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第3話 魔術師ギルドの客人


 青空教室、とは言えないだろう。

 わたしだってそう思う。

 城の庭には暖かな陽射しが降り注いで、爽やかな風も吹いている。

 緑の香りも心地良い。

 大きな黒板も用意した。

 一応、それぞれが座れる席も置かれている。

 教師役はわたしで、助手もサリナが務めてくれる。

 形としては整っているはずだ。

 でも、あまりにもメンバーが規格外すぎる。


 城壁を軽く踏み越えるほど大きな龍神―――、

 神槍を手にした戦乙女―――、

 数千年の時を知り、漆黒の毛皮を纏った巨狼―――、

 月がその姿を取ったような、静かな輝きを放つ銀虎―――、

 全身が氷そのもので形作られた、煌びやかな巫女装束に身を包んだ少女―――、


 他にも個性的な面々が揃っている。全員が召喚獣だ。

 普段は其々が、この召喚界に住居を持って暮らしている。

 女王であるわたしに従っているとはいえ、こうして顔を揃えるのは珍しい。

 何故、集まったのかと言うと―――。


「ではこれより、第一回『魔術の神対策会議』を始める」


 青空教室ならぬ、青空会議のためだ。

 ちなみに室内にしなかったのは、体が大きすぎる子が多いから。

 龍神あたりは人間の姿も取れるんだけどね。

 今回集まったのは”比較的”知性派ばかりだし、姿を変えるような器用な技にも通じている。だけどそもそも屋内が嫌いな子が多いのだ。

 基本的に問題児ばかりだからね。

 こうして集まっただけでも誉めてあげないといけない。仕方ないね。


「司会進行はわたくし、筆頭侍女であるサリナが務めさせていただきます」


 わたしが席に着くと、代わりにサリナが前に出る。

 まずは今回の議題について説明してもらう。

 前回の召喚によって、召喚術が禁術指定を受けているのが判明した。首謀者は、魔術の神であるらしい。

 そういった事情を説明して、対策を話し合う。

 その予定だった、はずなのだけど―――、


「まず、神々との戦争に賛成の方は―――」


 広場に獣たちの雄叫びが響き渡った。


 龍神が天を焦がすほどの火炎を吐き出す。

 黒狼と銀虎が揃って吠えて大気を震えさせる。

 戦乙女は微動だにしなかったが、瞳には戦意を溢れさせている。

 氷の巫女も血を求めるような冷笑を浮かべていた。


 うん。わたしが間違っていた。訂正しよう。

 こいつらは問題児じゃない。”超”問題児ばかりだ。

 早くなんとかしないと。

 って無理だけどね。なんとか出来るなら、もうとっくに手は打っている。

 時間なら、これまで腐るほどあったんだから。


「決を採るまでもありませんね。では、ルヴィッサ様より宣戦布告を……」

「しないよ! なに勝手に決めちゃってるの!?」


 わたしが一喝すると、皆は一斉に不満の声を上げる。

 ブーイングの嵐だ。よっぽど暴れたいらしい。

 でもダメだ。本気の戦争なんて起こしたら、わたしたちだって只では済まない。

 ひとまず睨んで黙らせておく。


「しかしルヴィッサ様、魔術の神が召喚術を禁じたのは事実です」

「まあそうだね」

「これは明らかに、我々への敵対行為でしょう」

「う~ん、否定しきれないよねえ」

「ならば、戦争をするしかありません」

「そこ違う! 三段論法で誤魔化そうとしてもダメだからね!」


 ちょっと納得しそうになっちゃったけどね。

 わたしは胸の前で×印を作って、変な暴走をしないよう言い含めておく。

 サリナもひとまずは納得してくれたみたいだ。表情を一切変えずに舌打ちするという妙技も見せてくれた。


「とにかく、今回はそういう力技は求めてないの。これじゃ会議じゃなくて、決起集会みたいじゃない」


 まだ不満そうな顔をしているみんなにも向けて言う。

 何の為に”比較的”知性派を集めたと思っているのか。

 ちょっと考えれば分かるはずなのに。


 神々と遣り合って、バラバラにしたりされたりするのはいい。

 どうせわたしたちはちょっと痛いだけだ。

 でも、巻き込まれる人々はどうなるか?

