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第5話 魔獣少年と不死者の王 前編

お久しぶりです。この話を含めて、文庫本一冊程度は書き溜め完了。

どうぞ、お楽しみください(`・ω・´)


 ベッドに手足を投げ出す。

 全身が沈み込んでいく感触が心地良い。


「あぁ~、もうしばらくはなんにもしたくない」


 わたし、働いた。

 めっちゃ働いたよ。

 妹スキー連中のために、あれこれと苦労させられた。


 まあ贈り物(プレゼント)のほとんどは、メイド部隊や家妖精(ブラウニー)に揃えさせたんだけどね。

 面倒だったのは、単純な物以外を欲しがる相手だ。

 世界一の美貌とか、永遠の若さとか、王子様との結婚とか―――、

 女の子だから仕方ないとも思うけどね。

 でもさすがにそんなのは大変だから、普通に喜ぶくらいのものを贈っておいた。


 もちろん、叶えようと思えば叶えられるよ?

 わたしに不可能はほとんど無い。

 本当だよ? 強がりじゃないもんね。

 でも今回は、対価を限定しちゃったから。

 無茶な取立てはしない。良心的な契約がわたしの信条だ。

 ご利用は計画的に、の精神を忘れちゃいけない。


「しかし今回は、随分と大口の契約になりましたね」

「そうでしょう? お得だけど、こっちも一年分くらい働いた気分だよ」


 ベッド脇に控えているサリナが、心なしか優しい声を掛けてくれる。

 労ってくれているのかも知れない。

 なにせ、いっぺんに百名余りと契約を結んできたのだ。

 それだけの組織が召喚術の普及に努めてくれる。

 国みたいな大きな権力は持っていなくても、幅広い活動が期待できる。


 これは、アレだ。

 もう、わたしが何もしなくてもいいんじゃないだろうか?

 大勝利ってやつじゃないかな?

 変な事故や契約違反が起きない限りは、召喚術が広がる未来しか見えない。


「ちょっと本気になったらこれだからねー、わたしってば優秀すぎて怖いわー」

「……壮大な落とし穴がある気がしてなりません」


 サリナが呆れ混じりに首を振る。

 もっと誉めてくれてもいいのに。

 わたしはどっちかと言うと、誉められて伸びる方だよ?

 身長は伸びないけどね。


「でも落とし穴って言っても、そうそう事故なんて起きないと思うけど」


 わたしたちの目的は、大雑把に言えば”情報の拡散”だ。

 旅商人や吟遊詩人といった遠回しな手段でも、本来なら自然と広がっていく。

 人の口に戸は立てられない。

ただし、事実が捻じ曲がって伝わる可能性はある。

 それでも積極的に真実を伝えていけば、虚偽の方は消滅していくものだ。

 実際、わたしが悪魔だとか邪神だとかいう噂は、少しずつでも訂正されていってる。


「あるとすれば、神の妨害でしょうか」

「あー、そっちはちょっと予測できないね」


 ベッドで寝返りを打ちながら、わたしは首を捻る。

 召喚術ピンチの発端も、どうやら神連中の企みらしい。

 禁忌指定とか、なに考えてんだろ?

