第1話 帝国の第三皇女(前編)
ごろごろと転がる。
ベッドの上で、ごろごろ、ごろごろと。
何回転かしたところで天幕を見上げた。綺麗な白布の皺を数えてみる。
二十くらいで飽きた。
暇だ。退屈だ。やることがない。
召喚されなくなって、もうどれだけの時間が経っただろう。人界だと百年以上は過ぎているはずだ。これだけ長く召喚されないということは、あの話が本当だったと考えるしかない。
召喚術が邪法として滅ぼされた、と。
何処をどう間違ったらそうなるのか。まったくもって呆れる話だ。
まあ、わたしだって召喚されて暴れまわった覚えはある。
何万という兵士を焼き尽くすことも、
荒れ果てた土地に豊かな恵みをもたらすことも、
一国を滅ぼすような死病を撒き散らすことも、
叶わぬ恋を成就されることも―――、
あらゆる要求に応えるのが、わたしたち召喚獣の務めだった。
ただし、対価を貰えればという条件は付くけれど。
召喚術は恩恵も代償も大きい。そんな側面があるから、きっと誤解されたのだろう。捉えようによっては、悪魔との契約みたいなものだものね。
本当は、もっと気軽に扱える魔術なんだけどなあ。
ちょっとしたお買い物とか、掃除の手伝いとかで呼び出してくれてもいいのに。
だいたい、わたしの何処を見れば悪魔だの邪神だのと間違えるのか。
ちっこくて。手足だってぷにぷにで。どう見たって人間の幼女だ。戦乙女みたいに物騒な装備は持っていないし、龍みたいに角も鱗も生えていない。毎日、お風呂に入って綺麗にもしている。白金色のふわふわ髪にだって自信がある。
もっとも、お風呂なんて入らなくても変わらないんだけどね。
お腹だって空かない。何千日だって眠らないでいられる。
でも、退屈だけはどうしようもない。
「うぅ~……」
ばたばたと足を揺らしながら、枕元にあった本を手に取る。
もう何度も読んだ本だ。お気に入りの物語ではあるけれど、さすがにもう飽きている。城の書庫にある他の本だって読み尽くしてしまった。
テレビもネットもゲームも無い。
セイレーンの歌も聞き飽きた。
ブラウニーの新作料理も、古いレシピを少し変えたものばかりだ。
スポーツをしてもいいけど、後片付けが大変になる。
なにせ、ここに住んでいるのは召喚獣ばかりなのだ。ドラゴンだの巨大ゴーレムだのスライムだのグリフォンだの、ちょっと本気を出すと山を吹き飛ばしてしまう強力な魔導生物が揃っている。
みんな退屈を抱えているのは同じなんだけどね。
でも召喚された時以外は眠っている子もいるし、下級召喚獣のいくらかは、いまでも偶に呼び出される。
ああ、そうか。わたしも上級召喚に分類されているのがいけないんだ。
呼び出すだけでも、人間にとってはかなりの魔力が要求される。術式も難しい。
なんとかならないかな?
術式を簡単なものにするだけでも、召喚される機会は増えそうなのに。
でもわたしは、仮にも召喚獣を統べる女王だ。人界に現れるだけでも影響を与えてしまう。その影響を抑えるためにも、複雑な術式が必要だったはずだ。
自分が関わる魔術なのでよく覚えている。
よくこれほど緻密な術式を作ったと、ひどく呆れたものだ。
「だけど改変の余地はあったかも。せめて魔力消費を減らせれば、もう少しは簡単に……ああ、どっちにしても召喚されないと無意味かあ。こっちから人界に接触できないのが一番の問題で……」
「ルヴィッサ様」
わたしの独り言を咎めるみたいに、横から声が投げられた。
寝転がったまま顔だけを向ける。
部屋の真ん中にメイドがいた。冷然とした表情のまま、背筋をピンと伸ばしている。ゴシックタイプのエプロンドレスは落ち着いた雰囲気を演出していて、肩口で切り揃えられた黒髪は一本の乱れもない。
もしも街中を歩いていたら、その美貌に、男女問わず大勢が振り向くだろう。
だけどここは、わたしの寝室だ。
絨毯の上には、本やらトランプやらボードゲームやらが散らばっている。
その真ん中で、彼女は座布団に正座して将棋盤と向き合っていた。
違和感たっぷりだね。そうさせたのはわたしだけど謝らない。
そしてわたしは、負けを認めない。