 きっと大勢が命を落とす。人界は大混乱に陥る。

 下手をしたら、滅び去ってしまうかも知れない。

 そうなったら―――。


「わたしたちを召喚する人もいなくなるんだよ。もっと退屈になっちゃう」


 本末転倒だ。

 折角、召喚される機会を増やせそうなのに。

 わざわざ、その人間を減らしてどうするというのか。


「どうせなら、もっと楽しい作戦を考えよう。例えば、魔術の神が人間からそっぽ向かれるようにして、信者を全部もらっちゃうとか」

「なるほど。まずは信仰心という兵糧を攻めるのですね」

「そうとも言えるけど……なんでわざわざ物騒に言い換えるかなあ」


 溜め息を吐くわたしとは裏腹に、サリナは急にやる気を見せ始めた。どんな形であっても、神と戦えるのは嬉しいらしい。

 他の子たちも目を輝かせる。

 いや、比喩ではなくて、本当に輝いていた。

 というか、光を反射している。


「おお!? チラシ効果かな?」


 空高くに、青白く輝く魔法陣が浮かび上がっていた。

 わたしが召喚される合図だ。みんなが羨ましそうな眼差しを送ってくる。


 ふっふっふ。そんな目をしても代わってなんてあげないぞ。

 ここで悔しがりながら、魔術の神への嫌がらせ作戦でも考えているといい。

 でも、お土産くらいは持ってきてあげよう。


「今回は早かったね。もうちょっと期間が空くかと思ったのに」

「これでリッカの契約も果たされたということですね」


 呟いたサリナは、細めた目の奥に複雑な色を宿していた。

 久しぶりに人界に降りて、初めての使徒も得て、思うところもあったのだろう。


「使徒を通じてなら、サリナも人界の様子を見られるんでしょ? 暇な時にはそうしてていいよ」

「いえ。メイドたる者、常にご主人様のために働くものです」

「また非常識なこと言って……なら、休憩はどうするの?」

「本物のメイドに休憩など無用です」


 さらりと言うサリナだが、その背後では、メイド部隊が必死に首を振っていた。

 大丈夫。わたしはそこまで無茶は求めないから。


「まあともかく、召喚に応えようか」


 軽くドレスの裾を翻して、わたしは城へと向かう。

 新たな出会いの予感に胸が弾んでいた。






 ◇ ◇ ◇


 ロウニール王国首都、魔術師ギルド本部―――、

 王城近くに広い敷地を持ち、日夜大勢の魔術師や研究者が出入りする。錬金術師ギルドの本部も含まれていて、知性を誇る関係者が多い割に、雑多な雰囲気に包まれている。

 本部とは言っても、冒険者ギルドとは違って大陸全土に支部を持つ訳ではない。あくまでロウニール王国内の本部、ということだ。


 他国の魔術師ギルドとの交流はある。

 しかし研究資金などで国からの援助を受けているため、独立性は低くなっている。強力な術師や新しい魔術は、常に国家が独占したがるものだ。

 すべての有能な魔術師が国家やギルドに従う、なんてことは有り得ない。

 それでも人材や資金、情報も、ギルド本部には集まってくる。


「究極の、最上位の召喚術だと? 馬鹿馬鹿しい」


 小太りの魔術師が鼻で笑う。頑丈な作りの椅子が軋んだ音を立てた。

 石壁に囲まれた部屋には、十名余りの魔術師が集まり、中央に置かれた広い机を囲んでいた。機能性を重視した殺風景な部屋だが、奥の壁には魔術の神(メルカドサバル)の紋章を描いた旗が飾られている。