 恨まれるようなことした覚えは、あんまり無いんだけどなあ。


 むしろわたし、味方サイドなんだけどね。

 魔族とは一応でも敵対してるし。

 そのうち、直接に話をしてみようかな。


「そういえば、神族会議もそろそろだっけ?」

「乱入されますか?」

「いや、行くなら普通に参加するよ? 神格は持ってないけどね」

「それは一般的には乱入と定義されるはずですが」

「神関連の話に、一般的もなにも無いと思うけどねえ」


 行くとしたら、サリナに連れて行ってもらわないといけないね。

 それで、喧嘩しないように監視もしないと。

 あー、そうだ。

 そういう悶着が嫌になって参加しなくなったんだ。


「サリナの所為じゃん!」

「? どういうことでしょう?」


 当の本人は不思議そうに首を傾げる。

 そんな平然とした顔をして、いきなり神にも殴り掛かるから困るんだよね。

 まあ五、六発くらいなら見過ごすけど。


「サリナが過激すぎるってこと。神連中も、あれで役に立ってるんだよ?」

「申し訳ありませんが、私が戦いを止める理由にはなりません」

「そういうところは好きだけどね」

「……仰りたいことが分かりません」


 いいんだよ。分からなくて。

 ただ、ぼんやりとした時間を味わってるだけだからね。

 人界への足掛かりは出来たんだ。

 しばらくはまったりと過ごして構わないはず。

 ごろごろしながら、あの変な組織の活用法を考えてみよう。

 けっこう色んな人がいたから、もっと面白いことを―――、


 あ、思いついた。

 絵描き職人もいたはずだ。細工師もいた。

 召喚獣の絵を描かせてみようか。

 肖像画として、みんなに配っても喜んでくれそうだ。


 でもそれより、トレーディングカードみたいにしても楽しめそう。

 強力な召喚獣は何枚かセットになるようにして。カードの裏に描かれた模様を合わせると召喚術式になるとか。

 あ、でも強いカードってレアじゃないといけないよね。

 わたしなんかはスーパーレアになるから、あんまり術式は広まらないかも。


 だけど面白そうではある。

 カードじゃなくても、人界での商売というのも楽しめそうだ。

 ずっと暇してたおかげで、有り余ってる物資だらけだからね。


 食料とか武器とか、用途不明な試作品とか、もう山ほど倉庫に溢れ返ってる。

 農場とか果樹園とかも、無駄に広くなってるし。

 輸出国としてやっていけるんじゃない? 国じゃないけど。

 問題は、販路だよね。

 そもそも安定して人界に運べるかどうかっていうのも―――。


「ルヴィッサ様」

「え? なに? 悪巧みしてる顔になってた?」

「違います。それよりも……」


 目線で促されて、気づく。

 右手の甲で紋様が輝いている。窓の外からも青白い光が差し込んでいる。

