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第1話 帝国の第三皇女(後編)

 魔法陣から溢れていた光が治まる。

 薄明かりの中に、小さな人影が佇んでいた。

 人影―――というのが正しいかどうかも分からない。

 ただ、人の、幼い少女の姿ではあった。背丈はアルディーラよりも低い。しかし微笑を湛えた表情は大人びていて、白金色の美しい髪も落ち着いた雰囲気を演出している。妖精だと言われても信じてしまう者は多いだろう。


 だが小さな体を包む魔力の気配は尋常なものではない。煌びやかな黒銀のドレスも、心得のある者が見れば、緻密かつ強力な魔術式が組み込まれているのを見て取れたはずだ。

 あるいは、古の魔王が蘇ったと恐れ慄いたかも知れない。


 皆が息をするのも忘れる中で、その幼い少女は静かに歩を進めた。

 膝を震えさせているアルディーラの正面に立つと、じっと目を合わせる。


「すべての召喚獣の王、シュティラウドクライン三世。そして其方の契約者となるルヴィッサである。我を召喚せしは其方で相違ないな?」

「は、はい。わたくしはアルディーラ・ラ・ブロワ・ドルトメール―――」


 名乗りは最後まで告げられなかった。

 ルヴィッサの背後に、剣を振り上げたギルディムーアが立ったからだ。

 アルディーラは驚愕に目を見開く。

 制止する暇も無く、凶刃は振り下ろされた。


「……え?」


 唖然とした声に、甲高い音が重なった。

 折れた剣が床に転がる。

 ルヴィッサを守る障壁によって、凶刃は真っ二つに圧し折られていた。それでもギルディムーアは僅かに顔を歪めただけで、今度は攻撃魔術を発動させるべく指先に魔術の光を灯す。

 だが、それは叶わなかった。


「平伏せよ」


 ルヴィッサは緩やかな動作で振り返り、告げた。

 それだけで室内に暴風が吹き荒れる。

 アルディーラとルヴィッサ以外の全員が、突風に叩かれて壁際まで吹き飛ばされた。抗おうとする者もいたが、魔術による呪縛を受けたみたいに満足に立ち上がることも出来なくなっていた。


「女王の御前である。無関係な者は黙って見ているがよい」


 これからお遊戯をするから見ていて、とでも言うように、ルヴィッサは柔らかな微笑を浮かべていた。

 何十名という兵士に囲まれているのに、気に留めてすらいない。

 そんな態度にもまた驚かされるアルディーラだったが、呆然としてばかりもいられなかった。


「では、望みを聞こうかのう」

「え……あ、そ、そうです! この国を、どうかこの国を救ってくださいませ! 代償が必要だというなら、わたくしの命を奉げても構いません」

「命、とな。ふむ……」


 苦いお菓子を食べた子供みたいな顔をして、ルヴィッサは首を捻る。


「どうも正しい契約の在り方は伝わっておらぬようだのう。まあ、それは追々話すとして……国を救うと言うても、漠然としすぎておる。食糧難か、疫病か、はたまた別の災害か、それによって打つ手も変わってくるというものだ」


