第百八話 最深部
僕に向かって突きつけられた無数の槍、剣。それらは壮絶な死の気配を纏って襲い来る。数秒後には僕の全身を貫き、命を刈り取るだろう。
幸いと言えるのは、レオーネをその身に内包したフューは僕よりも高い位置に居て龍骨人の射程外だということだろう。
とはいえこのままでは僕は串刺しにされ、命を落とす。ただでさえ薄氷を踏むような状況だ。ここで僕という戦力が失われてしまえば、フュー達の命だって危うい。
だから、僕は絶対に死ぬ訳にはいかない。だけどこの絶体絶命の状況はもう無傷では乗り越えられない。身動きが取れない空中で、尚且つ体勢を思いっきり崩されてしまっている。
──なら、負傷を許容するしかない。
僕は背筋に力を入れ、全力で上体を反らした。その行為のみに注力した結果、僕の上半身は紙一重でAランクの魔物、龍骨人の攻撃を回避することに成功した。
その代償として、僕の下半身は槍に、斧に、薙刀に、ナイフに、剣に、散々に貫かれた。肉が裂け、骨が砕け、血が吹き出す。
「────!!」
僕は歯を食いしばり、その激痛に耐える。だが、これでは不十分だ。これだけでは死までの猶予を僅かに伸ばしたに過ぎない。数瞬後には下半身を貫く武器によって引き寄せられ、嬲り殺しにされるだろう。
だから、こうするしかない。
「ああああぁぁぁ!!!!」
喉が張り裂けんばかりに叫び、僕は取り出した刀を振り下ろした。刀は狙った対象を見事に捉え、斬り裂いた。
さっき聞いたばかりの肉が裂け、骨が砕ける音が聞こえると同時に、自らの足が飛んでいくのが見えた。
あまりの痛みに一瞬視界が真っ白になるが、意識だけはなんとか保つ。
『馬鹿が! なんて無茶苦茶なことをしやがる!!』
──ソルの怒号が脳内に響く。だがそれも仕方ない。我ながら馬鹿なことをしたと思う。それでもこの場はこうするしか無かった。下半身に刺さった武器を支点として引き寄せられてしまうのなら、下半身を切除するしかない。
痛みに耐え切った僕は、反らした胸の僅か先に突き出されている槍を握りしめ、そこを支点に自らを前方に投げた。龍骨人の膂力が仇となり、思い切り力を込めてもビクともしないその槍は支点として申し分なかった。
そこに加えて今の僕はとても身軽だ。何せ体の半分を失っているのだから。
残った力全てを込めた甲斐があって、僕の体は龍骨人達の集団を抜けた。勢いを失い、重力に引かれ始めた僕の体は地面に近づいていく。すぐ目の前にまで地面が迫ってきて、僕は落下に伴う痛みを覚悟する。
だがその痛みが訪れることは無かった。僕の体はフューのスライムボディによって受け止められたからだ。
どうやらフューも無事に抜けることが出来たようだ。龍骨人達もまさか僕が自分の体を切り落とすとは思わなかっただろうから、その動揺の隙を突いたのかもしれない。
魔道によって喉を焼かれたせいで声が出せない僕は、念話でフューに話す。
(止血を頼む。あと、僕は動けないからレオーネと同じように体に入れて運んでくれ)
フューはすぐさま跳ねるように走り出した。同時に僕から流れ出す血が止まる。フューが体を操り、圧迫することで止血をしてくれているのだ。
僕は後ろの龍骨人達の様子を伺う。予想通り、彼らの動きの速さそれほどではないようだ。集団でいることが裏目に出ており、全力で追いかけることが出来ないでいるようだ。
どんどん彼我の差は開いていく。だがこれで全ての危機が去った訳では無い。むしろ状況は依然変わらず最悪のままだ。
なにせ僕はもうほとんど動けない。次に魔物に遭遇すれば終わりだ。対抗する手段がほぼない上に、対処に手間取れば後ろから龍骨人達がやってきて挟み撃ちだ。
ここから先は、最深部に辿り着くまでに敵に会わないことをただただ祈るしかない。道は真っ直ぐに続いている。フューは可能な限り速く走る。
──痛みに苛まれ続け、会敵するかもしれない魔物の存在によって精神を削られたおかげで、僕の時間感覚は曖昧だ。
だからそれは、数秒だったのかもしれないし、あるいは数時間ということもあったのかもしれない。
兎にも角にも、僕達は辿り着くことが出来た。僕達が目指していた場所。レオーネを救うことが出来るかもしれない場所。この迷宮の最深部へと。
ひたすらに真っ直ぐに伸びていた道は、大きな空間に繋がっていた。恐らくはこの場所こそが龍人将軍が本来居た場所なのだろう。その証拠に至る所に焼け跡が残り、ここで激戦があったことを知らせている。
