第百一話 迷宮の守護者
「……きて、起きて、ソーマ、起きて」
「ん……あぁ、交代の時間か。ごめん、セリア。何度も起こさせて」
何かあればすぐ起きられる状態だったはずなんだけど……知識の神様に呼ばれたせいなのかな。全然起きられなかったよ。
「ん、構わない。私も起きられなかった」
「お互い、頑張らないとね。それじゃあ、おやすみ、セリア」
「ん、おやすみ」
テントから抜け出すと、ヒロインとレオーネは既に起きていた。後ろからそっと覗き込むと、レオーネは日記を書いているようだった。
悪いとは思いつつも、好奇心から中身を読もうとしたところで僕に気づいたレオーネは日記を閉じ、こちらを振り返った。
「おぉ、やっと起きたかぁ。ソーマは警戒しながら休むってぇのが出来てると思ってたんだがぁ、なんかあったかぁ?」
……レオーネなら話しても問題ない、かな?
「知識の神様とあってたんだよ」
「そいつぁ、神託かぁ!? 神託なんて余程のことがねぇと下されねぇはずだがぁ……何があったぁ?」
「神託……いや、神託って感じじゃなくて、僕個人と話しに来たみたいだったよ。神様達の企みがどうのって、かなり壮大な話だったけど……」
メテウス様ももっと具体的に話してくれれば良かったんだけど、制約とやらで無理だったんだよねぇ。分からないってのは不安だし、これはなるべく早くラスベガスに行かないと。
「神々の企みたぁ、穏やかじゃあねぇなぁ。んー……それに関係するかはわからねぇがぁ、俺が最近聞いた中で一番大きな話はあれだなぁ、エンシェントドラゴンの警告だぁ」
「!!」
それは確か、小さい頃に父さんから聞かされた話だ。父さん達が向かった山にエンシェントドラゴンが居て、そのエンシェントドラゴンが「人族よ、我らの死に備えよ。我らが役目を果たせなくなった時、この地は大いなる禍に見舞われる」と言ったという。
「その顔はぁ、多少は聞いたことがあるようだなぁ。今から二十年近く前、とあるAランク冒険者の報告から始まってぇ、その後各地で少しずつ同じような報告が出てきたんだぁ。それを受け、各国はエンシェントドラゴンの言う禍に対処することを決めぇ、同盟を組んだんだぁ」
二十年近く前……となると、もしかすると最初の報告者は父さんかな?
「そうして多くの国の協力を得てぇ、現在設立中なのがぁ、禍に対処するためだけに作られた町ぃ、グランデプーグナだぁ。孤島に作られた街でぇ、利益度外視で物資や職人が集まってるんだぁ」
「街が作られてるの!? そんな大掛かりなことに……」
「神に最も近いエンシェントドラゴンがわざわざするんだぁ。このくらいは当然だぁ。神様から直々に神託を賜ったやつもいるみてぇだしなぁ。あ、このことはAランク以上の冒険者か、一定以上の力を持つ貴族や商人、職人以外には知らされてねぇからぁ、あんまり言い触らすなよぉ?」
なるほど、神様から言われたら対応せざるを得ないか。それにしても箝口令が敷かれてるのか……一般人にまで広まった時のパニックを考えると、それも当然なのかもしれない。
「トールがこのことをお前達に話さなかったのもぉ、それが原因だぁ。あいつは立場上、Aランクではないお前達には話せなかったんだぁ。だから、それを俺の口から伝えさせるために俺をお前達に合わせたってのもあるのかもなぁ」
あぁ、そうか。トールはギルドマスターだもんね。組織の長としてルールを破るわけにはいかなかったんだろう。
「あぁ、そうだぁ。ソーマもある程度の事情は知っているみてぇだがぁ、禍がいつ来るかは知ってるかぁ?」
「えーと、十八年前に、父さんが出会ったエンシェントドラゴンは十数年後死ぬって言ってたから……あれ?もう過ぎてる、のかな?」
「あぁ……そいつぁ、ちっと違ぇなぁ。それは多分、そのエンシェントドラゴンが死ぬのが十数年後ってだけでぇ、ほかの七体はまた違うんだぁ」
あぁ、そうか。てっきり八体のエンシェントドラゴンが一斉に死ぬものだとばかり思ってたよ。
「五年くらい前から、エンシェントドラゴンは死に始め、現在では五体しか残っていないんだぁ。そして、エンシェントドラゴンの話では、全員が死ぬのは今から二年後だそうだぁ」
「二年後……」
つまりは二年後に神様すら動くナニカが起こるってわけか……。
……僕は、この世界のことが好きだ。冒険心をくすぐられるような秘境も沢山あるし、冒険者としての生活も楽しい。何より、セリアやソーマ、そして父さんと母さん達がいる。僕の大切な人がいる世界なんだ。
――守らなくてはならない。その為には、強くならないといけない。期限は、二年。あまりにも短いが、それでもやるしかない。
「あぁ、そうだぁ。最近モンスターの変異種が増えているのもこれが絡んでくるんだぁ。エンシェントドラゴンが死に始めてから起きたことらしいからなぁ。これが結構厄介でなぁ。雑魚でも変異種になれば強大な力を持つ。まして、ただでさえ強い奴が強くなった時には――――」
ガアアアァァァァ!!!!
