表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/11

第2話 いずれ英雄となる少年冒険者(後編)


 石造りの小部屋の中には、簡素ながら机や椅子、生活用品も一通り揃っている。ここを仮の拠点としていた『常闇への導き』が使っていたものだ。

 血に濡れた儀式の間から場所を移して、ルヴィッサとリッカは言葉を交わしていた。


「それじゃあ、本当に邪神とは無関係なんですか?」

「当然であろう。我には角も生えておらぬし、世界を滅ぼそうなどと考えるはずもない」


 若干の不機嫌を口調に滲ませながらも、ルヴィッサの表情は柔らかかった。

 ここに移る前に、儀式の間で一冊の本を見つけたのだ。戦闘によって一部は焼け落ち、血にも濡れていたが、それは間違いなく『スライムにも分かる召喚術』だった。

 自分が記した書物は、確実に成果を上げている。

 それを確認できただけでも、ルヴィッサにとっては呼び出された価値があった。


「その本にも、悪魔や邪神を呼び出すなど一言も書かれておらぬであろう?」

「ええ、まあ……だけど召喚術って凄いですね。お城とか、戦乙女とか……うわ、龍神様まで呼び出せるんですか?」

「うむ。凄いぞ。そして我は、その中でも一番である」


 ルヴィッサは得意満面で、平坦な胸を張ってみせる。

 お転婆な子供が威張っているようでもある。だけど豪奢な黒銀のドレスや、白金色の髪の輝きとも相まって、薄暗がりの中でも気品を漂わせていた。


「其方も冒険者ならば、魔術の心得くらいあろう? 試してみてはどうだ?」

「えっと、でも対価が必要なんですよね。かなり高価な物が多いですし……それに僕は、まともな魔術なんて覚えてないんです」

「そうなのか? 見たところ、それなり以上に魔力は持っておるようだが……」


 まあよい、とルヴィッサは話を打ち切る。

 テーブルの上に身を乗り出すと、正面からリッカを見つめた。


「それで、我と契約する気になったか?」

「えっと……実は、願いたいことはもう決まってるんです」

「ほう。それは上々。申してみよ」


 期待を込めて、ルヴィッサは目を輝かせる。

 リッカは苦笑いを零したが、すぐに表情を引き締め、姿勢も正した。


「僕は、強くなりたいんです」


 言葉は、随分と漠然としたものだった。

 けれどリッカの瞳には曖昧な色は欠片も滲んでいない。

 遥か先にある目標を見据えているみたいに、真っ直ぐな輝きが宿っていた。


「ふむ、面白い。どのような強さを望むのだ?」

「……僕は昔、ある人に助けられたんです。その人は『使徒』で、僕なんかが手を伸ばすどころか、声を掛けるのも叶わない人で……だけど、近づきたいって思ったんです。いつか、その人と並んで……助けになれるくらいに強くなりたい!」


 だからリッカは、まず冒険者として力をつけようとしていた。

 元々は帝国の出身だが、少しでも早く成長したいと願って、この迷宮都市までやって来たのだ。危険は多いが、その分だけ神の興味も向けられているという話もある。実際、この街で活躍して、加護を授かった冒険者は多い。


「つまり、其方はまず『使徒』になりたいと願うのだな?」


 『使徒』―――それは即ち、神から認められて加護を授かった者だ。

 加護の強さによって十の位階(ランク)に分けられるが、最も弱い加護を持つ者でも、常人離れした力を発揮できる。最高位となれば、もはや伝説上の存在で、永遠の寿命も与えられるという。