 召喚要請は、わたしの休みたい気分なんて考慮してくれなかった。






 ◇ ◇ ◇


 深い森の中から湿った音が響く。

 人を呑み込めそうなほど太い樹木の陰で、獣が食事をしていた。

 全身を灰色の毛で覆われた、狼みたいな獣だ。

 倒したばかりの魔物を、骨まで噛み砕き、こんがりと焼けた肉を胃袋へ収めていく。


 そう、噛み砕かれる魔物の肉は”焼かれて”いた。

 近くには焚火も灯されている。草葉を集めた寝床もある。

 獣の巣にしては奇妙な光景だ。

 しかしその場にいるのは、紛れもなく四本足で歩く獣のみ。


 やがて食事を終えた獣は、周囲を警戒してから寝床で身を横たえた。

 その体が淡い輝きに包まれる。


「……まっずぅ」


 一瞬前まで獣の姿をしていた男―――、

 大上友哉(おおがみゆうや)は口内に残る味を洗うように舌を突き出した。


「魔獣でいる時は気にならないのにな。ああくそっ、苦っ、臭えっ!」


 服の袖をまくって、腕を舌に擦りつける。

 自身が汚れるのも気に留めない。もうそんな段階は過ぎていた。

 この森の中で十日余り、ユウヤはサバイバル生活を強いられているのだ。


 元より着ていた制服はボロボロだ。魔獣変化の際に弾け飛んだりしないのは有り難いが、血やら泥やらで汚れきっている。匂いだって酷いものだ。

 当然、望んでのことではない。

 ユウヤも、今は別れてしまっている友人たちも、この世界に拉致されてきたのだった。







 大陸北部を統べるフォクトール聖王国―――、

”はじまりの神”とも称される光の神を信奉する宗教国家だ。他の神々を下級神とみなして、周辺国に対しても光の神に忠誠を誓うべきだと宣言している。

 傲慢な物言いだが、それだけ光の神を信奉する者は多い。

 聖王国が抱える使徒の数も、他国を圧倒していた。


 しかしそれも、ほんの数ヶ月前までのこと。

 バルティニア帝国との戦いにより、大勢の使徒が屍を晒した。絶対の勝利を謳って出撃した数万の軍勢も、散々に蹴散らされ、項垂れての帰国となった。

 神が与えたもうた試練だと、教会の司祭たちは強弁した。

 けれど敗戦により生活に困窮するようになった民たちは、疑いを持ち始める。

 他の神々へ救いを求める者も少なくなかった。


 そんな民衆を利用して、力をつける集団もあった。

”外なる神”を信奉する彼らは、地方領主にまで取り入り、とある儀式を行った。

 異界より、特異な能力を持つ人間を呼び寄せる儀式だ。


「貴様らには、我らの戦力となってもらう」


 その時、ユウヤはすっかり困惑していた。

 学校で授業を受けていたはずなのに、いきなり見覚えのない薄暗い部屋に立っていたのだ。他のクラスメイトも一緒だった。けれど周囲は、神父みたいな装束を着た男達と、全身甲冑の兵士達によって取り囲まれていた。

