第5話 魔獣少年と不死者の王 中編②
今回はちょっと短めです。
玄関ホールは百名以上が余裕を持って入れるくらいの広さがある。壁や絨毯も綺麗に手入れされていて、飾られた絵画の趣味はともあれ、格調高い雰囲気に包まれていた。
いま、その隅っこに不死者の王が座っていた。
膝を抱えて。どんよりとした空気に包まれて。
片手には太く歪んだ木杖を掴んでいるが、それも小刻みに震えている。
友好的に挨拶をしただけで怯えられ、泣き出されたのだ。自称人間である彼女にとって衝撃は大きい。半ば予想していた事態ではあっても、心は深く傷つけられた。
「だから驚かないで欲しいって言ったのに……」
「いや、それは無理だろ……」
「ああ。アタシだって踏み止まるので精一杯だったぜ」
溜め息を落としたユウヤと並んで、御子柴と竜胆が困惑顔を浮かべている。
皆、ひとまず落ち着きは取り戻した。まだ失神している者や身体を震えさせている者もいるが、錯乱にまでは至っていない。
恐怖に駆られた皆を介抱しながら、ユウヤはこれまでの経緯も説明した。
気がついたら森にいたこと。自分が持つ『魔獣化』のこと。
不死者の王であるフィレーネと出会ったこと。
ただし、もう一名の助っ人に関してはまだ曖昧にしか話していない。
そういう作戦だから。
手持ちの戦力を隠す必要がある。その程度には悪魔という存在は油断ならないのだと、ユウヤは聞かされていた。
一通りの事情を聞いて、御子柴も息を落とす。
「しかし、悪魔とはね。ファンタジーな世界だから、そんなのが居ても不思議とは言えないけど……」
「この世界でも珍しいみたいだよ。魔族の仲間で、とりわけ人間に悪意を持っていて、戦闘能力も高い。ただし力を振るうには制限がある、とか」
「細かいことはいいぜ。なあ、アンタ!」
クラスメイトたちが落ち着いたのを確認すると、竜胆は広間の隅へと足を向けた。あまり近づくと瘴気の影響を受けるので、距離を保ったまま声を投げる。
「怯えちまって悪かった。謝るぜ」
「……いいの。構わないわ」
膝を抱えたまま、フィレーネは掠れた声で応えた。
声自体は女性だと分かる綺麗な色を含んでいる。なのに、なにもかもを呪うような禍々しさが消えない。
「どうせ私は骸骨だもの。汚らわしい不死者の王。死んだ方が人の為になるのは分かってる。ふふ……死ねないんだけどね。不死者冗句よ。かれこれ三百年くらい続けてるネタなんだけど誰一人笑ってくれない。まあ話せた人自体ほとんどいなかったんだけどね。こんなので人の役に立ちたいなんて、それこそ笑っちゃうわよ。ふふ……うふふ……」
すっかりいじけてしまったフィレーネは、骨の指で絨毯を弄っている。
丸まった背中には、哀愁とおぞましさが漂っていた。
立ち直るまで時間が掛かりそうだ。まともな話は期待できそうにない。
だけど―――その声は、届いた。
「アンタ、人間なんだろ?」
ピクリ、と襤褸布に包まれた肩が揺れる。
「悪魔にも詳しいって聞いた。いまなにが起こってるのか、アタシにはさっぱり分からねえ。だけど、それが出来るっていうなら……頼む、助けてくれ!」
「―――分かったわ!」
即答。勢いよく立ち上がったフィレーネは、躊躇の欠片すら見せなかった。
だって、人に頼られたのだから。
助けてくれと言われたのだから。
実に三百年ぶりのことで―――、
かつてのフィレーネは、大勢の人間を救うために戦った。治癒と支援の魔術を武器に、兵士たちとともに魔族との最前線に立っていたのだ。
力及ばず、散らせてしまった命もあった。
自分の命令で、死地へと向かわせてしまった命もあった。
それでも、胸には強い想いを抱き続けた。けっして諦めることはなかった。
一人でも多くの笑顔を見たい。願いを、希望を繋いでいきたい。
だからフィレーネは応える。
助けを求める声があるならば、絶対に。
それこそが人間の証明であると信じているから。
「そうね。いじけてる場合じゃなかったわね。本当にこの館に悪魔がいるなら、私にとっても敵だもの。放ってはおけないわ」
骸骨の表情がキリッと引き締まったようだった。
いや、骨なので表情など無いのだが、周囲の空気は緊張感を増した。
生徒たちへ広間の端で身を守っているように促すと、フィレーネはまず辺りに視線を巡らせる。
「悪魔は決まり事に縛られる。これが大前提。だからこの館から出られないというのも、何かしらの決まり事に沿ってるはずだけど……」
フィレーネはまず悪趣味な文言に目を止めた。殺人の対価に水や食料を与えるというものだ。しかしこれは付随的なルールだと分かる。帰還への道を与えるとは書いてあるが、その道が存在しないとは記されていない。
つまりは、他に大元となるルールが存在する。
そのフィレーネの推測は正しかったが―――、
