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第5話 魔獣少年と不死者の王 後編


 悪魔ドリオゴールが握るのは両手持ちの黒い大剣。

 対する不死者の王(フィレーネ)は白光を放つ太い木杖を手にしている。

 空中で激突した両者は、互いの武器を激しく打ち合わせ、衝撃波を撒き散らした。ドリオゴールは青黒い顔を歪めて舌打ちを漏らし、フィレーネも骨を鳴らして歯軋りを零した。


 ひとまず互角の近接戦闘を区切り、両者は距離を取る。

 フィレーネは広間の中央に立ち、ドリオゴールはまた天井近くに浮かんだ。


「不死者だというのに浄化の力を使うか。ふざけた奴だ」

「貴方たち悪魔には効果的でしょう。それに、私は見た目は不死者でも、魂までは穢れていないわ。人間よ!」


 浄化の光で輝く武器を振るうたびに、フィレーネの手からは骨が罅割れる音が響いている。しかし破損された骨は、瞬く間に再生されていく。その度にフィレーネは尋常でない痛みを覚えているのだが、気に留めた様子すら見せなかった。


 痛みなど、幾らでも堪えられる。

 まだ若い少年少女たちの命が、この戦いには懸かっているのだから―――。

 彼女にとっては当り前の決意を胸に、フィレーネは新たな術式を発動させた。


「っ……さらに高位の浄化術だと!?」

「悪意を穿ち、清浄へと帰せ! 聖白千祈槍グラシオラ・スピカ!」


 フィレーネの正面に無数の槍が現れる。強力な浄化の力で構成された光槍は、下級悪魔レッサーデーモン程度ならば一撃で消滅させるだろう。中位の悪魔であるドリオゴールに対しても、充分な脅威となる。