「なかなかに難儀な願いであるな。神には気まぐれな者も多い。どれだけ努力したとて、目に留まるかどうかは運次第でもある」

「はい……あの、やっぱりルヴィッサ様でも無理ですか?」

「たわけ。我に叶えられぬ願いなど……ほとんど無いわい!」


 頼もしいのか頼もしくないのか微妙な返答をして、ルヴィッサは腕組みをした。

 口元を捻じ曲げて、空中とリッカの顔と交互に視線を巡らせる。


「う~む、まずは対価から決めるか。其方は貧乏そうだからのう」

「ぅ……すいません。貯えも、その、あんまり無いです」

「分かっておる。故に、今回は『機会を与える』という形を取るとしよう。加護を得られるかどうか、其方が力を示し、訴える機会を設けてやる」

「そ、そんなことが出来るんですか!?」

「無論だ。我が配下の召喚獣には、神格を持つ者もおる。そやつらを召喚し、其方が訴え、加護を授かればよい」


 リッカは、ぱぁっと表情を明るくする。

 勢いよく立ち上がると、「是非お願いします!」と頭を下げた。


「うむ。任せるがよい。それで、対価だが……」

「はい! 僕に出来ることなら、何だってします!」

「言うたな? ならば、我が人界を訪れる『機会を増やす』手伝いをして貰おう」

「え……? そ、それって、具体的にはどういう……?」


 今更になって、リッカは冷や汗を流す。

 もうルヴィッサに対する警戒心は失せていた。それどころか感謝を抱いている。

 だけど、にんまりと唇を吊り上げた顔を見せられると、どうにも不安に駆られてしまう。幼い頃、悪戯っ子に強引に付き合わされて、後からこっぴどく叱られたのを思い出した。


「なに、ちょっとチラシを作って配ってくれればよい。どうも本だと人手に渡り難い気もするでのう。それよりも、どの者を召喚するかが問題だな。龍神は頑固者であるし、あの狂戦士は本気で手加減を知らぬ。と、なると残るは……」

「あ、あの、僕って生き残れますよね?」

「ん? まあ、恐らくは大丈夫であろう。運が良ければのう」


 早まったかも知れない。

 でも、この機会を逃がしたら―――。

 そんな葛藤を抱えて、リッカは泣き出しそうな顔になりながら頭を抱えた。







 契約は結ばれた。

 そしてルヴィッサとリッカは、迷宮都市から離れた森へと転移していた。


「この辺りならば、巻き込まれる人間もおるまい」

「こ、ここ、何処ですか? いったい、僕、何のために連れてこられたんですか!?」


 まるで拉致された少女みたいに身を縮めて、リッカはきょろきょろと首を回す。

 実際、少女という部分以外はその通りだった。

 周囲は鬱蒼と木々が茂っていて、湖の畔ということもあって風は冷たい。動物の鳴き声は聞こえるが、泣き叫んでも助けてはくれないだろう。

 しかしルヴィッサは一切斟酌せず、宣言する。


「まずは、其方に加護を与えてくれる召喚獣を呼び出す。とはいえ、その可能性があるだけだがのう」


 魔力光を散らしたルヴィッサは、分厚い書物を胸の前に出現させた。

 ぱらぱらとページをめくっていく。

 やがて手を止め、深い瞬きをひとつ置くと、また全身から淡い光を発した。


 湖畔に一時の静寂が訪れる。

 鈴の音にも似た、可憐な幼女の声だけが響き渡っていく。


「―――絶対の忠臣にして、神々への叛逆者、そして戦乱の体現者よ!

 其の名は、凍血聖女サリナ・ブラッディア!

 汝が忠義を示せ! 鉄血の雨を呼べ! 思うままに吹き荒れよ!」


 轟、と風が舞った。

 竜巻が沸き起こったみたいに土煙が踊り、無数の輝く粒子とともに風景を歪める。湖面も激しく波立たせた風はしばし吹き荒れると、現れた時と同じように前触れもなく鎮まっていく。


 湖畔に静寂が戻ると、一人のメイド?が立っていた。

 疑問符が付くのは、彼女が武装しているからだ。紺と白のエプロンドレスの上に、体の各所を守る軽甲冑を装着している。よく見れば、頭部のブリムも金属の輝きを纏っていた。

 そのメイド?―――、

 サリナは伏せていた目蓋をゆっくりと押し開くと、視線だけを周囲へ巡らせた。

 軽く足を開き、手甲に覆われた拳を胸の前で打ち合わせる。


「敵は何処でしょう?」

「まずは落ち着け。今回は、其方が戦うような事態にはならぬ」


 拳を構えたままの姿勢でサリナは固まる。

 冷ややかな表情は崩さなかったが、ほんの少しだけ唇を捻じ曲げた。


「そのような顔をしても無駄だ。そもそも其方が戦うような事態は、そう簡単に起こるものではあるまい」

「私はいつでも神や悪魔の首を捻じ切る準備ができているのですが」

「いまは其方も神の一角であろうが……今回の契約者は、それ、そこの小僧だ」


 ルヴィッサが顎で指し示す。

 その先ではリッカが目を丸くして尻餅をついていた。ぱくぱくと口を上下させながら、サリナを凝視している。


「……敵陣に突撃した途端に串刺しとされそうな少年ですね。なるほど。神々との戦いなど望むはずもありませんか」


 ようやく構えを解いたサリナは、小さく息を吐き落とした。

 地面にへたり込んだままのリッカへ歩み寄る。


「名前は?」

「あ……リッカです! はじめまして! あの、本当に、聖女サリナ様ですか?」

「ほう。私を知っていると?」

「勿論です! 人魔大戦の話は、子供の頃に何度も聞かせてもらいました。今だって大好きな話で、ボルレアール砦の戦いにはとっても感動しました!」


 英雄に憧れる子供みたいに、リッカは目を輝かせる。

 実際にその英雄が目の前に現れたのだから、吟遊詩人の歌など比べ物にならないほど感動は大きい。そもそも伝説上の人物が現れるのか、なんていう疑問すら完全に吹き飛ばしていた。