 ギルドの運営を決める評議会が開かれるための部屋だ。この場にいる魔術師も当然、ギルド内でそれなりの地位に就いている。


 今回の議題は、迷宮都市で配られたとあるチラシについてだ。

 一介の冒険者によって作られたチラシだが、魔術師ギルドとしては見過ごせない内容が記されていた。


「召喚術は魔術の神が根絶を指示されたもの。それを馬鹿馬鹿しいと言うのは不敬では?」

「敬意を払っているからこそ。それほど危険な術が、このような形で配られるなど有り得ぬ。聞けば、首謀者は『猫』ランクの冒険者というではないか」

「その情報は古いな。いまは『狼』ランクだそうだ」

「しかも不確定だが、『凍血聖女』の使徒となったと聞く」

「なっ……『凍血聖女』だと!? そちらの方が問題ではないか!」

「だからこそ迷宮都市の支部も困惑している。対応を決めかねて、こちらへ相談してきたという訳だ」


 基本的な情報共有すら出来ていない。

 隙が少しでもあれば、他者を嘲笑おうとする。

 ギルドで地位を得る魔術師には、余所との関わりを軽視する者が多いのだ。そんな暇があれば研究時間に充てようとする。そのくせ自己主張は激しい。

 だからこういった風景は、魔術師ギルドの会議では当然のものだった。


「―――まずは、この術式を試すべきでしょう」


 非建設的な応酬を断ち切ったのは、若い男の声だった。

 体の線は細いが、魔術師としては標準的な体型だろう。白いローブのおかげで幾分か健康的にも見える。けれど常に寝不足がちな目は充血していて、銀縁の眼鏡の奥から不死系魔物みたいに陰湿な光を放っていた。

 老年の術師も多い中で、不敵な微笑を浮かべ続けている。年長者に対する敬意は欠片もない。しかも、そのことを隠そうともしていない。

 その男、ロリドはゆっくりと視線を巡らせる。

 静寂の中、初老の魔術師が耐えかねたように口を開いた、が、


「何を馬鹿な。禁術を試すなど―――」

「無論、神の御意志に逆らうつもりなどありません」


 ロリドはすぐさま言葉を押さえつけた。反論を予測していたのだ。


「私とて懲罰部隊は怖いですからね。勿論、神の怒りも。だから召喚術に触れようとは思いません」


 しかし、と充血した目を僅かに見開く。

 その眼光には狂気の炎が灯っていた。


「神が禁忌とする召喚術を、完全に滅ぼせるとしたらどうです?」


 机を囲む全員が息を呑む。

 何を馬鹿な、と言い掛けた者もいた。

 禁忌とされている召喚術だが、それがとてつもなく強力な術式であると、この場にいる者ならば承知している。滅ぼすのが不可能であるからこそ、人が触れられぬよう情報を断ち、封印に似た形を取ったのだ。


 滅ぼすとは即ち、召喚獣すべてを消し去ること。

 国すら蹂躙できるような獣どもを、人の手でどうにか出来るはずもない。


 そう全員が無言で訴える。

 けれど僅かな期待が残っていたのは、ロリドが『使徒』であるからだ。

 魔術の神より加護を授かり、現在はランク5となっている。その実力は万の軍勢にも匹敵すると言われるほどだ。治療術を得意として、最近は研究に傾倒していることもあって表立った活躍は少ない。それでも幾名もの貴族や要人を、病気や怪我から救った功績があった。

 本来、ロリドはこの場にいる者ではない。他国のギルドに所属している。

 評議会への参加が許されたのも『使徒』であるからだ。

 つまりは、それだけ発言にも重みがある。


「このチラシに書かれている内容が真実だとすれば、すべての召喚獣を従える女王を呼び出せる。しかもその女王は、契約に縛られるという。これを利用しない手はありません」

「……ロリド殿、いったい何を考えておる?」

「簡単なことです。古い物語にもあったものですよ」


 酷薄な笑みを浮かべて、ロリドは咽喉を鳴らす。

 その表情に警戒を覚えた者もいた。

 しかし魔術師としての興味が、耳を塞ぐことを許さなかった。


「悪魔を欺き、契約によって従える。人の知恵というものを見せてやりましょう」


 それこそ悪魔の誘惑のように、ロリドの言葉は魔術師たちの心に染み込んでいった。







 この街に、ロリドは旅の途中で立ち寄っただけだった。

 ロウニール王国を抜けて、海を挟んだ先のホルティック諸島群に渡り、そこに住むエルフ族に交流を持ち掛ける予定だった。生命を研究しているロリドにとって、長寿であるエルフは興味深い素材なのだ。