 空中に浮かんだ光槍が、ドリオゴールを穿つべく撃ち放たれた。


 この館はドリオゴールが作り出したもの。謂わば、悪魔の巣であり狩場であるはずだった。しかし限定された空間は、フィレーネに有利に働く。

 ざっと百を越える数の光槍は、ドリオゴールから逃げ場を奪った。


「ぐっ……がぁっ……!!」


 ドリオゴールも大剣を振るい、魔術を放ち、光槍を迎撃する構えを見せた。しかし一呼吸と持ち堪えられず、腕や脇腹を抉り抜かれる。

 辛うじて致命傷は避けたが―――、


「これで、トドメよ!」

「なに……っ!」


 幾本かの槍は、ドリオゴールの周囲に浮いて留まっていた。その槍を基点に、光の線が繋がって、蜘蛛の巣のようにドリオゴールを拘束する。

 二段仕掛けの高位術式、対悪魔用の結界が完成した。

 全身を縛りつけられたドリオゴールは、全身を切り刻まれながら苦悶の声を上げる。


「がっ、ッぐぅ、ィ……ふざっ、けるなぁっ!!」


 怨嗟を吐きながら、ドリオゴールは全身から暗灰色の魔力を溢れさせた。

 同時に、『腐敗』の権能を発動させる。それはユウヤたちが持つ『固有術式』と似たものだ。一般に知られている魔術では真似し難い、強力な現象を引き起こせる。

 そして『腐敗』は文字通りの効果を及ぼす。周囲のすべて、あらゆる生命、物質に関わらず、なにもかもを腐敗させる。


 浄化結界も、僅かな抵抗をした後に腐り落ちてしまった。

 その効果はさらに広がる。フィレーネや、その背後で戦いを見守っている生徒たちにまで侵蝕の手を伸ばそうとする。


「くくっ、不死者の王が腐って果てるか。お似合いだな」

「……厄介ね。でも、奥の手を持ってるのはそっちだけじゃないのよ!」


 腐敗が迫ってくる。暗灰色の魔力が、フィレーネを包み込もうとした。

 けれどその直前で、一際強く白光がフィレーネの全身から放たれる。浄化の光と似ているが、より神々しく、力強さを感じさせる。

 不可思議な現象が多いこの世界でも、それは簡単に見られるものではない。

 しかし知識ある者ならば、その光を見間違うことはないだろう。


「加護、だと……! 貴様、不死者でありながら神の使徒だというのか!?」


 ドリオゴールの顔が驚愕に染まる。

 困惑も混じった声に対して、フィレーネは得意気に答えた。


「そうよ。だから私は人間だと胸を晴れる。慈愛の女神(イリュオンギューレ)の加護の下、けっして諦めずに戦い続けられる!」


 襤褸布に隠れているので、フィレーネが持つ刻印は見て取れない。

 しかし下腹部、肉を失ったそこに、確かに使徒の証明である刻印が浮かび上がっていた。


 同時に、ユウヤたち生徒全員を守る障壁も現れていた。慈愛の女神による加護の力は、使徒本人にはほとんど力を与えない。しかし他者を守るためには絶大な効力を発揮する。その加護によって張られた障壁は、悪魔の力を完全に弾き除けてみせた。

 フィレーネ自身も障壁を張って、『腐敗』を凌ぐ。けれど発動した加護の力と、浄化の力を含んだ障壁術式は、フィレーネの不死体をさらに苛んでいく。直接に自身へ向けられたものではないが、それでも全身の骨に罅が入っていった。


 加えて、フィレーネはまた光槍を放つ。歯軋りをして、身体すべてが崩れそうな痛みを堪えながら。

 複数の術を操り、さらに激痛の影響もあって、十本ほどの槍しか操れない。

 だが威力は充分。

 悪魔ドリオゴールを滅ぼすべく、光槍は空中を駆けた。


「ぐっ、う……おおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!」


 必殺の意志が込められた光槍を、ドリオゴールは辛うじて避け、大剣で弾き落とした。身体の数ヶ所を抉られながらも、フィレーネへと迫る。

 遠距離戦では不利だと悟ったのだ。

 一瞬にして距離を詰めたドリオゴールは、苛烈なまでの勢いで大剣を振り下ろした。腐敗の色を放つ刃を、フィレーネは木杖で受け止める。


「くくっ、まさか俺が追い詰められるとはな。認めてやろう。貴様は強い。確かに不死者とは思えぬほどだ。だが―――」


 ビキリ、とフィレーネの木杖が軋んだ音を立てた。

 浄化の力を込め、加護で強化したとはいえ、所詮は只の木の棒だ。悪魔が持つ武器を相手にして不利なのは当然だった。

 そして―――、


「運が悪かったな。足手纏いを守りながらでは、その力も削がれるというものだ」

「ぐ……っ!」


 徐々にフィレーネは押し込まれる。

 木杖にも腐敗の効果が及び、いまにも圧し折れてしまいそうだった。

 しかしその瞬間、激しい吠え声が響いた。


「なに―――ッ!?」


 吠え声は衝撃波となり、横合いからドリオゴールを吹き飛ばした。青黒い体が弾かれ、壁に激突する。

 それは只の吠え声ではなかった。魔獣が放った、力を持つ声だ。

 そんな技を扱えるのは、この場では一人しかいない。


「フィレーネ! 援護するぞ!」

「ゆ、ユウヤ!?」


 フィレーネが振り返ると、魔獣化したユウヤが決意を込めた眼差しを向けてきていた。全身を覆う灰色の毛を逆立たせて、天井へ向けて遠吠えをする。

 意志を込めた遠吠えは、心を奮い立たせる効果もあった。


「だ、ダメだ。危ない―――」


 フィレーネの目には、ユウヤたちは戦いを知らない少年少女にしか映っていなかった。たとえ『固有術式』で特異な力を持っていても、平穏しか知らない子供たちだ。そんな彼らを戦いに巻き込みたくなかった。