「持ち時間が切れました。私の勝利です」
「ん。じゃあ、もう一勝負しようか」
「私の勝利です」
「二度も言わなくていいから……はいはい、サリナの勝ちサリナの勝ち」
ひらひらと手を振って、ベッドから降りる。
座布団の上で膝を折ると、あらためて将棋盤と向き合った。
ドワーフの職人が苦心して作ってくれた将棋盤と駒は、ずっと以前に人界で手に入れたものだ。あと百年が経っても遊べそうで、丁寧な仕事ぶりを感じられる。
ふっと昔の記憶に目を細めながら盤上へ手を伸ばす。
でも摘み上げた駒を、ことり、と落としてしまった。
「これって……!」
わたしの右手の甲に、青白く光る紋様が浮かび上がっていた。
それだけじゃない。立ち上がり、部屋の窓へと駆け寄る。
外を覗くと、城の上空で大きな魔法陣が輝いていた。眩しいほどの青白い光が、室内まで差し込んでくる。
もう時間も忘れるくらいに久しぶりだけど、見間違えるはずがない。
わたしを呼ぶ、最上位召喚術が発動した合図だ。
「ひゃっほう!」
跳び上がって、ぐっと拳を握る。
これで退屈とおさらばできる。呼び出してくれたのはどんな術師だろう。白髭とローブが似合うお爺さんかな? これまでの経験からすると、中年のおじさんっていうのが一番多いかも。でも才能に溢れた若い術師ってことも有り得るね。
まあ、どんな相手でもいいや。全力で呼び出されてあげよう。
力は有り余っている。いまなら魔王でもパンチ一発で倒せそうだ。
あ、そうだ、身だしなみにも気をつけないといけない。部屋着のままじゃ威厳が失くなっちゃうからね。
「着替えないと。どのドレスがいいかな?」
「いつもので宜しいのでは? 黒銀の輝きは、ルヴィッサ様によくお似合いです」
「でも久しぶりだし、着飾った方がよくない? こう背中に花束を背負うとか」
「おやめください。我々のイメージまで崩れてしまいます」
静かに首を振ったサリナは、じっとりと冷たい眼差しを向けてきた。
むぅ。いいアイデアだと思ったのに。
でもわたしが服を選ぶと、妙な事態になることが多かった気もする。術師本人に襲い掛かられたり、逃げられたり、生温かい目で見られたり。
……そんなに壊滅的なセンスしてるかなあ。
「さあ、こちらを。お手伝いさせていただきます」
クローゼットから取り出されたのは、黒銀のゴスロリ風ドレスだ。気が遠くなるほど昔に作られた物なのに、色褪せも糸のほつれもまったくない。スカートの裾や袖の長さも、わたしの体にぴったりと合っている。
少しは成長してもいいと思うんだけどね。
だけど着心地はいいし、お気に入りの衣装ではある。
リボンや靴を整えてもらうと、気も引き締まる。
「さあて。それじゃあ、女王らしく暴れてこようか」
背後にサリナを従えて、玉座の間へと向かう。
わたしは、ルヴィッサ・メフィス・ウロボス・シュティラウドクライン。
すべての召喚獣を従える女王様だ。
◇ ◇ ◇
エディオルア大陸。
その西方を統べるバルティニア帝国は、いま存亡の危機にあった。
数ヶ月前に、国境を接している東方の国々が揃って宣戦布告をしてきた。強兵を誇る帝国だが、四カ国もの連合を相手にするのはさすがに分が悪い。それでも皇帝自らが出陣し、諸将の活躍もあり、どうにか侵略者どもを国境外へと追いやることに成功した。
戦勝報告があったのが数日前。
帝都エルバルトグラードに残っていた騎士たちは大いに快哉を叫び、住民も喜びと安堵の声を上げた。留守を預かるアルディーラ第三皇女も胸を撫で下ろして、臣下に労いの声を掛けていった。
けれど裏切りが起こった。
帝国貴族の一部が敵軍を引き入れて、内と外から帝都を襲ったのだ。
防衛部隊も気が緩んでいたところだった。そこに不意打ちを受けて、帝都を守る外門を開かれ、瞬く間に城まで敵の侵入を許してしまった。
大陸随一の栄華を誇ったエルバルトグラードのそこかしこで炎が上がった。
住民の悲鳴を、馬蹄の音が踏み躙っていく。
赤々とした情景を、アルディーラ皇女も歯噛みしながら見つめていた。
「ギルディムーア公爵……よくも、このような卑劣な真似を!」
苦々しげに呟き、拳を握る。