 もっともな言葉だった。

 けれどルヴィッサの態度は呑気とも取れる。

 対して、アルディーラにとっては一刻が惜しい。いまこうしている間にも、罪の無い民や忠臣たちの命が危険に晒されているのだ。


「で、では、その男を討ってください!」


 ギルディムーアを睨んで声を上げる。

 あまり冷静な判断ではなかったが、まだ幼いアルディーラにそこまで求めるのも酷というものだろう。


「裏切り者の首魁ですわ。彼を失えば、この戦いも終わるはずです!」

「っ……馬鹿め、たとえ俺が死んでも結果は変わらぬ」


 対して、ギルディムーアは嘲弄混じりの声を返した。

 床に手をつき、苦々しげに顔を歪めながらも、この不可思議な状況を大まかには理解しているようだ。


「我が息子も副将として控えておる。この国の変革を見届けられぬのは口惜しいが、あやつならば上手くやるはずだ。いずれにせよ、貴様らに未来は存在せぬ」

「……と、申しておるが?」

「く……確かに、有能な嫡男だと聞き及んでおりますわ。ならば、攻め入ってきた敵兵を全員……」

「それはちと、欲張りというものであろう」


 ルヴィッサは大人びた苦笑を零す。

 慌てるアルディーラを余所に、薄暗い室内をぐるりと見渡した。


「いまひとつ状況が掴めぬが、敵兵というのは十や二十ではあるまい? そもそも我との契約には対価が必要でな。等価となるものを払ってもらわねばならぬ」

「で、ですから、わたくしの命で……」

「人一人の命では、人一人の命しか奪えぬ。等価と言うたであろう? 命の軽重が無いとは言わぬが、誰であれ死ねば等しく惜しまれ―――」

「ならば、某の命を使えばよかろう!」


 大声を上げたのは老年の側仕えだ。

 痺れている体を懸命に起こして、皺の刻まれた顔をさらに歪めて訴える。


「命が等価だというならば、この老いぼれの命でも構わぬはず。元より、この命は姫様に奉げたもの。それを使っても何ら問題は無いはずだ」

「爺や、しかしそれでは……」

「先にも申し上げたはずです。どうか姫様は生き延びてくだされ」


 アルディーラの震える声を遮り、老年の側仕えはさらに強く訴える。

 なにやら主従の美しい物語が展開していた。

 しかしそれを見守っていたルヴィッサは、眉根に困惑を寄せる。


「いや、其方ら、我が言いたいのは……」

「ならば、自分の命をこそ、お使いくだされ!」

「わ、私も騎士として忠誠を誓った身です。いつでも命を捨てる覚悟はできております!」

「カッコつけんな、ヘルヴェルト。そういうのは俺に任せとけばいいんだよ」


 周囲で倒れ込んでいた護衛騎士たちも、次々と声を上げた。

 見方によっては、命を投げ出す者が我先にと名乗り出る異様な光景だ。しかしその中心にいるアルディーラは、震える口元を押さえて感涙を零していた。


「皆、それほどまでに……ああ、わたくしはこの国の皇女として生まれて幸せでした。ですから、尚のこと皆の命を失う訳には―――」

「ええい! 話を聞かぬか!」


 可愛らしい声で一喝する。

 腕を一振りしたルヴィッサは、腰に手を当て、大きく息を吐き落とした。


「まったく、軽々しく命を捨てようとするな。だいたいそんな簡単に終わる契約では長居できな……ともかく、だ」


 静まり返った場で、咳払いをひとつ。


「我は対価が必要だと言ったが、なにも命には限定しておらぬぞ。金貨や宝石、あるいは労力などでも構わぬ。そうだな、例えば……古代龍の牙でも用意できるならば、戦乙女を召喚できるぞ。あやつは槍の一振りで万の軍勢も消滅させられる」


 命を払わずに済む。

 万の軍勢を打ち払える力を得られる。

 それは魅力的な提案だが、アルディーラも騎士たちも目をぱちくりさせるばかりだった。


 ルヴィッサの幼くも美しい姿に、幾分か気を緩められた部分はある。

 けれどアルディーラが執り行ったのは、禁忌とされる術式だった。悪魔を呼び出すとまで言われていたのだ。いきなり都合の良い話を持ち掛けられても、怪訝を覚えずにはいられなかった。

 とはいえ、のんびりと迷う時間も許されていない。


「ともかくも、其方の言う『国を救う』とは、攻め込んできている敵の対処と捉えてよいのだな?」

「え、ええ。そうですわね。ひとまずは……」


 アルディーラの頭には、炎に巻かれた街の光景が浮かんだ。

 叶うならば、そこに住む民達も救ってもらいたい。そう口に出せなかったのは、やはりまだ禁忌への恐れがあったからだろう。


「敵の数は如何ほどだ? 十万か? 五十万か?」

「報告によれば、一万ほどだと……」

「なんだ、思ったより少ないのう。まあよい。では、そやつらを全員、丸一日拘束してやろう。対価は一万日の労務でどうだ?」

「そ、それはつまり、貴方のために働けということですの?」


 ルヴィッサは柔らかな微笑とともに頷く。

 一万日の労務。およそ三十年近くの時間を取られることになる。

 大きな対価であるには違いないが、国を滅びから救えるとなれば安いものだろう。もしも国をゼロから再興するとなれば、たとえ百年千年を掛けても為し遂げられる保証など有りはしないのだ。