 あわよくば若いエルフを手に入れたい、とも考えていた。

 ともあれ、長い旅の途中だったので、手元にある資金は限られている。召喚術に必要となる高価な魔石は揃えられなかった。


「これほどの魔法陣を扱うとなると、ロリド殿でも魔力で苦労されるのでは? どうなさるつもりで?」


 ギルド本部に設けられた実験場に、評議員である魔術師たちが集まっていた。

 ゆうに数百名は入れそうな部屋は、壁や床に何重もの抗魔処置が施されている。下手な城壁よりも頑丈な壁で囲まれていて、強力な術式の実験にも耐えられる造りになっていた。

 実験部屋の中央には、すでに召喚術式用の魔法陣が設けられている。

 このための素材はギルドが用意した。安い物ではないが、使徒への接待費と考えれば許容範囲内だ。


 しかし魔力に関してはそうはいかない。禁術に関わる極秘実験なのだから、人数は揃えられない。魔石で賄うのも高くついてしまう。とりわけ現在は、先の帝国との戦争もあって値段が高騰しているのだ。

 だからこの実験を許可するに際して、ギルドは条件を出した。

 ロリドが魔力を負担する、という条件だ。


「実は今回、皆さんにお見せしたいものがありましてね。この実験のついでに見てもらおうと思いまして」

「魔力負担に関することかね?」

「ええ。人から強制的に魔力を引き出す技術ですよ」


 思わぬ返答に、集まった魔術師たちがざわつく。

 人から強制的に魔力を引き出す。そういった技術があったとは、この場の幾名かも聞いた覚えがあった。

 しかしその技術は三百年前の人魔大戦で失われたはずだった。

 まさか復活させたのか、と視線がロリドに集中する。


「まだ未完成ですし、当事の技術と同じかどうかも分かりません。しかしこの程度の魔法陣ならば、一人で起動できますよ」


 おお、と感嘆の声が上がる。

 魔力枯渇の問題は、常に多くの魔術師たちを悩ませてきた。戦場では魔力切れで命を落とした者も多い。有用でも魔力消費が激しすぎて使えない術式も多々あった。

 個人で扱える魔力量の増加は、魔術師ギルドが常に取り組んできた課題だ。

 一人一人の生み出せる魔力が増えれば、魔石への貯蔵技術も進歩しているいま、魔術師全体の地位を一気に高めることにもなる。


「講釈は後に回すとして、まずは実験を始めましょう」


 魔法陣の横へ、ロリドは足を進める。

 そこには椅子がひとつ置かれていて、一人の少女が縛られていた。

 まだ十代の半ばにも達していない少女だ。顔立ちは整っているが、痩せて、薄汚れた布服を着せられている。目隠しと猿轡をされていて、しかも首には奴隷の証である黒い首輪も嵌められていた。


 奴隷―――、

 人魔大戦の末期、解放運動の嵐が吹き荒れた。しかし未だに奴隷制度を維持している国は多い。ロウニール王国でも、当然のように認められている。

 けれど、見て楽しいものではない。

 その奴隷少女はロリドが連れてきたのだが、何の為なのかは説明されていなかった。


「彼女から魔力を提供してもらいます」


 全員が怪訝な眼差しを向ける中で、ロリドは指先に魔力光を灯した。

 簡単な術式を描いて、少女の胸元へと落とす。

 ビクリ、と少女が全身を震えさせた。

 次に少女自身から淡い光が放たれる。薄布に覆われた全身の隅々まで、複雑な魔術式が刻まれていて、それが起動を始めたのだ。


「んん~~~ッ――――――――――――!」


 少女が苦しげな声を漏らした。

 全身を暴れさせるが、しっかりと椅子に縛られているので逃れようがない。その椅子も床に固定されていて、足下には複雑な魔法陣が描かれていた。

 召喚陣とは別のものだ。外側を囲む形で魔石が置かれていて、少女から溢れた魔力が流れ込む仕組みになっている。


「魔力が何処から生まれるのか、様々な検証が為されてきましたが、未だに結論は出ていません。まあ、この場にいる皆さんには言うまでもないことですが」


 悶え続ける少女を横目に、ロリドは平然と語りだした。

 少女を気遣うどころか、むしろ楽しげに目を細めている。


「生成過程はともあれ、その効率が上がる状況は幾つか判明しています。例えば、落ち着いた環境であれば魔力の回復は早まる。睡眠時などがそうですね。ですが、”回復”ではなく、急激に”生成”、あるいは増加する状況もあります」