 およそ三百年前に起こった人魔大戦。

 そこで最も活躍したのが一人の侍女(サリナ・ブラッディア)だ。主人への忠義を果たすために、あるいは狂気に駆られて、彼女は数多の戦場に身を投じた。ついには魔王を倒すが、神々にも戦いを挑み、壮絶な最期を遂げる。

 光の神をはじめ、多くの神々は彼女を悪魔だと断じた。

 しかし慈愛の女神だけは、彼女を人間だと、聖女だと認めた。

 その凄まじい逸話の数々は、いまでも多くの人々を惹きつけている。


「一度だけ、教会で絵画も見ました。でも実際に見るともっと素敵で……あ、えっと、すいません。失礼なことばかり言っちゃって……」

「許します。それにしても……ふむ、なかなかに見所のある少年ですね」


 機嫌よさげに、サリナはほんの微かに目蓋を下げる。

 横で遣り取りを見守っていたルヴィッサが、呆れた声を投げた。


「ちょっと誉められただけではないか。おぬし、チョロすぎであろう」

「……彼の真っ直ぐな心根を評価しただけです」


 じっとりとしたルヴィッサの眼差しを、サリナはそっぽを向いて受け流す。

 口笛でも吹き出しそうな雰囲気だ。けれど聖女という肩書きがあると、かつての戦友たちを想っている憂いの表情に見えなくもない。

 少なくとも、未だにリッカは陶然とした眼差しを向けてきていた。


「それよりも、戦いでないのならば、私が召喚された理由は何でしょう?」

「そこなリッカは、強くなりたいと願っておる。『使徒』と比肩するほどの力を望んでおるのだ。判断は任せるが、其方ならば加護を与えられるであろう?」

「加護、ですか。可能ではありますが……」


 微かな当惑を瞳に滲ませて、あらためてサリナはリッカを見据えた。

 恐縮して地べたに座っているリッカを、上から下まで観察する。


 聖女とまで謳われるサリナとは比べるべくもないが、一介の冒険者にしても貧相な身なりをしている。革鎧はボロボロだし、腰に差した短剣も安物、筋肉はそれなりに付いているが体の線は細い。顔立ちも地味で、いっそ男娼となった方が栄華を掴めそうだ。