そして何より、奥に重厚な扉があった。今まで見かけることがなかったそれは、明らかに重要な何かを守っているようだった。
この迷宮を作った魔法使いが守りたかったもの。それは研究所をおいて他に無いだろう。
フューは扉に近づき、器用にその扉を開いた。扉は鈍い音を立てながら、焦れったいほどゆっくりと開いた。フューはすぐさまその中に飛び込み、扉を閉めた。
部屋の中は迷宮と同じように明かりが保たれていた。おかげで部屋の中がよく見える。
部屋はいかにも研究所という感じで、机や椅子が並んでいた。その机の上にこの世界では滅多に見ないレベルの紙が大量に、そして乱雑に置かれていた。
部屋はここ一つではなく、いくつかに別れているらしい。扉がいくつか見える。
「にゃ」
僕の背中のリュックから飛び出したセリアが、フューの体から抜け出した。この都市の魔術によって猫の姿に変えられたセリアは、その小さな体を活かして机に飛び乗ると、研究資料と思われる紙に目を通し始めた。
『なにぼーっとしてんだ。ソーマもさっさと動け』
そうだ、ここに辿り着くのがゴールじゃない。この都市の魔術を使えるようになって、レオーネを治療しなくちゃならないんだ。
僕はフューに頼んで資料の近くまで運んでもらい、セリア同様に目的の魔術について調べ始めた。
そうして探すこと数十分。僕達はようやくお目当てのものを見つけた。この都市の魔術について、詳細に書かれていた。魔術の発動に不可欠な魔法陣まで詳細に描かれているので、魔導師と謳われたソルならばすぐさま発動することが可能だ。
だが、これは……。
『クソが!! 魔力が足りねぇ!』
発動に必要な魔力が、あまりに膨大だった。僕の魔力が完全回復していたのならば、なんの問題もなく発動できたが、今の僕達に残された魔力は僅かだ。
(何とかならないの!? ソルならこの魔術を改良したりとか出来るんじゃ!?)
『……無理だ。この魔術は完成されてやがる。ちっ、これを作ったやつは天才だ。……魔力が足りない以上、出来ることはもうねぇ。魔力の回復を待つしかねぇ。クソが』
僕はレオーネの方に振り返る。レオーネは今、亜空間収納からフューが取り出した毛布の上に寝かされている。
フューとセリアの魔力を使って魔術を発動することは出来ないので、フューとセリアの魔力を使う分には問題は無い。
なので僕もセリアから魔法による治療を受けている。回復した僅かな魔力による治療なので、痛みが多少マシになる程度のものだが。焼かれた喉は、未だに声が出せないままだ。
改めてレオーネの容態を見ると、生きているのが不思議な程の大怪我だ。右手に握った神具が無ければ本当に死んでいただろう。
光を放つその神具は、レオーネの記憶を燃やして彼の命を繋いでいるのだ。
だが、その力がいつまで持つのかはわからない。こんな状況でただ待たなきゃならないなんて……。
唯一救いだと言えるのは、この研究所には魔物を寄せつけない仕掛けがあるということだろうか。当然と言えば当然だが、研究所を守るために利用した魔物に研究所を襲われるなどということはないように、対策がとられているようだ。
だから僕達は魔物の脅威に怯える必要は無くなった。あとはただ魔力の回復を待つだけ……。
ならば少しでも体を休める為に目を瞑ろうとした時だった。
レオーネが持つ神具が放つ光が、点滅しだした。より正確に言うなら、時折その光が弱くなるようになったのだ。今にも消えてしまいそうなほど、弱くなる瞬間があるのだ。
(なっ)
『クソ! もう限界だって言うのか!?』
「にゃ!?」
僕達は想定はしていたが訪れて欲しくなかった最悪の事態に動揺する。セリアも堪らずに悲痛な叫びを上げた。
同時に、研究所の奥の扉が開いた。
「物音が聞こえたけど、あたし以外にここに来た奴でもいるの?」
そこから現れたのは、燃えるように赤く美しい髪を持ち、同じく炎のように紅い眼を持つ女性だった。その顔立ちは端正で、同性すらも惹き付ける魅力があった。
だが、何よりも目を引くのはその美貌ではなく、頭から生える一本のツノだろう。魔族の証であるツノを持つ彼女は、僕達もよく知っている人物だった。
(《妖炎》のフラム……!!)
『ちっ、なんでフラムがここに居やがる!!』
──十年前、僕達の村を襲った魔族、《妖炎》のフラムがそこに居た。