護衛騎士から逃げるよう促されたが、アルディーラは首を振った。
皇族のみが使える極秘の通路を使えば、この戦火からは逃れられる可能性がある。しかし首都を堕とされれば、帝国は滅びへと向かってしまう。
東方で勝利を治めた皇帝直下の軍は、すぐさま引き返してくるだろう。しかし首都の防壁を利用されれば苦戦は確実だ。戦いが長引けば、また東方の国々が攻め込んできて、帝国領土は食い散らかされてしまう。
まだ十二歳と幼いアルディーラだが、今の窮地をよく理解していた。
そのような利発さもあって、皇帝の留守を任されたのだ。
そして、万が一に取るべき行動も教えられていた。
「禁儀の間へと向かいます。魔術師を集めなさい」
「なっ……姫様、それは!」
「止めても無駄です。いまこの時、民を救う手段が他にありますか?」
制止しようとする側仕えを一喝して、アルディーラは城の奥へと向かった。
後に従う騎士や文官の中には、なにをするのか分からない者も多かった。けれど鬼気迫るアルディーラの様相に圧されるまま、指示通りに動いていく。
城の地下、普段は誰も立ち入らない区画に、その部屋は設けられていた。
重々しい両開きの扉には、複雑な魔法陣が描かれている。皇族以外の者には開けられないよう厳重に封印されているのだ。
アルディーラは扉の前で一度立ち止まると、意を決して押し開いた。
閉じ込められていた冷ややかな空気が流れ出す。
室内には黴臭い匂いが立ち込めていた。魔法の灯りで照らしても、まるで暗闇が奥から染み出てくるように視界を妨げる。
奥には、複雑な魔法陣の刻まれた台座が置かれていた。
そこから漂う寂しげでありながらも禍々しい気配に、皆が一様に息を呑む。
「……姫様、どうかお考え直しを。これは悪魔を呼び出すとも言われている術なのですぞ」
老年の側仕えは、大柄な体を畳むようにして頭を下げる。
危惧は当然のものだった。
父である皇帝も、他に打つ手が無い時にのみ頼るよう言っていた。
そもそもこのような不可解な魔術に頼ってよいものか、という疑問もある。
しかし皇族にのみ秘術として伝わってきたものだ。嘘や冗談であるとは考え難い。数代前の皇帝がこの術を用いて、大いに帝国の領土を広げたという逸話もあった。
なにより、逃げ出すのも諦めるのも、アルディーラの望むところではない。
他に手段がなければ、自ら剣を取っていただろう。
「悪魔であろうと構いませんわ。この国を、民を救ってくれるならば、わたくしは喜んで命すら差し出しましょう」
傲然と言い放つ様は、正しく武を尊ぶ帝国の皇女に相応しかった。
幼くも凛々しいその姿に、老年の側仕えは感涙すら流してしまいそうになる。しかし同時に、敬愛する姫君を危険に晒してしまう不甲斐なさに唇を噛んだ。
「爺や、其方の心遣いは嬉しく思います。ですがわたくしは帝国の皇女なのです。命の使い時を見誤り、恥を晒してまで存えるつもりはありません」
「……承知致しました。もしもの時は、この老いぼれの命をお使いくださいませ」
側仕えは歪めた顔を隠すように深々と頭を下げる。
アルディーラは力強く頷きを返すと、魔法陣の前に立った。
護衛騎士たちも覚悟を固めた顔をして、扉を塞ぐ形で警護に就く。宮廷魔術師とその弟子たちも、アルディーラの指示に従って魔法陣の周りに立った。
「ここに記されているのは、召喚術の一種だそうです。とても強大な何者かを召喚できるそうですが、詳しくは分かっておりません。ですが、あらゆる困難を打ち払う力を得られると伝えられています」
一冊の古い書物を手に、アルディーラは術式の説明を行っていく。
すでに魔法陣は用意されているので、術式自体はそう難しくない。問題があるとすれば、大量に魔力を必要とする点だ。
興味深そうに魔法陣に目を凝らしていた魔術師も、その点に気づいて疑問を投げた。
「これほど緻密な術式……すべては読み解けませぬが、我々でも魔力が足りるか分かりませぬぞ」
「ええ。この魔法陣が作られた時代では難しかったでしょうね。ですが、いまでは魔石から魔力を抽出する手法が確立していますから」
アルディーラは宮廷魔術師へ目配せする。