 戦闘向きの加護を与えられても、到底使いこなせるようには見えなかった。


「……私はこれまで加護を与えたことはありません」

「は、はい! でも、お願いします! 僕は強くなりたいんです!」

「使徒となれば、無茶な要求をされるかも知れませんよ? 私は忠義のためならば神にすら刃を向けるメイドです。貴方も共に、神と戦えますか?」

「それは……分かりません。でも御恩はけっして忘れません。納得できる理由があれば僕だって戦います。だから……どうか、チャンスをください!」


 地面に手をついたリッカは、深々と頭を下げた。

 その態度からは迷いなど欠片も窺えない。サリナが聖女だという確証すら示されていないのに、そもそも加護を授けられるという保証もないのに。

 己の信念に基づいて行動する強さを、確かにリッカは示してみせた。

 あるいは、危うさだろうか―――。


「……分かりました。ひとつ、課題を与えましょう」


 危うさは、時に大きな困難をもたらす。

 そして命を以って、その代償を払うことにもなる。


「私と戦って、生き残ってみせなさい」

「ぇ……?」


 後先考えずに突っ走る性格を、リッカはほんのちょっぴりだけ反省させられるのだった。







 銀色の手甲に覆われた拳が突き出される。

 空気を叩いただけなのに、凄まじい衝撃波が木々を薙ぎ倒していった。


「ふむ。目と体が連動するようになってきましたね。よい傾向です」

「い、いまの避けてなかったら死んでましたよ! お願いですからもっと手加減してください!」

「貴方が強くなれば解決する問題です」

「そんな簡単には、ぁ―――」


 濁った悲鳴を上げて、リッカの体は森の奥へと吹っ飛んでいく。

 見事な錐揉み回転を披露していた。


「張り切っておるのう」


 二人の様子を見守っていたルヴィッサが、平然とした口調で述べた。

 サリナの実力を知っていれば、いまの一撃も目一杯に手を抜いていたのだと分かる。手加減を苦手とするサリナが、精一杯の優しさを振る舞うほど張り切っているのだ。

 主君であるルヴィッサからすれば、なかなかに微笑ましい光景だった。

 もっとも、ボロボロになって森から這い出てくるリッカにとっては、常に命懸けの緊張状態に置かれているのだが。


「殺気への反応は悪くありません。ですが、虚の攻撃に釣られすぎです」

「は、はひ……」

「それと、訓練時間を無駄にしないように。さっさと立ちなさい」


 サリナが加護を授ける課題として出したのは、自分と戦って生き残ること。

 とはいえ、本気で戦えば結果は分かり切っている。

 二人が行っているのは実戦を想定した訓練だ。期間は、ルヴィッサが人界に留まれる三日間。その間にリッカが何かしらの結果を示せれば、加護を授けられる約束となっていた。

 それでも、ダンジョンに潜る方がずっと安全だろう。

 訓練とはいえ、生死の境目で綱渡りを続けている状態なのだから。


「早々に根を上げるとも思うたがのう。少なくとも、決意は本物であったか」


 いまもサリナの拳が掠めただけで、リッカは弾き飛ばされ、全身が千切れるほどの痛みを味わわされていた。けれど負傷は強制的に回復させられている。なので、休息も与えられない。

 訓練を始めた時にサリナが立てた”軍旗”の効果だ。

 自軍に対して様々な常時支援効果をもたらす軍旗は、サリナが持つ神具のひとつである。この旗が立っている限り、瀕死の重傷を負っても瞬く間に回復する。

 食事の時間以外は、すべて訓練に使えるのだ。


 それでも支援効果のひとつである『高揚』は封じてある。

 いっそ地獄に落ちた方が楽であろう目に遭わされながらも、尚も立ち上がろうとするのは、間違いなくリッカの意志が為せるものだった。


「まあ我としても、簡単に倒れてもらっては困る。少なくとも三日は生き延びて貰いたいところだな」


 剣を構え直すリッカを横目に、ルヴィッサは大きなフォークを取り出した。

 目の前には熱々の鉄板が置かれている。

 その上に並ぶのは、新鮮な海老、貝、烏賊や蛸など。塩をまぶした魚も直火での串焼きにされている。迷宮都市の南方にある港町から、ひとっ飛びして買い付けてきた食材たちだ。