 平和な日本で高校生をしていたユウヤたちには、現実離れした状況だった。


 なにがなんだか分からない。

 しかも困惑を解かれる暇もなく、クラスメイト全員が拘束されてしまう。

 神父達がなにやら空中に光を浮かべると、そこから輝く蛇のようなものが現れ、全員を素早く縛り上げた。

 ユウヤも抵抗すら出来ずに石畳の上に転がされた。

 次々と倒れる友人たちの姿を眺めているしかなかった。


「本当に戦いすら知らぬ者たちのようだな。使えるのか?」

「固有術式を持つという話ですから、それ次第かと」

「いずれにしても、早々に隷属させるべきでしょう。首輪も用意したのですから」


 神父達の言葉は、ユウヤの知らない言語だった。

 しかし意味は理解できた。

 だからといって困惑から抜け出せるものではなかったが、危機は察せられた。


 自分達は酷い目に遭う。

 このままでは取り返しのつかないことになる。

 とにかく抵抗しないと。

 なんとかして脱出しないと。

 どんな手を使っても。

 たとえ、こいつらを殺してでも―――。


 強く歯軋りした瞬間、ユウヤは体の内から熱が溢れてくるような感覚を味わった。

 全身が光に包まれる。

 誰かが驚愕の声を上げている間に、ユウヤは狼のような獣に変化していた。

 同時に緩んだ拘束から抜け出し、近くにいた兵士に襲い掛かった。


「なっ、なんだこいつは!?」

「魔物だと!? くそっ、構わん、斬り殺せ!」


 その戦いを、ユウヤはほとんど覚えていない。

 幾名かの兵士が血の海に沈んでいた。

 けれどユウヤ自身も、斬りつけられ、激しい痛みを味わわされた。

 最後に、女の子の悲鳴が耳に届いた。


「ダメぇっ! ユウくん、逃げて―――」


 光に包まれたユウヤは、気がつくと森の中に倒れ込んでいた。







 自分達は異世界へと連れて来られた。

 きっと魔術みたいな何かで。

 恐らくは、自分達のような異世界人は『固有術式』というのを使えるのだろう。

 神父達は、その『固有術式』に目をつけて戦力にしようとした―――。


 サバイバル生活をする間に、ユウヤはそう大方の事情を推測していた。

 この森が何処なのかは分からない。

 あちこちを歩いて回ったが、人の姿どころか、誰かが踏み入った気配すらも見つけられなかった。

 出会えたのは、地球には存在しないような不思議生物ばかりだ。

 人間よりも大きな虫や鳥、粘体生物(スライム)、角の生えた兎、空飛ぶ骸骨―――。


 そんなものに出会ってしまえば、ユウヤも認めざるを得ない。

 ここはファンタジーな世界なのだ、と。

 襲ってくる魔物どもから身を守るために、ユウヤは固有術式を使いこなすしかなかった。『魔獣化』と名付けた、自身を変化させる能力だ。


 神父達が”術式”と呼んでいたことから、魔術なのだとは思える。

 しかしユウヤとしては、魔術を使っている意識は無い。

 ただなんとなく、体の内で炎を燃やすようなイメージを抱くと魔獣化できた。


 ともあれ、その魔獣化のおかげで生き延びていられる。

 ただの高校生のままだったら、ユウヤは初日に命を落としていただろう。

 魔獣化したユウヤの戦闘力は、自分でも驚くほどに跳ね上がる。見た目は大きな灰色狼だが、風のように素早く駆けられるし、前脚の一振りで樹木も薙ぎ倒せる。おまけに魔物を一撃で凍りつかせるほどのブレスも扱えた。


 ただし、あまり長い時間は変化していられない。

 体感時間で三十分くらいが限界だった。

 それを越えると、急速に力が失われていって、やがて変化も解けてしまう。

 後には数時間ほどの休憩が必要だ。

 無理をすれば持続できそうでもあるが、意識を保っているのも難しかった。


「さっさと、この森を抜け出さないとな……」


 太陽の位置を頼りに、西と思われる方向へ進んでいた。

 この世界の太陽が東から昇るのかどうか、ユウヤは正確には知らない。

 ともかく一方向に進んでいけば何か見つかるのではないか、という判断だ。


 魔獣化すれば一気に距離を稼げただろう。

 けれど、いざという時に力を使えないのは困る。

 舗装された道路しか知らないユウヤの歩みは、遅々として進んでいなかった。


「くそっ! どうしてこんな目に……」


 草の匂いに煩わされながら、ユウヤは吐き捨てる。

 この十日余りで幾度も繰り返してきた独り言だった。

 答えは分かっている。

 偉そうな神父どもの所為だ。

 考えても仕方ないとも分かっているが、胸に沸き上がる怒りは抑えきれない。

 同時に、クラスメイトの安否に対する不安も浮かんでくるのだが―――。


「っ……!?」


 ユウヤは眠ろうと目を閉じた。しかし直後に起き上がる。

 背筋に怖気を覚えた。


 森の奥の暗闇へと目を凝らす。

 闇に紛れてなにかがいる。こちらを窺っている。


 魔獣化の影響か、ユウヤの危機察知能力は日毎に増していた。

 その感覚を信じるのなら、とてつもない脅威が迫っていた。

 魔物か? それとも、もっと別の何かか?