「……感情が昂ぶる時などと言われているな。つまり……?」

「彼女には絶え間なく苦痛を与えて、そういった状態を作り出しています。肉体的な痛みだけでなく、霊体に対する攻撃術式も応用して……」


 術式の細かな説明を行っていく間にも、少女は苦悶の声を上げ続けていく。

 設置された魔石には、確かに魔力が溜められていった。けれど賞讃して拍手を送りたくなるような光景ではない。

 だというのに、ロリドは笑声すら零している。

 まるで、お気に入りの音楽家を招待した茶会を満喫しているみたいに。


 誰の目にも、彼が倒錯した嗜好を持っているのは明らかだった。

 あるいは、純粋に魔術の成功を喜んでいるだけかも知れない。

 いずれにしても、すべての魔石に魔力が注ぎ込まれるまで、ロリドが満足するまで、少女が苦痛から解放されることはなかった。


「加減を間違えると発狂してしまうのが難点ですがね。しかし比較的若い女であれば、その問題も少なくなるようです。経験則ですが」


 煌々と輝く魔石を取り上げて、ロリドは召喚陣へと向かった。

 ようやく苦痛から解放された少女はぐったりと項垂れていたが、そちらには興味すら示さない。


「さて、それでは本番を始めましょうか」


 ロリドから促されて、不快げに顔を歪めていた魔術師たちも思い出す。

 本来の目的は召喚術の方だった。

 凄惨な光景を見せられて、つい失念していたのだ。

 だからといって、奴隷少女を気遣う者は一人もいなかったのだが―――、

 ともあれ、彼らも熟達の魔術師だ。それぞれに魔石を手渡されると、召喚陣へと向かって準備を進めていく。


「このチラシが真実ならば、呼び出されるのは召喚獣の女王だそうです」


 輝く魔石を手に、ロリドは目を細める。


「どのように悔しがり、喚いてくれるのか、いまから楽しみですよ」


 他の魔術師たちの緊張も嘲るように、嗜虐的な笑声が流れていった。







 実験室全体が眩い光に塗り潰される。

 さながら嵐の如き魔力の奔流に、いつしかロリドも表情を消していた。

 他の魔術師も同様だ。

 息を呑み、不測の事態にも対処できるよう緊張を増していく。

 やがて、光は治まって―――、

 小さな足音が響く。全員の視線が、誘われるようにそこへ注がれた。

 魔法陣の中心に、一人の幼女が立っていた。


「……ほう。今回は随分と整った召喚陣だのう」


 小鳥の囀りを想わせる、可憐な声で呟く。

 幼く可愛らしい声なのに、それだけで魔術師たちは気圧されていた。

 なまじ魔力への感覚が優れているから分かってしまう。戦闘に長けた者は、より明確に察していた。

 目の前に現れたのは尋常な存在ではない、と。


「まずは名乗るとしよう。我こそは召喚獣を統べる者、シュティラウドクライン三世である。そして―――」


 名を告げた召喚女王(ルヴィッサ)は、ゆっくりと左右へ視線を巡らせた。

 一旦、椅子に縛られている奴隷少女を見て僅かに眉を揺らした。

 けれどそれだけで、視線を戻すと、正面にいたロリドへ向けて歩み寄る。


「其方が、召喚主であるな?」


 数歩の距離を置いて対峙した両名を、魔術師たちは凝視していた。

 彼らにとっては、ここからが本番となる。

 ルヴィッサを欺いて契約で縛らなくてはいけない。

 そのために禁忌とされる召喚術に手を出したのだ。


 まずは会話をして警戒を解きつつ、相手の情報を得る。何を欲するのか、どのような力を秘めているのか、どれだけ知恵が働くのか―――、

 何十ものパターンを予測して、言葉の罠を用意してあった。

 最悪、戦闘になることも想定している。魔術師たち全員が、いくつもの魔術具を隠し持っていた。

 しかしやはり荒事は避けたい。到底、敵う相手とは思えない。


 故に、魔術師たちは、交渉役となるロリドの動きに意識を傾けていた。

 ここから始まる会話がすべての鍵となるのだ。

 一言一句すら聞き逃さぬよう、全員が神経を尖らせる。

 予期せぬ話の流れにも対応できるよう、老獪な魔術師も側に控えている。


 そんな場の期待を一身に受けて、ロリドは口を開いた。


「美しい……」


 …………は?

