第三十九話 大洪水
僕は母さん達の魔法の巻き添えを喰らわないよう、魔物の頭を踏み台にしながら村の中へと戻った。
僕の帰還を確認した母さんは詠唱を終え、その技の名を告げる。
「――その大いなる力をここに顕現せよ。《水の反逆》」
母さんの言葉と同時に膨大な量の水が生まれた。その水は凄まじい勢いで発生し続ける。その生まれた水の行き先はもちろん敵である魔物――ではなく、落とし穴だった。
正確には、落とし穴に作られている横穴に、だ。
自分たちに向かって魔法が来ると思っていた魔物達はどこか間の抜けた表情をしている。そして魔法が全て穴に注ぎ込まれていると気づくと、母さんが狙いを外したとでも思ったのだろう。嘲笑を浮かべた。
ニタァと嫌らしい笑みを貼り付けながら、魔法発動中で隙だらけの母さんに近づこうと一歩を踏み出したその時、地面が崩れた。
魔物達は、何が起きたのか分からず、目を見開きながら落ちていく。そして地面の崩壊は留まるところを知らず、次々と魔物達を呑み込んでいく。
空中から観察してみると、村を囲むようにどんどん地面が崩れていっている。やがて、地面の崩壊は村をぐるっと一周した。上空から見ると、地面の崩壊でできた穴が外側を囲み、その内側に父さんが作った落とし穴が円を描いている。
ちょうど二重丸の真ん中に村がある感じだ。
穴に落ちた魔物は、水の中で暴れている。穴の中には母さんの魔法が届いているようで、水の流れに呑まれてしまっているのだ。
そして、水の中でもがいている魔物達に更なる悲劇が訪れる。フューの魔法が発動したのだ。フューが発動したのは氷魔法で、魔物達がいる水はみるみるうちに凍結していく。
凍っているのは表面だけで、中では魔物達が暴れているさまが見受けられるのだが、水中では大した力も出せないため、氷を破ることは出来ないだろう。しばらくすれば窒息して命を落とすはずだ。
魔物達の約半数は突然生まれた巨大な穴に吸い込まれ、氷によって水の中に閉じ込められてしまっていた。辛うじて落下せずにすんだ魔物達は皆一様に恐怖で顔を引きつらせている。
崩壊が収まると、母さんの魔法は落とし穴に向かって放たれた。水はうねりを上げ、土砂を巻き込みながら落とし穴の中を走り出す。
そして村人達が防衛している所まで達すると、そこに山積みとなっている死体を洗い流していく。
最終的にはその死体を川まで押し流してしまった。あらかじめ、川まで水路を引いておいたのだ。
死体は川を真っ赤に染め、ぷかぷかと浮かびながら流されていく。
作戦は大成功だ。相手の戦力の約半数を削り、落とし穴の中の掃除もできた。そして魔物達の戦意もかなり削げたようだ。
上空からの観察を終えた僕は、母さんの所に降り立つ。
「母さん、お疲れ様。バッチリだったよ!」
「そう〜……。それは、よかったわ〜……」
母さんの顔を覗き込むと、血の気を失い真っ青な顔に、汗をびっしりと浮かべていた。息は荒く、かなり消耗しているのがわかる。
「ど、どうしたの!?」
『ただ魔力の使い過ぎただけだ。しばらく休んでりゃすぐに治るから、そう騒ぐんじゃねぇよ』
「魔力を使い過ぎたらこうなるのか……」
はっ、じゃあ同じ規模の魔法を使ったフューは!?
僕は慌ててフューを探す。僕の心配をよそに、フューは柵の上にいて、自分の活躍を誇るように胸を反らし、僕を見ていた。
「フューちゃんは……やっぱり魔力が多い、のね〜……」
なるほど、魔力量が違うからフューは平気だと。いや、よく見ると少し疲れているような気もする。いつもより体に艶がない、ような?
「フューもお疲れ様、凄かったよ」
僕はフューを抱き上げ、労をねぎらいながら魔力を譲渡する。魔力を注いでいくにつれ、フューの体が心なしかテカテカとしていく。
フューの肌の艶は一種のバロメーターなのかな?