 正体は分からないが、ユウヤは確かめたい気持ちを振り払った。


 踵を返し、駆け出す。

 ほんの短い時間なら魔獣化も使えたが、最後の手段として温存した。

 けれどその選択を、ユウヤはすぐさま後悔させられる。

 背後に迫る気配が膨れ上がった。

 おぞましく。禍々しく。

 触れただけで、あるいは目にしただけで、生命を抜け取られそうなほどに。


 これまで出会った魔物とは明らかに異質なものだと分かった。

 もう温存なんて甘いことは言っていられない。

 魔獣化して、全力で地面を蹴る。

 同時に、その声が響いてきた。


『―――待て!』


 地獄の底から溢れてくる、怨嗟のような声だった。

 湿った風が呻り上げたみたいでもあった。

 意味を為したものだというのが信じられない。

 ユウヤは構わずに足を動かす。


『けっして危害を加えはしない! 頼むから話を聞いてくれ!』


 さらに強く地面を蹴ろうとしたユウヤだが、躊躇が生まれた。

 投げられた声は、やけに切羽詰まったものだった。

 助けを求めるような悲哀も感じられた。

 だからといって禍々しさは消えないのだが―――、


「なんなんだよ、いったい!?」


 急停止したユウヤは、振り返りながら魔獣化を解き、叫んだ。

 逃げ切れないとも思えた。

 けれど恐ろしくも悲しげな声を無視もできなかったのだ。


「出て来い! だけど妙な真似をしてみろ! 俺だってただじゃ殺されねえぞ!」

『……感謝するわ』


 暗闇が蠢く。

 草木が揺れたかと思うと、その端から暗灰色に染まって枯れていった。

 周囲の生命を奪いながら現れたのは、襤褸布を纏った小柄な骸骨。

 不死者の王(ノーライフキング)と、ユウヤは対峙した。








 歩くたびに闇を蠢かす骸骨は、フィレーネと名乗った。

 正確には、フィレーネ・リィ・シューメルティウス・ラブロス・レディーニア。かつて存在した、とある国のお姫様だという。


「えっと……それ、本当なのか?」

『疑われるのも仕方ないわよね。でも、ジロジロと見ないでほしいわ』

「あ、いや、すまん。いえ、すいません?」


 ユウヤは素直に頭を下げる。しかし心情としては複雑だ。

 フィレーネは襤褸布で隠した身体を恥ずかしそうに捻ったが、そこにはまったく女らしい色気など感じられない。だって骸骨なのだから。

 仕草そのものは確かに気品を漂わせている。

 だけどそれで欲情できるのは、かなり特殊な性癖を持った人間だけだろう。

 当然、ユウヤは困惑するばかりだった。


『分かればいいのよ。それと、畏まらなくていいわ。姫って言っても、年を数えるのも忘れるほど大昔のことだもの』

「……そうか」


 フィレーネはかつて、人魔大戦に参戦した治療術師でもあった。

 一国の姫が戦うなど普通は有り得ないのだが、それほど人間側も追い詰められた戦いだったのだ。治療術に長けたフィレーネは、戦場で大勢の兵士を救ったが、その力故に魔族から目をつけられた。

 結果、強力な呪いを受けて不死者と化した。


 無論、抵抗はした。遠方から不意に襲ってきた呪いに対して、フィレーネは力の限りに抗おうとした。しかし人に害を為す術に関しては、魔族が最も得意とするものだ。おまけに戦死した人間の怨念まで利用したもので、フィレーネの心の隙まで突くような呪いだった。

 一晩抗い続けたフィレーネだが、気がつくと、全身の肉が溶け落ちていた。


 その後も魔族との戦いは続けたが、不死者となった体では、人の世界での居場所は得られなかった。

 今居る場所は、中央大陸の西方、セイバーメイガー大陸。その北部にあって危険な魔物が徘徊する”暗黒地帯”だ。

 人に戻る方法を探して彷徨う内に、人が寄り付かない場所に辿り着いたという。


「その……なんて言ったらいいか分からないけど……」

『話を聞いてくれるだけでも嬉しいわ。私の姿を見れば、これまでは理性も失って逃げ惑う人ばかりだったからね』


 フィレーネはからからと笑声を零す。

 しかし怨霊が呪いを振り撒くような声だ。

 ユウヤも逃げ出したくなる衝動に駆られたが、辛うじて恐怖を抑え込んだ。


 いまはフィレーネが先導して、ゆっくりと森の中を進んでいる。

 互いの距離は数歩分も離れていた。

 警戒心が残っているのもある。しかしそれ以上に、フィレーネが纏っている闇が原因だ。近づくだけで、あらゆる者の生命を奪ってしまうのだ。


『でも、異質って言えば貴方もそうでしょう? 異世界人な上に、固有術式持ち。おまけに変化の術式なんて聞いたこともないわよ』

「好きで異世界人になった訳じゃないけどな」

『ま、そうよね。貴方も無事に帰れるといいわね』


 湿っぽい会話をしながら、奇妙な二人組は森を進んでいった。

 やがて小さな洞窟に辿り着く。


 フィレーネが住居にしているという洞窟は、幾つか枝分かれした道はあったが、家財道具などはほとんど置かれていなかった。一組だけあった机と椅子もボロボロで、誰かが使っているというよりも、置き捨てられたと言われた方が納得できる。

