閑話 獣人少女と黒き魔女
時系列としては、第1話後編の最中になります。
時間の遡りは基本的にしないつもりですが、今回は閑話ということで。
大陸随一の繁栄を誇る帝都エルバルトグラード。
常に大勢が出入りし、街には様々な店が並ぶ。およそ揃えられない品は無いとも言われている。獣人やドワーフも当り前のように街に溶け込んでいて、大陸では珍しいエルフの姿もちらほらと見掛けられる。
堅牢な城壁や、歴史ある街並みも見物だろう。
質実剛健を風土としているが、様々な人種を受け入れる度量もある。剛柔入り混じった逞しさが、帝国の強さであり、そこで暮らす人々を支えている。
しかしそんな帝都住民も、つい先日の騒動は受け止めかねていた。
不落と謳われていた帝都の城門が破られ、敵兵が城まで踏み荒らしたのだ。
それだけでも帝国存亡の危機という一大事だが、さらに信じられない出来事が重なった。帝都の横にいきなり巨大な城が現れたり、そこから援軍が現れたり、おまけにその巨城は翌日には影も形もなく消え去ったり―――。
丸一日が過ぎたいまでも、街中がその話題で持ちきりだった。
皇族にのみ伝わる秘術だという噂もあったが、庶民に真相は分からない。
皆が困惑を抱えながらも、ともかくも日常を取り戻そうと動き始めていた。
大通りから少し外れた鍛冶屋でも、槌の音が響いている。
「ロネ、お邪魔するわよ」
慣れた様子で入ってきたのは、鍛冶屋には珍しい格好をした客だった。
一言で表すなら魔女だ。裾の長い黒ローブで全身を覆い、頭に乗せている三角帽子も黒い。本人も長い黒髪をしているが、対照的に肌の色は雪のように白い。しかし病的という訳でなく、整った顔立ちもあって妖艶な魅力を漂わせている。
その魔女マーニャは、眠たそうな眼差しで店内をぐるりと見回した。
誰もいないのを確認すると、赤縁の眼鏡を上げ直しながら奥へと進む。
「今日は随分と忙しいみたいね」
「にゃ? マーニャ、もう朝なのかニャ?」
奥の鍛冶場では、一人の獣人少女が槌を振るっていた。
細身だが、しなやかに鍛えられた体付きをしている。獣人族特有の獣耳と尻尾は、ふさふさの銀毛で覆われていた。まるで猫人族みたいな喋り方だが、実際には狼人族という、なんともややこしい少女だった。
普段は早寝早起きを信条としているロネが、目の下に隈を浮かべている。
珍しい事態だが、それも仕方ないか、とマーニャは肩をすくめた。
「そっちも大変そうね。徹夜仕事?」
「修理する物が山ほどあるニャ。しかも大急ぎにゃんて、お貴族様はこっちの事情はお構い無しニャ」
「こんな時だもの。ある程度は仕方ないわよ」
文句を言ったロネもマーニャも、本気で怒ってはいない。怒りをぶつけるとしたら、襲ってきた侵略者どもと裏切り者である公爵だと理解している。
もっとも、そいつらはすでに打ち払われた後なのだが。
「親方は一緒じゃないのね」
「ついさっき、ギルドの会合だって出て行ったニャ。逃げたのニャ」
「その割には嬉しそうじゃない」
一年前に弟子入りを頼んだ際には、「女を鍛冶場に入れられるか!」と怒鳴りつけられた。けれどいまでは、簡単な修理仕事とはいえ任せてもらえている。
友人の成長に、マーニャは眼鏡の奥でそっと目を細めた。
それを誤魔化したくもあって、鍛冶場の奥へ向かうとカップをふたつ用意して水を注ぐ。一度魔術の炎で沸騰させてから、また急速に冷やして、小さな氷粒もまとめて投入した。
勝手知ったる友人の職場だ。
テーブルにカップを置くと、椅子も引いてきて腰掛けた。
「マーニャの方は一段落したのかニャ?」
「元々、怪我人は少なかったのよ。帝都全体に治療術が降り注いだって話もあったでしょう?」
「色んなところで光の玉が飛んでたニャ」
「あれも皇族の秘術だって話よね。まあそれでも、材料が切れてなければ、今頃もまだ回復薬を作り続けてたでしょうけど」
マーニャの方は、魔術師ギルドからの協力員という形であちこちの手伝いに奔走させられていた。戦闘や治療、家屋の修理なども魔術で手伝えるので、魔力切れで倒れる直前まで働かされたのだ。
一休みしたら、今度は兵士に混ざって城壁の見張りにも就く予定だ。
