第百四話 アサシン、奏魔
「何ぼさっとしてんだ! 今が絶好の機会だろ! さっさと攻撃しろ!」
ソルの叱咤の声で我に返り、龍人将軍に視線を戻すと、剣を持ってこそいるものの体が震え、まともな構えの姿勢になっていない。
竜の息吹はあれだけの威力だけあって、相当な負担がかかるらしい。少なくとも放った直後は剣術の技量を発揮出来ないほどには弱るみたいだ。
「わかった!!」
この隙を逃すまいと僕は走り出した。そして、違和感に気づく。体の動きが良い。想像よりもずっと早く動く。なのに、完璧にコントロールが出来るのだ。
走っている最中に更なる異変に気づく。視界の端で揺れているのは、十五年間親しんでいた赤い髪ではなく、懐かしさを感じる黒髪なのだ。
それに気づき、ようやく自分に何が起こったのか理解した。前世の姿に戻ったのだ。意識してみればすぐに分かった。なにせ、寝ている間に行く真っ白な神域では常に前世の姿なのだから、体の感覚だけで理解出来る。
この都市の魔術は魂に作用するものだって言ってたね。だったら、僕の魂が記憶している前世の姿になるのもありえない話じゃないのかな。
そんなことを考えているうちに、龍人将軍が間合いに入った。龍人将軍はまだ龍の息吹の反動から回復しきっていないようで、僕を迎撃しようとする動きはどこかぎこちない。
「そんな動きじゃ、今の僕には当たらない!」
僕は力任せに右腕だけでなぎ払われた刀の下に潜り込み、一歩近づいて龍人将軍の腕の中に入った。
「残りの目、貰うよ!」
僕は下から刀を突き上げるようにして龍人将軍の左目に刀を突き刺そうとする。龍人将軍は攻撃に使わなかった左腕で目を庇おうとする。
「レオーネ!」
「あいよぉ。任せろぉ!」
レオーネの振り下ろした大剣は、龍人将軍の左腕を斬り落とすことこそ叶わなかったが、弾くことには成功した。つまり、左目を守るものはもう何も無い。
僕の刀は左目へとまっすぐに吸い込まれていく。龍人将軍は最後の抵抗か、あるいはただの反射か、まぶたを閉じた。
Sランクの化け物とはいえ、まぶたまでは強固ではない。そんな僕の予想に反して、刀は眼球に達するか否かという所で止まってしまった。恐らくは魔力を集中して守ったのだろう。
「まだだ!」
僕はすかさず刀のギミック、仕込み針を発動した。まぶたを辛うじて貫いた刀の切っ先から針が射出され、無防備な眼球に容赦なく針が突き刺さる。
僕は後ろに飛んで距離を取り、針を起爆する。
「ガァァァ!」
龍人将軍は悲痛な叫びをあげ、両手で目を押さえた。
「ハァァァ!」
その隙をレオーネが見逃すはずもなく今までで一番の輝きを放った必殺の一撃を叩き込む。いつの間に背後に回ったのか、龍人将軍の後ろから頭をかち割ろうと大剣を振り下ろす。
完璧なタイミングだった。腕で防ぐことも、回避も難しい、絶妙なタイミングだった。しかし、その攻撃が龍人将軍の頭に触れることは叶わなかった。
「翼か!」
レオーネの大剣は、龍人将軍の黒く鈍い光を放つ翼に阻まれていた。レオーネ渾身の一撃は翼の中ほどにまで食い込み、もう翼は使えないだろう。だがそもそもがここはダンジョンの中。
空を飛行するスペースはそもそもない。龍人将軍は使わない部位を犠牲にすることで、頭を守り抜いたのだ。
獣ならざる知性のなせる技か、あるいは獣ゆえの本能か。どちらにせよ、僕達は龍人将軍を倒す絶好の機会を失ったのだ。龍人将軍は龍の息吹の反動から回復しきり、元通りの動きを取り戻した。
「でも両目は潰せたね」
「あぁ、これでかなり有利になったはずだ」
「にゃぁー」
「せ、セリア……」
そうだった。セリアが猫になったんだった。幸いセリアの本領は魔道だからそれほど戦力低下にはならないが、セリアがさっき見せた《氷剣姫の装束》を使った近接戦闘が出来ないのは痛い。