 だが、ユウヤたちから見たフィレーネは―――。


「はっ。仲間一人を危ない目に遭わせてられるかよ」


 フィレーネの横を、人間大の火球が駆け抜けていった。竜胆による炎熱ブレスだ。放射状に広げることも、いまみたいに球状にして破壊力を集束させることもできる。

 その火球は、壁際から再び飛び立とうとしていたドリオゴールへ、一直線に襲い掛かった。紙一重で回避されたが、悪魔の皮膚を焼き、爆発も巻き起こして顔を顰めさせる。

 さらに―――、


「ぐっ、貴様ら……!」


 悪魔に攻撃を仕掛けるのは、ユウヤや竜胆だけではなかった。


「みんな、絶対に前に出るな! 遠距離攻撃に専念するんだ!」

「この盾も投げるか? 嫌がらせにはなりそうだぞ」

「火矢、できたよ。戸尾鐘さん、お願い」

「うん。エンチャントを掛ける。続いて氷槍もいくよ!」


 障壁に篭もったまま、生徒たちが次々と弓矢や魔術を放つ。中には石を投げている生徒もいる。身体強化を発動した御子柴も、太い鉄槍を全力で投げ放った。


 もしも彼らが、この世界で生まれ育った者だったなら状況は違っただろう。

 悪魔も不死者も、絶対的な人間の敵だ。この世界の人間は、それを当然の常識として教え込まれている。いや、誰かに教わらなくても自然と知るくらいに、人々の中に浸透した考えだ。

 だから、不死者であるフィレーネに味方しようなど思いもしなかっただろう。


 けれどユウヤたちは違う。

 魔王が人間の味方をする―――そんな物語も知っているのだから。

 それに、フィレーネを連れてきたのは彼らの仲間であるユウヤだ。大方の事情もすでに聞いていた。なにより、身を呈しての戦いぶりを目の前で見せられた。

 ここで見て見ぬフリをするほど、彼らは非情ではなかった。

 もちろん、フィレーネが倒されれば次は自分たちの番、という冷静な判断もあったのだが―――。


「ありがとう……私の三百年は、無駄じゃなかったわ!」


 骨の体であるフィレーネは涙を流せない。

 けれど歓喜を覚え、心を奮い立たせることはできる。


 全身の軋みを堪えながら、フィレーネは新たな術式を組み上げた。一際巨大な魔法陣が浮かび上がり、一拍の間を置いて、膨大な浄化の光が放たれる。

 さながら龍のブレスのような光の奔流は、ドリオゴールの全身を包み込んだ。そのまま空中を焼き、館の壁を貫き、天まで焦がしていく。

 いまのフィレーネが放てる、最上級の浄化術式だ。

 悪魔の力によって築かれた館を打ち貫いたのが、その威力を証明している。


「が、あっ、ああああああああアアアアアアァァァァァ―――!」


 まともに浴びたなら、ドリオゴールは一瞬で消滅させられていただろう。

 それでもドリオゴールは必死の抵抗をした。悪魔の誇りも捨てて。

 『腐敗』により、浄化効果そのものを腐らせようとする。

 『飢餓』により、術式を飢えさせ、光の密度を薄めようとする。


 そもそも不死者であるフィレーネでは、術式の威力を発揮しきれなかったというのもある。おかげで、辛うじて、ドリオゴールは消滅を免れた。

 全身を焼き焦がされ、腕も一本失ったが、

 館の裏庭に転がされたドリオゴールには、まだ立ち上がる力は残されていた。


「ぐ……っ!」


 背後から火球が襲ってきたが、咄嗟に転がって避ける。

 振り返ると、フィレーネや生徒たちが壁に空いた穴から追ってこようとしていた。しかしドリオゴールも黙って倒されてやるほど殊勝ではない。


「人間どもめ、今回は見逃してやる! そこで埋まっているがいい!」


 ドリオゴールの怒声に応えたように、館全体が震え始めた。壁が割れ、天井が崩れ落ちる。元々、ドリオゴールの力によって築かれた館だったのだから、それを崩壊させるのも簡単だった。