 醤油などの調味料もしっかりと揃えてある。

 湖畔を漂う涼風も、単純な料理に一味を加えてくれていた。


「うむ、美味い。ぷりっぷりでほくほくである。外での爽やかな食事というのも、たまには悪くないのう」

「……この状況を爽やかと言えるのは、ご主人様くらいのものですね」


 冷ややかなツッコミを入れながらも、サリナは訓練の手を抜かない。

 今度はデコピンを喰らったリッカが、湖へ放り込まれていった。








 サリナとの訓練を始めて三日目―――。

 一時の休息を許されたリッカは迷宮都市に戻ってきていた。

 休息とはいえ、完全な自由時間ではない。契約に基づいてルヴィッサから指示を出されている。最上位の召喚術式を記したチラシを、街で配らなければならないのだ。


 とはいえ、大量に刷られたチラシを馬鹿正直に一人で配る必要は無い。

 なにせ強力な、ほとんど世に広まっていない術式だ。

 こういったものを欲しがる人々が集まるところに置いてもらえばいい。

 だからリッカはまず魔術師ギルドへ足を運んだのだ、が、


「禁術って、なんでそんな……うわぁっ!?」


 火炎術式を撃ち込まれて、リッカは命からがらギルドから逃げ出した。

 召喚術という単語が出たところで、話を聞いていた魔術師が目の色を変えたのだ。禁術に触れた者だとか、神の敵だとか言われて、訳の分からぬ内にリッカは攻撃を受けていた。


「あ、危なかったあ……」


 もしもサリナから魔術への対処も叩き込まれていなかったら、今頃は黒焦げにされていただろう。

 街路の陰で一息をつくと、リッカは胸に抱えたチラシへ目を落とした。

 攻撃された理由は召喚術だと、それくらいはリッカにも察せられた。しかし禁術に指定されているなど聞いたことがない。あるいは、リッカが知らないだけかも知れないのだが。


「魔術師ギルド限定ってこともあるよなあ……」


 商人ギルドや冒険者ギルドもそうだが、独自のルールを敷いている場合がある。とりわけ特別な力を扱える魔術師ギルドは、排他的だと言われていた。

 すべての魔術師がそうという訳ではない。

 しかし才能に左右される分野なので、自意識過剰な者が多いのも事実だった。


「とりあえず、冒険者ギルドの方にも回ってみよう」


 気を取り直して、リッカは小走りに街路の先へと向かった。幸いにも魔術師ギルドからの追っ手には見つからず、無事に大通りへ出る。

 冒険者ギルドへ入ると、騒々しい声が耳に入ってきた。

 荒くれ者が集まるギルドなので、揉め事なんて日常茶飯事だ。リッカだって多少の罵声くらいでは怯みもしない。それどころか、たった三日しか離れていないのに、なんだか妙な懐かしさを覚えていた。


「あれ……?」


 懐かしい、というよりも聞き覚えがある。

 声の方向へ目を向けると、カウンターへ向かって何事か言い立てている冒険者達の姿があった。


「だから何度も言ってるだろう! 邪神が復活したんだ!」

「そうよ! ちゃんと聞きなさいよ!」

「レイジさんの剣を折るほどの化け物なんだぞ!」

「俺達が嘘を吐くはずないだろ!」


 聞き覚えだけでなく、見覚えもある。

 レイジたちだ。荷物持ちとして雇われていたリッカは、その後姿をずっと見ていた。

 そういえばダンジョンで別れたままだった。

 荷物持ちだった自分がいなくなったので脱出するだけでも大変だったろう。

 でも全員無事みたいでよかった―――などと呑気に考えつつ、リッカは耳を傾ける。


「あんな禍々しい奴を放置なんてしておけない。死んだリッカくんのためにも……」

「え!? 僕、生きてますけど?」


 思わず上げてしまったリッカの声に、レイジたちが振り向いた。

 ベテラン受付嬢を含めた五名の視線が注がれる。

 レイジたちは唖然、愕然、呆然といった顔を晒していた。フランシャなどは蒼ざめきった顔で、「お、お化け……?」と失礼な言葉まで漏らす。


「お化けじゃないです。ほら、ちゃんと体だってありますし」

「あ、ああ。そうか……」


 辛うじて冷静さを取り戻したレイジが曖昧な返答をする。

 それでもリッカから目を逸らしたのは、置き去りにした罪悪感があったからだろう。あるいは、無様な姿を見せた恥ずかしさかも知れない。


「と、とにかく、無事でよかったよ! 心配してたんだ」

「そ、そうね。レイジって本当に優しいんだから」

「まったくだ。本当に無事でよかったぜ」

「俺達みたいに運がよかったんだな」


 誤魔化すような笑声も混じっていたが、四名はリッカを囲んで生還を祝う。

 リッカとしても少々複雑な気持ちだった。

 別段、置き去りにされたことは恨んでいない。それどころか気にも留めていない。たったいままで忘れていたくらいだ。

 ただ、これまでの出来事をどう説明したものか―――。


「ん……? なんだい、それは?」


 リッカが逡巡している内に、レイジも落ち着きを取り戻していた。

 大事そうにリッカが抱えていた紙束に目を止めて、覗き込んでくる。


「ああ。これはちょっと頼まれまして。配らないといけないんです」

「もしかしてチラシ配りかい? 大変そうだね」

「よかったらレイジさんも貰ってください。召喚術って言って―――」


 ついでに三日前の出来事についても話してしまおう。

 そうリッカは考えていた。

 けれどチラシを渡そうとしたところで引ったくられる。

 いきなり手を伸ばしてきたレイジは、そこに記された召喚陣を凝視して、全身を震えさせていた。


「この魔法陣は邪神の……そうか、そういうことだったのか!」


 チラシを引き裂いたレイジは、敵意を込めた眼差しをリッカへ向けた。


「君も邪教徒だったんだな! そして、俺を罠に嵌めたんだ!」

「……は? えっと、何を言ってるんです?」

「黙れ! 変だとは思ってたんだ。いくら邪神が相手だからって、俺の剣があんな簡単に折られるはずがない! おまえが密かに細工をしてたんだ!」


 完全な言い掛かりだった。

 荷物持ちとして雇われたリッカは、レイジたちの行動に口を挟んだことなどない。前回のクエストもレイジたちが勝手に受けたものだ。ましてや剣に細工など考えてすらいなかった。

