第4話 迷宮都市の裏組織
城の庭に大勢の召喚獣が集まっている。
其々の席があって、黒板が置かれているのも前回と同じだ。
加えて、今回は頑丈な教壇も用意された。
わたしのちっこい体が隠れないよう、背の高い椅子も揃えられている。
「では、第二回『魔術の神対策会議』を始める!」
召喚獣たちが拍手や雄叫びで応えてくれる。
前回よりも反応がいい。どうやらわたしがいない間に、其々が案を練って会議を待ち侘びていたらしい。
そうサリナが報告してくれていた。
うん。みんなが真剣になるのはいいことだ。
なんだか殺気に溢れてるみたいだけど、きっと気のせいだろう。
「前回に引き続きまして、司会進行はわたくしが務めさせていただきます」
壇上にサリナが進み出る。
わたしと交代する形で、中央に立った。
冷然とした気配を纏ったまま、静かに一礼する。
召喚獣たちも沈黙し、広々とした場が緊張感に包まれた。
ちょっと堅苦しい感じもする。でも、いかにも真面目な会議っぽい。
今回は実りのある議論が交わせそうだ。
そう期待に胸を弾ませて、わたしはサリナの言葉を待った。
「それではまずは、戦果の御報告をさせていただきます」
「え……? 戦果?」
「魔術神の策略を見事撃ち破り、ルヴィッサ様が苛烈な反撃を喰らわせてくださいました」
雄叫びが溢れかえる。
あ、これ前回と同じパターンだ。
「一番槍はシズハ様です。魔術神の使徒から、その魔術師としての能力を奪い取るという功績を挙げられました。さらには彼の神を讃える施設を丸ごと氷漬けにし、その権威を失墜させました。今頃は魔術神も屈辱に歯噛みをして―――」
「―――って、ちょっと待てぃ!」
わたしは席から立ってツッコミを入れる。
と、みんなはすぐさま不満げな声を返してきた。
どうやら、事前に打ち合わせ済みの演出だったらしい。
むう。ささやかな反抗ってやつか。
そんなに前回のお土産が気に入らなかったのかな?
いいじゃない、クマの木彫りだって。
ちゃんと鮭も付いてるよ。わたしの手作りで、ちょっとイノシシっぽいけど。
「まあ、冗談はともかく」
サリナが話を切り替える。
それはいいけど、いま冗談だって認めたよね?
「魔術神など、もう放っておいてよろしいのでは?」
「え~、もっと話し合おうよ。片面焼きと両面焼きどっちがいいか、とか」
「蒸し焼き一択であると具申致します」
わたしはあんまり拘りはないけどね。
でもベーコンが無いのは許せない。妥協してもハムエッグまでだ。
あ、もちろん卵の話だよ。サリナだったら魔術神も両面焼きにしそうだけど。
「話を逸らさないでください」
「サリナだって乗ってきたじゃない。だいたい、そのやる気の無さはなに? また退屈生活に戻ってもいいの?」
「ルヴィッサ様が退屈から抜け出されたのは、大変喜ばしく思っております」
ですが、とサリナは眼差しを鋭くする。
あれ? なにか怒られるようなことしちゃったかな?
「一晩中、誰彼構わず話に付き合わせるのはおやめください。皆も迷惑しております」
「え……でも久々の人界の話だし、喜んでくれてたよ?」
「限度があります。それに人界の話というよりも、ルヴィッサ様がひたすら遊んできた話ではないですか」
むぅ。否定できない。
久しぶりに召喚されて盛り上がった勢いで、自分の話ばかりしてた気がする。
でも、それなりに楽しんでくれてたと思うんだよ?