「視界を潰せたからって気ぃ抜くなよぉ? Sランクともなるとあらゆる手段で気配を察知してくるからなぁ」
「了解。手負いの獣は怖いって言うしね」
事実、龍人将軍の恐ろしい気配は毛ほども衰えていない。むしろ怒りによってさらに強まったくらいだ。
だが、視界を失った状態に慣れるまでにはある程度の時間が必要なはず。その間に勝負を決めるべきだろう。
「ソル、あれやろう」
「あぁん? あれって《青雷装束》のことか?」
「いや、その次の段階だよ」
「正気か? いや、お前はそんな奴だったな。いいぜ、やってやるよ。ただ、死ぬなよ?」
「大丈夫だよ。今回は少し考えがあるんだ」
僕はソルの準備が終わるまでの時間稼ぎとして、龍人将軍の感覚をさらに奪うことにした。龍人将軍はどうやって僕達を感知しているのか。考えられるのは音、熱、そして匂いだ。
(ソル、これからの作戦の指示を出すのはソルにお願いしてもいいかな。声の発生源がどこかを誤魔化したいんだ)
ソルは魔法で声を再現しているんだから、好きな場所から声を出せるはず。
『ちっ、仕方ねぇな』
(助かるよ)
「今からダンジョンの壁を燃やすぞ!」
「ウガァァァ!!」
龍人将軍は声が聞こえた方向に即座に振り向き、突進して行った。そして誰もいない空間を斬り裂く。
「《亜空間収納》」
僕は風魔法で音を遮断しながら、《亜空間収納》を使って料理用の油を取り出す。それをダンジョンの壁に振りまき、着火。壁は勢いよく燃え上がり、僕の肌をほんの少し焦がした。
次は匂いだね。
僕は再び《亜空間収納》を発動し、使い物にならない魔物の素材を炎に投入した。辺りにはむせそうになるほど強烈な焦げ臭さが満ちる。
これで熱、音、匂いの対策は出来たはず。
「今だ! 攻撃を始めろ!!」
誰もいない場所から聞こえるソルの声。龍人将軍は声の方向を警戒するが、もう学習したのか突進していくことは無い。
一番槍を務めたのはレオーネだった。龍人将軍の右から大剣を横凪にしている。セリアはそれに合わせて全方位から氷の槍を射出した。味方に当てない精密操作が出来るセリアだからこそ出来る技だ。
フューは大胆にも龍人将軍の顔に飛びかかっていた。窒息させるつもりなのか、顔を溶かすつもりなのか、どちらにせよえげつない攻撃だ。
僕も参加龍人将軍の背後から首を狙う。両手で刀を握り首筋めがけて突き刺そうとした。
全員が声も出さず、気配を殺し、そして全く同時という完璧な奇襲だった。現に龍人将軍は全くと言っていいほど反応できていない。
僕が、攻撃が当たったと確信した時だった。龍人将軍は突如として振り向き、その潰れた両目で僕を睨んだ。そして僕の刀をその鋭利な歯で捕え、レオーネの大剣は右腕一本で握った剣で防いだ。
セリアの魔法も素手の左腕で全て撃ち落とされてしまった。フューはと言うと、弱点の顔に取り付けなかったため、即座に飛び退いていた。下手に留まっていると大きな痛手を受けていただろうから的確な判断だ。
……あらゆる感覚を潰して、それでもまだ届かないのか。龍人将軍は攻撃の瞬間まで一切気づいていなかった。それなのに僕達の攻撃を完璧に防いでみせた。
恐らくは、本能故の勘だけで防いでみせたのだ。
これがSランク……。
もう奥の手を使うしか、勝ち目はないように思えた。
(ソル、準備完了まで後どのくらい?)
『丁度今終わったところだ。覚悟はいいか?』
(もちろんだよ。じゃあフューとセリアに伝えて。僕の背負っているリュックの中に入って欲しいって)
僕は《亜空間収納》から取り出したリュックを背負いながら、ソルにそう言った。これが僕の思いついた、最高の作戦だ。
『は?』
なのに、返ってきたのは馬鹿にしたソルの声だった。