 しかし冷静に訴えても、彼らは聞く耳を持たなかっただろう。

 さらにフランシャが、リッカの手に刻まれた契約印を見咎めて訴える。


「あの印! あんな禍々しいもの、この前まではなかったわ! やっぱり邪教徒なのよ! 正体を現したわね!」

「また俺を罠に嵌めるつもりだったんだな……そうか、邪神の指示か。きっとまだ復活したばかりで力が戻ってないんだろう。だから前の戦いで脅威に感じた俺を、誘い出して生贄にしようと……そんな手に乗るものか!」


 そもそも邪神の復活なんて起こっていない。

 ルヴィッサ様が求めるとしたら、生贄じゃなくて美味しい料理だ。

 おまけに、脅威どころか戦いにもなっていなかったような―――。

 そうリッカは抗弁しようとした。

 けれどレイジが動く方が早かった。剣を抜き、切っ先をリッカへ突きつける。

 殺意まで込められた威圧に、リッカは息を呑んでしまった。


「やめなさい! ギルド内での私闘は禁止よ!」

「そんなこと言ってる場合じゃない! コイツを放っておけば大変なことになる!」


 受付嬢が制止の声を上げた。

 剣が抜かれたとあっては、揉め事の多い冒険者ギルドでもさすがに見過ごせない。周囲の冒険者たちも注目し、警戒の姿勢を取った。

 しかしやはりレイジは聞く耳を持たなかった。

 他の三名も武器を構える。レイジの剣だけは安物の量産品に代わっていたが、ほとんど完全武装だ。バウンズは大きな斧を構え、ビジィは両手に短剣を持ち、フランシャも杖の先に魔力光を灯して術式の準備に入る。


 対するリッカの姿は、さながら辺鄙な村の農民といったところだった。

 革鎧はとっくにズタボロになって廃棄されている。安物のズボンとシャツを着ているだけだ。訓練用に与えられたナイフは腰に差しているが、刃渡りは包丁程度でしかなくて、護身用と言うにもあまりにも頼りない。


「ま、待ってよ! 勘違いだって!」


 辛うじて、短い言葉を吐き出す。

 けれどそれは敵意に火を注ぐことにしかならなかった。


「またそうやって俺を騙すつもりか! 馬鹿にするな!」

「レイジの言う通りね。証拠は揃ってるもの!」

「まったくだ。全力でやるしかねえ!」


 レイジとバウンズが並び出て、リッカの正面を塞ぐ。さらには飛び掛かるみたいに腰を沈めた。その瞬間だ。

 静かに移動していたビジィが、リッカの背後から襲い掛かった。


「俺達は―――」


 両手に握っていた短剣を投げつける。戦闘では援護と撹乱役を務めるビジィは、投擲用の短剣を何本も腰に差していた。それを素早い動作で連続して投げつけるのを得意としている。一呼吸の間に十本は投げられるのが自慢だった。

 しかも狙いも正確だ。

 まず投げられた二本の短剣は、リッカの背中へと真っ直ぐに飛んだ。

 リッカは気づいた様子すらない。


 命中する―――と思われた直後、リッカの体が瞬間移動したみたいな速度で横にズレた。

 背後からの攻撃を鋭敏に察知したリッカは、目を向けもせずに短剣の射線から逃れた。同時に身を翻しつつ、空中を過ぎる短剣の柄を掴み取り、投げ返す。素早さを身上としているビジィですら反応しきれない早業だった。


 投げ返された短剣は、すでに放たれていたビジィの二投目を弾き落とした。

 唖然とするビジィの視界からリッカの姿が消える。

 床スレスレを這うように駆けて、リッカは一瞬で距離を詰めていた。唖然とするビジィの膝関節を軽く掌で叩き、体勢を崩してから、下から顎先へ拳を叩き込む。


「ぁ……」


 ほとんど何が起こったかも分からず、ビジィは意識を失って仰向けに倒れた。


「び、ビジィ!?」

「この野郎、妙な技を使いやがって!」


 バウンズは怒声を上げながら、床を蹴って大斧を振りかぶる。

 一瞬の当惑に囚われていたレイジも、すぐさま後に続いた。

 リッカは新たな敵に対して身構える、が―――。


「な、なんで……」


 何故、自分はこんな真似ができるのか?