 不意の事態に、ユウヤたちは困惑に包まれる。

 フィレーネも、彼らを守るのに精一杯で追撃を行えない。


 その隙に逃げようと、ドリオゴールは駆け出した。

 負わされた傷は深いが、回復する手段はいくらでもある。悪魔であるドリオゴールは人間とは桁違いに頑丈な体をしている。余裕を持って撤退できるだけの力も残していた。


 次に会った時は、皆殺しにしてやろう。

 あの得体の知れぬ不死者の王も、必ずや後悔させてやる。

 そうドリオゴールは嘲笑を浮かべた。













「―――やれやれ。警戒する必要はなかったのう」


 可憐な声が、ドリオゴールの耳に届いた。

 直後、目の前が真っ暗になり、ドリオゴールは頭部に激痛を覚えて弾き飛ばされる。頭ごと抉り取られたような錯覚も覚えながら、ゴロゴロと地面を転がった。


 なにが起こったのか分からない。


 いや、たとえ傍から状況を窺っていても、ドリオゴールには信じられなかっただろう。まさか悪魔である自分が、可愛らしい幼女から飛び蹴りを喰らったなどと。


「い、いったい何が起こって……?」


 土に塗れながら、ドリオゴールは顔を上げる。

 その視線の先にいたのは、一人の幼女―――ルヴィッサが悠然と佇んでいた。


「巣に誘い込む策は悪くなかったが、あの文言は失敗だったのう。歓迎などという曖昧な言葉を使ったために、貴様と接触した時点で内からの脱出も可能となったのだ。気づいておったか?」

「……何者だ? ただの人間ではあるまい」


 地面に手をついたまま、ドリオゴールは警戒心を抱く。

 その反応は間違っていない。この状況で現れる者が、只の通りすがりなどであるはずもないのだから。

 けれど無駄だった。

 そして、もっと警戒を向けるべき相手は背後にいた。


「無駄口を叩かず、ルヴィッサ様の質問に答えなさい」


 ぶべっ、と無様な悲鳴を上げて、ドリオゴールは地面を舐めさせられる。

 いきなり背後から頭を押さえつけられたのだ。そのドリオゴールの頭には、細い足先が乗せられていた。


「やはり悪魔には容赦無いのう」


 鋭利な殺気を撒き散らすメイドに、ルヴィッサは呆れて息を落とす。


「まあ、もはやどうでもよい。サリナ、そやつの始末は任せる」

「承知致しました。では―――」

「さ、サリナだと!? まさか、魔王様を滅した奴等の―――」


 ドリオゴールの疑問は、最後まで発せられなかった。

 直後、頭を踏み潰されたから。

 残った胴体も空中へ蹴り上げられる。そのまま数十の破片に斬り刻まれると、降り注いだ光の柱に焼かれて完全に消滅した。


「滅却を完了致しました」


 まるで簡単な家事を済ませたかのように、サリナは姿勢を正して一礼する。

 ルヴィッサも当然のように頷いた。


「其方が手を下すまでもなかったかのう。しかし一応は悪魔、召喚されねば機嫌を損ねたのではないか?」

「はい。ハンカチの数千枚は噛み千切っていたかと」

「殺意高すぎであろう」


 軽く肩をすくめると、ルヴィッサは身を翻した。

 サリナも静かに従う。そうして二人は、倒壊した館跡へ歩み寄る。


「さて、ここからが本番であるのう」


 瓦礫の中から、フィレーネやユウヤたちが抜け出そうとしていた。





 ◇ ◇ ◇


 ユウヤもフィレーネも、他の生徒たちも全員が唖然としていた。

 目の前には窪んだ地面。

 さながら隕石でも降ったかのように大地が潰れている。

 崩れた館から全員が無事に抜け出した後、サリナの拳が振り下ろされた。悪魔の痕跡すら許さないとでも言うように、館だった場所には、完璧な滅却が成されていた。


「では、あらためて本格的な契約を行おうかのう」

「え? あの……この惨状はスルーですか?」

「メイドが掃除をしただけではないか。それよりも、其方らが帰宅困難である方が重要であろう?」


 正論なのか暴論なのか。

 ともあれ反論はできずに、ユウヤたちは曖昧に頷く。


 そうしてユウヤたちは、館跡近くの木陰へと移動した。何処からかサリナが椅子を用意して、ルヴィッサが腰掛ける。それと向かい合う形で、ユウヤたちもまとまって腰を下ろした。