 しかも、話には続きがあった。


「ああ、勘違いするでないぞ。働くのは其方でなくとも構わぬ。むしろ、其方以外にも働いてもらいたいのだ」

「え……で、ですが、契約はわたくしと結ぶのですよね?」

「うむ。其方が皇女でよかったのう。ここがどれほどの国か知らぬが、臣下の数はそれなりに揃えておろう? 千名も働けば、僅か十日で済むぞ」


 おお、と周囲の騎士から安堵の混じった声が上がる。

 いくら国を救うためとはいえ、皇女が労務を課されるなど受け入れ難かったのだ。ましてや得体の知れぬ『召喚獣の女王』とやらが相手だ。どのような行為を強要されるのかと、不安を覚える者もいた。

 しかし他の者が肩代わりできるとなれば安心できる。

 皇女であるアルディーラが命じれば、たとえ一万名でも働かせられるのだ。


「ただし、労務に就く者は己の意思で従わねばならぬ。それなりの給金は払わねばならぬということだな。まあ、さほど無茶をさせるつもりはない。少なくとも命を落とすような内容では、契約違反となるからのう」

「いったい、どのような働きを望まれるのですか?」

「子細は後で詰めようではないか。事態は急を要するのであろう?」


 そう言いながら、ルヴィッサは指先に青白い魔力光を灯した。

 思わず肩を縮めたアルディーラも、すぐに緊張を解く。

 空中に描かれたのは、いま話した内容を記した契約書だった。


「其方が同意し、そこに触れれば契約は成立する。この契約には、無論、我も縛られる。故に、嘘偽りは無い」

「……承知致しました。元より、他に選択肢は無いのです」


 輝く文字をしっかりと目で追って、アルディーラは深く頷いた。

 そして、手を伸ばす。


「どうか、この国をお救いくださいませ」

「うむ。契約は成った」


 青白い光が瞬き、弾けて、アルディーラの手元へと集まる。

 微かな痛みとともに、その手の甲に複雑な紋様が刻まれた。


「これは……?」

「契約が果たされれば消える。案ずることはない」


 優しげに微笑んだルヴィッサは、また手元に魔力光を灯した。

 今度は複雑な魔法陣を描く。

 いったい何をするつもりか―――、

 アルディーラが問う前に、足下にも大きな魔法陣が浮かび上がった。


「速やかに我が務めを果たすとしよう。其方も見届けるがよい」


 眩いほどの光が二人を包む。

 息を呑む間もなく、その姿は地下室から消え去っていた。







「う、わぁっ!?」


 皇女らしからぬ悲鳴を上げて、アルディーラは手足をばたつかせた。

 もしも誰かにみられていたら、顔を真っ赤に染めていただろう。けれど慌てるのも無理からぬ状況だし、一名を除いて、誰の目にも触れていなかった。

 なにせ、いきなり上空高くに飛ばされたのだ。


「転移に、浮遊術……!? どちらもエルフの秘術ではないですか!」

「ふむ、まだ人には伝わっておらぬのか」


 呑気に呟いたルヴィッサに手を引かれて、アルディーラは姿勢を正す。

 どうにか気持ちを落ち着けると、あらためて眼下の情景を見つめた。

 帝都が蹂躙されている。美しかった街並みは炎に包まれ、あちこちから悲鳴や怒号が上がっていた。

 アルディーラは眉根を寄せると、呻き混じりに訴えた。


「ルヴィッサ様、早く、一刻も早く、皆を救ってくださいませ!」

「分かっておる。我も悲劇は好まぬからのう」


 頷いたルヴィッサの手元には、いつの間にか一冊の本が現れていた。

 重厚な装飾のされた本を、小さな指先がめくっていく。

 このような時に読書など、とはアルディーラも思わなかった。

 もはやルヴィッサが尋常な人物でないのは承知している。その本もきっと異質な物なのだろうと、息を呑んで次の事態を待った。


 一方、真剣な顔でページをめくるルヴィッサは、


「……偉そうに言うたはよいが、相手を捕らえるというのは意外に難易度高いのう。アラクネは……駄目だな。あやつらが男どもを一日も放っておくとは思えぬ。間違いなく何割かは喰われる。サリナとメイド部隊……いや、あやつらも手加減を知らぬ。雷獣で……痺れるどころでは済まぬのう。兎どもは逃走専用であるし、忍者どもは自爆させてやらぬと機嫌を損ねるし……ううむ……」