事前に用意してあった大きな魔石が其々の手に渡されると、いよいよ術式の発動に取り掛かった。
まずはアルディーラが魔法陣へ魔力を注ぐ。
次いで、魔術師たちが順番に手をかざし、同じように繰り返していく。
青白い光を放ち始めた魔法陣は、徐々にその輝きを強くしていった。
空中にも複雑な陣が描き出される。緊迫した空間に溢れてくる力を全員が感じ取って、一様に息を呑んだ。
呼吸や衣擦れの音さえもよく響く。
術式は最終段階へと移ろうとしていた。
だがそこで、荒々しい足音が部屋の外から響いてきた。
「おい、こっちに扉があるぞ! 大きな魔力の気配もある!」
「アルディーラ皇女か!? 捕らえろ!」
「公爵閣下にもお知らせしろ。応援を呼んでこい!」
扉越しにも剣呑な気配が伝わってくる。
護衛騎士が一斉に剣を抜き放ち、濫入者を迎え撃つべく身構えた。
「この部屋には、皇族以外を阻む結界が張られています。しばらくは防げるはずですわ」
落ち着いた声で述べたアルディーラだが、それが気休めでしかないことも承知していた。
裏切り者の首魁であるギルディムーア公爵にも、遠縁とはいえ皇家の血が流れている。つまりは結界を通り抜けられるのだ。それに古い結界なので、力尽くで破れないこともない。この地下室ごと生き埋めにされる事態も考えられた。
敵兵が踏み入ってくるのが先か、術式が完成するのが先か。
アルディーラは内心の焦りを抑えながら、魔法陣へと意識を傾けた。
扉の向こうからは、断続的に荒々しい音が響いてくる。それに抗うように、魔法陣から放たれる光も増していった、が―――、
「っ……!」
半ば打ち壊されるようにして、扉が押し開かれた。
すぐさま武器を持った兵が踏み入ってくる。護衛騎士も反撃して、室内に剣戟の音が幾重にも響き渡った。
乱戦の中、一人の大柄な男が歩み出る。
立ちはだかる護衛騎士を斬り伏せたその男は、嘲るような眼差しでアルディーラを見据えた。
「このような薄汚い地下室にお隠れとは。ネズミの真似事など、皇女殿下には似合いませぬぞ」
「ギルディムーア公爵……!」
裏切り者の名を吐き出して、アルディーラは苦々しく顔を歪めた。
「騎士の誇りを忘れた卑怯者が! よくも顔を見せられたものですわ!」
「ふん、俺は騎士ではなく王になるのだ。あらゆる手段を取って当然ではないか」
ギルディムーアは勝ち誇った笑みを浮かべる。
その歩みを止めようと護衛騎士たちも奮戦しているが、踏み込んでくる敵兵の方が多く、数の圧力に押し退けられてしまう。
「殺しはせん。貴様にはまだ利用価値があるからな」
「生き恥を晒すつもりはありませんわ。貴方など、私の手で……!」
短剣を取り出したアルディーラは、それを腰に構えて踏み出す。
刺し違えてでも、憎き裏切り者に刃を届かせようとした。
その気迫は見事なものだった。しかし所詮は十二歳の少女だ。
無雑作に突き出された蹴りを受けて、アルディーラの細い身体は弾き飛ばされた。
「ぅ……くっ……」
壁に背を打ちつけられたアルディーラは、苦悶の息を吐いて蹲る。
それでもまだ抵抗しようと、震える膝を押さえて立ち上がった。
「まだ……まだ、諦めませんわ!」
「気概だけは立派だが、構っていられぬな。こやつ以外は皆殺しにしろ」
ギルディムーアの兵は、いまや地下室を完全に占拠しようとしていた。
奥の台座を囲む魔術師たちに対しても、剣が向けられようとする。
しかしその兵たちはギルディムーアの声に答えなかった。誰一人として。
部屋の奥に浮かんでいた魔法陣が、一際強く輝きを発したのだ。
眩いばかりの輝きが室内を満たす。
皆一様に言葉を失い、立ち尽くしていた。
「……いったい、なにが起こった……?」
誰が呟いたかは分からない。
ただ、それに応えるように小さな足音が響いた。
コツリ、と。
良質な硝子細工が奏でるように繊細な、それでいて威圧も伴う音だ。
そして―――、
「―――我、来たり」
小鳥の囁きのように、まるで戦場には不釣合いな可憐な声だった。
基本的に一話完結形式(数回に分かれないとは言ってない)です。
続いて、後編もお楽しみください。