 壁も床も岩肌が剥き出しになっている。灯りも置かれていない。

 いまはフィレーネが魔術で灯りを浮かべているが、寂しげな気配は隠しようもなかった。


『この体は疲れを感じないからね。その点だけは便利なのよ』

「……ある意味で尊敬するよ」


 こんな暗闇ばかりの場所で、何もすることもなく百年以上を過ごす。

 自分だったら数日で気が狂いそうだと、ユウヤは眉根を寄せた。

 慰めの言葉すら浮かばない。

 不死者の王を慰めようとするのも異常なのかも知れないが。


『でも、この部屋だけは綺麗でしょう?』


 そう言ってフィレーネが見せてくれた小さな部屋は、確かに綺麗に整頓されていた。

 どうやって作ったのか、やや不揃いであるが石畳が敷き詰められている。壁には松明が灯され、通路よりもずっと明るい。

 奥の壁には小さな窪みがあって、木彫りの女神像が鎮座していた。


『あれは慈愛の女神様の像で、お祈りは欠かしたことないわ』

「……それって、不死者として大丈夫なのか?」

『不死者である前に、私は敬虔な信徒なの。今だって治療術は使えるしね。使うとすっごい痛いんだけど』


 フィレーネは得意気に胸を張る。

 胸というか、肋骨しか無いのだが。

 そんな風に自慢されてもユウヤは反応に困る。話題を移すことにした。


「それより……話してた魔法陣っていうのは、何処にあるんだ?」

『もう目の前よ。ほら』


 フィレーネが骨の指で示した先は広い空間になっていた。

 数十名は入れそうな広さがある。部屋の奥には木作りの棚がひとつと、その脇に複雑な紋様を刻んだ魔法陣が置かれていた。


「あれが、召喚術っていうやつの……?」

『ええ。最上位の召喚獣を呼び出せば、どんな願いも叶えられるそうよ』


 フィレーネの願いは、人に戻ること。

 そのために召喚術に頼ろうとしたが、一人では術の発動が行えなかった。

 魔力は充分に足りている。

 術式も正しいはずだった。

 しかしどうやら、不死者を拒絶する仕組みが術式に含まれているらしい。


『不死者はね、魔力にも穢れが移るのよ。そのおかげで術式が失敗してしまうの。細かな仕組みは分からないけど……そこの棚から、魔石を取ってもらえる?』


 ユウヤは首を捻りながらも、言われた通りに棚へと向かう。

 粗雑な作りの棚だが、なにやら複雑な紋様が刻まれていて、幾つもの魔石が保管されていた。

 小さな魔石を手に取ると、それをフィレーネへと放った。

 青く輝いていた魔石は、空中を漂う間にも色が濁っていく。フィレーネの手に収まった時には黒々として光を失っていた。


『苦労して、魔石の保管だけは出来るようになったんだけどね。私が近づいただけでもこの有り様よ。死の穢れが乗った魔力じゃ、その魔法陣は動かせない。だから生きている人間の協力者が必要だったの』