 なにやら青空教室みたいな情景だ。もっとも、その隅っこでは、不死者の王(フィレーネ)が禍々しい瘴気を漏らし続けているのだが。


「なあ大上、本当にあの子が、元の世界に帰してくれるのか?」

「そう……だと思うぞ。無料じゃあないみたいだけど」

「え、でもお金って……どれくらい? 本当に帰れるの?」

「まあ、あのメイドさんといい、只者じゃないのは分かるけど……」

「でも子供にしか見えないぜ。可愛いけど」


 御子柴やユウヤを中心に、生徒たちは小声で話し合う。元の世界へ帰れるという話に期待は抱いているものの、まだ半信半疑な者がほとんどだった。

 そんな少年少女たちの様子を、ルヴィッサは微笑を浮かべながら眺めていた。


「そろそろよいか? ユウヤよ、確認するぞ」

「あ、はい。でも確認って?」

「今回は、其方が主たる契約者だ。求めるは、ここに居る三十三名の異世界への帰還。それと、フィレーネを呪いからの解放し、人間としての生を歩めるようにすること。これでよいな?」


 生徒たちを悪魔の罠から救ったのは、契約の前準備に過ぎない。もちろんそれなりの対価は貰うが、フィレーネを戦わせたのも考えあってのことだ。

 不死者の王となって彷徨っていたフィレーネは、およそ財貨と呼べる物を持っていなかった。襤褸布を纏い、木の杖を武器としていたほどだ。人のいない森で暮らすだけなら問題なかったのだろうが、ルヴィスへの対価を払えるかどうかは大いに不安と言える。


 だから、ユウヤたちの危機に巻き込んだ。フィレーネが恩を売る機会を作ったのだ。

 それをユウヤたちがどう受け止めるかは賭けだったが―――。


「そもそもフィレーネがいなければ、俺はあの森で死んでたかも知れない。みんなとの合流だって出来なかった。だから、彼女の分の対価も払うつもりです」


 ユウヤは迷いなく述べる。

 その言葉を聞いたフィレーネは、広場の端で深々と頭を下げた。瘴気を撒き散らす体質でなかったら、手を取って感謝を述べていただろう。


「俺一人でだって払いますよ。どんな対価だって―――」

「馬鹿言ってんじゃねえぞ、大上!」


 声を荒げたのは竜胆だ。不機嫌そうに腕組みをして、ユウヤを睨む。


「協力するに決まってんだろうが。少なくともアタシは、命を助けてもらった恩を忘れたりしねえ」

「竜胆……」

「まあ、そうだよな。ルヴィッサさん、その契約っていうのは複数人でも結べるんですか? 例えば、俺たちが全員で対価を払うとか」


 竜胆の態度に苦笑を零しながら、御子柴は訊ねた。

 少々、複雑な気分ではある。ほんのちょっと前には、竜胆はクラスメイトの半分を見捨てようとしていたのだ。けれど出会ったばかりのフィレーネには、義理堅く恩を返すと宣言している。

 どうやら竜胆にとって、友情と恩義はまったく別物であるらしい。


 ともあれ、御子柴にとっても歓迎できる話の流れだった。

 そしてルヴィッサにとっても、契約相手が増えるのは望ましい。


「うむ。むしろ推奨するぞ。異世界への渡航ともなれば、対価は容易には払えぬほど高くつく。学割も利かぬからのう」

「学割って……」


 何故、そんな現代っぽい言葉が出てくるのか?