徹夜で付き合わせた時は、さすがにちょっと疲れた顔してたかも知れないけど。
「今回の会議にしても、遊び半分で開かれたのでは?」
「そ、そんなことないよー……」
「目を泳がせながら仰られても、説得力がありません」
まあね。魔術神対策って言っても、どうせ打てる手は限られてるからね。
神界に乗り込むとかしない以上は、地道に召喚術を広げるしかない。そのための手段は色々あるにしても、結局のところ、わたしが頑張るしかないのだ。
他の子は召喚されても、あんまり自由には動けないからね。
でも折角だし、みんなで話のタネにしたっていいじゃない。
あれだよ、誰かの誕生日をダシにして騒ぐみたいな。食っちゃ寝大好きなわたしでも、たまには羽目を外したくなるんだよ。
「だけどさ、こうして集まるのは悪くないと思わない? 結束も深まるし」
「以前、定例会議は行われていたのですが」
「あー……そういえば、そんなものもあったね」
「面倒くさいと廃止になさったのはどなたですか?」
「……えっと、わたしだったような……」
まずい。なんだかドンドン追い込まれてる。
おまけに今日のサリナは妙に機嫌が悪いみたいだ。
なんでだろ?
みんなの不満窓口になるのはいつものことだし。
もしかして、最近わたしが留守にして構ってあげなかったからかな?
「そもそも、ルヴィッサ様は―――」
サリナの小言を遮るみたいに、空から光が降り注いだ。
おお。正に天からの救い。
召喚要請だ。
「おっとー、呼ばれてるわー。残念だわー。これは急いで応えないとねー」
「……お早い帰還を期待しております」
不満そうに言うサリナだけど、後に付き従ってくれる。
他の召喚獣の面々にも手を振って、わたしは城へと向かった。
「今度のお土産は、何がいいかな?」
「新しい食べ物や、栽培可能な草木、書物などが人気のようです」
「定番だねえ。サリナは、欲しい物とかない?」
「ルヴィッサ様が御無事であれば、何もいりません」
思わぬ言葉を返されて、わたしは振り返ってその顔を見つめてしまう。
あれ? サリナだよね?
なにその殊勝な発言は?
いつもなら神の首の一本や二本は欲しがるのに。
「どうにも胸騒ぎがします。お気をつけください」
「ん……分かった」
仮にも聖女のお告げだ。馬鹿にはできない。
玉座の間に浮かぶ召喚扉を見上げながら、わたしは気を引き締めた。
◇ ◇ ◇
ロウニール王国、迷宮都市―――、
冒険者が集まるこの街は、中央大陸で最も自由が溢れている。
一応は国の管理下にあるので、領主の館や騎士団の施設など、平民の立ち入りが制限されている場所もある。明確な”表の規則”も、ある程度までは守られていた。
けれど逆に”裏の規則”も存在する。
勝手に決まり事を定める自由もまかり通っているのだ。
例えば、盗賊ギルドなど―――。
世間には存在すら知られぬ組織も密かに活動を行っている。
そんな組織のひとつ、『赤蟻同盟』は、元は同じ悩みを持つ冒険者同士の小さな集まりに過ぎなかった。しかし現在では百名以上の同志を抱える、迷宮都市でも有数の実力を持つ組織となっている。
領主に仕える騎士や、高ランク冒険者、各種ギルドの幹部まで属している。
普段は対立する陣営にいる者も少なくない。
しかし『赤蟻同盟』の一員として活動する間は同じ志を持つ仲間となれる。
懐の深い組織の特色から、大きな力を持つようになっていた。
今回の会合に使われる屋敷も、高級住宅街の一角にあるものだ。万全の警備が敷かれていて、不審者などは近づけもしない。
もっとも、仮面で顔を隠した彼らこそ不審者と言えるのだが―――。
「諸君、よくぞ集まってくれた」
広々としたホールには百名近くの男が集まっていた。
全員が男だ。揃いの仮面で顔を隠していても見て取れる。
ホールの奥には舞台が設けられて、『赤蟻同盟』の盟主と、その補佐が一同を見渡していた。
「今宵は少々変わった趣向も用意してある。しかしまずは、我らの結束を確かめ合おうではないか。すべては我らが愛する―――」
全員が唱和する。
「―――愛する妹のために!」
そう、彼らの共通点は”妹を持つ”ということ。
名前の由来である蟻は、兄弟姉妹がずっと一緒に暮らすところから付けられた。赤は血縁の強さを表している。
ちなみに義妹を認めるかどうかは、容認派、否定派、至上派、幻想派など、様々に分かれて結論が出ていない。
「さて、本題に入る前に、幾つか同志からの相談に乗って欲しい」
「まずは八十六番兄からの相談だ。緊急案件として優先させてもらった」
壇上に一人の男が上がる。
その男もやはり仮面を付けている。服装からして平民だが、この場では身分など関係なく同志として扱われる。
一同の注目が集まる中で、その八十六番兄は重々しく吐き出した。
「実は……妹から恋人を紹介されまして……」
ホール全体に緊張が走る。
ざわめきが起こり、中には殺気を放つ者もいた。
「結婚も考えているそうです。相手は”狼”ランクの冒険者で、フォードルという粗暴な男でした。どうしたものかと……」
「我々でも独自に調査を行いました。それによれば、敵は犯罪歴もなく、それなりに世間から認められているようです。しかし八十六番兄が言われたように、粗暴な行動も目立ちます。二人で街を歩きながら、強引に肩を抱く、頭を撫でるといった暴挙も見て取れました」
殺気立つ者が増える。
兄にとって、妹に言い寄る男はすべからく敵なのだ。
少なくとも、この『赤蟻同盟』の構成員にとっては。
殺るか?