器用貧乏なマーニャだが、自分の半端な才能をあらためて恨みたくなった。
「得意な術式で名が売れてれば、もう少し楽できたでしょうね」
「にゃはは。雷でドカーンは、まだまだ遠そうかニャ?」
「べつに、戦場で活躍したい訳でもないんだけどね」
三角帽子のツバを弄りながら、マーニャは口元を捻じ曲げる。
黒ずくめの格好は、なにも女魔術師だと自己主張するためではない。
かつて人魔大戦で活躍した『黒雷魔女』が、同じような装備を好んでいたと伝えられている。そのために伝統的な女魔術師の装束として定着していた。最近ではもっと簡素な装備も流行っているが、伝統的な衣装の人気も強い。
値段と性能から選ぶと、必然的に黒ずくめになることも多かった。
冒険者としても働くマーニャは、見た目よりも実用性を重視しているのだ。
まあ、『黒雷魔女』に憧れる部分もなくはなかったが。
「雷撃術式は三百年も謎のままだもの……それよりも、身近な安全の方が大事よ」
話を切り替えつつ、ロネの様子を窺う。
見た所、寝不足以外の心配は要らなそうだ。だけど幼馴染の馬鹿っぷりはよく承知しているので、マーニャは念の為に忠告もしておくことにする。
「火事場荒らしみたいなのも出てるそうだけど、ここは大丈夫よね?」
「にゃはは。この店の鍛冶場は、そこらの連中に荒らされるほど甘くないニャ。
いざとなったら、必殺の魔剣乱舞をかましてやるニャ」
「売れ残り品のいい宣伝になりそうね」
苦笑しながら、マーニャは表の店内へと顔を向ける。
そこでちょうど扉が開かれた。
親方が帰ってきたのかと思ったが、店に入ってきたのはまるで違う人物で――、
「ふむ、鍛冶屋か。しかしさほど流行ってはおらぬようだのう」
黒銀のドレスを纏った幼女は、興味深げに目を輝かせていた。
武器や防具を扱う鍛冶屋だからといって、なにも兵士や冒険者ばかりを相手にしている訳ではない。住民が持つ家財道具の部品を作ったり、包丁の研ぎ直しをしたりもする。
だから家の手伝いで幼い子供が訪れることもある。
けれどいまロネとマーニャの前にいる幼女は、そういった人種でないのは明らかだった。
「ほう。こやつは魔剣か」
豪奢な黒銀のドレスからしても、庶民が着られる服ではない。
きっとどこぞの貴族令嬢だろう。所作のひとつひとつは優雅だけど、性格的にはお転婆で、帝都の騒動をこれ幸いと家から抜け出してきた―――、
そんな想像が、マーニャの頭の中では描かれていた。
しかし不思議な部分もある。
このルヴィッサと名乗った幼女は、随分と知識が豊富なのだ。
「素材は鉄と霊銀か、基本ではあるが混ざり物が多いのう。刃部分の磨きも甘い。魔術を込める技の習作といったところか?」
正しくその通りだった。
剣としての機能を持つと同時に、魔力を流すだけで特定の術式を発動できる。それが魔剣だ。炎や氷弾を放てる物もあれば、聖なる力を宿して不死系の魔物に大きな効果を及ぼす物もある。
近接戦闘で即座に魔術が放てるだけでも、充分に役立つ武器となる。
一級品の魔剣は、金貨何千枚もの価値がつくほどだ。
ただし、それだけに製作も難しい。鍛冶や細工、魔術や錬金術、他にも魔石加工などの技術も必要になるので、何人もの職人が協力しなければならない。
ルヴィッサが手にした魔剣も、ロネとマーニャが練習のために作ったものだ。
素材は低品質で、製作者本人から見ても不出来な作品だった。
「しかしこの細工は面白いな。術式への干渉も上手く防いでおる」
「あ、そこはあちしが手を入れた部分ニャ」
「そうか。こういった発想を活かせれば、良い品も作れそうであるな」
椅子に上って背伸びをしながら、ルヴィッサは魔剣の棚を眺めている。
言葉は一流の鍛冶師みたいだ。けれどその姿から威厳は感じられない。
なんとも不思議な幼女だと、マーニャの目には映っていた。
しかしロネの方は疑問を覚えるどころか、なにも考えていないようで満足そうに口元を緩めていた。
「にゃはは。聞いたかにゃ、マーニャ。初めてお客さんに誉められたニャ」
「聞こえたわよ。それくらいで喜ぶんじゃないわ」
「む? 我の賞讃が安いと申すのか?」
「あ、いえ、そういうことではなくてですね……」
