1コマ目
「それじゃ、行ってくるよ。三、四日はあっちで泊まってくるから、その間、事務所と此亜のことはよろしく頼む」
「はい」
「行ってらっしゃい。母さんによろしくね」
「ああ、じゃあな」
「チュン!」
二人と一羽は、両手に荷物を抱えた小太郎の背中を見送った。
「じゃあ、次はチュン子の番だね。次に帰ってくるのは、父さんと同じ日になるかもね」
「またな、チュン子。しばしのお別れだ」
「チチッ!」
此亜の肩に乗っていたチュン子が、箒山の方向へと飛んで行く。二人は、その姿が見えなくなるまで見送った。
「さっ。私たちも学校に行こう」
「おう。でも、お前は本当に行かなくて良かったのか?」
「いいの、いいの。どうせ、母さんはあと半年で帰ってくるんだから。夫婦水入らずの邪魔しちゃったら悪いじゃない?」
「まあ、お前がそう言うんなら俺は構わないけどな」
「おはよう! お二人さん」
「おはよう、吾妻」
「おはよう、恭。相変わらず無駄に早いな」
「ああ、まあな。当たり前っちゃあ、当たり前だけど」
あまり真面目な男には見えない恭太郎だが、高校入学以来、遅刻したことはただの一度もない。それには二つの理由がある。朝になれば起こしてくれる家族がいる。よって寝坊はあり得ない。そして彼の家は学校の隣にある。故に道草をする気も起きない。さっさと学校に行った方が、まだ面白味があるらしい。
「おはよう、ココ。それに国守君と吾妻君も」
扉を開けて入ってきた短髪の美少女が、朗らかな顔で朝の挨拶をする。
「茜、おっはよ」
「おはよう、真壁」
「おはよう、真壁さん」
真壁茜。妖怪に髪を奪われたその少女と、雄人ら三人組との関係は、昨日の一件で大きく変わった。此亜の親友、雄人の友人、恭太郎のクラスメイト。それが昨日までの彼女。今の彼女は四人組の内の一人である。三人組とその他一人ではない。
たった一度昼食をともにしただけだったが、十代の少年少女たちにとって、友人作りに時間や実際的過程は関係なかった。
「昨日はわざわざ家まで一緒についてきてくれてありがとう、ココ」
「あれぐらい別にいつでも頼まれるよ。それに途中からは車だったじゃない」
「茨木、お前真壁さんの家に行ったのか!?」
恭太郎は鼻息を荒くして素っ頓狂な声を出した。此亜はそれに少し狼狽し、後退る。
「何を興奮してるの? 別に昨日初めて行ったわけじゃないよ」
「そ、そうか。そう言われれば、うん、そりゃそうだよな。仲良いもんな、お前ら」
「吾妻君、私のお家がどうかしたんですか?」
「え? ああ、いや別にその、どうかしたというわけじゃなくて……」
今度は恭太郎が狼狽する。
真壁茜は、長者番付でも一桁台の順位に入る、超が付く程の大富豪「真壁幸光」の一人娘である。となれば、自宅も、超が付く程の大豪邸だと想像するのが普通。ならば、やはりどんな家なのか、気になるというのが当然だろう。
しかし茜本人からすれば、それは必ずしも好ましい反応とは言えない。自分が特別視されることを嫌う人間は意外に多い。その特別性が、自分自身の努力によるものではなく、生まれついてのものならばなおのこと多い。その上、相手が身近な人間であるならばその嫌悪……というより大げさな言い方をすれば悲しみは深くなる。そういうことを分かっているからこそ、恭太郎は狼狽した。昨日の昼食時までならともかく、今の真壁茜は吾妻恭太郎にとって、大切な友人の一人なのだから。
「恭は女の子の家に行ったことがないから、ちょっと興奮しただけさ。そうだよな、恭?」
「お、おお。そう、そう。女の子同士なんだから別に興奮することでもないのに。馬っ鹿だよな―、俺って」
雄人の言ったことは事実ではない。それは雄人も分かっている。要は、雄人が恭太郎に出した助け船である。
「ふふっ。おっかしい」
茜はそう言って笑う。
それはとても素直な笑いだった。
そんな茜を見て恭太郎と雄人は安堵し、小声で言い合った。
「(ふー。サンキュー、雄人)」
「(気を付けろよ。……俺も人のことは言えないけど)」
『ガラッ!』
教室の扉が勢いよく開かれ、教室中の雑談の声がピタッと止まる。
「っしゃぁー! ホーム・ルーム始めるぞ!!」
野生的な掛け声と共に石山が入ってくる。昨日のように、その掛け声の勢いを途中で弱めることもなく。
「毎度のことだけど朝からテンション高いな、佳苗姉ちゃん。よくあれで一日持つもんだ」
「テンション低いよりはいいじゃないか」
「そう、そう。佳苗先生のお蔭で教室全体が、朝から明るくなるしね」
「石山先生には私も朝から元気を貰っています」
「だからって、家でもずっとあんな調子だぞ?」
「それは確かに、ちょっと疲れるかもな。楽しそうだけど」
そんなことを話しながら、四人はそれぞれの席に着いた。他の生徒達も皆、各々の席に着き始める。教室が静かになったのを見計らい、教壇の前に立った石山が口を開いた。
「おはよー、皆。今日は朝からニュースが一つある。最近この辺りで出没してた変質者な、あの、勝手に人の髪を切っていくっていうド外道。あいつ、捕まったらしいぞ」
