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もしも彼を守るのなら

海と山に囲まれたこの町で、17年ほど前に向田すみは誕生した。すくすくと育ち、いつも唇に歌を口ずさむような活発な少女になった。小学校に通い出してからは、とりわけ親しくなった七原愛と一緒に、何か面白いものを探して自然の中を駆け回った。



優しい両親、気の置けない友達。勉強は好きでも嫌いでもなかったが、学校は楽しかった。クラスで目立つような子どもではなかったが、たまに男子から告白されたりもした。物静かでシャイな性格をした子に好かれることが多かった。


好きだと言われれば嬉しいと思う。

すみは、この嬉しいという感情こそが恋だと思っていた。

特定の誰かのことを思い、胸が苦しくなるような経験は幼い彼女にはまだなかった。



小学校4年の夏。そんなすみも、ある少年との出会いを果たすことになる―――







『ひろくん、ひろくん。』

『ねぇねぇひろくん!』



昔の自分の声と、女子生徒が転校生を呼ぶ声とが重なって聞こえた。


クラスに皆部尋を迎えてから一週間が経とうとしている。当初の浮ついた空気は落ち着きを見せ、クラスメートたちも環境の変化に順応し始めていた。皆部尋本人に至っては、最初から何てこともないという風にひどく落ち着いた態度を貫いている。


ひっきりなしに群がってくる女子生徒たちに対しても、邪険にするでもなく、かといって馴れ合うようなそぶりは見せない。質問をされれば無難な答えを返す。だが、常に一線を引いたような彼の受け答えは、形容するならば無関心の産物とも思えた。



皆部尋から感じられる、寂寥感にも似た何か。

それがこの転校生とあの男の子とを隔てている、とすみは思う。



「ひろくん次移動教室だよ!場所わからないでしょ?一緒に行ってあげる!」

「私も行くー!」

「私もっ。」


彼が曖昧に頷くのが見えた。あんな調子で、男子の友達はできたのだろうか。すみは少し不安になった。

するとその時、彼の黒い瞳が偶然すみに向けられた。


一瞬のことであったが、その深い色合いの両眼から目を逸らすことが出来ず、すみの背筋はひやっとした。一方の彼は、すみを一瞥したのち、興味を失ったようにふっと視線を外す。



わずか一秒にも満たないやりとりだったにも関わらず、すみは全身の血流がバクバクと波打っているのがわかった。ほっと息を吐いてしまう。


「見・す・ぎ。」

「…え?」

「わ・か・り・や・す・す・ぎ。」

「っ!」


隣にいた七原愛の言葉を皮切りに、すみは顔を真っ赤にしてしまった。


「ち、違うよ!愛ちゃん違う!」

「ふぁー?めっちゃ真っ赤だけど?」

「これは違くて!」


愛は大げさに「はぁ~」とため息をつく仕草をした。


「すみさぁ、事あるごとに目で追ってるんだもん。私じゃなくても気づくよ。」

「マジで…?」

「マジで。」

「別にそんなんじゃないからね!」

「そんなんてどんなんよ、テンパりすぎ。ってか気になるんだったら話かけりゃーいいのに。」

「無理!」

「なんで?あ、私が話しかけてやろうか?」

「ダメダメダメー!無理!」


なにが無理なのさ、と愛は困ったように笑った。


「全くもー、世話が焼けるなぁ。あいつがすみの牧瀬なんちゃらかどうか、直接本人に聞くのが一番早いって。」

「待ってよ!そもそも名字違うし絶対人違いだよ!」

「それはほら、リコン・サイコン・ヨウシエングミ、世の中色々あるし?」


足取り軽やかに進む愛の背中を、すみは慌てて追いかけた。直接本人に聞く、どうやって?あなたは私を覚えていますか?あなたは小学生のころこの町にいませんでしたか?あなたはかつて牧瀬尋という名前だったのではないですか?あなたは、あなたは。