「なんとなく、事情は分かったけど……」


 魔力とか魔石とか、ユウヤにとっては馴染みのない専門用語だ。

 けれどそれなりにファンタジー知識は持ち合わせていたので、なんとなくは理解できた。

 ただ、根本的な問題が残る。


「俺、魔力の扱いとかさっぱり分からないぞ?」

『……練習してみない? ね? 丁寧に教えるから!』


 骸骨が上目遣いにお願いしてくる。

 女の子ならば可愛い仕草だろう。しかし、骸骨だ。

 ちっとも嬉しくないユウヤだったが、断る気にはなれなかった。






 固有術式とは、自身の内側に魔法陣が刻まれているようなもの。

 そこに魔力を巡らせることで、様々な効果を発揮する。

 つまりユウヤは、すでに自分の意志で魔力を扱っていた。

 だからコツさえ掴めれば、魔石に頼った術式発動も難しくないはずだった。


『やったわね! 凄いわ! これで後一歩よ!』


 ユウヤの指先で輝く青白い光を見て、フィレーネは拍手をした。

 骨だけの手が盛大に乾いた音を立てる。


「誉められてもなあ……三日で出来るって話だったのに、十日も掛かったんだぞ」

『私にとっては、三日も三年も変わらないわよ』

「いや、そう言われても笑えないからな?」


 ユウヤは溜め息を落としながら、握っていた魔石を置いた。

 ひとまずフィレーネに協力すると決めた。けれど同情だけで動こうとしたのではない。

 どんな願いも叶えられるという召喚術は、ユウヤにとっても魅力的だった。


 クラスメイトの安否が知りたい。

 なにより、皆で元の世界に帰りたい。

 そう願うユウヤにとっては、正しく渡りに船な話だった。


 あまりにも都合が良すぎて、少々疑わしくはある。

 だけど森を彷徨っていても命を落とす可能性は高い。とりあえずでも良心的に見えるフィレーネに頼る方が得策だと思えた。


 良心的な不死者の王(ノーライフキング)というのも奇妙な話ではある。

 本来ならば、あらゆる生者を呪い、呼吸をするように死を振り撒く。視線を合わせるだけで心臓を止めるとも言われている。それが不死者の王だ。

 しかしフィレーネは、ユウヤに傷ひとつすら負わせていない。

 それどころか食事まで用意してくれる。

 配下のスケルトンに狩らせた、ひどく不味い魔物ばかりではあるが。

 未だに恐怖を拭いきれないユウヤだが、胸の内では感謝も抱いていた。


『そこまで魔力を扱えれば、もう充分なはずよ。本番といきましょう』

「ああ……でも大丈夫なのか? 下手したら爆発とかするんじゃ?」

『心配性ね。大丈夫、失敗しても何も起こらないだけだから』


 魔石は失くなるけどね、と付け足すと、フィレーネは部屋の端へと移動した。

 常に纏っている死の瘴気によって術への影響を及ぼさないためだ。


 ちなみに、棚にある魔石は、森の魔物を倒して集めたものだ。

 大量にある。大きな物から小さな物まで。

 召喚陣の起動には大量の魔力が必要だが、それでも保管されていた魔石の量からすれば、三分の一程度の消費で済みそうだった。


 だから、この世界の常識に疎いユウヤは気づかない。

 これから使おうとしている魔石が、どれだけの価値があるのかを。


「まあ、一回くらい失敗してもいいか」


 軽く頷いて、準備を進める。

 そうして教わった手順通りに、召喚陣へと魔力を注いでいった。

 まだユウヤは魔力の扱いに慣れていない。空中に散らばってしまった分もあるが、それでも慎重に作業を進めると、徐々に変化は起こっていった。


 やがて部屋全体を満たすほどに光が溢れていく。

 起動した召喚陣は、空中に複雑な紋様を描き出した。


『私の時にはなかった反応だわ。成功よ!』

「落ち着けよ。まだ……」


 まだ何が起こるか分からない。

 魔術に関する知識を持たないユウヤの方が、警戒心を残していた。

 いつでも魔獣化を行えるよう心構えはできている。

 不測の事態が起これば、一も二もなく逃げ出すつもりだった。


 けれどそれは杞憂に終わる。

 やがて一際強い光が瞬くと、召喚陣は凍りついたみたいに鎮まった。

 広間には暗闇が戻ってくる。


「っ……ど、どうなったんだ?」


 恐る恐る、ユウヤは暗闇に問いを投げる。

 返答はすぐにあった。

 可憐な声で。


「―――我、来たり」


 小さな靴音も響く。

 歩み出てきたのは幼い女の子だ。