 一瞬、全員が時間の停まったような錯覚に囚われた。

 幾度か瞬きを繰り返してから、魔術師たちは我に返る。

 そしてまた、全員が同じ罵倒を胸の内で投げた。


 コイツは何を言っているんだ、と。


「貴方こそ私の理想だ。是非、花嫁に―――」


 たわけた発言を重ねようとしたロリドだが、それは叶わなかった。

 陶酔しきった顔面に、ルヴィッサの小さな拳が叩き込まれたのだ。

 吹っ飛ぶ。

 勢いよく。悲鳴を上げる暇もなく。

 癇癪を起こした子供に放り投げられた人形みたいに。

 回転しながら壁に叩きつけられたロリドは、そのまま床に伏して動かなくなった。


「おっと。あまりの気持ち悪さに手が滑ってしまったわい」


 くるりと空中で回転して、ルヴィッサは華麗に着地する。

 黒銀に輝くドレスの裾を揺らしながら、あらためて周囲を窺った。


「其方ら全員が魔術師か? 変態揃いということもあるまいが……」

「ま、待て!」


 一人の魔術師が声を上げた。

 ロリドの横に控えていたその老魔術師は、ルヴィッサを指差して狼狽した声を投げる。


「召喚主への攻撃は出来ないのではないのか!? そう契約で縛られるはずだ!」


 その問いは、魔術師たちの疑問を代弁していた。

 彼らも、絶対に安全とは思っていなかった。しかしある程度の決まり事があり、その隙を突けると思ったからこそ、今回の召喚を行ったのだ。

 もしも暴力を用いての契約が成り立つのだったら、完全に計画は破綻してしまう。


「ふむ。それなりに知識のある者はおるようだな」

「そ、そうだとも! 契約を破れば、そちらにも不都合が起こるはずだ!」


 老魔術師は、声を震えさせながらも強弁する。

 交渉事に於いて強気に出るのは基本だ。

 いきなり予想外の事態には陥った。けれどまだ挽回できるはずだと、魔術師たちの間にあった緊張が弛緩する。

 だが、ルヴィッサは笑声混じりに言い放った。


「言うたはずだぞ。我は、手が滑ったと」

「なっ……!」

「案ずるでない。我がこうして顕現した以上、召喚主の生命は保証しよう。もっとも、”それ以外”は知ったことではないがな」


 魔術師たちは顔色を蒼ざめさせる。

 召喚主とはロリドのこと。この場にいる他の魔術師は、術式に協力したとはいえ”それ以外”となっている。そういう術式なのだと理解していた。

 そのロリドはと言えば、床に倒れて気絶している。顔面は腫れ上がっているが、幸せそうに緩みきった表情を晒していた。

 まったく頼りになりそうにない。


 もはや魔術師たちは命綱を失った状態に追い込まれていた。

 ルヴィッサの言葉は脅しにしか聞こえない。

 しかし一番の失敗は、動揺を顔に表してしまったことだろう。


「その様子からすると、よからぬ計略を巡らせておったようだのう?」

「い、いや、そのようなことは……」

「隠さずともよい。知恵を働かせるのは、人間として当然であろう。しかし考えはしなかったのか? 過去にも同じような計略を目論んだ者がおる、と」


 魔術師たちは重ねて狼狽する。

 正しく、ルヴィッサに指摘された通りだった。

 先人が失敗した可能性を考えなかった訳ではない。むしろその可能性を深く考慮して、警戒心を解く策を主軸に置いていた。

 けれど、こうも警戒されていては会話の流れを掴むのは難しい。

 どうにか状況を覆そうと魔術師たちは懸命に頭を働かせる、が、


「まあ、”そのこと”を咎めようとは思わぬ。どうでもよい」


 ルヴィッサの行動は、完全に魔術師たちの予想から外れていた。

 困惑する彼らの輪を抜けて、ルヴィッサは部屋の端へと歩を進めた。そこに縛られたまま放置されていた奴隷少女の正面に立つ。


「ふむ……見覚えはない。だが、どうにも剣呑な術式が刻まれておるのう」