明日にでも?
いや、いっそ今すぐに―――そんな囁きが漏れる。
しかしその一方で、妹の幸せを願う組織でもある。
冷静に情報を吟味しようとする者も少なくなかった。
「八十六番兄の妹殿は、治療院に勤めているそうだな?」
「うむ。あそこは言い寄ってくる男も多いと聞く」
「女性の治療術師は人気があるからな。不誠実な男である可能性は高い」
「それよりも敵の仕事が問題ではないか? 冒険者では将来が不安だ」
ひとしきり情報交換が済むと、壇上の”長兄”である盟主が手を叩く。
一同の注目を集めてから厳かに告げた。
「重要な問題だ。そう簡単に結論は出ないだろう。よって今回は、敵を最優先監視対象とすることに留めたいと思う」
盟主からの提案に、一同が拍手で応える。
こうして兄としての悩みに対処していくのが、『赤蟻同盟』の主な活動だった。
八十六番兄の他にも、壇上で悩みを打ち明ける者が次々と出てくる。
「最近、妹と喧嘩をしてしまって―――」
「フラン……いえ、妹は冒険者なのですが、パーティを解散して―――」
「妹の結婚相手が見つからないのです。このままでは三十の大台に―――」
「妹が一緒に風呂に入ってくれなくなって―――」
「妹が可愛すぎて―――」
そこらの酒場で話せば呆れられるような内容ばかりだった。
けれど『赤蟻同盟』の同志たちは違う。
暗躍する慈善組織を自負する彼らは、自分も経験のある悩みに、親身になって対応していった。
「場も充分に温まってきたな。そろそろ本題に入ろうではないか」
盟主が合図を送ると、壇上に大きな台が運び上げられた。
台には、たくさんの魔石が乗せられている。
「同志諸君から提供してもらった魔石だ。目的を告げずに集めたため、不思議に思っていた者もいるだろう。その理由は……これだ!」
盟主は一枚の紙切れを掲げてみせる。
それは、ここ最近、迷宮都市で話題になっているチラシだ。
複雑な魔術式が記されている。なんでも召喚獣の女王を呼び出し、どんな願いでも叶えられるという。
下手な詐欺師でももっとマシな嘘を吐くだろう、と笑い飛ばす者も多い。
けれど、そのチラシの出所から信じる者も少なくなかった。
「知っている者もいるだろう。この術式を広めているのは、あの『凍血聖女』の使徒だ。私も直接に話をしてみたが、嘘を言うような少年ではなかった」
つまり、その術式を行うために魔石を集めていたのだ。
怪しげな召喚術のために協力させられるのか、と懐疑の目を向ける者もいた。
けれど次の言葉は、同志たちに対しては大きな説得力を持っていた。
「『凍血聖女』と言えば、二人も兄がいたという。つまりは妹だ。時代が違えば、我らが庇護する対象であったろう。その妹が、時代を超え、使徒を介して、この術式を広めたいと言ってきたのだ。我らに疑うことが出来ようか?」
否!、と盟主が首を振る。
演説に耳を傾けていた同志たちも拍手を送った。
「妹の願いには全力で応える。これが我らの信念である! さらに、この召喚術によって長年の悲願も叶えたいと思う」
長年の悲願―――、
その言葉に、どよめきが上がる。
仮面をしていても、一同が困惑しているのは明らかだった。
いったい、どんな願いを叶えるつもりなのか?