ルヴィッサは少し唇を歪めただけだ。
けれど慌てて手を振って否定する。相手は幼女とはいえ、貴族のご令嬢らしいのだから怒らせたら厄介なことになる。
もっとも、ルヴィッサが本気で怒ったら厄介どころでは済まないのだが―――、
気に留めた様子もなく、また別の魔剣に手を伸ばした。
「どの剣も丁寧に魔法陣が描かれておるが……単一属性の物ばかりだのう。これでは使い勝手も悪かろうに」
「……? 複合属性の魔剣を探してらっしゃるんですか?」
「いや、ここにはたまたま訪れただけだ。しかし勿体無いと思うてのう」
マーニャは首を捻る。
勿体無い、という意味が分からなかった。
習作とはいえ、素材を無駄にしない程度の出来だとは自負している。頑固な店主だって、一応は店に並べるのを許可してくれたのだ。
子供の戯言と聞き流すこともできた。
けれどルヴィッサの言葉には、虚飾ではない、知識に基づいた自信が滲んでいる。少なくとも、マーニャにはそう受け取れた。
「これだけ複数の属性を扱えるのだ。使わない手はあるまい? どうせ品質が低いのならば使い捨てにしてもよい。例えば高温の炎熱と水を合わせて、水蒸気爆発を起こすとかのう」
「は……? 炎と水で、爆発?」
「使い捨てというならば、雷撃もよかろう。あの術式は、手元で発動させるには制御が難しいからのう」
マーニャは目を白黒させる。
なんだ、その台詞は?
まるで雷撃術式を知っているような言い様ではないか。
三百年も謎のままで、多くの魔術師が挑んでは挫折していったのに―――。
「お!? そこに飾ってあるのは刀か?」
マーニャの困惑に気づきもせず、ルヴィッサは別の棚に目を移していた。
その反応に、ロネが嬉しそうに銀色の耳を立てる。
「知ってるのかニャ? この刀は、ウチの親方が東端国から持ち帰ってきた本物で自慢の一品ニャ」
「うむ。確かに一級品であるな。鋼どころか竜の鱗すら断ち切るであろう」
「にゃはは。その通りニャ。こんな店には勿体無い一品ニャ」
さらりと毒を吐いたロネだが悪意は無い。
むしろ、この店と親方を心から尊敬しているほどだ。
しかしそれ以上に、刀に対する思い入れが強い。一年前にいきなり鍛冶の道へと踏み入ったのも、ここに飾られていた刀に魅せられたからだった。
「あちしもいつか、こんな刀を打ちたいと思ってるニャぁ」
「ならば、精進するしかあるまい。刀の製法も複雑であるからのう。ヒヒイロカネとまではいかずとも、ヴァロライトを使うのも……」
「―――って、ちょっと待ちなさい!」
ようやく困惑から立ち直ったマーニャが声を上げた。
眼鏡を上げ直しながらルヴィッサへと詰め寄る。
小柄な肩をがっしりと掴む。血走った目で、真っ正面から問い掛けた。
「あなた、雷撃術式を知ってるの?」
「う、うむ。知っておるぞ。だが、それがどうかしたのか?」
「いますぐ教えて! いえ、教えてください! お願いします!」
三角帽子を振り落とす勢いで、マーニャは頭を下げる。けれど掴んだルヴィッサの肩は離さない。
もちろんルヴィッサがその気になれば振り払えるが、必死の剣幕に圧されてしまっていた。
「何故、そこまで焦っておる? 雷撃術とはそれほど珍しいのか?」
「珍しいどころじゃないわ! 三百年前から、誰も成功してないのよ!」
「なんと……三百年前と言うと、人魔大戦か。あの戦いでは魔術師に限らず、数多の猛者が命を散らしたからのう。そういったことも有り得るか」
小さく息を落としたルヴィッサは、自然な動作で身を捻る。
そうしてマーニャの手を払うと、あらためて向き合った。
「あれは発動だけならば難しくない。少々特殊な複合術式であるだけなのだが……それほどまでに知りたいか?」
「え、ええ。知りたいわ。是非!」
ならば、とルヴィッサは口元を吊り上げる。にんまりと。
無邪気な子供とも、あるいは人を魅了する悪魔とも思える微笑みだった。
「対価が必要……と言いたいところだが、生憎といまは時期が悪い。すでに契約中であるからな」
「は……? 契約? どういうこと?」
「まあ焦るでない。近い内に機会は訪れるはずだ」