 呟き、小さな手を空中へと揺らす。

 複雑な魔法陣が描かれ、弾けると、そこから一冊の本が現れた。

 そのまま本は床へと落ちる―――かと思えば、羽が生えた。

 黒い蝙蝠のような羽だ。さらには分厚い革表紙に目玉が浮かんでくる。ぎょろりとした大きな目玉が複数、上下左右へと忙しなく視線を巡らせる。

 奴隷少女の周囲を一回りすると、奇妙な本は真っ白いページを開いてみせた。

 空白に文字列が記されていく。

 それを読み取って、ルヴィッサは不機嫌そうに眉根を寄せた。


「……なんとも悪趣味な術式だのう」


 苦々しげに述べたルヴィッサは、開いていたページを破り取った。

 直後、本から金切り声が上がる。

 まるで幽鬼が嘆き叫ぶような声に、魔術師たちは悲鳴を上げながら耳を塞いだ。

 しかしルヴィッサは平然としてページを燃やすと、奇妙な本を宥めるように軽く叩く。本は不満を表すようにしばし空中を飛んでいたが、やがて魔力光のみを残して消え去った。


「年端もいかぬ少女を痛めつけて……其方ら、少しは心が痛まぬのか?」


 振り返ったルヴィッサが冷たい眼差しを投げる。

 けれど魔術師たちは慌てふためくばかりだ。

 奴隷を物としか認めていない彼らには、質問の意図すら掴めなかった。


「そ、その少女が気に入ったのならば、好きにしても……」

「たわけ」


 躊躇いがちに投げられた言葉を一蹴して、ルヴィッサは溜め息を落とした。


「まあ、我も他人のことは言えぬがな。所詮は異界で暮らす身だ。どれだけ人間が苦しもうとも心は痛まぬ。また、その資格も持たぬ」


 だが、と奴隷少女へと向き直る。

 小さな手で、薄汚れた頬をぺちぺちと叩いた。


「我が配下には、優しい馬鹿どもが多いからのう。女王として捨て置けぬ」

「ぅ……?」


 奴隷少女が顔を上げる。

 まだ目隠しと猿轡をされたままだが、ルヴィッサの声は届いていた。


「其方、助かりたいか?」

「……?」

「助かりたいか、と訊ねておる。まあ嫌だと言うても助けるがな」


 ルヴィッサは手を伸ばすと、目隠しと猿轡を引き千切る。

 頑丈な革で作られていた手足の拘束も、まるで薄紙みたいに裂いてみせた。

 そうして解放された奴隷少女の眼前に、青白く輝く書面を突きつける。


「文字が読めずとも構わぬ。助かりたくば、そこに触れるがよい」

「……わたし、は……」

「それとも奴隷のままでよいか? 理不尽に抗う気も起こらぬか?」

「っ……イヤ……! もうあんなのは我慢できない! 私は、奴隷なんてイヤだ! 死にたくない! お願い! 助けてください!」


 声の限りに叫んだ奴隷少女は、ルヴィッサに抱きつくようにして手を伸ばした。

 青白い光が瞬き、その手に契約印が刻まれる。

 ルヴィッサは両腕を広げて、自分より一回り大柄な体をしっかりと支えた。


「よかろう。契約は結ばれた」


 可憐な声での宣言は、静まり返っていた場に響き渡った。

 魔術師たちは目を白黒させるばかりだ。

 仮にも女王を名乗る者が、奴隷と契約を結ぶなど考えられなかった。彼らにとって奴隷少女など置き物と同じだった。この場での出来事に何の影響も与えないはずだったのだ。

 なのに、まさか、そんな―――。

 現実を受け止めきれず、かといってルヴィッサの宣言も無視できず、魔術師達は混乱から抜け出せずにいた。


 その間に、ルヴィッサは一冊の本を取り出していた。

 先程の奇妙な本とは違う、もっと分厚く、荘厳な装飾がされた書物だ。

 空中に浮かんだ書物は、光粒を散らしながらページがめくられていく。

 頭上から降る光を浴びながら、ルヴィッサは告げた。


「―――万民の守護者にして、氷龍の伴侶、不義への殲滅者よ!

 其の名は、氷霊巫女シズハ・シグニスフィア!