 疑問を覚えた御子柴だが、ひとまずそれは置いておくことにした。


「俺たちは何を払えばいいのか、何をしてもらえるのか。契約の具体的な内容は教えてくれるんですよね?」

「無論だ。我は良心的な契約を信条としておる」


 悠然と頷いて、ルヴィッサは紅茶のカップを口へと運ぶ。いつの間にか、小さなテーブルセットまで置かれていた。


「さて、具体的な対価であるが……いまも言った通り、異世界への渡航が容易でないことは察せられよう?」

「ええ、まあ。散歩に行くような感覚ではないですね」

「それを、例えば金貨で払おうとすれば、百万枚でも足りぬ」


 だが、とルヴィッサは人差し指を立てて、一人の女子生徒へと向けた。

 指差されたのは小柄な女子生徒―――月影月姫は、ぼんやりとした眼差しをしながら、こてりと首を傾げた。


「其方らは運が良い。異世界の物品は、どれも高い価値を持つからのう。そしてそれを呼び出す固有術式を持つ者もいる。”コンビニ”と呼ばれていたな?」


 ルヴィッサが告げた通り、月影は特異な固有術式を持っていた。

 一日に一回か二回しか使えないが、何も無い場所に物品を出現させられる。現れるのはお菓子や雑誌、弁当など、地球ではコンビニで売られているような品々ばかりだった。なので、術式の名前もそう呼ばれていた。

 出現と言うよりは、地球にある物を召喚しているのだろう。精々、棚の一枠分の品しか召喚できないが、”当たり”が出れば貴重な補給源となる。


「そういった異世界の品で手を打つとしよう。其方らがいま持っている品を、我に譲ってもよい。日数を掛ければ充分な対価となろう」


 単純に物で支払いをする。分かり易く、ユウヤたちにとってもそう悪くない提案に思えた。

 ただし、日数が掛かるという部分は気に掛かる。

 叶うならば、ユウヤたちはすぐにでも帰還したいのだから。


「日数って……具体的には、どれくらい掛かるんです?」

「そうだのう。本来ならば、願いを先に叶えてから対価を貰うことになる。だが今回は、異世界越しでは支払えぬのが分かりきっておる。故に先払いの形を取るのだが……概算で、早ければ半年、遅くとも一年といったところか」


 ルヴィッサの言葉に、生徒たちは複雑な反応をする。ほっと安堵する者もいれば、眉根を寄せて失望を表す者もいる。半年や一年の期間をどう受け止めるかは、個人によって異なるところだ。


 それでも、元の世界に帰りたいというのは共通していた。中には異世界へ来られたことを喜んでいた生徒もいるのだが、悪魔に殺されかけた直後であったし、やはり安全な生活が恋しくなっていた。