 しかしユウヤは只ならぬ気配を察していて―――、


「ほう……不死者が出迎えとは奇異なことよ。滅したいか?」


 幼女とは思えないくらいの鋭い眼差しが投げられる。

 その先で、フィレーネは骨しかない顎をガチガチと震えさせていた。









「なるほど……随分とまた難儀な事情を抱えておるのう」


 洞窟の中、ルヴィッサは岩肌の突き出た部分に腰掛けていた。

 近くにはユウヤが地面に腰を下ろしていて、フィレーネは離れた位置で身を縮めている。


「ただの不死者であれば、問答無用で浄化するのだがな」

「それは、その……」

「分かっておる。見たところ理性も残っておる。魂も穢れておらぬ。単純に不死者と断じるほど、我は傲慢ではないわい」


 一通りの事情説明を終えて、ユウヤはほっと胸を撫で下ろした。

 目の前の幼女が脅威となるかは、まだユウヤには判断しきれていない。

 見た目は可憐な女の子に過ぎないのだ。けれど尋常でない魔力を感じられるし、フィレーネもずっと怯えた態度を取っている。

 一睨みされただけで、フィレーネは土下座して命乞いまでしていた。


 この世界にも土下座ってあるんだ、

 いや、不死者なのに命乞いってどうなんだろう―――、

 などと呑気な感想も抱いたユウヤだったが、さすがにルヴィッサが只者でないのは察せられた。


 そのルヴィッサは、不機嫌そうな顔でユウヤとフィレーネを眺めていた。

 けれどやがて、小さく頷いて口元を緩める。


「ともあれ、其方らが正式な手順を踏んでの召喚を行ったのは確かであるな。むしろ明確かつ強い願いがあるのは好ましい」


 まるで子供らしくない尊大な物言いだった。

 そうして楽しげに咽喉を鳴らしたルヴィッサは、静かに腕を伸ばす。その手には、いつの間にか一冊の本が置かれていた。


「まずは、ユウヤと言ったか……其方の友人らを探し出すとしよう」

「さ、探せるのか!?」

「当然である。その程度、我にとっては児戯にも等しいわい」


 もっとも、と言葉を区切りながら、ルヴィッサは本のページをめくっていった。


「実際に働くのは我ではないがな。出でよ、魔眼レギオン・デギオン!」


 開かれたページが輝き、ひとつの塊が浮かび上がる。

 現れた塊は人間の頭ほどもある、大きな眼球だった。青白い光を纏って、まるで臓器みたいに脈動もしている。

 その眼球に従うように、複数の小さな影も現れる。

 今度は指先ほどの小さな目玉が複数、百、二百、数え切れないほどに増えていく。


 ユウヤたちは言葉を失って凍りついていた。

 しかしルヴィッサは構わず、さも当然のように眼球へ語り掛ける。


「理解したな? そこのユウヤと縁のある者だ。すぐに見つけるがよい」


 眼球は頷くように蠢いた。

 小さな目玉たちは空中高くへと浮かぶ。そして次々と姿を消していく。


「い、いったい何が……?」

「言うたであろう。まずは探し出す。世界の隅々にまで目を届かせてのう」


 短い遣り取りの間にも、また変化は起こっていた。

 空中に幾つかの映像が浮かぶ。

 ユウヤからすれば、それは最新の空間投影画面のようだった。

 その技術的な面にも驚かされたユウヤだが―――、


「あれは……みんな、無事だったのか!」


 描き出された映像に、ユウヤは喜色いっぱいの声を上げた。

 映像の中で、ユウヤのクラスメイトたちは大きな机を囲んでいた。どうやら何事かを話し合っているらしい。言い争っている場面のようでもあるが、命の危機にあるとは思えない。

 少なくとも、ユウヤにとっては。


 異世界に放り出されて、久しぶりに見知った顔を確認できたのだ。それだけでも胸に安堵が浮かぶのは当然だった。

 けれどそんなユウヤの反応とは裏腹に、ルヴィッサは眉を顰めていた。


「マズイのう」


 小さな唇から漏れた声には苛立ちも混じっていた。

 その声の鋭さに、ユウヤも現実に引き戻される。息を呑みながらも、ルヴィッサに説明を求めようと眼差しを向けた。


「悪魔に囚われておる。このままでは、魂まで食い尽くされるぞ」


 悪魔―――、

 この世界に於いて、それがどれだけ危険な存在なのか、ユウヤは知らない。

 しかしその言葉に含まれる響きだけでも、顔色を蒼ざめさせるには充分だった。



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