 一番混乱しているのは、他でもないリッカ自身だった。


 相手は仮にも『使徒』で、しかも『熊』ランクのパーティだ。つい三日前まで、リッカは彼らの荷物持ちとして雇われていた。自分よりも遥かに強いレイジたちから少しでも学ぼうと、リッカの方が頼み込んだのだ。

 なのに、いまはもう脅威なんて欠片も感じない。

 風を巻いて襲ってくるバウンズの大斧だって簡単に避けられる。たとえ目を瞑っていたって当たる方が難しそうだ。連携して繰り出されているはずのレイジの剣撃も、素早さは感じるが、まるで仲間との息が合っていないように思える。

 そう、この三日間の訓練に比べれば―――、


 サリナの攻撃は、比較にならないくらい凄まじかった。

 掠っただけで致命傷だ。掠らなくても衝撃波で吹き飛ばされる。

 姿を消すのは当り前、時には分身まで作って襲ってきた。リッカには一瞬の油断さえ許されなかったのだ。


「こ、コイツ、『猫』ランクだったはずじゃ―――」


 息を乱したバウンズの動きが乱れた。

 その瞬間、リッカの拳が振り抜かれる。

 バウンズは顎を打ち抜かれて、ビジィと重なる形で倒れ伏した。


「そんな、バウンズまで……もう容赦しないぞ!」


 レイジは歯噛みしながら一歩間合いを取る。

 強く握った剣に加護の力を込めた。刃が白く輝き始める。

 そして剣を上段へと振り上げようとした、が、


「喰らえ、レイジング―――」


 甲高い金属音が、レイジの声に重なった。

 腰のナイフを抜き放ったリッカが、息つく間も無く距離を詰め、一撃を叩き込んでいた。

 根元から折られた剣が、くるくると空中を舞った。

 その剣先が床に刺さると同時に、白目を剥いたレイジもどうっと倒れる。

 ギルドホールが静寂に包まれた。


「えっと……降参してくれると有り難いんだけど?」


 最後に残ったフランシャに、リッカは困惑混じりの笑みを向ける。

 相手を宥めるための柔らかな微笑だ。幼さの残る顔立ちとも相まって、警戒心を緩めるくらいの効果は期待できた。

 けれどすでにフランシャは錯乱していた。


「うわぁぁぁぁぁぁああああああああああ――――――」


 悲鳴に近い叫びとともに、杖の先端に魔力が込められる。

 錯乱しながらも、フランシャは使い慣れた『風刃』術式を発動させようとした。目一杯の魔力が込められた術式は、もしも発動していたら、周囲の人間にも被害を出していただろう。

 けれどそれよりも早く、リッカが杖を弾き飛ばしていた。

 同時にフランシャの首筋に手を当てて、頚動脈を押さえる。

 驚愕に染まった顔を晒していたフランシャだが、すぐに意識を失った。


 そうして、ひとまず騒動は治まった。

 しかし大勢の視線がリッカに注がれている。当然だろう。『レイジーズ』は問題行動も多かったが、中堅パーティとして実力も評価されていた。仮にも『使徒』が中心となっていたので、注目していた冒険者も多い。