『この屋敷を訪れる者、歓迎を受けるまで出ること叶わず』
大元となるルールは、屋外に記されている。
館の敷地内ではあるので、ギリギリでルールに沿っているのだ。
そこまでは、三百年の経験を持つフィレーネでも思い至れない。しかしこの場が”館である”ということに目をつけた。
住居であるならば、その主が居なければいけない。それもルールだ。
なにより、人が苦しむ姿に愉悦を覚える悪魔が、その場面を近くで見ていないはずがない。
その悪魔を見つければ、この館の呪縛を解く手掛かりとなる。
最も簡単な手段として、悪魔を消し去ってしまえばいいのだ。そうすれば館ごと消え去るだろう。
「……誰か、悪魔らしい姿を見なかった? 館の中にいるはずよ」
「え……? いや、だけど俺たち以外には誰も……」
「そのままの姿とは限らないわ。動物や、あるいは像、人の姿にだって、奴等は化けられるの」
告げられて、生徒全員がごくりと息を呑む。
もしや自分達の誰かに成り代わって―――そう考える生徒も少なくなかった。
「ああ、安心して。さすがに人に化けていたら、私が見分けられるわ。元の姿から離れるほど、その正体は分かり易くなるから」
骸骨から宥められて、生徒たちはほっと胸を撫で下ろす。それもまた奇妙な光景ではあるのだが、もう皆の感覚が麻痺してきていた。
仲間を疑わずに済むというのも安心感を与えてくれる。
そうして安心したおかげか、ふと思い至った者もいた。
「あ、あの!」
遠慮がちに、有栖が手を上げる。
「そこに飾られてる絵、大勢の人が戦い合ってるんですけど……その背景の端に、小さく悪魔みたいな姿もあって……」
有栖が指差したのは、豪奢な額縁に入れられた絵画だった。その言葉通りに、悪趣味な情景が描かれている。
ぱっと見れば、人間同士が殺し合っている絵だ。しかし―――。
「……なるほど、ね」
フィレーネの漆黒の眼孔に、鋭い光が宿ったようだった。
細すぎる白い腕を掲げ、その指先から煌々とした光を放つと、フィレーネは絵画に突き掛かった。骨の手刀で、一気に絵を切り裂く。
直後、その絵から大きな影が飛び出した。
影はフィレーネの肩を掠め、広間の天井近くまで浮かび上がってピタリと止まる。そうして人に近い形を取った。
「……出てきたわね」
「くくっ、まさかという展開だな。空間を裂いて現れたことといい、人間に味方する不死者など聞いたこともない」
それは人間の男性みたいな容姿をしていた。少々線は細いが整った顔立ちで、身なりを整えれば言い寄る女も多いだろう。しかし全身の肌は暗い青色に染まっていて、頭部からは捻じれた角も生えている。上半身は裸で―――、
明らかに異様だった。
御子柴や竜胆、ユウヤも理解する。コイツは悪魔だと。自分たちを館へ閉じ込め、苦しむのを見て愉しんでいた主犯だと。
いくつもの敵意の視線を浴びながら、悪魔は嘲笑を浮かべる。
「俺の正体を見抜いた上に、向き合って怯まぬ姿勢も大したものだ。故に、褒美として教えてやろう。俺の名はドリオゴール。すでに貴様らが知っているように悪魔で、『腐敗』と『飢餓』の権能を持つ」
「へえ。権能が二つ、つまりは第三位階以上ね。だけど人間相手にこんな嫌がらせしてるってことは、無能で、仕事も与えられていないんじゃないの?」
「吠えるなよ、不死者如きが。貴様などすぐにも消し飛ばせるのだぞ。その腕のようにな」
自尊心を刺激されたのか、ドリオゴールは僅かに眼光を鋭くする。
その睨んだ先では、フィレーネの片腕が粉々に砕けて、床に散らばっていた。つい先程、絵画を切り裂いた際に、ドリオゴールの反撃を受けていたのだ。
痛々しい姿にようやく気づいて、ユウヤが声を上げる。
「フィ、フィレーネ!? 大丈夫なのか!?」
「まったく問題ないわ。対悪魔用に浄化の力を込めたから、脆くなっただけよ。それに、不幸なことに、この身体の再生力は尋常じゃないの」
余裕たっぷりにフィレーネは答える。その短い間に、砕けた腕には黒い瘴気が纏わりつき、骨が完全に再生されていた。
新たな手の感触を確かめるように軽く握る。
もう一方の手に掴んだ木杖の先で、威圧するように床を叩く。
そうしてフィレーネは、あらためて人間の敵を睨みつけた。
「人の笑顔を曇らせようとする者がいるなら、私は盾となり、剣となって立ち塞がる。たとえ千年の呪いを受けても、この誓いは破られない!」
「ふん。訳の分からぬことを。ならば、その誓いごと腐敗させ、踏み躙ってやろう。貴様が守ろうとする人間も苦渋の中で殺し尽くしてやるぞ」
異形の両者が、禍々しい気配をぶつけ合う。
そうして人外同士の戦いが始まった。本来ならばまったく無関係でいられたはずの、異世界の少年少女たちを巻き込んで。
悪魔vs不死者の王。
どっちが勝っても人類には迷惑千万(映画のキャッチコピー風
あ、次回は後編です