 そんな呟きも零れたが、上空の強い風に紛れてアルディーラの耳には届かない。

 ほどなくしてルヴィッサは顔を上げる。

 裏切り者であるギルディムーア公爵と、旗下の者たちの命運が決定された瞬間だった。


「うむ……こやつがよい。折角の荘厳な城と街、それに相応しい召喚獣を呼ぶとしよう」


 開いたままの本を頭上へ掲げると、ルヴィッサは大きく両腕を広げた。

 本はそのまま空中に浮かび続ける。

 ページからは青白い光が溢れて、また複雑な魔法陣を描き出した。膨大な魔力は空一面を覆い尽くし、幻想的な光景を作り上げる。


 帝都を包んでいた喧騒が静寂へと変わる。

 騎士も兵士も住民も、道端で吠えていた野良犬や、泣きじゃくっていた赤子でさえも、誰も彼もが唖然として空を見上げた。

 そして、目撃する。


「―――不滅にして不敗、神すら退ける守護者よ、偉大なる城郭よ!

 其の名は、永劫城アレクサンディウス!

 我が賞讃と呼び掛けに応え、顕現せよ! 聳え立て! 武威を示せ!」


 落雷の如き重々しい震動がひとつ。

 天空より舞い降りたのは、巨大な城郭だった。

 帝都を守る外壁のすぐ隣に、別の城がいきなり現れたのだ。

 しかも、とてつもなく巨大だ。城壁だけでも帝城主郭を見下ろせるほどの高さがある。各所にある塔などは天を刺し貫き、その先端が見えぬほどだった。


 そんな『永劫城(アレクサンディウス)』だ。降り立った衝撃だけで、高々と土煙を上げた。

 ある兵士は大地の震動に足を取られて尻餅をついた。ある住民は世界の終わりだと叫んで逃げ出した。半狂乱になって笑っている者もいた。

 帝都全体が大混乱に陥る中で―――、

 巨大な城門が、重々しい音を鳴らしながら開かれる。


 次いで、ザッ、ザッ、と。

 一糸乱れぬ足音を響かせながら、無数の兵士たちが歩み出た。

 全員が揃いの銀甲冑に身を包んでいる。装飾の豪華さで隊長などの区別はつくが、顔は兜で覆われているので窺えない。

 まるで人形のような兵士たちは、一歩を踏み出し、二歩目で空へと飛び立つ。

 完全に統率された動きで帝都へと乗り込んだ。


 後はもう、一方的だった。

 銀甲冑の兵士たちは、侵略者どもを瞬く間に制圧していった。ほとんどの敵兵は驚愕するばかりで戦いにもならない。僅かに抵抗する者もいたが、剣も魔術も銀甲冑に傷一つ付けられず、武装を奪われて光る縄で拘束されていった。

 そんな中にはギルディムーアの姿もあった。地下室から引き摺り出されて、配下の者どもと共に『永劫城(アレクサンディウス)』へと運ばれていく。

 すべての敵兵を捕らえると、城門はまた重々しい音を鳴らして閉じられた。


「これにて我が務めは果たされた。明日になれば『永劫城』は消え、奴等も解き放たれるが、どうにでもなろう。その頃には腹ペコで疲れ果てておるはずだ。見た所、この国の兵は優秀なようであるし……聞いておるか?」

「え……あ、は、はい! その、なんと申しますか……凄まじいですわね」

「うむ。そうであろうそうであろう。もっと誉めてよいぞ」


 ルヴィッサは嬉しそうに何度も頷く。

 偉ぶった仕草ではあったが、その笑顔は、親にご褒美を貰った子供みたいに無邪気なものだった。


 だが、ルヴィッサはふと首を捻る。

 あらためて眼下の街並みを眺めて、アルディーラへ話を向けた。


「敵は片付いたが、まだ被害が残っておるのう。火の手も上がっておるし、怪我人も多いようだ」

「え、ええ。そうですわね。すぐに対処をしなくては……」

「そこで、だ。もうひとつ我と契約せぬか?」


 今度は悪戯を思いついた子供みたいに、ルヴィッサはにんまりと口元を吊り上げる。

 もしも側仕えがいたら懸命にアルディーラを制止したかも知れない。

 あれは悪魔の微笑みだと訴えて。


「街の消火と怪我人の治療を請け負おう。なに、対価もそう重いものにはならぬ。そうだな……我がこちらに居られる三日間の饗応と、幾許かの食材と料理のレシピ、それと書物十冊程度でよかろう」