けたたましいモンスターの叫び声が響く。背筋が氷に置き換わったかのような強烈な悪寒。声を聞いた瞬間、僕の体は反射的に逃げ出そうとしていた。
それを理性で必死に押しとどめるも、今度は膝が崩れかける。辛うじてそれを耐え、刀を取り出して構えるが、手が震え、その刀も今にも取り落としてしまいそうだ。
背後からソルとセリアがテントから出てくる気配を感じ、ようやく思考に余裕が生まれた。その余裕で隣のレオーネの様子を伺うと、レオーネはその獰猛な顔つきにびっしりと汗を浮かべ、今までの戦いで決して抜かなかった神具の大剣を抜き放っていた。
誰一人口を開くほどの余裕を持たず、辺りを沈黙が支配したのもつかの間、先の叫び声の主がこちらに走ってくる音がした。徐々に近づいてくる恐ろしい足音。
僕にはそれが死神の足音にしか聞こえなかった。
僕では勝てない。それはあの叫び声を聞いた瞬間に体が下した判断だ。それでも逃げないのは、逃げることに意味が無いとわかっているから。ただそれだけだ。
やがて迷宮の角から、死神が顔を覗かせた。その死神は、想像ほど大きくはなく、人型だった。僕はその死神の姿を見たことがあった。
「ゴブリンジェネラル……」
いや、違う。ゴブリンジェネラルにこれほどの威圧感はないし、何よりその体は黒い鱗で覆われていた。
「変異種……かよ、くそがっ!」
ソルが本当に忌々しそうに毒づく。
あぁ、そうだ。ドラゴニックゴブリンと同じだ。魔物が強力な魔力を浴びて起きる、突然変異。それによって生まれる魔物は、レオーネがさっき言っていた通り尋常ではない力を持つ。
僕らはゴブリンという最弱の魔物の変異種であるドラゴニックゴブリンに対してでさえ、命懸けでようやく討伐できるというレベルだったのだ。
ならば、Bランクの実力を持つゴブリンジェネラルの変異種は――果たしてどれだけの力を持つのか。僕には想像することすらできない。
「Bランクの変異種ならぁ、Sランクってぇ、事になるなぁ」
「……Sランクのレオーネと魔導師のソルなら、あっさり倒せたり……しない?」
「ちっ、んなわけあるかよ、馬鹿が。魔王討伐のパーティが揃って、万全の準備をしてようやく倒せるってレベルだ。魔王を魔物と同じようにランク分けするなら、Sランクになるって言えばわかるか? Sランクってのはそれだけ規格外な存在なんだよ。クソが」
僕の極わずかな望みは、ソルの絶望的なセリフで塗りつぶされた。
魔王討伐のパーティの半分が欠け、その代わりに入ったのはAランクの魔物を倒すので精一杯の僕達二人とスライム一匹。
これでは到底魔王と同格のSランクを倒せるはずもない。
挫けそうになる戦意を奮い立たせ、弱気な思考を追い出すと、セリアのことが頭に浮かんだ。
セリアには経験が圧倒的に不足している。僕は前世で何度も死線をくぐり抜けてきた経験があるが、セリアは命の危険を感じたことは数える程しか無いだろう。
なら、これだけ強大な敵に出会えば、心が折れてしまうのも当然だ。
ゴブリンジェネラルの変異種、龍人将軍から意識をそらさないまま、セリアをちらりと見ると、案の定戦える状態ではなかった。
セリアはペタンと地面に座り込み、頭を伏せてしまっていた。その体は可哀想なほど震えており、戦意など微塵も残っていないのが一目見てわかる。
今すぐセリアの下へ駆け寄りたい思いとは裏腹に、頭の中の冷静な部分は、セリアという戦力が抜けることによるデメリットを計算していた。戦略の幅がどれだけ狭くなるか、火力がどれだけ低下するか、それらを考え、どう動くのが正解か模索する。
頭が既に戦闘状態へと移行している証拠だ。どれだけ感情を揺さぶることが起きても、頭のどこかで冷静に考え、動く。それがアサシンとして最初に叩き込まれたことだった。
「ソル、勝算はどのくらい……?」
「殆ど無い……と言おうと思ったが、どうやらアイツは怪我を負ってやがるようだ。右目が完全に潰れてる。それを考慮すると……一割ってところか。誰一人犠牲を出さずにってなると、その半分になるな」
ソルに言われて気づいたが、龍人将軍はどうやら傷を負っているらしい。今まで恐怖と威圧でまともに見れていなかったが、よく見ると体中が焦げていて、所々鱗が剥がれている。そして右目は鋭利な鉤爪で切り裂かれたように潰されている。
これだけの傷を負っていても、そんなに勝率が低いのか……。
戦力の差に愕然とするが、龍人将軍はそんな暇すら与えてくれないようだ。警戒するように僕達を観察していた龍人将軍だったが、ようやく動く気になったようで、剣を構えた。
「来るぞ。今からは一瞬でも油断すれば死ぬからな」
こうして僕達の、文字通り命懸けの戦いが始まった。