 そのパーティが、たった一人の少年に呆気無く制圧されたのだ。

 誰もが目を白黒させて、現実を受け止めきれずにいた。

 さらに加えて―――。


「……リッカくん、だったわよね?」

「え? あ、はい。そうです」

「キミって……使徒だったの?」


 ベテラン受付嬢からの質問に、リッカは首を捻る。

 確かに使徒になりたいとは願っていた。だけどそんなことは、恥ずかしくて気楽に話せるものじゃない。少なくともギルドの関係者に打ち明けた覚えはなかった。

 使徒となる機会は得られたが、まだ認められてはいない。

 どうしてそんな質問をされるのか、さっぱり分からなかった。


「だってキミの、その背中……刻印の輝きでしょう?」

「え……!?」


 指摘されて、ようやくリッカは気づいた。

 背中なので自分の目では確認できない。だけど首を捻じって視線を向けると、薄い服を通して光が溢れているのが見て取れた。


「気づいてなかったの? でも神託とかも一緒に受けるはずでしょう? なんだかやけに大きな刻印だけど、どの神様のものかしら?」

「えっと、それはたぶん……」


 『凍血聖女』から初めて加護を授かった者が現れる―――。

 この大きな事件は、瞬く間に迷宮都市全体に広まっていった。






「―――といったことがあったんですけど、どうなってるんでしょう?」


 ギルドでの騒動の後、リッカはすぐさま逃げるようにして湖畔へ帰ってきた。

 報告を受けたサリナは難しい顔をしている。

 一方、その主人であるルヴィッサはにやにやと楽しげな顔をしていた。


「もう教えてやってもよかろう?」

「ようやく基礎が出来てきただけなのですがね。まあ、いいでしょう」


 サリナは溜め息を落とす。

 けれどすぐに普段の冷ややかな表情を取り戻すと、静かに告げた。


「リッカ、貴方にはもう加護を授けています」

「え……? い、いつの間に!?」

「初日に、私との訓練を生き残った時点で使徒と認めました」


 冷淡に述べたサリナだが、なにも意地悪で黙っていたのではない。

 加護を授かったとなれば、多少なりとも慢心が生まれる。どれだけ勤勉で、努力家であろうとも、大勢の人間よりも優位にあると保証されれば心が緩むものだ。

 努力を怠ってしまえば、いくら使徒とはいえ成長は望めない。

 ただの人間でも何倍も努力すれば、使徒に追いつくのは不可能ではないのだ。

 そのことは、まだ”ランク1”でしかないリッカが、”ランク3”であるレイジを圧倒した事実が証明している。


 だからサリナは事実を伏せた。

 人界に留まれる間に、可能な限りリッカを鍛え上げるために。


「最初に尋ねたでしょう? 貴方は神とも戦えるのか、と」

「はい……伝説では、サリナ様は多くの神様とも戦ったんですよね?」

「事実です。伝承は歪められている部分も多々ありますが、大筋では間違っていません。それは即ち、私には敵が多いということです」

「あ……!」


 ようやくリッカは理解した。

 サリナの使徒となれば、彼女を悪魔だと断じた多くの神々をも敵に回す。

 いきなり神と刃を交えることはないだろう。

 けれどその使徒は? 信者たちは?

 いまでは聖女としてサリナを信仰する者も増えているが、それ以上に敵が多いのも事実だった。


「後悔しましたか?」

「いいえ! 僕だって言ったはずです。絶対に御恩は忘れないと」


 即答したリッカの瞳に偽りはない。

 心の底からの言葉であり、サリナへの感謝が溢れていた。


「さっきの戦いで、僕も強くなれるんだって分かりました。まだまだ駆け出しで、満足なんてしちゃいけないとも思ってます。でも本当に嬉しく……うわぁっ!?」


 いきなり地面が爆発した。

 リッカは咄嗟に飛び退いたが、衝撃波を浴びて飛ばされる。

 サリナが拳を振り下ろしてきたのだ。


「それが慢心です。強くなった? 嬉しい? 勘違いしているようですが、貴方の成長など蟻の一歩にも及びません。まともな使徒と相対すれば、毛虫のように潰されます。カスです。ノミです。浴室に生える黒カビ以下です」

「は、はい。すいません!」

「理解したのなら、さっさと鍛錬の準備をするように。今日からは武器の扱いも覚えてもらいます。僅かでも気が緩めば、首が刎ね飛びますよ」


 普段よりも若干弾んだ口調で言いながら、サリナは手元に一本の剣を召喚した。

 仮にも神具である剣を、無雑作にリッカへと放り渡す。

 サリナ自身は槍を召喚して構える。


 そうしてまた―――、

 静かな湖畔に、少年の悲鳴が響き渡った。





「……生き生きしておるのう」


 奏でられる剣戟の音を余所に、ルヴィッサは手元へ視線を落とした。

 そこには召喚術を記したチラシがある。

 本来ならリッカが配っていたものだ。騒動から逃げたために持ち帰ることになったのだが、またあらためて配りに行けばいい。


 問題はない。この程度では契約違反にもならない。

 ただ、魔術師ギルドで禁術として咎められたというのが、ルヴィッサには気に掛かっていた。


「魔術師ギルド……となると当然、魔術神(メルカドサバル)が関わっておるはずだ。そういえば随分と突っ掛かってくる奴であったのう」


 ルヴィッサはぼんやりと記憶を探る。

 背は高かった気がする。いつもこちらを見下してきたようにも思える。

 不健康そうな顔も薄っすらと思い出せるが―――、

 つまりはまあ、よく覚えていない。あまり興味も無い相手だった。


「事によっては放っておけん……っと!」


 独り言を止めて、ルヴィッサは湖面へ目を向けた。

 垂らした釣り糸が引っ張られている。竿のしなり具合からして、どうやら大物が掛かったようだった。


「くくっ、我が餌に食いつくとは幸運なヤツめ。美味しく塩焼きにしてくれるぞ」


 にんまりと口元を吊り上げて、竿を引く。

 ルヴィッサは穏やかな時間を満喫していた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