 上空に浮かぶのは、ルヴィッサとアルディーラのみ。

 制止する者はおらず、その契約は速やかに結ばれた。







 色鮮やかな菓子が何種類も並べられている。

 白磁のカップは遥か東方、ホルティック諸島群から持ち込まれた一品だ。そこへ注がれる紅茶も、特別に選定した一級品が使われている。

 皇女であるアルディーラにとっても贅沢に思える。

 ましてや今は戦時下だ。ひとまず危急の事態は去ったとはいえ、将兵にも民にも多くの犠牲者が出ていた。


 自分ばかりが楽しい時間を過ごしてよいものか、と溜め息を落としてしまう。

 しかしそんなアルディーラの横には、無邪気に喜ぶ顔があった。


「ん~、このチーズケーキは美味いのう。ベリーのソースと実によく合っておる。茶請けとしても絶品ではないか。いくらでも食べられるぞ」


 契約通りの饗応を、ルヴィッサは蕩けそうなほど満喫していた。

 応対するアルディーラとしても、喜んで貰えるのは素直に嬉しい。並んだ菓子の中には帝国発祥のものもあって、誇らしくも感じられた。

 なにより、太陽みたいなルヴィッサの笑顔は、鬱々とした心を慰めてくれる。

 もしも妹がいたらこんな感じだろうか、とアルディーラは口元を綻ばせた。


「蜂蜜とジャムを合わせて楽しまれる方もいらっしゃいますわ。ですが、ルヴィッサ様は控えめな甘さがお好みで?」

「そうだのう。其々の味を純粋に味わえる方が好いな」

「あ、ベリーが袖に付きそうですわよ。お気をつけくださいませ」

「おお、すまぬな。どうもテーブルマナーというのが苦手でのう」


 和やかに笑みを交わしつつ、二人はカップを口へ運ぶ。

 ふと会話が途切れたところで、部屋の外から複数の足音が近づいてきた。


「ご歓談中のところ、失礼致します」


 恭しく礼をして、一人の老騎士と数名の部下が部屋に入ってきた。

 アルディーラに促されて報告を述べる。

 老騎士たちは、たった今まで戦いに赴いていた。『永劫城』から解放されるギルティムーアの一派を、帝都の防衛部隊で待ち構えていたのだ。

 しかしほとんど戦いにもならず、今度こそ確実な決着となった。


「ギルディムーア以下、主謀者どもも残らず捕らえました。陛下の御帰還を待って裁可を願うのが宜しいかと存じます」

「ええ。任せます。ところで……」


 真剣に報告を受けていたアルディーラだが、急に表情を緩めた。


「爺や、久しぶりに剣を握った気分はどうでした? 随分と嬉しそうですけど」

「は……いえ、そのような不謹慎なことは……」

「戦勝を喜ぶのは当然ですわ。爺やの怪我が治ったのは、わたくしにとっても喜ばしいことなのですよ」

「勿体無き御言葉です」


 深々と頭を下げた老騎士は、ちらりとアルディーラの隣に座る珍客へ視線を送った。

 老騎士ジグートは、つい昨日までアルディーラの側仕えとして働いていた。それ以前は猛将として周辺国にまで名を轟かせていたのだが、戦いの中で負った傷が原因で、剣を持つことすら難しくなっていたのだ。