「まあ、すぐに答えを出せとは言わぬ。我は三日までは待てるからのう。じっくりと話し合って構わぬぞ」

「そうですね……もしもその契約を結んだら、少なくとも半年は、この世界で暮らさないといけないんですよね?」

「うむ。異世界人である其方らには、その間の生活も不安なところか」


 片手でカップを揺らしながら、ルヴィッサは視線を巡らせる。緩やかな眼差しで、しばし生徒たちの様子を窺っていた。

 その白金色の瞳は、とある物を捉えて嬉しそうに輝く。


「よし。そこのポテチで手を打とう」

「え……?」

「言うたであろう。異世界の物品は価値が高いと。ポテチ二袋で、適当な街での生活環境を整えてやろうではないか。庶民程度の生活はできるようにのう」


 ほれほれ、とルヴィッサは手を伸ばす。

 悪魔すら容易く滅する力を持っているのに、その様子は、お菓子好きの純粋な子供にしか見えない。

 戸惑うユウヤたちだったが、結局、子供のおねだりには逆らえなかった。


「うむ。大儀。では早速……くくっ、実に久しぶりのコンソメパンチ……」


 受け取ったポテチの袋を、ルヴィッサは嬉しそうに掲げる。

 そのままくるくると回って、ひゃっほう!、とか声を上げた。


「ルヴィッサ様、威厳が崩れます」

「む……おっと、そうであったのう」


 こほん、と咳払いをしたルヴィッサは、優雅に椅子へ座りなおす。

 なんか色々と手遅れだった。

 けれどまあ、むしろ良かったのかも知れない。


 ルヴィッサの様子を窺っていた女子生徒の数名が、優しげな笑みを零す。男子生徒も幾名かが同じように表情を崩している。

 飴ちゃんを取り出して渡そうかと、そわそわしている女子もいる。

 とある男子は、だらしない顔をして涎を垂らしていた。

 涎を垂らしている奴には後で注意しておこう、と御子柴は苦笑する。


 それでも場の空気が変化したのを察して、御子柴は安堵もしていた。

 僅かではあるが、まだルヴィッサを疑っている生徒もいた。本当に元の世界へ帰してもらえるのか、と。

 彼らがこの場にいるのは、人の悪意によって召喚されたからだ。過酷な生活を強いられてきた。

 だからといって、出会ったばかりのルヴィッサを疑うのは筋違いだろう。しかしそれも仕方ないと言えるだけの苦難を味わってきたのだ。


 だが純粋な子供の姿は、そんな疑念を払い除けた。

 ひとまず信じてもいいかも、と心に余裕を持てるくらいには。

 御子柴も、そう思えた内の一人だった。


「ルヴィッサさん、また質問いいですか?」

「ん? うむ、なんでも聞くがよいぞ」

「さっき、本来は願いを先に叶えるって言ってましたよね。俺たちはともかく、彼女は先になんとかしてもらえるんですか?」


 御子柴は、広場の隅へ視線を向けた。

 そこではフィレーネがじっと様子を窺っていた。骨なので表情の変化はないが、御子柴とルヴィッサの視線に気づいて顔を背ける。

 なにやら照れたような気配を零しながら。


 どうやら、ポテチに興味を引かれたらしい。骨の体では食事も取れないので、美味しそうにポテチを摘むルヴィッサが羨ましかったようだ。

 他の不死者では、けっして有り得ない反応だろう。


「やはり心は人間のままか。なんとも天晴れで、難儀なことよのう」

「……えっと、それでどうなんです?」

「うむ。先払いでよかろう。其方らに我の力を示すためにものう。呪いを解き、当時の年齢まで肉体も再生させる。あとは―――」


 不意に、ルヴィッサは言葉を止めた。

 しばし眉根を寄せて沈黙すると、鋭い視線を上空へ向ける。

 サリナも表情こそ乱していなかったが、纏っている気配には警戒が表れていた。


「ルヴィッサ様、これは……」

「うむ。まだ詳しくは分からぬ、が……」


 いったい何事なのか?

 御子柴やユウヤも怪訝を覚える。と、その視界に陰が差した。

 異変を察したのは二人だけではない。生徒全員とフィレーネも、身を強張らせて周囲への警戒を向ける。

 そうして、空を見上げた。


 急に陰が差してきた原因は単純。陽の光が失われたからだ。

 理由は分からない。しかし、まるでいきなり深夜になったように、空は暗闇に覆われていた。

 月や星の灯りは無くて―――代わりに、奇妙な光の波が漂っていた。


「オーロラ……?」


 ユウヤが呟く。正しくそれに似た光景だった。

 けれど実際に起こっている現象はまるで異なる。何故なら、世界規模での複雑な魔力の流れが巻き起こされているのだから。


「これほどの規模となると……神術でしょうか? それも並の神では不可能でしょう。光の神か、魔術神か、あるいは複数の……」

「……で、あるな。”世界の壁”が再構築されておる。どうやら我らも、無関係ではいられぬようだのう」


 ルヴィッサとサリナが神妙に頷き合う。

 ユウヤや御子柴には、その会話の意味はよく分からなかった。しかし漠然とした不安は覚えていた。


「あの……俺たちは、大丈夫なんでしょうか?」

「ん? なに、案ずることはない。其方らは大切な契約者だ。元の世界へと帰るまでは、我がしっかりと守ってやろう」


 ただ、とルヴィッサは笑う。


「我の方が、家に帰れなくなったかも知れぬ」


 まるで遠足を楽しむ子供のように、ルヴィッサは目を輝かせていた。




次回から新展開。

でも、やっぱり幼女は暴れます。


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