石山からのニュースに、茜は安堵の顔を浮かべる。恭太郎はフーンという感じで聞き流し、雄人と此亜は、小太郎たちの相変わらずの仕事の速さに感心していた。
「まあ、これでとりあえずの『確かな危険』は去ったわけだ。だからって、今後も不用意に夜中に外を歩き回るんじゃないぞ。特に一人ではな。おい、聞いているのか、恭?」
「ちゃんと聞いてるって、佳苗姉ちゃん」
「こら! ここでは先生と呼べ。公私混同するんじゃない」
「はい、はい。分かりましたよ、石山先生」
「よろしい。あ! 職員室にプリント忘れたわ。恭、出席取ってる間にちゃちゃっと取ってきてくれ。私の机の場所は知ってるだろ?」
「それは公私混同じゃないのかよ!?」
「誰が行っても一緒だろ。折角ドアの横の席なんだから、早く行く!」
「分かったよ。まったく……」
仕方ないな、と思いながらも恭太郎は席を立って、教室を出た。そのまま職員室の方へ駆けていく。
「じゃ、出席取るか。まずは吾妻。……あれ? なんだ、あいつ休みか?」
「えーっと、佳苗さ……先生、本気で言ってます?」
「冗談だよ、雄人君。じゃ、改めて始めるぞ。茨木」
「はい!」
滞りなく学校生活は進んで――
終礼の後、半数の生徒は既に教室を後にし、残りの半数は教室に残ったまま雑談したり、自習したりしていた。雄人達四人はその後者の前者。自分の席に着いたままの此亜を中心に、夏休みについて話し合っていた。
「いよいよ夏休みか。折角真壁さんも俺らのグループに加わったことだし、この四人でどこか行きたいな」
「いいね、それ。茜はどう?」
「私も賛成。皆はどこか行きたい所ありますか?」
「俺は海かな。やっぱり夏だし」
――山はもう行き飽きてるしな。
「私も海がいいな。広い海で思いっきり泳ぎたい気分」
「じゃあ俺も海。しかし、どこも混んでるだろうな。夏の海は」
「まあ、それは仕方ないだろ」
「でしたら、私と両親が毎年行っている、真壁の別荘がある島はどうでしょう? ビーチもありますし、関係者以外の上陸は禁じていますから伸び伸びできますよ」
茜の突然の提案に三人は目を点にして一瞬固まった。しかし、真壁ほどの大富豪ならばこっちの想像ぐらい軽く超えて来るのが普通なのかも知れない、とすぐに考えを改めた。
「真壁、それ、どこにあるんだ?」
「今私が行った所は一応国内です」
――ああ、なんかもう……そういうレベルなんだな。
茜は、雄人達の想像を本当に軽く超えてきたが、動揺を態度に出す者はもはやいなかった。
「でも、私達なんかが行ってお邪魔にならないかな?」
「そんな心配は要らないよ、ココ。むしろお父さんとお母さんは喜ぶと思うよ。二人とも賑やかな方が好きだから」
「じゃあ、一応頼んどいてくれるか? 俺達のこと」
「ええ、分かりました。ふふっ。今からその日が楽しみです」
茜は嬉しそうに笑った。
「よっしゃ! じゃあ日程やら何やら、細かいことは真壁さんのご両親の了解を得られた後で、ってことで。今日の所はそろそろ引き揚げるか。皆で一緒に帰ろうぜ」
「一緒に帰るって言ってもお前ん家は学校の隣じゃないか」
「細かいことは気にするな。太るぞ」
「聞いた事ねえよ、そんな法則」
二人のやりとりを笑いながら見ていた此亜であったが、ふと茜の方に目を向けると、彼女が何かを言いたそうにして、もじもじしていることに気付いた。
「茜、どうかしたの?」
「あのう、私は部活があるから……」
茜は申し訳なさそうに、そして残念そうに言った。
「あ! ごめんね、茜。今日も部活があったんだね。もしかして引き留めちゃったかな? 遅刻にならない?」
「それは大丈夫。集合時間はきっちり決まっていないし。それに皆まだお昼ごはんを食べていると思うから。私もお弁当を食べてから行くつもりだけど、私の場合は食べるのにそんなに時間もかからないし」
「そう? じゃあ、良かった。また明日……じゃなかった、また来週の月曜日にね」
「うん。またね、ココ。国守君と吾妻君も、また来週お会いしましょうね」
「おう。またな、真壁」
「バイバイ、真壁さん」
三人は真壁に手を振りながら教室を後にした。
「それにしても真壁が元気そうで良かった。昨日の時点でもかなり元気は取り戻してたけどさ。今日改めて様子を見て安心したよ」
「ああ見えても結構強い娘なんだよ、茜って。犯人がもう捕まったっていう安心感も今日になって生まれただろうし」
「それは確かに大きいだろうな。しかし警察のお偉いさんや国のお偉いさんに妖怪が混じってるだなんて、誰も夢にも思っていないだろうな」
「それはそうだろうね。アハハハ」
「何が面白いんだか」
校門の前で吾妻と別れた二人は、学校では出来ない会話をしつつ帰路についていた。
途中、ファーストフードで昼食も済ました二人は、事務所ビルの外階段から二階に上がっていく。
事務所の入り口前には一人の女性が立っていた。
腰まで届いた黒髪。特に意味のない英文がプリントされたTシャツ、紺色のジーパン。見目三十歳といったところだが、随分と若々しい恰好をしている。しかし決して不格好ではない。むしろ似合っていた。二人の気配に気付いた女性は振り返る。そして雄人たちを一瞥し、口を開いた。
「ここって、探偵さんですよね?」