「それにしても、上手くいってよかったね」
「そうねぇ〜。お父さんが頑張ってくれたおかげね
〜」
『半ばヤケクソになって穴掘ってたからな』
そう、地面が崩壊した理由は父さんが穴を掘ったからなのだ。実は父さんに頼んだ穴掘りは、柵の周りの落とし穴だけでなかった。そこから少し離れた所の地下も掘ってもらった。
簡単に言うと、崩壊した地面の下を空洞にしてもらったのだ。下に何も無い地面は非常に崩れやすくなっている。魔物達が踏み鳴らしても辛うじて耐えきれる程度の強度はあったが、そこに母さんの魔法の衝撃が加わると耐えきれるはずもない。
地面は崩れ、魔物達は真っ逆さまに落ちていく、というわけだ。しかも落ちたは空洞で母さんの魔法により水で満たされている。落下の衝撃こそあまり無いものの、水流に呑まれパニック状態だ。
そこにトドメとばかりにフューの氷魔法。冷静な判断が出来なくなっている魔物達はなす術もなく、氷によって閉じ込められてしまったのだ。
そしてついでとばかりに、母さんの魔法は落とし穴のゴミ掃除も完了させてしまった。
目の前の仲間達が一瞬のうちに水の中に閉じ込められ、更に仲間の犠牲でやっと出来た道すらも奪われてしまった魔物達には、ほんの少しの同情を抱かざるを得ない。
さて、その魔物達はと言うと――逃走を始めていた。
これは仕方が無いことなのかもしれない。さっき述べた通り、彼らは仲間を大勢失ったにも関わらず、振り出しに戻されたようなものなのだ。
勝てないと考え、逃げるのも生物としては仕方ないだろう。
だが、魔物軍の司令官であるスコルが、そんなことを許すはずもなく、何度も吠えて戦うよう指示を出す。
よほどスコルが恐ろしいのか、はたまたフラムにかけられているであろう魔物を従える魔法のせいなのか、渋々戦いを再開する。
とはいえ、先ほどの恐怖は拭えないのか、どこか及び腰だ。明らかに攻める勢いが衰えている。
『これなら勝てるかもしれねぇな。懸念材料だったスコルも動く様子がねぇし』
ソルの言う通り、スコルは離れた丘から遠吠えなどで指示を出すだけで動く素振りはない。
……それっておかしくないかな? なんで明らかに劣勢なのに救援に来ようともしないんだ? すぐにフューの氷を壊せば、助かる仲間もいるだろうに。
なにか離れられない理由でもあるのかな?
例えば――守るべき対象がいるとか。
「ねぇ、ソル。スコルが動かないのってさ、あそこにフラムがいるからじゃないかな」
『……かもしれねぇな。それならあのフラムに甘すぎるスコルが動かねぇのもわかる』
ソルの言い振りから、フラム達の性格などの、個人的な事もよく知っているのが窺える。どんな経緯があったのか気になるけど、今はそれどころじゃないね。
「フラムがあそこに居るってことは、今がチャンスってことだよね」
フラムは今かなり弱っているはずだ。なら、今がフラムを仕留める絶好の機会だよね。ここで始末しておけば、あとの厄介事がなくなる。
『あぁん? 何言ってんだ馬鹿。フラムは弱体化しているだろうが、スコルは健在だ。しかも、現在オレ達は魔法が使えねぇ。弱体化してるっていうのはオレ達も同じだ。魔法無しでAランクと一対一でやり合おうってか?』
Aランクの魔物というと、国の騎士団が派遣されるレベルの魔物だ。数十人のよく訓練された騎士達が戦い、ようやく討伐できるような魔物だ。
前回のフラム達との戦いは準備を万全にし、罠を仕掛けたから何とかなっただけだ。
だが、今回は準備も不十分だし、罠もない。何より魔法が使えないのだ。そんな状態で戦いを挑むのは無謀かもしれない。
だけど――
「出来なくはない、と思う。スコルはまともに動けないフラムを守りながら戦わなくちゃならない。それに、別にスコルと戦う必要はないんだよ。フラムさえ始末できれば僕達の勝ちだ」
気づかれないように殺すのなら僕の得意分野だ。なんたって僕はアサシンだからね。
『確かに、お前の技術ならやれるかもしれねぇが、リスクが高すぎる』
「それでもやる価値はあると思うよ。ここでフラムを逃せば、また同じことの繰り返しだ。だったら今、終わらせるべきだと思う」
この村には大切な人がいる。彼らを危険な目に合わせるのはもう嫌だ。
「やろう。ソル」
『……あぁっ! ったく、仕方ねぇやつだな! わかったよ、やればいいんだろ』
「ありがとう、ソル」
それじゃあ、任務開始といきますか。