まさか、妹との結婚?
それとも妹に贈るための金銀財宝?
あるいは妹のために、妹を想って、妹だらけで―――。
其々の頭に、願いというか妄想が浮かぶ。
まとまっているようで、けっこうバラバラな『赤蟻同盟』だった。
それでも壇上の盟主は明確な答えを持っていた。
強く握った拳を掲げると、自信に満ちた声で告げる。
「我々の悲願とは、そう―――」
「―――待ちなさい!」
突然、ホールのドアが開かれる。
乱入してきたのは数名の女だった。其々に甲冑や革鎧、動き安そうなローブなど冒険者風の格好をしている。そして全員が揃いの仮面を被っていた。
男たちが動揺する中で、盟主も慌てた声を投げる。
「っ、クリセア……い、いや! 誰だ、おまえたちは!?」
「私達は『青蜘蛛同盟』、家族に悩まされる女性を守る組織よ!」
「な、なんだと……?」
「分からないの? アンタたちみたいな馬鹿兄は敵ってことよ!」
言い放って、仮面の女たちは足を進める。
ホールの真ん中を堂々と歩いて、奥の壇上へと。
『赤蟻同盟』の男たちは、自然と道を譲ってしまっていた。
このような乱入者など止めるべきだろう。そう思う者もいたし、腕っぷしに自信のある者も多かった。
そもそも盟主からして只者ではない。
彼の本名はクラウス、銀ランク冒険者パーティ『銀閃』のリーダーだ。神の加護こそ受けていないが、下手な使徒など蹴散らす実力がある。迷宮下層まで到達し、火竜を倒したこともある。千名の兵士に値するとも言われている。
そんなクラウスが実力を認めた者が、屋敷の警備に当たっていた。
乱入者など現れるはずがなかったのだ。
しかし、『青蜘蛛同盟』の先頭に立つ女もまた只者ではなかった。
彼女もまた銀ランク冒険者で、『銀閃』の一員であり―――、
クラウスの妹、クリセアだった。
兄が妹に敵うはずがない。いや、手出しすら出来ない。
この場では、それは当り前の真理だった。
「……で、今度は何を企んでたのかしら?」
戦いにすらならず、壇上の隅までクラウスは追い込まれてしまった。
正面にはクリセアがいて、他の女性陣も周囲を威圧している。
「た、企むだなんて人聞きの悪い。俺はただ純粋にだな……」
「誤魔化すんじゃないわよ! 召喚術とか言ってたのも、全部聞いてるんだから! 白状しなさい! いったい、何を願うつもりだったの?」
「そ、それは……」
クラウスは言葉に詰まりながらも、周囲を窺う。
しかし助けは期待できそうにない。
いつもは頼りになる補佐役も、『青蜘蛛同盟』の一人に捕まって往復ビンタを喰らっていた。
「言えないってことは、ロクでもないことでしょ! 最低! いやらしい!」
「ち、違う! 俺は、おまえを喜ばせたかったんだ!」
「はあ? 今更、言い訳なんて……」
「もうすぐ、おまえの誕生日だろ?」
兄の言葉に、クリセアの勢いが止まった。
緩やかなざわめきが留まる場で、クラウスは静かに吐露していく。
「ずっと迷っていた。毎年だ。誕生日の祝いに何を贈ったら、おまえが一番喜んでくれるのか」
「……そんなの、べつに大袈裟にしなくても……」
「ああ、おまえは優しいからな。何を贈っても喜んでくれる。分かってるさ。でも今年は銀ランクにもなって、少しは贅沢も出来るようになった。記念っていうのも変だが、本当に心から嬉しいって言って欲しかったんだ」
クラウスは柔らかく微笑む。
仮面越しの眼差しでも、妹を想う純粋な気持ちは伝わっていった。
いつしか項垂れていたクリセアは、小さく握った拳を兄の胸に当てた。
「本当に、バカなんだから……そんなの直接聞けばいいじゃない」
「いや、でもそれは……」
「わたしはね、兄さんが元気でいてくれればいいの! 他には何もいらない!」
「クリセア……!」