また椅子の上に立ったルヴィッサは、マーニャの頭へ手を伸ばした。ずり落ち掛けていた三角帽子を直して、ぽんぽんと撫でる。
自分よりずっと小さな子供に宥められて、マーニャとしては複雑な気分だった。
でも悪い気はしない。貴族令嬢に対する緊張も、いつの間にか消えていた。
そうしてマーニャが息を吐いたところで、可愛らしい声が告げた。
「召喚術を学ぶとよい」
思い掛けない単語を出されて、マーニャは目をぱちくりさせる。
召喚術。マーニャの認識では、小さな使い魔を呼び出す術式だ。魔術師ギルドでは研究も禁じられているが、伝書鳩や家妖精などは便利なので、極一部だけは許可されている。それでも使われ方は限定的だし、触媒が必要となる分だけ扱い難い。
所謂、”使えない”術式だ。
そもそもマーニャが求める雷撃術式とは無関係に思えた。
でも、ルヴィッサが嘘を言っているとも思えない。
「近い内に、その機会は訪れるであろう。召喚術の秘奥まで記した書物が出版されるからのう」
「つまり……その本に、雷撃術の謎を解く手掛かりも書かれているのね?」
「うむ。だいたいそんな感じであるな」
「なんていう本かしら? 著者は? もしも早目に手に入るなら……」
「ちょっ、ちょっと待つニャ! マーニャ!」
また質問を重ねようとしたマーニャだが、ロネに制止された。腕を引かれてルヴィッサから離される。
肩を組んで顔を近づけると、ロネは神妙な顔をして声を潜めた。
「召喚術って、たしか魔術師ギルドで禁止されてたはずニャ?」
「そうだけど……やめろって言うの? 大発見になるかも知れないのよ?」
「危ないって言ってるニャ。もしもギルドにバレたら……」
不安げな声を向けられて、マーニャも冷静になって眉を寄せた。
魔術師ギルドのルールは、ほとんどが魔術の神によって定められたものだ。故に熱心な信奉者たちによって守られている。それに逆らう者がいれば、使徒を含めた懲罰部隊が差し向けられることになる。
最悪、命を奪われもする。
ロネが珍しく真剣な顔をするのも当然だった。
友人に心配を掛けてしまったことを、マーニャも心苦しく思って頭を下げようとした、が、
「魔術に限らぬぞ。鍛冶の秘奥、神刀の打ち方なども、召喚術に頼れば知ることが叶おう」
「マーニャ、いまこそ二人の力を合わせる時ニャ!」
「いきなり意見を変えるんじゃないわよ!」
悪友の頭を叩き、マーニャは眉を吊り上げる。
友情に感激しそうになった自分を呪ってやりたくなった。
けれどロネは堪えた様子もなく、ふさふさの尻尾を振りながら擦り寄ってくる。人差し指を立てて黒い笑顔を浮かべてみせた。
「大丈夫ニャ。バレなきゃ禁術じゃあないのニャ」
「それは破滅する犯罪者の台詞よ。だいたいねえ……」
さらに文句を言い連ねようとしたマーニャだが、首を捻って外へと向けた。
なにやら騒々しい。大勢の足音と、甲冑の音が聞こえる。
加えて、「ルヴィッサ様ー!」とか叫んでいる声も流れてきた。
「……あの、なんだか呼ばれてるみたいですけど?」
「うむ……あの爺やだな。黙って出てきたから仕方ないのう」
ルヴィッサは肩を竦めると、やれやれと呟いて席を立った。
魔剣を一本手に取って、代わりに金貨一枚をロネへと放る。
「釣りは要らぬ。修行の足しにするがよい」
「にゃ? 嬉しいけど、それは駄目ニャ。ウチは誠実第一の店なのニャ」
「ならば、子供のお守り代として受け取るがよい。なかなかに興味深い時間であったぞ」
手を振って、ルヴィッサは店を出て行く。
その小さな背中は、まるで子供らしくない堂々とした気配を纏っていた。
「……なんだったのかしらね、あの子は」
静寂が戻って店内で、マーニャはぽつりと呟く。
答えを求めた訳ではない。それでも、なんとなしに悪友へ目を向けた。
ロネの方も、金貨を片手に難しい顔をしていた。
「……マーニャ、口止め料は豪勢な食事でいいかニャ?」
「誠実第一は何処に行ったのよ」
白い目を向けつつ、マーニャは頷く。
豪勢な食事を逃がすつもりはなかった。
書き溜めが切れました。
1話ずつきっちり仕上げてから投稿したいので、次回は未定、でも週一くらいのペースは守っていくつもりです。
話によっては、もう少しペース上げられそうですが。