」
何か嫌な予感がする。素直に答えるべきではなかったかな?
「では更に一日延期しても問題は無いと」
「それはそうだけど、僕に延期してまでギルドマスターと戦う利益がないよ」
「利益があれば良いのであるな? なにか望みを言うといいのである。可能な限り叶えようではないか」
どうしても僕と戦いたいみたいだね。まぁ、僕としても戦うのが嫌って訳でもないし、むしろギルドマスターみたいな強敵と戦える経験は貴重だ。
だから戦ってもいいんだけど、折角なにかしてくれるって言うんだし……んー、望み、か。あ、そうだ。
「ラスベガスの入場券が一枚欲しい」
「なるほど、少年の連れの分であるか。あいわかった。丁度我輩、持っているのである。筋肉を発揮できる場もあると聞いていたので手に入れて置いたのである。しかし時間が無くて使うことが出来なかった券であるので遠慮なく持っていくのである」
ダメ元だったんだけど、まさかあっさり通ってしまうとは……。手合わせの報酬としては破格すぎるんだけど、ギルドマスターにとってはそんなに価値がなかったのかな? でも欲しかったのは本当だしありがたく頂こう。
「あ、あんまり人に見られない所がいいんだけど」
これだけの報酬をもらったんだ。僕に出せる全力、すなわちソルとフューのサポートありで戦うつもりだ。だがそれを大勢に見られると流石に大騒ぎになるだろう。
「ふむ、そうであるな。ではギルドの地下へと行くのである。あそこは試験の為の場所なのであるが、今試験を受けようとする者はいない為、貸し切るのは容易である」
僕はステーキを売っている屋台を買い占めているセリアを呼び、事情を説明した。
「どうする? 屋台巡りしててもいいけど」
「見に行く。ソーマとギルドマスターの戦い、面白そう。それに、ソーマが戦うのは私の為だから」
「そっか。セリアに応援してもらえるならかっこいいところ見せないとね」
あとは、フューを呼ばないとね。夜中に出かけていったのは気づいたんだけど、まだ帰ってきていない。
僕は属性変換をしていない、ただの魔力の塊を空へと打ち上げた。魔力には色が無いため、気づく人はほとんどいないだろう。
流石にギルドマスターは気づいたようで、僕が何をしたのか不思議そうに見ている。
十秒もしない内にフューが僕の頭へと飛び乗ってきた。
「ほぅ、そのスライムは少年の従魔であるか?」
「そうだよ。手合わせにはこのフューも参加するけど、いいよね?」
「もちろんである。従魔も少年の力の内である」
ギルドの地下へと到着した僕は、周囲を見回した。試験を行う場所だけあって、広さはかなりのものだ。恐らく造りもかなり頑丈だろう。
天井にはいくつも明かりの魔道具があって、明るさも充分確保されている。
「それでは早く戦うのである。早く、筋肉の解放を――!」
「わ、わかったよ。それじゃあセリア。合図を頼めるかな」
「ん。わかった」
セリアは僕とギルドマスターの間に来ると、魔法で薄い氷の壁を作って僕とギルドマスターを隔てた。開始と同時に氷の壁を砕き、合図とするのだろう。いいね、こういう凝った演出は大好きだ。
ギルドマスターと僕は睨み合う。ギルドマスターは圧倒的に僕よりも強い。それは昔ソルと共に戦っていたということだけではなく立ち振る舞いからもわかる。
刀を握る手に汗が滲み、刀がかすかに揺れる。だが、怖気付いているのではない。闘志に満ちているのだ。
「こほん。……勝負――――開始」
パリンッと小気味いい音を立てて氷が砕け、同時にギルドマスターの姿が消えた。
どこに――
『上だ!!』
ソルの言葉に咄嗟に頭をかばうように刀を掲げた。直後、とてつもない衝撃が腕にかかる。足が地面に数センチ埋まるほどの衝撃。視線を上に向けるとギルドマスターの太い腕が刀を殴りつけているのが見えた。
筋力が違いすぎる……!
真っ向からぶつかるのは得策ではないと判断した僕は、土魔法で地面の質を変え、滑るようにして離脱した。
距離をとって正面からギルドマスターを見つめたが、ギルドマスターの姿は既に原型を留めていなかった。
そこにいたのは、筋肉の塊、いや筋肉の化身とも言うべきものだった。
また筋肉です。