感極まったように声を震わせて、兄と妹は抱き合う。
なにやら感動的な光景だった。
周囲を盛大に巻き込んでいる事態を忘れられれば、だが。
「まったく、仕方ないですね」
呟いたのは盟主補佐だった。
ついさっきまで往復ビンタを喰らっていたのに、平然として場を仕切る。
「落ち着いて話し合う必要がありそうですが……そうですね、この集めた魔石の扱いに関しても、互いに納得できる使い方を探るというのはどうでしょう?」
ちょうど毒気を抜かれてしまったところで、反対する者はいなかった。
召喚陣から溢れる輝きが消えても、全員が呆然としたままだった。
すべての召喚獣を統べる女王を呼び出すと聞いていた。
百名近くの中には半信半疑の者もいたが、ともあれ、威厳ある女王の姿を想像する者が大半だった。
しかし現れたのは幼女だ。
まるで妹のように可愛らしい、と思った者も多かった。
さすがに戦闘に長けた者は尋常でない気配を察していたが―――。
一方のルヴィッサも、少々虚を突かれていた。
過去には、様々な場面で召喚された覚えがある。
大抵のことでは驚かないつもりだった。
けれど仮面の集団に囲まれる状況は想像もしていなかった。
おまけに事情を聞けば聞くほど、頭を抱えたくなる。
「……妹を愛護する集団とは、なんとも面妖よのう」
溜め息を落としながらも、ルヴィッサは帰りたくなる気持ちを抑え込んだ。
妹と並んで立つクラウスへ話を向ける。
「それで、おぬしらは何を願うのだ?」
「あ、ああ……その前に、本当にどんな願いでも叶えてもらえるのか?」
「無論だ。対価は貰うがのう。しかしまさかとは思うが、妹と結婚したいなどと考えるのはやめておけ。可能ではあるが、大抵の場合はロクな結果にならぬ」
「いや、まさかそんな願いは……」
クラウスは慌てて首を振る。
ほんの僅かに残念そうな声色も混じったが、クリセアに腕を抓られると重ねて否定した。
「俺達が願うのは、妹への贈り物だ」
「ふむ。なかなかに健全な願いだな。しかしわざわざ我に願うのだ。何でも良いという訳ではあるまい?」
街で買えるような物が欲しいのなら、魔力を使った分だけ損となる。
ルヴィッサとしても、そんな簡単な願いでは大した対価は得られない。
その点はクラウスも理解している。
すでに皆で話し合い、納得できる答えを得ているのだ。
「欲しいのは、其々の妹が一番喜んでくれるものだ。可能なら、『お兄ちゃん大好き! 素敵! お兄ちゃんの妹に生まれてよかった!』と言ってくれるぅっ!?」
「暴走するんじゃないわよ、バカ兄!」
鳩尾に拳を捻じ込まれたクラウスは悶絶する。
それでも言いたいことは伝わった。
「この場にいる全員の妹に最高の喜びを与える、そのための贈り物を用意したいと言うのだな? 対価は個々人で払うのか?」
「いや、『赤蟻同盟』として払いたい。個人が破綻するようなのはダメだ。それで妹を悲しませたら本末転倒だからな」
「分かっておるではないか。では、対価が過剰なものは要相談であるな」
ルヴィッサの反応に、交渉を見守っていた面々は少々驚かされていた。
拍子抜けとも言える。
一部では悪魔を呼び出すという噂もあったので、全員で警戒していたのだ。
しかしルヴィッサは実に良心的で、街の商人にも見習って欲しいくらいだった。
「全員で一年以内に払い終える、というのを前提としよう。我の望みは召喚術を広めること、退屈をまぎらわすこと、これに絞られる。其方らに働いてもらうとしても、そう大きな負担を掛けるつもりはない」
互いに納得できる条件となるまで、さして時間は掛からなかった。
ルヴィッサが契約内容を記して空中に浮かべる。
青白く輝く契約書は、『赤蟻同盟』同志の前にも其々に提示された。