 それを治療してくれたのが召喚女王を名乗るルヴィッサだ。帝都にいるすべての負傷者を癒すのが契約内容だったために、ジグートの古傷まで完治させてくれた。

 もはや騎士としては働けぬと諦めていた。

 皇女殿下に仕えることに不満は無いが、口惜しいと思う時もあった。

 そんなジグートであるから、思いがけぬ奇跡に感激すら覚えている。しかしその奇跡を齎してくれたのは、悪魔とすら疑われている相手なのだ。

 ジグートは疑惑を捨てきれず、感謝を述べられずにいた。


「ふふっ。爺や、頑固すぎるのも良くないと思いますわ」

「……はい。ルヴィッサ殿にも、心より御礼申し上げます」


 渋面になりながらも、ジグートは再び深々と頭を下げた。

 礼を受ける側のルヴィッサは鷹揚に頷く。老騎士からの感謝よりも、次のクレープをどう盛り付けるかの方に気を取られていた。


「ところで、戦いの決着がついたのなら話がある」


 新しいクレープを侍女から受け取ると、ルヴィッサはやや低い声で切り出した。


「最初の契約、一万日の労務に関しての仔細がまだであったろう?」

「そうですわね。ですが、労務と仰られても、具体的には何をすれば良いのか分かりませんわ」


 アルディーラも緊張を纏う。

 もはやルヴィッサを悪魔などとは疑っていない。強大な力を持つとはいえ、それを理性無く振るう相手でないとも信じられるようになっていた。


 ただ、漠然と義務があるのは不安でもあった。

 側に控えるジグートや護衛騎士も、息を潜めて言葉を待つ。

 無茶な労務であれば自分達が肩代わりをする。この場にいる騎士たちは、全員がそう心得て、対応できるよう身構えていた。

 しかし、ルヴィッサの言葉は全員にとって不意打ちだった。


「本を刷ってもらおう。召喚術を広めるため、術の詳細を記した本を」

「な……っ!」


 最初に驚愕の声を上げたのはジグートだ。

 しかしすぐに全員が、その言葉が示す危険性に思い至った。

 召喚術がどれほど強力な術なのかは目の当たりにしたばかりだ。術式の複雑さと必要な魔力量から、おいそれと使える術式ではない。対価を要求される点からしても、そこいらの術師が使いこなせはしないだろう。


 だが、諸外国に知られたら?

 この恐るべき力が、帝国へ向けられたら?

 将来起こり得る災厄を思えば、到底受け入れられる要求ではなかった。

 しかしそんな動揺も気に留めず、ルヴィッサは嬉しそうに手を叩く。


「さあ、分かったならば人を集めるがよい。原稿は我が用意してやろう。写本ではなく、木版印刷とするぞ。完成したら多くの商人に渡して、世界の隅々まで広めていくのだ」


 正しく悪魔の宣告であるように、ジグートたちには聞こえた。

 しかしすでに契約は結ばれている。

 アルディーラの手に刻印もある以上、要求を退ける訳にもいかない。

 契約を破ったらどうなるか、その恐るべき結末も告げられていた。


「実に楽しみだ。これでもう退屈に煩わされることもあるまい」


 ルヴィッサは満面の笑みを浮かべる。

 こうして解き放たれた召喚術は、広く知れ渡っていく



















 ―――とは、ならなかった。


「……爺や、もう一度言ってくれるかしら?」


 帝国存亡の危機から十日余り。

 ルヴィッサはすでに異界へと帰還して、帝都には平穏が戻っていた。


 皇帝の留守を預かっているアルディーラも、一時、自室で休息を取っていた。

 その手の甲に刻まれた印も消え去っている。契約は果たされた。もう帝都を脅かす敵もなく、心静かに過ごせるはずだった。

 しかしその穏やかな時間は、ジグートの来訪によって崩された。


「はい……例の召喚術を記した書物は、某がすべて回収致しました。すでに焼却も済んでおります」

「何故、そのようなことを? ルヴィッサ様への裏切りではありませんか!」

「姫様とて、あの術の危険性は承知しておられましょう?」


 声を荒げたアルディーラだが、鋭いジグートの指摘に言葉を詰まらせてしまう。

 正しく、その通りだった。

 召喚術は危険すぎる。帝国の秘術として留めておきたい。

 しかしまだ幼いアルディーラには、友人とも思えるルヴィッサとの約束を破れはしなかった。


「ルヴィッサ殿との契約を、姫様は誠実に果たされました。これは某が独断で為したこと。故に、姫様が気に病まれる必要はありませぬ」

「……そのような理屈で、わたくしの心は晴れませんわ」


 椅子に座り直して、アルディーラは深く息を落とした。

 友人を悲しませる結果に、胸が締めつけられる。

 しかし同時に、安堵を覚えているのも事実だった。それもまた自責の念となって圧し掛かるのだが、だからといって何か対処が思い浮かぶでもない。

 ただ、願うように呟いた。


「いつか、彼女に謝る機会は訪れるかしら……」

「その時には、某も心よりお詫びさせていただく所存です」


 頭を下げる老騎士を退出させると、アルディーラは自室の奥へ足を運んだ。

 広々としたバルコニーに出て、眼下の風景を眺める。

 まだ帝都の各所には、崩れた家屋などが残り、戦いの傷跡が窺える。

 しかし笑顔を零している住民も多い。

 和やかな情景は、ささくれだった心を慰めてくれた。


「……誰にも知られぬ英雄なんて、悲しすぎますわ」


 目を伏せて、その姿を想う。

 太陽みたいに笑う幼女の姿は、しっかりと目蓋の裏に焼きついていた。



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