 静謐とともに顕現せよ! 汝の前では、時すらも凍りつく!」


 その瞬間、音が消えた。

 ただ光粒だけが降り注ぐ。

 呼吸音すら掻き消えて―――、

 寒い。

 そう思った時には、魔術師たちはもう何も認識できなくなっていた。


 部屋全体が凍りついたことにも、彼らは気づけない。

 その中心に立つ、氷の彫像のような巫女の姿も見ることはなかった。

 もしも認識できたとしても、時間を忘れて見入っていただろう。まるで神に奉げられるために創られたような美貌は、空中を漂う氷粒が光を反射し、さらに飾り立てられている。巫女装束の合間から覗ける肌は流麗な曲線を描いていて、たとえ自身が凍りつくとしても触れてみたくなるほどだ。


「其方にしては、手加減ができた方か」


 凍りついた部屋を見渡して、ルヴィッサは呆れ混じりの笑みを零す。

 ルヴィッサの周囲だけは何も変化していなかった。

 その幼女に抱きかかえられていた奴隷少女も無事だ。ただ、目を丸くしている。

 氷の巫女はやはり音も立てずに姿勢を正すと、跪いて一礼した。


「しかし呼び出す度にこれでは……まあ、いまは良いか。それよりも、こやつらの処遇をどうするか……」


 ルヴィッサが首を捻る。と、氷の巫女が唇だけを小さく揺らした。

 人のものではない言葉が紡がれる。


「ふむ……魔術師であるこやつらには堪えそうだのう。悪巧みも出来なくなるか。よかろう。ただし、この建物そのものは十日ほどで解放するとしよう」


 ルヴィッサはにんまりと口元を緩める。そうしてから横へ手を伸ばした。

 立ち尽くしていた奴隷少女の首輪を掴み、また引き千切る。


「あ……っ!」


 本来なら、その首輪は主人しか外せないものだ。強引に外せば呪術が発動して、奴隷の命を奪ってしまう。

 けれど、何も起こらなかった。

 唖然とする少女の手を取って、ルヴィッサは柔らかな笑みを向ける。

 まるで友達を遊びに誘うみたいに。


「では行くぞ。其方には、我を助けてもらわねばならんからな」

「え……あの、でも助けるって、私は何をすれば……」

「まずは、適当に街を案内してもらうぞ。其方の身なりも整えねばならぬ。その後は……そうだな、慈愛の女神(イリュオンギューレ)の教会にでも行けばよかろう」


 慈愛の女神―――、

 その教会は、行き処を失くした人々の受け入れ先にもなっている。例えば奴隷から解放された少女にも、人として生きる場所を与えてくれる。

 ルヴィッサが告げた意味を理解して、元奴隷少女は瞳に涙を滲ませる。

 だけど感慨に浸っている暇は与えられなかった。


「ほれ、ぼんやりしてるでないわい」


 二人の体が青白い光に包まれて転移する。

 少女はいきなり空中高くへ連れ出されて、悲鳴を上げることになるが―――、

 氷漬けになった室内には、静寂だけが残されていた。




 この日、ロウニール王国の魔術師ギルド本部は凍りついた。

 比喩ではない。文字通り、施設全体が氷に覆われた。

 後に、この事件は『氷結の十日間』と呼ばれる。

 施設内にいたギルド関係者や、偶然に訪れていた者も巻き込まれて、全員が氷像と化していた。地面や建物と一体化した氷は、動かすことも、炎などで溶かすことも、また砕くことも叶わなかった。

 大勢が巻き込まれた凄惨な事件かと思われたが、結果として命を落とした者は皆無だった。


 十日後に、突如としてすべての氷が消え去ったのだ。

 解放された者たちも怪我ひとつ負っていなかった。それどころか、自分たちに何が起こったのかも分かっていなかった。

 それだけならば、奇妙な事件として忘れ去られたかも知れない。

 しかし一部の、ギルドにとって重要な評議員たちは違った。


 ほぼ全員が、この日を境に一切の魔術を使えなくなってしまったのだ。

 基礎的な火を起こすような魔術すら発動できなくなっていた。

 そこには、魔術の神から加護を授かった使徒も含まれていた。

 何故かは分からない。

 ただ、ある評議員は呟いた。

 まるで体内の魔力路が凍りついているようだ、と。

 事実はともあれ、魔術師ギルドが大きな被害を受けたのは間違いなかった。



 そして、ある噂も囁かれ始める。

 評議員たちは、禁忌とされる召喚術に手を出した。

 その失敗によって恐るべき呪いが降り掛かったのだ、と。

 こうして召喚術の名は、大陸の各国にまで広まっていく。

 人々の興味を引くような脚色も加わる形で。



次回はもうちょっとほのぼのした話になる予定です。

たぶん、きっと、メイビー。

しかし最初の構想では軽い話の連続になる予定だったんですがねー。

召喚獣に安息の日々が訪れるのはもうちょっと先のようです。

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