「此度は共同契約となる。内容に納得できた者は、その書面に触れるがよい」
嫌ならば断っても構わない。
そうルヴィッサは重ねて告げたが、全員が契約に同意した。
「それでこそ我らが同志! すべては―――」
「―――愛する妹のために!」
つまりは、そういうことらしい。
ルヴィッサは『青蜘蛛同盟』の女性陣と並んで溜め息を落とした。
「我、早まったかも知れん」
「バカ兄でごめんね。あ、クッキー食べる?」
「うむ。いただこう」
ぱりぽりとクッキーを齧る。
女性陣に頭を撫でられても抵抗しない。
ルヴィッサは寛大な女王だった。
ともあれ、契約は結ばれたので、その履行も速やかに行われる。
分厚い書物を手にしたルヴィッサは、ページをめくっていった。
「まずは贈り物を決めねばな……こやつがよい。来い、夢妖精!」
書物から光が溢れ出る。
無数に浮かんだ光粒は、幻想的な情景を描き出した。
わぁっと女性陣が嬉しそうな声を上げて、毛玉みたいな光の群れを見上げる。
「綺麗……あれ? これ、触れるの?」
「うむ。光に混じって分かり難いが、それでも妖精の一種だ」
白く小さな毛玉たちは空中高くへと散って、屋敷の外まで飛んでいく。
その内のひとつは、すぐ側に居たクリセアの額に取り付いた。
「え……?」
毛玉が触れた途端、クリセアの膝が揺れる。
ゆっくりと目を閉じて倒れ伏す。
ルヴィッサが支えたので怪我はなかったが、他の女性陣も同じように倒れていった。
「く、クリセア!? おい! いったい何をした!?」
「慌てるでない。眠らせただけだ」
掴み掛かってきそうなクラウスを制すると、ルヴィッサは静かに屈んだ。
意識を失っているクリセアを横たわらせる。
「夢の中では人は無防備になるからのう。何が欲しいのか、夢妖精がそれを聞き出してくれるのだ」
「なるほど……しかし、そういうことならば先に言ってくれ」
静かに寝息を立てる妹の様子を確認して、クラウスはほっと胸を撫で下ろす。
他の女性陣も眠っているだけだ。
それでも文句は言いたくなった。
「だいたい、クリセアまで眠らせる必要はないだろう? 俺が居ればそれで満足だと、さっきも……」
「ぅ……」
横になっているクリセアが小さく声を漏らした。
目を閉じたまま、誰にともなく呟く。寝言だ。
「にい、さん……」
「お? おう、クリセア! 俺はここにいるぞ。おまえの一番大切な兄さんだ」
「ライル、と……」
「……え?」
妹の寝言に、クラウスは唖然として眉根を寄せる。
ライル。確かにそう聞こえた。よく知っている名前だった。
兄妹と同じく『銀閃』のパーティメンバーで、頼りになる魔法剣士だ。剣術ではクラウスの方が上だが、総合的な実力では互角。友人であり、ライバルであり、誰よりも信頼できる仲間だと思っていた。
この瞬間までは。
「……結婚を、認めて……」
クラウスは大口を開けて凍りついた。
まるで時間停止の呪いを掛けられたみたいに硬直してしまう。
しかし眠っているクリセアは、そんな兄の様子にも気づかない。
さらに追い討ちの言葉を零した。
「ん……ライル、大好き……」
「うがああああああああーーーーーー! ライルぅぅぅ! あの野郎、いつのまに俺のクリセアに手を出しやがったぁっ!?」
髪を掻き毟りながら、クラウスは何度も床に頭を叩きつける。
同志たちが止めようとするが、半狂乱のクラウスは耳を貸そうともしない。
敵だ! 裏切り者め! 絶対に許さねえ!
そんな言葉を吐き出しながら暴れまわる。
この後、『銀閃』は仲間同士で壮絶な戦いを繰り広げるのだが、それはまた別の話で―――。
「……我、やはり早まったようだのう」
厄介な契約を抱えてしまったルヴィッサは、人知れず頭を抱えるのだった。