不躾に直球で聞けるような内容じゃない。愛が何かとんでもないことを彼に尋ねやしないかと、すみは気が気でなかった。





「そうか、皆部くんの席を決めんとなぁ。」


のんびりとした化学教諭の声が実験室に響き渡る。生活の中心となる教室とは異なり、ここでは4人か3人で1組のチームとなって着席する必要がある。新学期にくじ引きでそのチームと座るテーブルを決めており、すみは4人チーム、教室最前列中央となっていた。


「確か田島の班だけ3人だったな?そこに入ってもらうのがいいかな。」

化学を教える初老の新橋先生は、出席簿を眺めながら言った。名前を呼ばれた田島は、人懐っこい顔でこっちこっちと尋を手招く。田島くんだったら安心だ。


すみはいつの間にやら安堵のため息を零す自分に驚いた。まだしゃべったこともない転校生を心配し、彼の身に起きることに一喜一憂してしまっている。何だこれは。胸がむずむずするようでこそばゆい。


その時、背後から舌打ちが聞こえた。


「先生、もしかしたら皆部くんは前の方に座った方がいいかも知れませんよ!だって田島の班ってすごい後ろだし、黒板遠いじゃないですか。実験具とりに前の方にも来なきゃいけないし、そういうの考えたら慣れない皆部くんは一番前の班に来るべきだと思います。」


案外やることやってそうと以前すみに言ったのも、今しがた舌打ちしたのも、同じ班に座るこの女子生徒だった。彼女は自分の班にこの転校生を入れたい。明白すぎる魂胆だ。


「ふうむ。まぁそうかも知れんなぁ。でも席ないしな。誰か交換してくれる人はいるか?いないなら坂本、お前が変わってやれ。」

「は?なんでアタシなんですか!」

「言い出したのお前だしな。丁度いいだろう。」

「丁度よくないっ!嫌ですよ!」


坂本という名の茶髪の女子生徒は噛みつくように反論した。クラスの雰囲気も、あぁまたかといった流れに変わってきている。また坂本が転校生を欲しがっている、と。


皆部尋が来てからというもの、どんなにそっけない反応をされようと坂本楓は彼に絡むのを一日としてやめたことがなかった。やれ校舎を案内してやる、やれ購買のパンを買ってきてやる、やれ宿題や課題を見せてやる。彼女がこの転校生に気があることは火を見るよりあきらかで、その過剰なまでのおせっかいに周囲はもはや引いていた。



ザワザワと這い寄せる嫌悪感を背中に感じながら、すみの脳裏には坂本楓のある日の発言がよぎる。


―――私、付きあってた年上のカレと別れちゃったのー。だから次はひろくんと付き合うのがいいかなって。




「すみ、後ろの席がいいって前に言ってたよね?ひろくんに席譲ってあげなよ。」

トンっと右肩に手を置かれて、思わず振り払いそうになった。キッ、と後ろを振り返る。


「なによその目。協力してくれるって言ったじゃん。」

「言ってない。」

「はぁ?裏切るの?サイッテー。すみのそういうところ大っ嫌い。はやく席変われよ。」


小声での会話だったが、同じ班の男子生徒2人は内容が十分届く範囲にいた。彼らの顔が信じられないものを見るかのように険しくなる。


「私は協力しない。坂本なんかに追い回されて皆部くんホント可愛そう。」





パァンッ




大きな音が鳴り響き、私の左頬に衝撃が走った。


髪を振り乱し、肩で息をする坂本楓。目を真ん丸に見開いた同じ班の男子2人。離れたところで勢いよく立ち上がる親友の愛。


唖然として静まり返った教室内で、彼はどんな気持ちでいただろう。

こんな学校に来たくなかった、そう思わないでいてくれることだけを祈った。

じわじわと膨れ上がる痛みと恥ずかしさ。それでも涙だけは流すまじと歯を食いしばる。



こうして私は意図せずも、坂本楓に宣戦布告するに至ったのだ。

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